第三話 三百の口
応永二十六年(一四一九)十一月 鵜の子の入江
湊を取り返してから十日が経った。
わたしは、その十日を使って、この一党の中身を数え直していた。焼け跡の始末に紛れて、誰も帳をつけていなかった一団の姿が、少しずつ形になってくる。
手下は、彦次の側から降って残った二十数人を加え、いまは二百四十人ほど。船は八艘。それに女子供と年寄りを合わせれば、三百に届く。三十四人が降ったうち、二十数人が、そのまま留まることを選んでいた。行く当てがなければ、留まるしかない。それもまた、得で動く者の道理だった。
浜で分捕った四艘は、外海を渡れるだけの造りではなかった。沿岸の漁と、湊の中の使い走りに回すことにした。八艘の船団とは、別勘定にしておく。数を混ぜれば、いざというとき、遠くまで走れる船が幾艘あるのか、すぐには見えなくなる。
船倉の隅で、わたしは帳面を広げ、この三百人が、冬をどう越すかを計算していた。
米は、あとひと月半でつきる。干し魚と塩は、それより長く保つが、それだけで冬を越せるほどではない。奪えば、いまはしのげる。だが、奪った先の湊も、また同じ冬を抱えている。奪えば奪うほど、奪われる場所が増える。奪われた場所は、次の年、また誰かを奪いに出る。その巡りが、いつまでも続く。
外から聞こえる音に、耳を傾けた。木を割る音、網を繕う声、子供が誰かに叱られる声。焼け跡の片づけは、まだ終わっていない。片づいた分だけ、次の冬支度が積み上がっていく。この一団は、片づけと支度を、休みなく繰り返しているだけのように見えた。それでも、いつか支度が足りなくなる日が来る。数字は、その日がそう遠くないことを、はっきりと示していた。
米俵の残りを数え、干し魚の樽を数え、修繕を要する船の板の枚数を数えた。数えるたびに、指先が墨で汚れていく。汚れを袖で拭いながら、わたしは、この一党のために数を数えているのか、それとも、自分の居場所を確かめるために数えているのか、ふと分からなくなった。
数字を睨みながら、わたしは、この巡りのどこかに、区切りを入れなければならないと思った。だが、どこにその区切りを入れればいいのか、まだ見えていなかった。
弥助が、水の入った桶を運びながら、船倉を覗き込んだ。まだ若い、二十歳になるかならないかの男で、弥九郎の下では古参の部類に入るという。
「姐さん、また帳面ですかい」
「ええ。数えねば、何も見えてこないので」
「おいらには、見ただけで分かることも、姐さんには数えなきゃ分からんのですね」
からかう調子ではなく、素朴な驚きの声だった。わたしは、その言い方に、少しだけ苦笑した。見ただけで分かる者と、数えねば分からない者と、どちらが正しいということはない。ただ、この一党の中で、数えて分かる目を持つ者は、いまのところ、わたしの他にいないようだった。
「船のことなら、おいらに訊いてください。何でも分かりますから」
弥助は、そう言い残して、また持ち場へ戻っていった。その後ろ姿を見送りながら、わたしは、この一党の中に、少しずつ自分の居場所らしきものができはじめていることに気づいた。まだ形も定まらない、小さな居場所だった。
その日のうちに、わたしはできることを一つ、片づけておくことにした。浜の井戸は、縁が崩れかけ、雨のたびに泥が流れ込む造りだった。水を汲むたびに、上澄みを待たねば飲めない。石を組んで縁を固め、汲み口を一段高くするだけで、濁りはほとんど収まる。難しい細工ではない。人手を数人借りて、半日で終わる仕事だった。
「こんなことで、水が変わるものですか」
石を運んでいた若い水手が、半信半疑の顔で言った。
「変わりまする。石一つ積むのに、銭も日数もかかりませぬ。ただ、気づくかどうかだけにござります」
井戸は、その日の夕方には濁りを止めた。大きな策ではない。それでも、三百の口を支える算段の、いちばん最初の一手として、悪くはなかった。
