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潮を編む――滅んだ小領主の娘、唐土に売られ、海賊の妻となる  作者: ハタ星人


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第二十一話 冬構え

応永二十八年(一四二一)八月 伊予国 怒和島


八月に入っても、雨は降らなかった。


溜池の水位は、梅雨のころに上がったきり、そこから下がる一方だった。堰の石が、日ごとに、水の上へ姿を現していく。段畑の土は、握っても固まらないほど乾いていた。


わたしは、毎朝、水位を測って紙に書き留めた。書き留めるたび、数が下がっていく。下がる速さも、記録した。


この分でいけば、秋の実りは、見込んだ量の半分にも届かない。


塩は、焼けている。椎茸は、木屑の床から、ようやく小さいものが出はじめた。豚も鶏も、育つには、まだ時が要る。そのすべてを足しても、今年の目減りは埋まらなかった。


だが、飢えるところまではいかない。


指を折って、そう見積もった。備えの米と、塩を売った銭と、鵜の子から回せる分を合わせれば、冬は越せる。越したうえで、来年の春に、また積み直せばいい。


数の上では、乗り切れる。


そう踏んで、わたしは、少し安堵していた。


---


安堵していたのは、わたしだけだった。


そのことに気づいたのは、八月の半ばだった。


朝、浜へ下りると、手下たちの様子が、いつもと違っていた。作業に出る者の数が、目に見えて少ない。小屋の陰で、幾人かが顔を寄せて、何か話し込んでいる。


「何かござりましたか」


弥助に問うと、弥助は、少し言い淀んだ。


「……冬を、ここで越すのはどうか、と申す者がおりまして」


「越さねば、どこで越すのでござりますか」


「他の縄張りへ、移りたいと。いま、そう申しておるのは、七、八人ほどにて」


わたしは、その言葉を、すぐには飲み込めなかった。


「なにゆえにござりましょう。冬は、どこへ行っても同じにござります。むしろ、この島には、備えがござります」


「そうなんですが」


弥助は、それきり、口を閉じた。


---


その日のうちに、わたしは、頭の中で数を組み直した。


移りたいと言い出したのは、主に、この二年のうちに加わった新参の者たちだった。古参は、動かない。十年、二十年と弥九郎に付いてきた者たちには、この島を離れるという発想そのものがない。


新参の者にとっては、違うのだろう。この一党は、飯を食わせてくれる場所の一つにすぎない。飯が細れば、別の場所を探す。それは、損得の理屈として、何一つ間違っていなかった。


ならば、損得で引き止めればよい。


わたしは、冬のあいだの分配を、幾通りか組んだ。稼ぎに出る者に厚く、残る者にも最低限を保つ形。塩の実入りから先に回して、備えの米は最後まで残す形。


紙に書き並べて、弥九郎のところへ持っていった。


「この形であれば、冬は越せまする。誰も、飢えませぬ」


弥九郎は、その紙を、指で追った。


長いあいだ、何も言わなかった。


「弥九郎殿」


「……足りん」


短く、そう言った。


「どこが、足りませぬか」


「数は、合うておる」


弥九郎は、紙を置いた。


「合うておるが、これでは、あいつらは残らん」


---


「なにゆえにござりましょう」


「あいつらが不服なのは、飯の量ではない」


わたしは、その言葉の意味を、掴みかねた。


「では、何が」


「この島は、俺たちの島ではない、と思うておる」


弥九郎は、そう言った。


「湊を借り、浜を借り、山を借りて、塩を焼いておる。島の者と一緒に働いてはおるが、あいつらの中には、いつまでも借り物の上に立っておるという気が、抜けん。抜けんまま、飯が細れば、そら、余所へ行くと言い出す」


