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潮を編む――滅んだ小領主の娘、唐土に売られ、海賊の妻となる  作者: ハタ星人


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第五話 白水衆

応永二十年(一四一三)六月 筑前国遠賀郡 島門


六月の末に、船が焼かれた。


島門から芦屋へ回る途中の小舟が二艘。荷は麻布と塩と、鉄が少し。乗っていたのは湊の漁師が六人で、そのうち二人が戻らなかった。


戻った四人のうち一人は、腕を斬られていた。


その男が番屋の土間に転がされて、与三次が焼酎で傷を洗っていた。わたしは戸口に立っていた。中には入れなかった。血の匂いがして、足が止まった。


前の生でも、人が死ぬのは見たことがある。


でも、それは病か、事故か、あるいはもっと遠いところで起きたことの報せだった。


こういうのは、初めてだ。


喉の奥が乾いて、唾が飲み込めなかった。


「白水じゃ」


腕を斬られた男が、歯を食いしばりながら言った。


「帆に、白い水の印が出とった。白水衆じゃ」


与三次の手が止まった。


「……響灘の」


「そうじゃ」


老人は何も言わずに、また傷を洗いはじめた。


---


その夜、屋敷の座敷に人が集まった。


集まったといっても、兄と、与三次と、下男の頭と、それだけだった。父は豊前にいる。八人の武士も、父と一緒に行っている。


わたしは襖の外にいた。もう慣れてしまった。


「弥太郎様。いかがなさいます」


与三次が言った。兄のことを、この老人は幼名で呼ぶ。


「……討つ」


兄の声だった。


「何人でにござりますか」


「……」


「白水衆は、船が七艘。人は五十を下りませぬ。こちらは弓を引ける者が、殿がお発ちになったあと、四人にござります」


「四人」


「四人にござります」


誰も、口を開かなかった。


襖の外で、わたしは膝の上の手を握っていた。


討てるわけがない。


分かっている。兄も分かっている。分かっていて「討つ」と言ったのは、それ以外に言うことがなかったからだ。


漁師が二人死んだ。湊の者はもう船を出さない。船を出さなければ荷は通らない。荷が通らなければ関銭が入らない。関銭が入らなければ、この家は秋の納めができない。


納めができなければ、芦屋は「それ見たことか」と言うだろう。


順番に、全部落ちていく。


三月かけて数を作った。升を直した。実入りが戻った。戻ったから芦屋が来た。断ったから荷が減った。父が豊前へ行った。人がいなくなった。だから襲われた。


一つずつ、繋がっている。


わたしは襖に額をつけた。板が冷たかった。


冷たさで、少し頭が動いた。


待って。なぜ、白水衆はいま襲ったんだろう。


島門の荷は、去年より減っている。米も麻布も塩も。襲って得られるものは、去年の半分もない。


そんな痩せた獲物を、わざわざ襲うだろうか。


——襲うのだ。


守る者がいないから。


賊は、荷の多さで獲物を選ぶんじゃない。取りやすさで選ぶ。


