第十三話 分け前
応永二十四年(一四一七)三月 福建 泉州
弥九郎が、また陳家を訪れた。
今度は、荷の話ではなかった。
「船を、幾つか検めてほしい」
阿蓮を通して、そう言ってきた。船足のことがあってから、この男は、こちらを便利な道具として使うことに、遠慮がなくなっていた。
陳文興に許しを得て、わたしは、弥九郎の一団の陣屋へ向かった。
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陣屋は、泉州の外れ、川沿いの入り江に構えられていた。
近づくにつれ、人の匂いが濃くなった。潮の匂いに、汗と、饐えた飯の匂いが混じる。粗末な小屋が幾つも並び、その間を、日に灼けた男たちが行き来していた。
船が、五艘、繋がれていた。
どれも、古かった。船縁の修繕の跡が、幾重にも重なっている。帆は、継ぎ接ぎだらけだった。
「これが、あんたの見立てを聞きたい船だ」
案内してきた手下の一人が、そう言った。
わたしは、一艘ずつ、検分していった。
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一艘目、二艘目と、船底に、腐りかけた板があった。指で押すと、湿った木がわずかに沈んだ。放っておけば、いずれ穴が開く類の傷みだった。
三艘目は、船縁の傾きが、ひどかった。片舷に、荷が寄ったまま、長らく直されていないらしい。
「これは、いつからこの傾きに」
案内の手下に訊いた。
「さて。半年か、それ以上か」
「直そうとは、思われなんだのですか」
「直す暇があれば、次の稼ぎに出る。そういう決まりだ」
その答えに、わたしは、返す言葉を失った。
修理を後回しにするたびに、船は傷む。傷めば、次に出る稼ぎも、目減りする。目減りすれば、修理に回す銭も、なお減る。
悪い巡りに、はまり込んでいる。
四艘目、五艘目と検めるうちに、積み荷の量目を訊ねると、思っていたより、ずっと少ない答えが返ってきた。
——痩せている。
そう感じた。
三年前、船足の見立てをしたときの船とは、また違う痩せ方だった。あのときは、積み方が悪いだけだった。今度は、船そのものが、根本から傷んでいる。
繕う銭も、暇もないまま、だましだまし使い続けているのだろう。
陣屋を歩きながら、わたしは、さらに気づいた。
小屋の裏手に、繋がれたままの人影があった。手足に縄が巻かれている。日本人ではない、明の言葉を話す者たちだった。誰も、見張りをつけているわけでもない。逃げる気力もないのか、ただ、うずくまっていた。
四人だった。
数えてしまってから、数えた自分に気づいた。荷を検めるときと、同じ手つきで、人を数えていた。
そのうちの一人が、顔を上げた。
若い男だった。歳は、阿蓮と変わらないくらいに見えた。目が合った。
その目には、恨みも、訴えもなかった。ただ、こちらが何者かを確かめようとして、確かめる意味もないと気づいて、また下を向いた。それだけの動きだった。
四年前、島門の石段の下に立たされていたとき、わたしも、同じ目をしていたのかもしれない。
その脇を通りかかった手下の一人が、腕に晒しを巻いていた。晒しには、乾いた血が滲んでいる。傷の手当てというより、応急のものらしかった。手当てをしたのが誰かも、はっきりしない様子だった。
もう一人、指の欠けた手が、荷を運んでいるのが見えた。左手の、薬指と小指がない。切り口は、もう古い。
その男は、欠けた手のほうで器用に荷を挟んで、平気な顔で歩いていた。慣れているのだ。慣れるだけの年月が、この男には、あったのだろう。
誰も、それを隠そうとしなかった。
隠す理由が、ないのだろう。ここでは、それが、当たり前の景色だった。
陳家の屋敷でも、市でも、隠されているものは、いくらでもあった。裏の商い。抜け荷の蔵。表沙汰にできない金の流れ。だが、それらは皆、表向きの顔を保ったまま、裏に押し込められていた。
ここには、表向きの顔が、そもそもなかった。
見せてはならないものが、見せてよいものとして、そこら中に転がっている。その隔たりの大きさに、わたしは、あらためて、自分がどれほど遠い場所に足を踏み入れたのかを思い知らされた。
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胸の奥が、冷たくなった。
これまで、陳家でも、造船場でも、徳化の窯場でも、貧しさは見てきた。だが、これは、貧しさとは、また別の質のものだった。
——これが、この者たちの稼ぎの正体だ。
そう気づいた瞬間、腹の底が、ざわついた。
蔵に積まれた土から硝石を採る技を見たときも、剣呑さは感じた。だが、あれは、まだ、道具の話だった。
これは、道具の先にあるものだった。
わたしは、目をそらさなかった。そらせば、それだけで負ける。その理屈は、ここでも同じだった。
だが、目をそらさないことと、平気でいることは、まるで別のことだった。
喉の奥が、乾いた。指の先が、冷えていく。
それでも、わたしは、歩みを止めなかった。
歩きながら、頭のどこかで、数を数えはじめている自分がいた。
船は五艘。手下は、目に入るだけで百は下らない。この規模を養うには、いかほどの実入りが要るのだろう。
数えることに、逃げていた。
数えていれば、目の前の景色から、少しだけ、距離が取れた。
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同日 夕
検分を終えて、弥九郎の前に呼ばれた。
薄暗い小屋の中、粗末な床几に、弥九郎が腰かけていた。
「どうだ」
「五艘とも、船底が傷んでおりまする。二艘は、次の嵐で危のうござります」
「直せるか」
「直せまする。じゃが、銭と時が要りまする」
弥九郎は、少し黙った。
それから、こう言った。
「銭がない。だから、こうなる」