わたしは、何も言えなかった。


数の上では、越せると踏んでいた。備えも、算段も、狂いはなかった。だが、その算段の中に、人がどちらを向いて立っているかという欄が、なかった。


「では、いかがなさいますか」


「分配を、組み直す」


弥九郎は、そう言った。


「お前の形とは、違う組み方でだ。冬のあいだ、稼ぎに出た者には、実入りの中から、島の者と同じ割で、備えの米を渡す」


「島の者と、同じ割で」


「そうだ。銭ではのうて、米でだ。同じ蔵から、同じ枡で量って渡す」


その意味を、わたしは、しばらく考えた。


銭で渡せば、それは分配になる。米を、島の者と同じ蔵から、同じ枡で渡せば、それは、同じ家の者として食わせているという形になる。


数の上では、渡す量は変わらない。


変わるのは、形だけだった。


「形だけにござりますか」


「形だけだ」


弥九郎は、そう言って、少し笑った。


「じゃが、あいつらが欲しがっておるのは、その形のほうだ」


---


損得だけでは、もう保てぬ。


弥九郎は、そう口にしたわけではなかった。だが、あの組み替え方は、はっきりと、そう言っていた。


四年前、この人は、手下は資本だと言い切った。稼がせて、勝たせて、食わせる。それができているあいだは、皆が付いてくる、と。


いまは、それだけでは足りないと知っている。


わたしより先に、この人が気づいていた。


そのことに、わたしは、少し打たれた。数を組むのはこちらの役目のはずだった。だが、数の外側にあるものを先に見たのは、この人のほうだった。


---


同月 末


芸予の瀬戸で、また村上の一党と行き合った。


五月に初めてぶつかってから、これで四度目になる。


一度目は、痛み分けだった。二度目も、三度目も、大きな損を出さぬまま、双方が退いた。


四度目の今度も、同じ形だった。


こちらの船団が縄張りの端へ出ると、向こうの船が、既にそこにいた。互いに間合いを測り、矢を幾筋か交わし、そこで止まった。深く踏み込む者は、どちらにもいなかった。


「相変わらず、退き際が早うござりますな」


わたしが呟くと、艫にいた弥九郎が、頷いた。


「向こうも、こちらの退き際を見ておる」


「と、申されますと」


「四度やって、どちらも大きくは損をしておらん。それは、どちらも損をせぬように動いておるからだ。あちらも、こちらを、そういう相手だと見ておる」


その言葉を、わたしは、頭の中に書き留めた。


腕では、まだ向こうが上だった。船を操る速さも、陣を組み替える手際も、四度見て、その差は、はっきりしている。


だが、四度のあいだに、変わってきたものもあった。


---


船倉に戻って、四度分の記録を並べ直した。


一度目、退いたのは、こちらが先だった。潮の変わる前に、向こうが自ら退いた形だが、その後、こちらも深追いをやめた。


二度目は、ほぼ同時。


三度目と四度目は、向こうが先に退いていた。


わたしは、その順を、幾度も見返した。


腕は、向こうが上だ。それは変わらない。だが、船の数は、こちらが増えている。塩の実入りで船を二艘直し、鵜の子から回した分も加えた。手下の数も、この二年で増えた。


腕の差を、数で埋めはじめている。


向こうの一党は、因島の南に入ったばかりだと聞いた。伸びる余地はあるだろうが、いまはまだ小さい。こちらは、島に根を張って、実入りの筋を幾つも作りつつある。


同じ速さで伸びているのではなかった。


その差が、退き際の順に、そのまま出ている。


——このまま行けば、いずれ、向こうがこちらを頼る番が来る。


そう見込んだ。


潰す気は、初めからなかった。潰せば、こちらも損をする。腕のある一党を、腕のあるまま抱き込めるなら、そのほうがはるかに得だった。


いま急ぐことではない。急がずとも、差は開く。


そう数えて、紙を閉じた。


---


同年九月 怒和島


九月に入って、島に、見慣れぬ子どもが増えた。


初めは、二人だった。次の旬には、五人になっていた。


痩せた子どもたちだった。歳は、上が十ほど、下は六つか七つ。どこから来たのかを訊いても、はっきりとは答えない。


「他の島から、流れてきたようです」


松吉が、そう報せてきた。


「今年は、どこも実りが薄うござります。親が食わせきれのうなって、出された子か、あるいは」


その先を、松吉は言わなかった。


わたしは、その数を、頭の中で数えた。食う口が、五つ増える。この冬、それだけ備えが薄くなる。


「いかがなさいますか」


弥九郎に問うと、答えは、一言だった。


「置く」


「五人にござります。冬を越すには、備えが」


「置くと言うた」


その声には、これまで聞いたことのない硬さがあった。


わたしは、それ以上、言わなかった。


四年前、泉州の陣屋で、この人が語った話を思い出したからだ。飢饉の年に親を失い、弟を食わせるために盗みを働き、それでも足りずに、目の前で弟を死なせた。


二度と、目の前で、腹を空かせた者を死なせぬ。


この人は、そう誓ったのだと言った。甚助も、そうやって拾われた子だった。


損得の話ではないのだろう。


そう見立てて、わたしは、その欄を閉じた。


---


だが、置くと決まった以上、置いたあとのことは、こちらの仕事だった。


五人の子どもは、飯を食う。食うだけで、何もしないなら、ただの負担になる。


わたしは、数日、その使いどころを考えた。


浜の仕事は、まだ体が小さすぎる。畑も同じだ。塩浜の砂を均す仕事なら、島の子どもも手伝っているから、できないことはない。だが、それだけでは、五人ぶんの飯には足りない。