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昼過ぎ、わたしは水を汲みに、浜の井戸のそばまで歩いた。
その途中、手当てを受けている者たちの小屋の前を通りかかった。戦で傷を負った手下たちが、莚の上に並んで寝かされている。血止めの布を巻いた腕、添え木を当てられた足。呻き声は、もう静かなものに変わっていた。
弥九郎が、その小屋に入っていくのが見えた。わたしは足を止め、少し離れたところから、その様子を見守った。
弥九郎は、一人ひとりの枕元に屈み込み、何か短く言葉をかけていった。
「甚吉、右腕はどうだ」
「動きます。まだ、力は入りませんが」
「無理に動かすな。冬までに使えれば、それでいい」
次の男には、別の言葉をかけた。
「与平、お前は運がいい。急所を外れておる」
「運じゃありません。頭が、船足を変えてくださったおかげです」
弥九郎は、その言葉に、短く笑っただけだった。奥の莚では、若い男が、片足を失って横たわっていた。膝から下がなかった。弥九郎は、その男の枕元に、誰よりも長く屈み込んでいた。
「六郎太。飯は食えるか」
「……歩けませぬ。もう、船には乗れませぬ」
「船に乗るだけが、仕事じゃない。帳の付け方でも覚えろ。手が動けば、要る場所はある」
六郎太という男は、しばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。目に、光るものが滲んでいた。それを見て見ぬふりをするように、弥九郎はすぐに立ち上がり、次の莚へ移っていった。
小屋の隅では、まだ幼さの残る少年が、包帯を巻かれた頭を抱えて座り込んでいた。弥九郎は、その頭にも、短く手を置いた。少年は、痛みをこらえるように顔を歪めながら、それでも小さく笑おうとしていた。誰かに気にかけられることが、傷の痛みより先に、その顔つきを緩めているようだった。
名を、一人残らず呼んでいた。誰一人、間違えなかった。二百を超える手下の名を、この人はすべて覚えているのだろうか。そう思うと、わたしは自分の帳面のことを考えずにいられなかった。わたしが覚えているのは、名ではなく、数だけだった。二百二十人、と数えるとき、そこに六郎太という一人がいることを、わたしは覚えていなかった。
小屋を出た弥九郎が、こちらに気づいて歩み寄ってきた。
「見ておったのか」
「……申し訳ございません。見るつもりはございませんでした」
「謝ることじゃない」
弥九郎は、それだけ言うと、また歩き出した。わたしは、その背を追いながら訊いた。
「なぜ、一人ひとりの名を、呼んで回られるのですか」
「理由なんぞ、ない」
即答だった。だが、少し歩いてから、付け加えるように言った。
「あいつらは、俺のために死ぬかもしれん体を、毎日差し出しておる。名くらい、呼ばずにおられるか」
わたしは、それ以上、何も言えなかった。損得だけで動く男だと、これまで思い込んでいた。だが、この一言は、損得の勘定のどこにも出てこない種類のものだった。名を呼ぶことに、銭に換算できる得は、たぶんない。それでも、この人は呼んでいる。
あとで松吉に聞いた話では、この習わしは、戦の後は必ずのことらしい。傷を負った者だけでなく、無事だった者にも、順に声をかけて回るという。
「あれをやるから、みんな、頭についていくんです」
松吉は、そう言って、少しだけ誇らしげな顔をした。
「おいらが拾われたのは、五年前です。飢饉の年で、親も兄弟も死んで、島にも帰れなくなって、浜で行き倒れておりました。頭が、通りすがりに拾ってくださった」
「それだけで、五年もついていくものですか」
「銭も食い扶持もありましたが……それだけじゃありません」
松吉は、少し言葉を探すようにしてから、続けた。
