幕間 陳文興 手
応永二十六年(一四一九) 明国 辺土
わたしの手が、変わりました。
爪の際が割れて、掌の付け根が固くなっております。石を運ぶ役に就いておりますゆえ、当然でございましょう。
この歳になれば、たいていのことには驚きません。
ただ、手が変わったことだけは、少し、こたえました。
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商いを三十年やってまいりまして、そのあいだ、わたしは人の手ばかり見てきたように思います。
手は、嘘をつきません。
顔は作れます。物言いも繕えます。着ているものは借り物かもしれません。ですが、手だけは、その者が何をして生きてきたかを、そのまま並べております。
荷を担いだ手。糸を繰った手。鍬を握った手。筆を持った手。
どの筋が太っているか、どこに硬いところができているか。それを見れば、幾らの値をつけるべきかが、おおよそ分かります。
わたし自身の手は、白うございました。
三十年、荷に触れませんでした。触れる必要がなかったのです。数える者と、運ぶ者は、別でございます。
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あの娘の手を、初めて取ったときのことを、覚えております。
博多の唐房でございました。七人おりましたが、四番目でした。
冷たい手でした。二日、水を飲んでいないのですから、当然でございます。
指を一本ずつ調べました。関節を曲げさせ、爪を見ました。
右の中指に、たこがございました。
十四の娘の手に、あれだけのたこができるには、幾年もかかります。一日や二日、遊びで筆を持った程度では、ああはなりません。
——これは、書く者の手だ。
そう思いました。
そして、思った瞬間に、値が上がりました。
三十貫と申しました。手代が書きつけました。それで済むはずでございました。
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済まなかったのは、その翌朝でございます。
荷を検めておりますとき、あの娘が、声を上げました。
「恐れながら」
七人の列の、四番目からでございます。
正直に申しまして、面食らいました。
前日、あれは一言も口をききませんでした。訊けば答え、訊かねば黙っている。そういう荷は、いくらでもございます。むしろ、そちらのほうが多うございます。
その娘が、突然、水が足りぬと言うのです。
甕が九では足りぬ、乗る者が三十として十日でぎりぎり、二十日は保たぬ、と。数まで挙げて言いました。
人をやって確かめさせました。
合うておりました。
わたしどもは、十日で着く見込みで積んでおりました。着けば足ります。着かねば、その頃には数が減っておりますから、やはり足ります。
それが、この商いの当たり前でございます。
当たり前を、十四の娘が見抜いて、しかも口に出した。
わたしは、水甕を四つ足しました。損でございます。ですが、そのときのわたしは、損得の話をしておりませんでした。
そのことに、あとで気づきました。
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「黙っておりますと、荷にござります」
そう言いました。
三十年、この商いをやってまいりまして、荷のほうからそのようなことを言われたのは、初めてでございます。
あの娘は、たぶん、自分が何を言ったか、正確には分かっていなかったでしょう。
わたしには、分かりました。
荷とそうでない者を分けているのは、口をきくかどうかである。
そう言ったのです。
これは、間違いでございます。
口をきいたところで、荷は荷でございます。縄が解けるわけではありません。値も消えません。口の達者な荷は、むしろ値が下がることのほうが多いのです。
間違いなのですが。
この娘は、その間違いを信じて、これから生きていくのだろう。
そう思いました。
間違いを信じて生きる者を、わたしは、それまで見たことがございませんでした。
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泉州に着いてから、家に置きました。
なぜ置いたのかと、幾度か訊かれました。手代にも、周にも。
「使えるから」と答えました。嘘ではございません。
ですが、それだけではございませんでした。
わたしは、あの間違いが、どこまでもつのかを見たかったのです。
黙っていれば荷である、と信じている娘が、この世でどこまでやれるのか。どこで折れるのか。折れたとき、どういう顔をするのか。
悪趣味でございます。我ながら、そう思います。
ですが、商人が三十年も同じ商いを続けておりますと、たいていのことは先が読めてしまいます。読めぬものを見るのは、それだけで値打ちがございます。
面と向かっては、お嬢さん、と呼んでおりました。
荷を丁重に扱うのは、わたしの商いの作法でございます。丁重に扱えば、値が下がりません。
それだけのことでございました。
——そう思っておりましたが。
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蔵の帳を任せましたのは、二年目の春でございます。
絹が減っていることは、わたしも薄々気づいておりました。
気づいておりまして、誰がやっているかも、おおよそ見当がついておりました。周でございます。あれ以外におりません。
では、なぜ自分で問い質さなかったのか。
証がなかったから、ではございません。証は、探せば出ました。