考えて、一つ、思いついた。


字だ。


この一党には、字の読める者が、ほとんどいない。弥九郎も読めない。松吉も弥助も読めない。帳を検める者が、いまはわたし一人しかいない。


一人しかいないということは、わたしが倒れれば、そこで止まるということだった。


四年前、老いた船乗りが言ったことを思い出した。一人が知っていることは、その一人がいなくなれば消える。


ならば、増やせばよい。


---


わたしは、船倉の隅に、板を並べた。


朝の仕事が終わったあと、半刻だけ、五人の子どもを座らせた。


「これから、字と算えを教えまする」


子どもたちは、意味が分からぬという顔をした。


「それと、もう半刻」


わたしは、続けた。


「体も、動かしていただきまする」


上の子が、怪訝な顔をした。


「体、と申しますと」


「走ること。縄を跳ぶこと。木刀の素振り。それだけにござります」


字だけでは、足りない。この子たちが、いずれ帳を検める側に回るにせよ、荷を運ぶ側に回るにせよ、体が育っていなければ、務まらない仕事のほうが多い。手下として使えるだけの体を、いまのうちから作っておく。それも、いずれこの子たちが、この一党の中で立てる場所を、一つでも多くしておくためだった。


「弥助どのに、頼んでおきました」


弥助は、この話を、二つ返事で引き受けてくれた。手下の中でも、体の動かし方を教えるのは、性に合っているらしかった。


「なぜ、そのようなことを」


上の子が、そう訊いた。名は、まだ聞いていなかった。


「字が読めれば、飯にありつけまする」


わたしは、そう答えた。


「読めぬ者は、いつまでも他人の言うことを信じるほかござりませぬ。読める者は、自分で確かめられまする。それだけの違いにござります」


子どもは、まだ腑に落ちない顔をしていた。


「それに」


わたしは、続けた。


「あなた方は、この島に置いていただいております。飯を食わせていただいております。その分は、いずれ返さねばなりませぬ」


その一言で、子どもたちの顔が、少し変わった。


「返す、と申されますと」


「字が読め、算えができるようになれば、この一党の役に立ちまする。役に立てば、返したことになりまする」


上の子が、しばらく黙っていた。


それから、板の前に座り直した。


---


島の子どもも、幾人か混じるようになった。


初めは、覗きに来ただけだった。そのうち、座って聞くようになり、旬が変わるころには、七人ほどが並ぶようになっていた。


教えることは、単純だった。


数の数え方。米や塩の量目。簡単な字。潮の満ち引きの読み方。


前の生でも、この生でも、わたしは、これを人から教わって覚えた。教わった順を、そのままなぞればよかった。


覚えの早い子と、遅い子がいた。早い子は、旬のうちに二十ばかりの字を覚えた。遅い子は、十日かかって五つだった。


わたしは、その差も、紙に書き留めた。


覚えが早い者は、いずれ帳を任せられる。遅い者でも、量目を読めれば、荷の検めには使える。手先の器用な子は、別の使い道もあるだろう。


一人ひとりの覚えの速さを、名の隣に書き並べていく。


書きながら、ふと、思った。


この子たちは、親を失って、行き場をなくして、この島に流れ着いた。置いてもらえたのは、弥九郎の情けによる。


だが、字と、体の動かし方を教えているのは、わたしと弥助だ。


飯を食わせているのは一党だが、返す先を示しているのは、こちらだった。字を覚え、体が育てば、いずれ、この子たちの中から、一党の中で確かな役目を持つ者が出るだろう。帳を検める者。荷を運ぶ者、あるいは、腕の立つ手下として、名を持つ者も。


そこまで見込んで、この二つの半刻を、続けることにしていた。


そのことに、子どもたちは、いずれ気づく。気づけば、誰に返すべきかも、自ずと分かるだろう。


そう考えて、わたしは、その一行を、紙には書かなかった。


書かなくても、忘れることはなかった。


---


同月 半ば


備えの米を、どの蔵から出すかで、話が詰まった。


一党の備えだけでは、冬を越すには足りない。子どもが五人増えたぶんも、そこに乗る。島の蔵に手をつけるには、島の側の承知が要る。だが、島の者にとって、今年は自分たちも不作の年だった。