「頭は、俺たちを、道具だとは思っておられない。損得で動くとは言われますが、損得の中に、いつも俺たちの数が入っておるんです。飯を食わせられるかどうかを、いつも先に勘定なさる。損か得かの前に、まず、食わせられるかどうかだ、と」
わたしは、その言葉を、静かに聞いていた。損得と情とは、別々のものだと、これまで思い込んでいた。だが、この一党の中では、その二つが、思いのほか近い場所にあるらしかった。どちらが先に立つかを、はっきりと分けられない場面が、この先も幾度も出てくる気がした。
「姐さんも、そのうちお分かりになります」
松吉は、そう言い残して、また持ち場へ戻っていった。わたしは、その背を見送りながら、帳面に書きつけるべき数字が、また一つ増えたことに気づいた。手下の忠義の厚さ、というものを、どう数字に換えればいいのか、まだ見当がつかなかった。数えられないものが、この一党を支えている。その事実だけは、どう書けばよいか分からないまま、確かに胸に残った。
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その夜、わたしは弥九郎に、数えた帳を見せた。
「今のまま奪い奪われておれば、数年で干上がりまする」
灯りの下で、帳面を指しながら告げた。米の目減り、船の傷み、冬の間に増える口の数。数字を並べれば、それだけで訴えは十分だった。
弥九郎は、腕を組んで、しばらく黙って数字を睨んでいた。
「お前の言うことは分かる。だが、どうしろと言う」
「ここを、根城として構えなおすというのは」
「無理だ」
弥九郎は、即座に首を振った。
「見ての通り、山が迫っておる。段々に切り拓いたところで、三百の口を賄うだけの田畑は取れぬ。井戸も、あの一つきりだ。船を隠し、風をよける場としては、これ以上のものはない。だが、人を養う土地では、端からない」
言われて、わたしは黙った。この十日、船と俵ばかりを数えて、山と土は数えていなかった。入江の奥まで見渡しても、目に映るのは急な斜面ばかりで、鍬を入れられる平地は、ほとんどなかった。
「ここは、隠れ場でございますか。根城ではのうて」
「隠れ場だ。修理場でもある。だが、根城ではない」
「島を、獲るべきかと」
「島は幾らでもある」
弥九郎は、即座に返した。
「だが、人の住んでおる島は獲れぬ。獲れば、住んでおった者どもと、一生いがみ合うことになる。今日、鵜の子でやったことと、同じだ。住んでおらぬ島は、たいてい水がない。水のない島に、人は住めん」
その言葉に、わたしは詰まった。人が住んでいれば奪い合いになる。人が住んでいなければ、生きていけない。どちらの島も、答えにはならない。
この反論は、正しかった。数字の上でどれほど正しい策を出しても、その先に、住める島がなければ、絵に描いた餅でしかない。わたしは、まだそこまで考えが至っていなかった自分に、苦さを覚えた。頬が、少し熱くなるのを感じた。数を扱うことにかけては誰にも負けないつもりでいたのに、島という一点で、あっさりと足元をすくわれた。
「では、いままでは、どうしてこられたのですか」
「行き当たりばったりだ。奪って、次を探して、また奪う。二百二十人、その日暮らしで来た」
弥九郎の声に、初めて疲れらしいものが滲んだ。
「頭に立ってから、幾年になる」
「六年だ。俺が頭に立ったときは、手下は五十にも満たなかった。増えるたびに、口も増えた。増えた分だけ、次の冬が難しくなる。増やさねば、他の一党に食われる。……分かるか。増えても減っても、詰む勘定だ」
「いつかは、こうなると分かっておった。だが、分かっておるのと、何とかできるのとは、別だ」
「……いずれ、当てを探しまする」
それだけ答えるのが、精一杯だった。弥九郎は、それ以上、何も言わなかった。ただ、帳面を閉じて、わたしに返した。灯りが、その横顔に、深い影を落としていた。
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数日後の夜、入江に異変が起きた。