だとしたら。


わたしは立ち上がった。


膝が痺れていた。しばらく壁に手をついて、それから、自分の部屋へ戻った。


帳面を出した。三月ぶんの記録が、まだそこにある。


灯を点けた。油を叱る父は、いない。


---


翌朝、兄の部屋へ行った。


兄は起きていて、弓の弦を張り替えていた。手が荒っぽい。何度も張り直していた。


「兄上」


「千代か」


「お話がござります」


「あとにせい」


「白水衆のことにござります」


兄の手が止まった。


わたしは膝をついて、帳面を畳の上に置いた。開いて、指で押さえる。


「昨夜、討つと仰せられました」


「……聞いておったか」


「はい」


「行儀の悪い」


「申し訳ござりませぬ」


わたしは顔を上げた。


「兄上。討つのは、およしになったほうがよろしゅうござります」


「千代」


「四人で五十は討てませぬ。討てぬのに向かえば、四人が死にます。四人が死ねば、この湊には誰もおらぬようになります」


「では、どうせいと」


「銭を、お渡しなされませ」


兄が、わたしを見た。


「……なんじゃと」


「白水衆に、銭を渡すのでござります」


「賊にか」


「はい」


「二人殺した賊に、銭を渡せと申すか」


「はい」


兄は弓を置いた。置いたというより、放り出した。乾いた音がした。


「千代。お前は、何を言うておるか分かっとるのか」


「分かっております」


「漁師の善次と、亀助が死んだのじゃぞ」


——名前。


一瞬、言葉が詰まった。


兄は、死んだ二人の名前を知っていた。わたしは知らなかった。昨日から今日まで、その二人を「漁師が二人」としか思っていなかった。


胸の奥が、ざらついた。


でも、いま考えることじゃない。


「兄上」


わたしは続けた。


「白水衆に渡すのは、詫び銭ではござりませぬ」


「では何じゃ」


「湊を守っていただく銭にござります」


兄が、眉を寄せた。


「島門を通る船から、一艘につきいくら、と決めて銭を取ります。取った銭のうちの幾らかを、白水衆にお渡しする。そのかわり、白水衆には島門を通る船を襲わぬこと、他の賊が出れば追い払うことを約させます」


「……」


「賊を、湊の番人にするのでござります」


兄は、口を開かなかった。


それから、頭をかいた。


「それは、賊が承知するのか」


「いたします」


「なぜ言い切れる」


「そのほうが、儲かるからにござります」


わたしは帳面を指した。


「昨日、二艘襲うて取れたのは、麻布と塩と鉄が少し。銭に直せば、多く見ても三貫にはなりませぬ。そのために船を出し、人を出し、二人を斬った。斬れば島門の者は船を出さなくなります。出さなければ、次に襲うものがない」


「……」


「一度取れば、次がない。それが賊の商いにござります」


わたしは指を動かした。


「島門を通る船は、去年で三百艘を超えました。一艘につき五十文取れば、年に十五貫。そのうち十貫を白水衆に渡すといたします。船を出さずとも、人を斬らずとも、十貫が毎年入ります」


