↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
潮を編む――滅んだ小領主の娘、唐土に売られ、海賊の妻となる  作者: ハタ星人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/131

第七話 内応

応永二十一年(一四一四)十一月 筑前国遠賀郡 島門

十一月に入って、湊に鯖が上がりはじめた。


冬の魚だ。脂が乗って、腹が銀色に光る。さよの父が持ってきたのを、屋敷の台所で捌いていた。血の匂いに混じって、潮の匂いがした。


婚儀は、春に決まっていた。


三月の吉日。打掛の直しは博多から戻ってきていて、桐の箱に入って納戸に置いてある。一度だけ袖を通した。丈が長すぎて、裾を踏んだ。


それきり、開けていない。


わたしは毎日、番屋へ通っていた。関の帳面を付けるためだ。嫁ぐまでは付けようと決めていたし、付けているあいだは、他のことを考えずに済んだ。


その日も、与三次と荷を検めていた。


「与三次」


「はい」


「近ごろ、北へ上る船が多い」


「多うござりますな」


「どこへ行っておる」


老人は、荷札を検める手を止めなかった。


「門司でしょう」


門司。


指が、止まった。


門司は豊前の入口だ。関門の瀬戸を渡れば、そこはもう周防になる。


そして周防は、大内の膝下だった。


---


その日から、わたしは北へ上る船を数えはじめた。


数えるのは簡単だった。島門の湊には白水衆の見張りが立つようになっている。約定の四つ目——他の賊が出れば追い払う——を果たすために、彼らは響灘の入口に船を置いている。


つまり、どの船がどこへ行ったか、彼らは全部見ている。


「与三次。白水衆に訊いてくれぬか」


「何をでござります」


「この一月、芦屋から北へ上った船が何艘あったか。積み荷は何であったか」


老人は、そこで初めて手を止めた。


「……姫様」


「訊いてくれぬか」


「訊けば、あちらも姫様が何を気にしておるか察しまする」


「察してもよい」


与三次は、しばらくわたしを見ていた。


それから、荷札を置いた。


「……相分かりました」


三日後、答えが来た。


芦屋から北へ上った船は、十一月の一月で二十二艘。


積み荷は、ほとんどが米だった。


---


わたしは、自分の部屋で帳面を並べた。


三年ぶんある。応永十九年の九月から、いまに至るまで。


去年の十一月、島門を通って北へ上った船は、四艘。積み荷は麻布と、干魚と、荏胡麻。


米は、一艘もなかった。


北へ米を運ぶ理由がないからだ。米は南から北へは動かない。遠賀の米は、遠賀の奥か、博多へ流れる。門司の先は山ばかりで、田がない。田がないところに米を持っていくのは、そこに人が集まっているときだけだ。


兵だ。


わたしは筆を置いた。


大内が、豊前に兵を置いている。冬を越すのに米が要る。だから買っている。


そして、売っている者がいる。


芦屋が。


麻生の宗家が。


指の先が冷えた。今度は寒さのせいではなかった。


待って。落ち着いて。


米を売るのは商いだ。商いをしたからといって、味方だということにはならない。銭を出す相手に売る。それだけのことかもしれない。


そう思おうとして、思えなかった。


理由が二つあった。


一つ。芦屋の御屋形は、去年の春、少弐から兵を出せと言われて動かなかった。動かずに様子を見た。


二つ。二十二艘は、多すぎる。


商いなら、値を見て少しずつ売る。値が上がるのを待つ。一月で二十二艘というのは、商いの動きじゃない。約束の動きだ。約束があるから、まとめて運ぶ。


——通じている。


わたしは帳面を閉じた。


閉じて、しばらく座っていた。


障子の外で、風が鳴っていた。


もう一つ、思い出したことがあった。


半年前、湊の人足が話していたことだ。香月の若い衆が門司まで行って、大内方の役人と飯を食っていた、と。


香月。わたしの嫁ぎ先。


叔父が持ってきた縁組。


繋がってる。


芦屋が大内に米を売る。香月が大内方に近づく。そして島門は、香月と縁を結ばされる。


そのあと、少弐方が敗れたとき。


芦屋は「島門は敵方と縁づいた家である」と言える。言って、切る。名分が立つ。


自分の手は汚さず、義理だけは果たしたことにする。二十日のうちに豊前へ出ろと言われたときと、同じ形だった。あのときは兵で、今度は縁組。使う道具が違うだけで、やっていることは一つだった。