見張りの声で、わたしは目を覚ました。飛び起きたはずみで、肘を船板にぶつけた。鈍い痛みが走ったが、構わず甲板へ出た。
小さな船が一艘、闇に紛れて入江へ入り込もうとしていた。手にしていたのは、松明と油の壺だった。夜目にも、油の匂いが漂ってくるのが分かった。
「彦次の残党だ!」
叫び声とともに、手下たちが飛び出していった。裸足のまま駆けていく者、槍だけを掴んで走る者。眠りから叩き起こされたばかりとは思えない速さだった。わたしは船倉の入り口に立ったまま、遠目にその成り行きを見ていた。
小舟は、あっという間に囲まれた。抵抗する間もなく、乗っていた三人は取り押さえられた。まだ若い、十七、八の男たちだった。彦次に付いていた者の生き残りらしい。松明は海に投げ捨てられ、じゅっと音を立てて消えた。
弥九郎が、篝火の灯りの下で、その三人を見下ろしていた。
「取り返したばかりの湊を、焼こうとしたか」
答える者はいなかった。ただ、憎悪の色だけが、その若い目に浮かんでいた。一人が、唾を吐きかけようとして、隣の男に肘で止められた。
弥九郎は、それきり長く彼らを見ていたが、やがて短く言った。
「縄を打っておけ。殺すな」
手下の一人が、不満げに口を開きかけたが、弥九郎の目を見て黙った。三人は、後ろ手に縛られ、小屋のほうへ引かれていった。
わたしのそばまで戻ってきた弥九郎は、疲れた声で呟いた。
「奪った場所は、奪われる場所のままだ」
「今宵で、幾度目でございますか」
「三度目だ。これからも、続くだろう。奪った側が眠れる夜は、そう長くは続かん」
わたしは、その一言を、帳面の隅に書きつけた。今夜のことも、いずれまた数の中に組み込まねばならない。見張りを厚くする分の人手、夜襲に備える分の備蓄。だが、書きながら、数字だけでは片づかないものが、この夜のどこかに残っている気がしてならなかった。
彦次の名も、あの若者たちの憎しみも、どう数えればよいのか分からない。それでも、それは確かに、この入江に居座り続けている。数の外側にあるものの重さを、わたしはまだ、うまく量る術を持たなかった。
浜の方角で、まだ誰かの荒い息遣いが聞こえていた。わたしは、しばらくその音に耳を澄ませていた。指先の震えは、もう戦の日ほどではなかった。だが、まったく消えたわけでもなかった。
縛られた三人が、小屋へ引かれていく後ろ姿を、わたしは最後まで見送った。彼らにも、彦次と同じ理があったのだろう。頭を失い、湊を奪われ、それでも生きねばならない理が。奪う理と、取り返そうとする理は、鏡合わせのように似ていた。どちらが正しいかを決めるのは、結局のところ、どちらが多く生き残ったかでしかない。
弥九郎は、篝火の残り火を見つめたまま、しばらく動かなかった。わたしは、その横に並んで立った。何か言葉をかけるべきかと思ったが、かける言葉が見つからなかった。この人にも、言葉を持て余す夜があるのだと、そのとき初めて分かった気がした。
「島を、見つけねばならぬな」
やがて、弥九郎が、ぽつりと言った。
「人が住まず、水があって、しかも余所が欲しがらぬ島。……そんな都合のいい場所が、あるとお思いですか」
「分からん。だが、探さねば、いずれ干上がる。お前の帳が、そう言うておる」
わたしは、頷いた。頷きながら、頭のどこかで、既に次の算段を組みはじめている自分に気づいた。二百二十人。船八艘。冬まで、ひと月半。数字は、休むことを許してくれない。この一党が生き延びるための算段は、これから先も、休みなく組み続けねばならないのだと、改めて思い知らされた。眠る間さえ惜しんで、頭の中で数字を組み続けている自分に、少しだけ呆れた。
篝火が、ぱちりと爆ぜた。火の粉が、闇の中に散って、すぐに消えた。わたしたちは、しばらくのあいだ、何も言わずに、その残り火を見ていた。夜風が、少しずつ冷たさを増していった。