兄が、口を開けた。


「……十貫」


「三貫と、十貫にござります。しかも毎年」


長い沈黙があった。


外で鶏が鳴いた。朝の光が障子を白くしていた。


「千代」


「はい」


「その、五十文というのは、どこから出た」


「荷主が払える額にござります。芦屋を回ればもっと日数がかかりまする。日数がかかれば、それだけ人を養う銭が要ります。その差より安ければ、荷主は払います」


「その差は、いくらじゃ」


「一艘で、七十文ほどかと」


「……なぜ、そんなことを知っておる」


わたしは黙った。


三月ぶん、毎日書いたからです、とは言った。言ったけれど、その先——荷主の懐まで数えて、どこまでなら払うかを勘定していた、というところは言わなかった。


言えば、また「恐ろしいことを言う」と思われる。


兄は、帳面を見ていた。


字は読めるはずだ。武家の男だから。でも、そこに並んだ数の意味を、この人が読み取れているとは思えなかった。


長いあいだ、兄はそれを見ていた。


そして、顔を上げた。


「よう分からん」


ほら。わたしは、少し息を吐いた。


やっぱりだめか。ならば次の手を考えるしかない。与三次に直接、話すか。


「よう分からんが」


兄が言った。


「お前がそう言うなら、そうなのであろう」


わたしは、顔を上げた。


兄は立ち上がっていた。放り出した弓を拾って、埃を払っている。


「与三次を呼べ。舟を出す」


「兄上」


「賊のところへ行くのじゃろう。誰かが行かねばならん」


「……お一人で参られるのですか」


「与三次と二人じゃ。三人以上で行けば、討ちに来たと思われる」


そう言って、兄はわたしを見た。


「そうであろう」


その通りだった。


わたしが言おうとしていたことを、この人は先に言った。数は読めないのに、そこだけ読めていた。


「兄上」


「なんじゃ」


「……危のうござります」


言ってから、自分でも意外だった。


そんなことを言うつもりはなかった。頭の中ではもう、渡す条件を紙に書き出す順序を組み立てていたのに。


兄は笑った。


「案ずるな。俺がおる」


---


わたしは行けなかった。


当たり前だ。十二の娘が、海賊のところへ交渉に行けるはずがない。行きたいと言えば、兄も与三次も止める。止めなくても、白水衆が相手にしない。


だから、書いた。


紙に、渡す条件を全部書いた。五つある。


一つ。島門を通る船から、一艘につき五十文を取ること。

二つ。そのうち十貫を、年に二度に分けて白水衆に渡すこと。

三つ。白水衆は、島門の印を掲げた船を襲わぬこと。

四つ。他の賊が出れば、白水衆がこれを追うこと。

五つ。白水衆は、島門の者を取らぬこと。


五つ目は、荷ではなく人のことだ。


乱取りという。人を攫って売る。中世の海では珍しいことではないと、この体の千代も知っている。前の生のわたしも、それに近いものを見たことがある気がする。


だから、書いた。


書いて、兄に渡した。


「五つある。順に読み上げてくださりませ。減らしてはなりませぬ」


「分かった」


「五つ目が、いちばん大事にござります」


「五つ目」


「人を、取らぬこと」


兄は紙を見て、うん、と頷いた。


そして、舟に乗った。


---


三日、戻らなかった。


三日目の夕方、わたしは湊の石段に座っていた。物心ついた頃からいつも座っていた、あの三段目だった。


潮が引いていた。


さよが横に立っていた。何も言わない。この子が黙っているのは珍しかった。


「さよ」


「はい」


「善次と、亀助というのは」


さよが、こちらを見た。


「知っとらすとですか」


「知らぬ。だから訊いておる」


さよは、少し間を置いてから言った。


「善次さんは、うちの隣の隣です。子が三人おらす。亀助さんは、まだ十七で」


「……十七」


「わたしと、同い年です」


わたしは、干潟を見ていた。


杭が四本、泥から突き出している。今日は三つ目まで見えていた。


数えることなら、いくらでもできる。三百艘。五十文。十五貫。十貫。三貫。七十文。全部すぐ出てくる。


十七。三人。


その二つが、頭の中でうまく数にならなかった。


「姫様」


さよが、海のほうを指した。


「舟が」


北から、小舟が一艘、河口を回り込んでくる。


帆に印はない。島門の舟だ。


乗っているのは二人だった。


---


「五つとも通ったぞ」


兄は、屋敷に上がるなり、そう言った。


日に灼けて、少し痩せていた。三日ろくに食べていないらしい。それでも笑っていた。


「四つまでは、すんなりじゃ。頭の男が——白水三郎という。あれは商人じゃな。数の話をすると、目つきが変わる」


「五つ目は」


「ん」


「五つ目は、いかがでござりましたか」


兄が、そこで少しだけ言葉を止めた。


「……通った」


「まことに」


「通った、と言うておる」


わたしは兄の顔を見た。


日に灼けた顔。汗の跡。三日ぶんの無精髭。


この人は、嘘が下手だ。


「兄上」


「五つとも通った。あとで書きつけを持ってくる」


そう言って、兄は立ち上がった。


「腹が減った。飯じゃ」


行ってしまった。


わたしは座敷に残された。


追いかけて問い詰めることもできた。できたけれど、しなかった。


四つが通ったのだ。船が動く。荷が入る。関銭が入る。秋の納めができる。


それでいい。いま、それ以上は望めない。


そう思うことにした。


思うことにした、というのは、そう思わないと次に進めなかったからだ。


---


同年八月 島門


八月に、父が戻った。


豊前でどんな戦があったのか、父は多くを語らなかった。大内勢とは一度も刃を交えていないらしい。少弐の陣に着いて、二月そこにいて、それから帰れと言われた。それだけだった。