三十年、あれに蔵を任せてまいりましたゆえ。
それだけでございます。
わたしは、自分の手で暴くことを、避けたのでございましょう。
あの娘に帳を渡しましたとき、わたしは、あれが見つけることを、はっきりと見込んでおりました。
見つけて、持ってきました。三日でございました。
「五反、足りませぬ」
そう言いました。声は、平らでした。
わたしは、周を呼びました。
この娘は、これから自分が何をしたかを、あとで知ることになる。
そう思いながら、呼びました。
止めませんでした。
周は家を出ました。あの者が阿蓮の叔父にあたることを、あの娘は、そのとき知りませんでした。
わたしは、知っておりました。
知っていて、帳を渡しました。
——ですから、あれは、わたしがやったことでございます。
あの娘は、自分の落ち度だと思ったでしょう。夜、何やら紙に書きつけていたと、下女から聞きました。
違います。
あれは、わたしの手でございました。白い手のかわりに、汚れ役をさせる手でございました。
そのことを、ついに申しませんでした。
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そのあと、造船場へ出しました。徳化へも出しました。山の里へも出しました。
荷の検めが要ったからでございます。
要ったのは事実でございますが、正直に申しますと、検めだけなら、手代で足りました。
あの娘は、行った先で、必ず余計なものを見て帰ってきます。
船の隔壁のこと。桟の入った帆のこと。窯の火のこと。木に傷をつけて茸を育てる法のこと。
こちらが訊きもせぬのに、報告に混ぜて言うのです。
それは商いに関わらぬ、と申したことが、一度ございます。
「関わらぬかどうかは、まだ分かりませぬ」
そう返してきました。
十六の娘が、五十を過ぎた商人に、そう返すのでございます。
面白うございました。
わたしは、それきり止めませんでした。行かせるたびに、あれの紙が増えていくのを、承知しておりました。
承知していて、行かせました。
いつか、この娘は、あれを持ってどこかへ行く。
そう思っておりましたゆえ。
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一つだけ、あの娘に申さなかったことがございます。
わたしも、かつて荷になりかけました。
十五で泉州へ流れてまいりまして、三日、何も食っておりませんでした。人買いの者が声をかけてまいりまして、飯を食わせてやると申しました。
わたしは、ついていこうとしました。
その袖を掴んだのが、林でございます。
「そっちへ行くな」
それだけ申しました。それから、自分の食っていた粥を、半分こちらへ寄越しました。
理由は、ついに訊きませんでした。三十年、訊けませんでした。
訊けば、あの日のわたしが、いかに安い値であったかを、二人して確かめることになりますから。
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あの娘は、最後の月の荷を止めよと言いました。
数を並べて、形が読まれていると言いました。刻限も、船着き場も、同じ形が続いていると。
正しゅうございました。
正しいと申しました。申した上で、変えられぬと申しました。
「量を絞り、刻限を変えても、林殿への銭は作れましょう」
作れます。作れますが、間に合いません。
間に合わぬと申しましたら、あれは黙りました。
黙って、それから「せめて船着き場だけは変えなされませ」と言いました。
退いた。
そう思いました。
三十年、人を見てまいりまして、あのとき初めて、わたしはあの娘に、少し腹を立てたのでございます。
なぜもう一度、言わなかったのか。
数で押せぬと分かった途端に、手を引いた。
もう一度、別の言い方で言えば。
いえ。
言われたところで、わたしは行ったでしょう。
腹を立てましたのは、たぶん、わたし自身に対してでございます。
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役人が入ってまいりました夜、書斎の陰に、人の気配がございました。
暗うございましたから、見えたわけではございません。ただ、あそこに立っているだろうと、そう思いました。
連れ出されます途中で、一度、そちらを見ました。
申したいことが、ございました。
——お嬢さん。値を、ご自分でおつけなさい。
わたしが手を取って、指を数えて、つけた値ではなく。他の誰かがつける値でもなく。
ご自分で。
口には出しませんでした。
日本の言葉で話しかければ、あれまで調べられます。
それに——申したところで、あの娘は、もう半分は分かっておりました。博多の船着き場で、荷にござります、と言った時点で。
わたしが三十年かかって分からなかったことを、十四で半分掴んでいた。
ですから、何も申しませんでした。
ただ、いつもの顔で見て、前を向きました。
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石を運び終えて、夕方、手を洗いました。
爪が割れ、掌が固くなっております。
三十年、こういう手を見ては、値をつけてまいりました。
いまは、この手に値をつける者が、どこにもおりません。
そのことが、不思議と、悪くございませんでした。
懐に、紙が一枚ございます。
博多で、あの娘が最初に書いた一行でございます。
九月十一日 申の刻 三艘
手代が捨てようとしたのを、ただ止めただけでございました。
値打ちがないから、残りました。
商いというものは、そういうものでございます。