「借りるほかござりませぬ」


わたしは、そう見積もった。


「借りて、来年の実りで返しまする。利は、こちらが持ちまする」


そう申し入れるつもりで、下怒和の館へ向かった。


先に、綾が浜に出ていた。


「その話でしたら、父に、もう申しております」


綾は、そう言った。


「まだ、何も申し上げておりませぬが」


「水が足りぬことは、この島の者なら、皆、知っておりまする。あなた様の一党が、この冬をどう越すおつもりかも、見ておれば分かりまする」


わたしは、口を閉じた。


「蔵は、開けまする」


綾は、続けた。


「島の備えの三分の一を、そちらへ回すよう、父に申しました」


「三分の一」


わたしは、頭の中で、その量を数えた。決して小さくない。島の側の冬も、それだけ薄くなる。


「利は、いかほどでござりましょうか」


「利は、要りませぬ」


その答えに、わたしは、面食らった。


「返さずともよい、と申されますか」


「返す返さぬの話も、いたしませぬ」


「なにゆえにござりますか」


綾は、少し考えるような顔をしてから、答えた。


「困っておるときに、貸し借りを言うては、あとが続きませぬ」


---


その一言が、腹の底に落ちた。


これまで、幾度も、綾の理屈を聞いてきた。人は理では動かない。誰がどれだけの苦労を払ったかが見えたときにだけ動く。正しいだけでは、人は動かない。


そのどれも、頭では分かっていた。分かっていて、それでも、心の底では、数のほうが確かだと思っていた。


いま、初めて、そうではないと感じた。


貸し借りを言えば、この冬は、確かに帳の上で片づく。片づいて、来年、また同じことが起きたとき、島の者は、もう一度蔵を開けてくれるだろうか。


開けないだろう。


貸し借りの帳を作った瞬間から、こちらと島とは、貸す側と借りる側になる。同じ家の者ではなくなる。


弥九郎が、米を同じ枡で量って渡すと言ったのと、根が同じだった。


「……有難う存じます」


わたしは、そう言って、深く頭を下げた。


綾は、少し驚いたような顔をした。


「そのように、改まらずとも」


「改まらねば、なりませぬ」


自分でも、なぜそう言ったのか、うまく説明できなかった。ただ、この一言を、数に置き換えずに受け取らねばならないということだけは、はっきりと分かっていた。


「流れてきた子どもらのことも、聞いております」


綾が、そう続けた。


「置かれるのでござりますな」


「置きまする」


「よろしゅうござりました」


綾は、それだけ言った。


わたしが子どもたちに字を教えていることには、触れなかった。知らないのか、知っていて触れないのかは、判じかねた。


---


同年九月末 怒和島


冬構えの支度が、進みはじめた。


移りたいと言っていた新参の者たちは、結局、誰も出ていかなかった。同じ蔵から、同じ枡で米が量られるようになってから、その話は、いつのまにか立ち消えた。


弥助が、笑いながら教えてくれた。


「同じ蔵から出た米だ、と申しますと、皆、妙に得心した顔をしますので」


「不思議なものにござりますな」


「不思議です」


不思議だ、と口では言いながら、わたしは、それがなぜなのかを、まだ正確には掴めていなかった。掴めないまま、結果だけを受け取っていた。


---


夜、船倉で紙を広げた。


備えの米の量、島から回された分、冬のあいだの割り振り、増えた五つの口。数を並べ直せば、この冬は、確かに越せる形になっていた。


そこまで書いて、筆を止めた。


新しい紙を、一枚出した。


島の者と、手下と。二つに分けて数えるのを、やめてみようと思った。同じ一つの家として、まとめて数え直せば、どうなるのか。


書きはじめて、すぐに、手が止まった。


食う口の数は、足せる。米の量も、足せる。だが、島の田は、島の者のものだった。塩浜は、一党のものだった。谷の溜池は、両方の手で掘ったものだった。


どちらのものかを決めずに、数だけを足すことはできない。


分けて数えれば、いつまでも二つの家だった。まとめて数えようとすれば、どちらのものか決めねばならなかった。


どう割り振っても、腑に落ちる形にならない。


しばらく、白いままの紙を見ていた。


灯を吹き消してからも、その形のことを、頭の隅で転がしていた。答えは、出なかった。


出ないまま、外では、乾いた風が吹いていた。雨の匂いは、まだしなかった。

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