八人は、七人になっていた。一人は病で死んだという。


父は痩せていた。丘を上ってくるとき、途中で一度立ち止まった。


門を潜って、湊のほうを見下ろして、父は動かなくなった。


湊に、船がいた。


十艘を超えていた。荷揚げの声が、丘の上まで届いていた。


「……あれは」


「船にござります」


兄が言った。得意そうだった。


「白水衆と約定を結びました。島門の印を掲げた船は襲われませぬ。荷主が芦屋を回らず、こちらへ来るようになりました」


父は長いあいだ、湊を見ていた。


それから、言った。


「誰が考えた」


兄が、口を開いた。


「千代にござります」


わたしは兄の袖を引いた。引いたけれど、遅かった。


父が、こちらを向いた。


夏の日差しの下で、父の顔は影になってよく見えなかった。


返事は、なかなか来なかった。


「……千代」


「はい」


「その帳面を、持って参れ」


「はい」


わたしは走った。


走りながら、なぜ走っているのか、自分でもよく分からなかった。


---


その夜、父はわたしを座敷に呼んだ。


帳面を三冊、畳に並べて、そこに新しい一冊を加えた。白水衆との約定を書き写したものだ。


父は、四冊を順に読んだ。


読み終わって、閉じて、しばらく手を置いていた。


「千代」


「はい」


「頬は、治ったか」


わたしは、何と答えていいか分からなかった。


四月に叩かれた頬は、とっくに治っている。腫れも引いたし、口の中の傷もふさがった。


「治っております」


「そうか」


父は、それだけ言った。


そして、帳面を押し返した。


「これは、お前が持て」


「……はい」


「関のことは、与三次と相談せよ。わしには、月に一度報せよ」


わたしは、頭を下げた。


下げながら、指の先が痺れていた。


——通った。


二度目だ。


今度は叩かれなかった。今度は、任された。


数を作って、策を出して、それが当たれば、この人は聞く。だったら次も。


その先を考えかけて、わたしはふと、あることに気づいた。


今度のことは、わたしが数を作ったから通ったのではない。


兄が行ったから、通ったのだ。


四人で五十に向かうかわりに、二人で舟に乗って三日戻らなかったのは、兄だ。あの人が「お前がそう言うなら、そうなのであろう」と言って、弓を拾って立ち上がったから、この湊に船が戻っている。


わたしは、それを計算に入れて兄に説いた。


兄が承知することも、承知すれば必ず行くことも、行けば必ずやり遂げることも、全部、勘定に入れて説いた。


——使えたのだ、あの人は。


そう思って、それから、少しだけ気持ちが悪くなった。


なぜ気持ちが悪くなったのか、わたしには分からなかった。


分からないまま、帳面を抱えて、部屋に戻った。


---


同年九月 島門


九月の初め、湊で荷を検めていると、与三次が言った。


「姫様。あちらを」


河口の外に、船が一艘停まっていた。


帆を下ろしている。動く気配がない。


帆柱の上のほうに、白い印が出ていた。波を三つ重ねたような形だった。


「白水衆でござります」


「なぜ、あそこに」


「見ておるのでしょう」


「何を」


「さて」


わたしは目を細めた。


遠すぎて、人の顔までは見えない。ただ、舳先に一人立っているのが分かった。腕を組んで、こちらを向いている。


長いあいだ、動かなかった。


見られている。背中の産毛が立った。


わたしは目をそらさなかった。そらしたら負けだと思った。そんな勝負をしているわけでもないのに。


やがて、その船は帆を上げた。


北へ向かって、ゆっくり離れていった。


「与三次」


「はい」


「あの舟の頭は、白水三郎という男か」


「そうと聞いております」


「兄上と、何を話したのであろう」


老人は、答えなかった。


答えないことが、答えだった。


わたしはその日、帳面の余白にもう一行だけ書いた。


九月三日。白水衆の船、河口の外に半刻。


書いて、しばらくそれを見ていた。


その一行が何を意味するのか、わたしにはまだ分かっていなかった。

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