第二十七話 支度
応永二十九年(一四二二)九月 伊予国 怒和島
本家からの返答が届いたのは、九月の初めだった。
承知、という一言だったという。
わたしは、その報せを、義重の使いから聞いた。書面を見せてもらったわけではない。中身が何と書かれていたのかも、知らない。
ただ、猶子の儀を、婚礼に先立って執り行う。日取りは、追って知らせる。
それだけの話だった。
四月に申し入れてから、五月。
長い五月だった。そのあいだ、こちらにできることは何一つなかった。本家との遣り取りは、すべて義重の手で進み、こちらには、断片だけが遅れて届いた。
自分の目で見られない場所で、自分の組んだ策が動いていく。
その感覚に、わたしは、まだ慣れていなかった。
慣れる必要も、ないのかもしれなかった。慣れれば、次からも同じ形を許すことになる。慣れずにいれば、いつか、その場に立てる形を組もうとするだろう。
そう思い直して、その落ち着かなさを、そのまま持っておくことにした。
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猶子の儀は、九月の半ばに、ごく内々に執り行われた。
場所は、二神島の本家の館だという。
わたしは、立ち会えなかった。
立ち会えるはずが、なかった。荒瀬の女房が、本家の儀に列する筋合いは、どこにもない。義重も、又五郎も、そのことについては、一言も触れなかった。触れる必要が、なかったのだろう。
儀の日、わたしは、怒和島の浜で、塩の量を検めていた。
数を数えながら、頭のどこかで、別の勘定をしていた。
いまごろ、どういう順で儀が進んでいるか。誰がどこに座り、何が読み上げられ、どのくらいの刻がかかるか。
想像はできた。だが、想像でしかなかった。
紙に書けることが、一つもなかった。
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綾が戻ってきたのは、二日後だった。
浜へ出迎えた。
綾は、舟から降りて、いつもと変わらぬ顔で、こちらへ歩いてきた。
「戻りましてござります」
「お疲れにござりましょう」
「さほどでも」
それだけの遣り取りだった。
儀のことも、本家の様子も、綾のほうからは、何も語らなかった。
わたしのほうからも、訊かなかった。訊いてよいものかどうか、判じかねたからだ。
その日の午後には、綾は、もう普請場に出ていた。島の女たちに、いつもどおり指図を出している。杼を渡すときと同じ手つきで、人を配っている。
何一つ、変わっていなかった。
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その変わらなさが、なぜか、こちらには落ち着かなかった。
籍が、移ったのだ。
昨日まで下怒和の義重の娘だった女が、今日からは、二神本家の娘になっている。名も、家も、拠って立つところが、書面の上で、まるごと入れ替わっている。
それだけのことがあって、翌日には、いつもどおり普請場に立っている。
肝が据わっている、ということだろう。
わたしは、そう見立てた。
この女は、初めからそういう質だった。浜で揉め事を鎮めていたときも、初めて言葉を交わしたときも、動じたところを一度も見せなかった。
籍が移ったくらいで揺らぐ女ではない。
そう数えて、片づけた。
片づけて、次の欄へ移った。
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同月 半ば
婚礼に向けての根回しを、進めた。
河野方には、両派の双方へ、同じ量の贈り物を用意した。どちらにも偏らない。どちらにも忘れられない。この二十年、伊予の国人が皆そうしてきたやり方に、こちらも倣うことにした。
忽那本家へは、別に、実直な品を選んだ。塩と、干した魚と、椿の油。この島で採れたものばかりだった。
「珍しいものは、要らぬのか」
弥九郎が、そう訊いた。
「要りませぬ」
「なぜだ」
「珍しいものを贈れば、次も珍しいものを求められまする。この島で毎年採れるものを贈れば、毎年、同じものを贈れまする」
弥九郎は、少し考えてから、頷いた。
「なるほどな」
「それに」
わたしは、続けた。
「この島で採れたもの、というところに、意味がござります。この島は、これだけのものを産む土地になった、という報せにもなりまする」
「報せか」
「報せにござります。贈り物は、大抵、報せにござります」
弥九郎は、鼻を鳴らした。
「お前は、何にでも意味をつけるな」
「意味のないものは、贈りませぬ」
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その根回しが、思っていたより早く効いた。