去年の冬に叔父が言ったことを、そのまま思い出した。


「兄上は筋を選ばれる。わしは家を選ぶ」


あの人は、嘘をついていなかった。一度も。


最初から、全部言っていた。


そこまで考えて、わたしは、もう一つのことに突き当たった。


待って。


芦屋自身が、大内に米を売っている。芦屋自身が、既に大内へ傾いている。


だとしたら、香月が大内方に転んだとして、それは本当に「敵方」なのだろうか。


少弐方が敗れれば、勝つのは大内だ。香月は、勝つほうに縁づいていたことになる。芦屋もまた、同じ側に立っていたことになる。


——切る名分が、立たない。


島門が香月と縁を結んでいても、それは「敵に通じた家」ではなく、「早くから、正しい側に付いていた家」になってしまう。


叔父の描いた罠は、芦屋自身が最後まで少弐方に留まる前提でしか、罠として働かない。だが、その芦屋自身が、もう傾いている。


ならば、なぜ、いまも縁組は進んでいるのだろう。


その問いに、答えは出なかった。出ないまま、わたしは帳面を閉じた。


---


その夜、わたしは父の座敷へ行った。


帳面を三冊、抱えていた。


父は火鉢の前にいた。炭が赤く、時折はぜた。座敷は寒くて、息が白かった。


「父上」


「……千代か」


「お聞き届けいただきたき儀がござります」


父は、わたしの抱えた帳面を見た。


見て、それから、目をそらした。


分かった、と思った。


この人は、わたしが何を言いに来たか、もう察している。


「申せ」


「十一月の一月に、芦屋から北へ上った船が二十二艘にござります。積み荷は、ほとんどが米」


「……」


「去年の同じ月、島門を通って北へ上った船は四艘。米は一艘もござりませぬ。北へ米を運ぶのは、そこに兵がおるときだけにござります」


炭が、はぜた。


「芦屋は、大内方に兵糧を売っておられます」


父は、火箸を握っていた。


握ったまま、動かなかった。


「これは、商いにござりましょうか」


「……」


「一月で二十二艘は、商いの動きではござりませぬ。約束があってのことにござります」


「千代」


「父上」


わたしは膝を進めた。


「芦屋は、大内方と通じておられます」


長い沈黙があった。


火鉢の炭が、ゆっくり白くなっていくのが見えた。


「証は」


父が言った。


「船の数にござります」


「船の数は、証にならぬ」


「なりませぬ。されど——」


「ならぬ、と申した」


父の声は、静かだった。


去年、わたしを叩いたときと同じ静かさだった。


「千代。米を売った。それだけのことじゃ。誰に売ろうと、銭を払う者に売るのが商人じゃ」


「芦屋は商人ではござりませぬ」


「……」


「麻生の宗家にござります」


父の指が、火箸の柄をきつく握った。


「では訊く」


父が言った。


「その二十二艘を、誰が数えた」


「白水衆にござります」


「賊か」


「はい」


「賊の申すことを、証と申すか」


わたしは黙った。


正しい。これも、正しい。海賊の見たものは、どこへ持っていっても証にならない。訴える先もなければ、訴えたところで誰も取り合わない。


「千代」


父が、火箸を火鉢の縁に置いた。


「わしは、盛久を疑わぬ」


「疑うておられぬのではござりませぬ」


「なに」


「疑うのが、お嫌なのでござります」


言ってしまった、と思った瞬間には、もう遅かった。


父が、こちらを見た。


叩かれる、と思った。頬が、去年の痛みを覚えていた。


でも、父は手を上げなかった。


かわりに、こう言った。


「……そうかもしれぬ」


そして、火鉢の炭を見た。


「一族を疑う家に、誰がついて参る。わしはそう言うた。前にも言うた」


「はい」


「その通りじゃと、いまも思うておる」


「はい」


「じゃが、千代」


父は、そこで少し黙った。


「疑うても、どうにもならぬのじゃ」


わたしは、顔を上げた。


「疑うたとして、わしに何ができる。芦屋に問い質すか。問い質して、否と言われたら、どうする。少弐様に訴えるか。訴えて、賊の数えた船の数を証といたすか」


「……」


「この家には、兵が七人しかおらぬ」


炭が、また白くなった。


「千代。お前の申すことは、たいてい当たっておる。去年もそうじゃった。一昨年もそうじゃった」