十月に入って、河野の惣領家の側から、婚礼への祝いの使いを出すという報せが届いた。予州家の側からも、間を置かずに、同じ話が来た。
どちらも、この島の縁組など、これまで一顧だにしなかったはずだった。
それが、動いた。
本家の娘の婚礼、という格が、効いている。
わたしは、その形を、紙の上で確かめた。二年半かけて動かなかったものが、一つの縁組の格だけで、こうも動く。
これが、格というものだった。
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同月 半ば
芸予の瀬戸で、村上の一党と、七度目に行き合った。
夏に一度、そして今度で七度目になる。
このときは、向こうから、はっきりと道を空けた。
こちらの船団が瀬戸へ入ると、既にそこにいた村上の船が、進路をずらして、北へ寄った。矢も、声もなかった。ただ、通り道を譲っただけだった。
「譲られましたな」
「譲られたな」
弥九郎は、そう答えた。
その声に、勝ったという響きはなかった。
戻ってから、わたしは、七度分の記録を、順に並べ直した。
一度目、痩せ分け。二度目、三度目、四度目、いずれも小競り合いで終わる。五度目は、戦わずに双方が退いた。六度目は、向こうが先に退いた。そして七度目は、向こうが道を空けた。
一年半で、退き方が、こうも変わっている。
腕は、いまも向こうが上だった。船を操る手際は、七度見ても、その差は縮まっていない。
縮まったのは、腕ではなかった。
船の数と、蓄えと、後ろにある島の富。塩が焼け、木が育ち、田が広がるにつれて、こちらの船は増え、傷んだ船も直せるようになった。向こうは、因島の南に入ったばかりで、まだ根が浅い。
同じ速さでは、伸びていない。
その差が、退き方の順に、そのまま出ていた。
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「潰さぬのか」
弥九郎が、そう訊いた。
「潰しませぬ」
わたしは、そう答えた。
「いまなら、痛手を負わせられまする。じゃが、痛手を負わせたところで、こちらも傷みまする。傷んで得るものが、いまはござりませぬ」
「では、放っておくのか」
「放っておきまする。あと二年か三年、このまま参れば、あちらは、こちらと張り合うことが割に合わぬと、御自分で数えられましょう」
「数えたら、どうなる」
「頭を下げに来るか、離れていくか、どちらかにござります」
わたしは、続けた。
「下げに来られたら、迎えまする。腕は、向こうが上にござりますゆえ」
弥九郎は、しばらく黙っていた。
「腕が上の者を、下に置けるか」
「置けまする。腕が上でも、船と蓄えがなければ、腕は使えませぬ。使えぬ腕を使えるようにしてやるのが、こちらにござります」
「……お前は、そういう勘定を、いつも先に済ませておるな」
「済ませておきませぬと、間に合いませぬゆえ」
その日の記録に、わたしは、一行だけ書き足した。
村上一党、道を空く。二年か三年。
いま急ぐ話ではなかった。だが、いずれ来る話だった。
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同月 半ば過ぎ
朝の半刻は、変わらず続いていた。
子どもは、十二人に増えていた。流れてきた者が七人、島の子が五人。
幸松は、下の子に教える役が板についてきた。ほかにも、二人ほど、教える側に回れる子が出てきている。
わたしは、十二人の名と、覚えの速さと、得手を、紙に書き並べていた。
字が早い者。数が早い者。手先の器用な者。人の顔をよく覚える者。体の動きが良い者。
幸松は、体のほうでも、既に大人の手下に混じって稽古をつけてもらえるほどになっていた。弥九郎に、そのことを話したことがある。
「あの子は、いずれ、役に立ちましょうか」
「立とうよ。腕さえ立てば、歳は問わん。うちの手下に加えればいい」
弥九郎は、そう答えた。手下、という言葉に、迷いはなかった。
「手下、にござりますか」
「ほかに、何がある」
わたしは、少し考えた。
「弥九郎殿は、この度、二神の姓を得られまする。名目の上では、武家にござります」
「それが、どうした」
「武家には、家臣が要りまする。手下ではのうて」
弥九郎は、怪訝な顔をした。
「同じことだろう」
「同じではござりませぬ」
わたしは、続けた。
「手下は、飯で繋がっておりまする。稼ぎがあれば付き、なくなれば離れまする。家臣は、代々、家に仕えまする。子が父の跡を継ぎ、孫がまたその子の跡を継ぐ。そういう束ね方にござります」
「俺には、そんなものはない」
「ござりませぬ。ですから、いずれ、要りまする」
弥九郎は、しばらく黙っていた。
「お前は、その童らを、それに使うつもりか」
「まだ、名のある家臣団を持たぬ弥九郎殿に、いつか、代々仕える者の芽を、いまのうちから育てておきまする」
その一言を、弥九郎は、しばらく胸の内で転がしているような顔をしていた。
「……考えたこともなかった」
「考える立場に、もうおなりにござります」
わたしは、そう答えた。字を教え、体を鍛えた先に、この一党の中で確かな身分を持つ道が、いま、初めて、はっきりとした形を得た。手下ではなく、家臣として。
一人ひとり、違った。違うぶんだけ、使い道も違う。
「姐さんは、わしらを、何にお使いになるおつもりですか」
一度、幸松が、そう訊いてきた。
十二になったばかりの子が、そういう訊き方をするようになっていた。
「役に立つことに、使いまする」
「どのような」
「帳を検める者が要りまする。荷を数える者も。いずれ、島の外へ使いに出る者も要りましょう」
「外へ」
「そなたが望むなら」
幸松は、しばらく黙っていた。
「わしは、姐さんに使うていただければ、それで」
その一言を、わたしは、頭の中に書き留めた。
一党に、ではない。棟梁に、でもない。
姐さんに、と言った。
三年前、飯を食わせているのは一党だが、返す先を示しているのはこちらだと考えた。その考えは、正しかった。正しかったことが、いま、この一言で確かめられた。
わたしは、その事実を、紙には書かなかった。
書かなくても、忘れることはなかった。
十二人のうち、島の子は、日が暮れれば親のもとへ帰る。流れてきた七人には、帰る家がない。夜も、一党の小屋で寝起きしている。
その違いも、わたしは書き留めていた。
帰る家のある子は、いずれ、島の暮らしに戻っていく。字を覚えたことは残るだろうが、それだけだ。
帰る家のない子は、戻る先がない。
戻る先がなければ、ここが、その子の家になる。家になれば、そこの主に従う。それは、脅しでも、縛りでもない。ただ、そうなるというだけのことだった。
七人と、五人。
その数の違いが、この先どう効いてくるかを、わたしは、静かに数えていた。
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又五郎が、館へ戻ってきたのは、十月の半ばだった。
半年ぶりだった。
戻ってきた理由を、わたしは、後から人づてに聞いた。
上怒和の親類の家に身を寄せているあいだ、又五郎は、幾度か、下怒和の普請場を見に来ていたのだという。誰にも声をかけず、遠くから見ていただけらしい。
そこで、何を見たのか。
手下と島の者が、同じ場所で土を運んでいるのを見た。同じ蔵の米を、同じ枡で量って分けているのを見た。弥助と伊佐次が、石の積み方を教え合いながら笑っているのを見た。
島の女たちが、塩浜で、子どもを連れて働いているのを見た。
船倉の隅で、流れてきた子どもらが字を習っているのも、見たかもしれない。
それを、半年、何度も見た。
そして、ある日、館へ戻ってきて、義重にこう言ったという。
「もう、遅うござりました」
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その一言の意味を、わたしは、しばらく考えた。
反対しても、もう間に合わない、という意味だろうか。
だが、話を伝えてくれた者によれば、又五郎の声には、悔しがる色はなかったのだという。ただ、事実を確かめるような、静かな声だったと。
もう、遅い。
半年前に自分が守ろうとしたものは、既に、半年前にはなかった。この島は、とうに変わっていた。変わっていたことに、自分だけが気づいていなかった。
そういう意味かもしれなかった。
わたしは、その男を、動かせない側の欄に入れて、消した。理で説くことを、諦めた。
諦めたまま、放っておいた。
放っておいたら、勝手に折れた。
わたしが何もしなかったから折れたのか、それとも、わたしが何かをしていれば、もっと早く折れたのか。
考えても、答えは出なかった。
出ないまま、わたしは、その欄を、もう一度作り直した。
——又五郎、承服。
そう書いて、閉じた。
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同月 末
婚礼の日取りが、十二月と決まった。
決まってから、支度は、急に速くなった。
その支度の中でも、真っ先に手をつけねばならなかったのが、館そのものだった。
これまで、わたしは船倉で寝起きし、弥九郎は小屋で暮らしてきた。二人だけであれば、それで十分だった。数を数え、策を練るのに、広い部屋も、立派な柱も要らない。だが、二神本家の娘として輿入れする綾を、船倉に迎えるわけにはいかなかった。
「館を、新しく建てねばなりませぬ」
わたしが、そう切り出すと、弥九郎は、意外そうな顔をした。
「いまの小屋では、狭いか」