「父上」


「当たっておっても、わしにはどうにもならぬ」


父は、そこで初めて、疲れた顔をわたしに見せた。


「下がってよい」


---


廊下に出て、障子を閉めた。


閉めてから、わたしは動けなくなった。


——負けた。


数を作った。三年ぶんの記録を突き合わせて、白水衆に訊いて、理屈を組んで、持っていった。


そして、父は正しかった。証にならないものは、証にならない。兵が七人しかいない家には、できることが何もない。


全部、正しい。


正しくて、どうにもならない。


じゃあ、わたしは何のために数えたんだろう。


膝が、震えていた。


廊下は暗くて、寒かった。板が足の裏から冷たさを吸い上げてくる。しばらくそこに立っていた。


そのとき、廊下の奥で、板の鳴る音がした。


振り向いた。


兄が、立っていた。


---


「……兄上」


「聞いた」


兄はそう言った。


灯を持っていなかった。暗がりで、顔がよく見えない。


「どこから」


「二十二艘のところから」


全部だ。


わたしは、袖の中で手を握った。


「兄上。あれは——」


「千代」


兄が、近づいてきた。


「叔父上が、大内方と通じておるのか」


「……分かりませぬ」


「お前は、そう思うておるのじゃろう」


わたしは答えなかった。


答えなかったことが、答えになった。


兄は、動かなかった。


それから、言った。


「確かめてくる」


え、と思った。


「何を、でござりますか」


「叔父上に訊く」


心臓が、跳ねた。


「兄上。それはなりませぬ」


「なぜじゃ」


「訊けば、こちらが気づいておることを教えることになりまする」


「気づいておると教えて、何が悪い」


兄は、当たり前のことのように言った。


「叔父上は身内じゃ。身内に訊いて、何が悪い」


分かっていない。この人は、疑うということが何なのか分かっていない。疑いを相手に見せるということが、どれだけ危ういことか分かっていない。


「兄上。父上は、疑わぬと仰せられました」


「聞いた」


「では——」


「じゃが、父上は疑うておられる」


わたしは、口を止めた。


「疑うても、どうにもならぬと仰せられた。どうにもならぬから、疑わぬことにしておられる」


兄は、そう言った。


「わしは、そういうのが好かん」


「兄上」


「訊いて、違うと言われたら、それでよい。それで安心できる」


「……もし、そうだと言われたら」


「そのときは、そのときじゃ」


そのときは、そのとき。


さよが言ったのと同じ言葉だった。同じ言葉なのに、まるで違う音に聞こえた。


「兄上。危のうござります」


「なにが」


「叔父上は、兄上が来られた理由をすぐに察されます。察すれば、こちらが気づいたと知られます。知られれば——」


「千代」


兄が、わたしの言葉を遮った。


「お前は、いつもそうじゃな」


「……」


「先の先まで数えて、それで動かんようになる」


暗がりの中で、兄の声だけが聞こえた。


「わしは数えられん。じゃから、動く」


そう言って、兄は行こうとした。


わたしは、袖を掴んだ。


掴んでから、何と言えばいいのか分からなかった。


危ない。行かないでほしい。父上に相談してほしい。せめて、誰かを連れて行ってほしい。


言うべきことは、いくらでもあった。


でも、そのとき、頭の中の別のところが、こう考えていた。


兄上が訊いたときの、叔父上の答え方を見れば、分かる。


否と言うか。怒るか。笑うか。話をそらすか。


どう答えるにせよ、あの人がどう出るかで、こちらの読みが当たっているかどうかが分かる。


いま欲しいのは、それだ。


証が欲しい。父上を動かせる証が。


袖を掴んだ手が、緩んだ。


「……お気をつけて」


わたしは、そう言った。


兄は笑った。暗がりでも、笑ったのが分かった。


「案ずるな。俺がおる」


---


**同年十二月 島門**


兄は、翌朝、舟で芦屋へ渡った。


供は連れなかった。連れて行けば問い詰めに来たと思われる、と言った。


去年の夏、白水衆のところへ行くときにも、兄は同じことを言っていた。三人以上で行けば討ちに来たと思われる、と。あのとき、わたしはそれを「この人は数は読めないのに、そこだけ読めている」と思った。