「狭うござります。それに、殿は、もう小屋暮らしの棟梁ではのうて、二神の姓を得られる御方にござります。館の構えも、それに見合うたものでなければ、外から侮られましょう」
弥九郎は、しばらく考えてから、頷いた。
「格の話か」
「格の話にござります」
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普請の差配は、伊佐次と弥助に任せた。二人とも、これまで、塩浜や溜池の普請で、大工仕事の勘所を、いくらか身につけていた。
「広さは、いかほどに」
伊佐次が、そう訊ねた。
「綾殿の部屋、殿の部屋、わたくしの部屋。それに、客を迎える広間。奉公の者たちの部屋も、幾つか要りましょう。いずれ、子も生まれましょうし、家臣を持つ日も来ましょう。いまの倍では、足りますまい」
「いまの、というと、その小屋の倍、にござりますか」
「いいえ。この島でいちばん大きな百姓家、あれの、さらに倍ほどを、思うておりまする」
伊佐次は、目を見開いた。
「それほどの構えとなると、木が、相当に要りましょう」
「分かっておる。木は、惜しまず使え。ただし、無駄には使わせるな」
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普請は、十月の末から、本格に始まった。
谷の奥から、太い木が、幾本も伐り出された。柱に使う木、梁に使う木、床板に使う木。船大工の技を持つ者たちが、木の性質を見極めながら、それぞれの用途に振り分けていく。
「船の材と、館の材とでは、木の選び方が違うのか」
わたしが、そう訊ねると、老いた船大工が、頷いた。
「船は、しなりが要り申す。館は、しならぬ堅さが要り申す。同じ木でも、育った場所、育ち方で、性が違い申す」
その言葉に、わたしは、あらためて、木というものの奥深さを思い知らされた。数えることには慣れていても、木の性を見極める目は、この老人たちのものには、遠く及ばなかった。
土台が組まれ、柱が立ち、梁が渡される。日を追うごとに、更地だった場所に、館の骨組みが、確かな形を見せはじめていた。
「思うたより、木を食い申すな」
伊佐次が、ある日、そう漏らした。
「谷の木は、まだ足りるか」
「いまのところは。ですが、この調子で、あちこちに普請を重ねれば、いずれ、心許のうなり申そう」
その言葉を、わたしは、頭の帳の隅に、静かに書き留めた。塩を焼く薪、窯の火、船を造る材。そこに、館の普請という、新しい木の使い道が、また一つ加わっていた。いまはまだ、谷の木で賄えている。だが、この島の木が、無尽蔵ではないことを、忘れてはならなかった。
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膳の手配。招く者の順。座らせる場所。祝いの品の並べ方。館の普請と並行して、決めることは、毎日、幾つもあった。
わたしは、そのすべてに、目を通した。
一つずつ、決まっていく。決まったものは、紙の上から消えていく。消えるたびに、次の欄へ移る。
そうして日が過ぎるうちに、わたしは、あることに気づいた。
支度が整うたびに、何かが、目減りしている。
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何が目減りしているのかは、分からなかった。
数の上では、増える一方だった。招く相手の数も、贈り物の量も、この縁組で得られるものも、すべて増えている。減っているものは、一つもない。
それなのに、紙を閉じるたびに、胸の底の何かが、わずかに軽くなっている気がした。
疲れだろう、と思った。
この半年、休む日はほとんどなかった。支度が始まってからは、なおさらだ。体が重ければ、気も晴れない。それだけのことだろう。
婚礼が済めば、しばらくは落ち着く。落ち着けば、この妙な感じも消える。
そう見立てて、片づけた。
数えられないものは、これまで、勘定に入れないことにしてきた。今度も、そうした。
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十一月に入る前の夜、船倉で紙を広げた。
婚礼、十二月に決す。猶子の儀、済む。河野両派より祝いの使い。又五郎、承服。村上、道を空く。
書きながら、この半年で動いたものを、順に数え直した。
弥九郎が承知した。義重が意を通した。本家が承知した。両派が動いた。又五郎が折れた。村上が退いた。
一つも、外れていない。
組んだとおりに、すべてが動いた。
これほど狂いなく通った策は、これまでなかった。島門でも、泉州でも、この島に来てからも、なかった。
わたしは、その紙を、しばらく眺めていた。
眺めて、満足すべきなのだろうと思った。
思って、灯を吹き消した。
外では、冬の初めの風が、板戸を細かく鳴らしていた。