わたしが、いつか同じことを言うたのを、覚えていたのだろうか。


そうに違いないと、そのときは思っていた。だが、確かめたことは一度もない。もし兄が、誰に教わったのでもなく、自分の頭でそこへ辿り着いていたのだとしたら。


その可能性を、わたしはちゃんと数えていなかった。数えていれば、袖を掴む手にもう少し力が入ったかもしれない。


丘を下りていく背中を、わたしは濡れ縁から見ていた。


十二月の朝で、霜が降りていた。息が白かった。


兄は一度も振り返らなかった。


---


その日、わたしは番屋へ行かなかった。


自分の部屋で、帳面を開いて、閉じて、また開いた。字が頭に入ってこなかった。


夕方になって、さよが来た。


「姫様。お夕餉です」


「いらぬ」


「食べんと、体に障りますばい」


「いらぬと言うておる」


さよは、膳を置いて、そのまま座った。


「……姫様」


「なに」


「弥太郎様は、明日にはお戻りになります」


「そうか」


「芦屋まで、舟で半日ですけん」


「そうじゃな」


さよは、それ以上言わなかった。


わたしは膝を抱えて、壁に凭れていた。


なぜ、止めなかったんだろう。


袖を掴んだ。掴んで、緩めた。


緩めたとき、わたしが考えていたのは、兄の身のことではなかった。


叔父の答え方を見れば分かる。証が手に入る。父上を動かせる。


そう考えていた。


去年の夏と、同じだ。


あのとき、わたしは兄が承知することも、行けば必ずやり遂げることも、全部勘定に入れて説いた。そして湊に船が戻ってきて、父に任された。


うまくいったから、気持ちが悪くなっただけで済んだ。


——今度は。


膝を抱える腕に、力が入った。


「姫様」


「さよ」


「はい」


「わたくしは、兄上を止められた」


「……」


「止められたのに、止めなかった」


さよは、すぐには何も言わなかった。


それから、こう言った。


「弥太郎様は、止めても行かれましたよ」


「そうかもしれぬ」


「そうです」


「じゃが、わたくしは止めなかった」


言ってから、喉が詰まった。


そこから先が、言葉にならなかった。


さよは、何も言わずに、膳を押してよこした。


「食べんと、明日、迎えに出られませんばい」


---


翌日、兄は戻らなかった。


翌々日も、戻らなかった。


三日目の朝、父が舟を出した。


与三次が同乗した。芦屋まで半日。夕方には何か分かる、と言って出ていった。


わたしは湊の石段に座っていた。三段目だった。


潮が引いていた。杭が四本、泥から突き出している。今日は二つ目までしか見えなかった。


数えることは、いくらでもできた。


芦屋まで半日。往復で一日。三日戻らないということは、二日ぶんどこかで止まっているということだ。


止まる理由は三つある。


一つ。芦屋で歓待されて、長居している。


二つ。何かの事情で足止めされている。


三つ。


三つ目を、わたしは数えなかった。


数えれば、そこに行き着くと分かっていたから。


夕方になった。


日が落ちて、干潟が黒くなった。潮が満ちてきて、杭が一本ずつ沈んでいった。


四本目が沈んだころ、北から舟が入ってきた。


一艘だった。


さよが、横で立ち上がった。


わたしは立ち上がれなかった。


舟が、河口を回り込んでくる。


灯りが揺れていた。


灯りの下に、人影が二つ見えた。


父と、与三次。


二人だけだった。


舟の底に、細長いものが横たえられていた。


莚が掛けてあった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。