その一言に、わたしは、何かを言いかけて、止めた。
言おうとしたのは、船を直す算段のことだった。だが、口をついて出かけたのは、別のことだった。
「手下衆は、飢えておられますか」
弥九郎の目が、こちらを見た。
「なぜ、それを訊く」
「船を検めながら、目に入りました。傷の手当ても、行き届いておりませぬ。飯の匂いも、薄うござります」
弥九郎は、しばらく黙っていた。
それから、あっさりと言った。
「飢えている。当たり前だ。奪う分より、養う口のほうが多い」
その言葉には、恥じらいも、言い訳もなかった。ただ、事実として、そこに置かれていた。
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「奪った分の、分け方を、どうなさっておいでですか」
「頭数で、均等に割る」
「均等に」
「それが、いちばん揉めぬやり方だと思うておる」
わたしは、頭の中で、その割り方を組み立て直した。
均等に割る。一見、公平に見える。だが、船を漕ぐ者と、荷の検めをするだけの者とでは、力の入れようが違う。傷を負う危うさも、違う。
「均等に割るのは、いちばん揉めぬやり方ではのうて、いちばん、後で揉めるやり方にござります」
弥九郎の目つきが、変わった。
「どういうことだ」
「命を張って船を出す者と、陣屋に残る者を、同じに扱えば、命を張った者が、いずれ不満を溜めまする。溜まった不満は、いつか、爆ぜまする」
「では、どう割れと言う」
わたしは、島門で兄に説いたときと、同じ手順で、頭の中の数を並べた。
「船を出し、命を張る者には、多めに。陣屋を守り、船の繕いをする者には、それに見合うだけを。傷を負うた者には、傷の重さに応じて、別に割り増しを」
「割り増し」
「傷を負うても、飯にありつけると分かれば、命を張る者も、いくらか救われまする」
「そこまで細こう分けて、面倒ではないか」
「面倒にござります。されど、面倒なぶんだけ、揉め事が減りまする。均等に割るのは、割る側が楽なだけにござります」
弥九郎の眉が、動いた。
言い過ぎたかもしれない、と思った。この男の決めたやり方を、正面から下手だと言ったことになる。
だが、弥九郎は、怒らなかった。
「……楽をしておった、か」
「差し出がましいことを申しました」
「いや」
弥九郎は、床几の上で、少し身を乗り出した。
「続けよ」
わたしは、指を折って、割合を並べた。船に乗る者を十とすれば、陣屋に残る者は七。傷を負うた者には、その重さに応じて、二から四を上乗せする。死んだ者の縁者にも、幾らかを回す。
「死んだ者にも、出すのか」
「出しなされませ。死ねば終いだと分かっておる者は、いざというとき、身を惜しみまする。身を惜しめば、稼ぎが減りまする」
弥九郎は、しばらく黙っていた。
「お前、なんでそんなことが分かる」
その問いに、わたしは、少し答えに詰まった。
正直に言えば、前の生で、似たような割り方の話を、幾度も見聞きしていた。誰にどれだけ配るかで、村がまとまることも、割れることもあった。
だが、それを、ここで語ることはできない。
「見てきましたゆえ」
そう答えるほかなかった。
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弥九郎は、しばらくわたしを見ていた。
「試しに、次の分け前で、それをやってみよ」
「よろしいのでござりますか」
「揉めれば、お前の見立てが甘かったということだ。揉めねば、次からも、その割り方でいく」
その言い方には、こちらを信じるでも、疑うでもない、ただ、結果で測るという構えがあった。
わたしは、その構えを、悪くないと思った。
情で判じられるより、よほど、性に合っていた。
「もう一つ、申し上げたきことが」
「まだあるのか」
「手下衆の顔色が、皆、優れませぬ。歯茎が腫れ、節々が痛む者もおられましょう」
弥九郎は、少し眉を寄せた。
「船に長く乗る者は、皆、そうなる。仕方のないことだ」
「仕方のないこと、ではのうて、防げることにござります」
「防げる、と」
「豆を水に浸し、暗きところに置いておきますと、芽が出まする。その芽を食すれば、良うなりまする」
弥九郎は、怪訝な顔をした。
「なぜ、そうなる」
「……分かりませぬ」
正直に、そう答えた。理屈は、いまの言葉では説けない。だが、経験だけは、確かにあった。
「分からぬのに、言い切るか」
「青物を断って長く船に乗る者は、決まってこうなりまする。食わせれば、治りまする。それだけは、確かに存じております」
弥九郎は、しばらくわたしを見ていた。
「豆と、水と、暗い場所か」
「それだけにござります。銭は、ほとんどかかりませぬ」
「……試してみよう」
その返事は、あっさりしていた。理屈より先に、元手のかからなさが、この男を動かしたようだった。
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陣屋から戻って、着替えるより先に、紙を広げた。
痩せた船。繋がれた人影。指の欠けた手。分け前の割り方。
書きながら、指が、繋がれた人影のところで止まった。
あの者たちは、どこから連れてこられたのだろう。どういう経緯で、あそこにいるのだろう。
考えかけて、わたしは、その先を書かなかった。
書けば、目の前の勘定が、揺らぐ気がした。
これは、目を逸らしているのと、同じことだろうか。
そう自分に問うてみたが、答えは出なかった。
出ないまま、わたしは、次の頁に、豆と土のことを書きはじめた。手下衆の顔色の悪さは、傷の手当てだけの話ではないだろう。長らく青物を断っていれば、体は、確かに弱る。
そのことなら、確かに、わたしにも、できることがあった。
紙の上で、船の傷みと、分け前の割り方と、青物の話が、少しずつ、一つの絵図として繋がっていく。
その絵図の隅に、繋がれていた人影のことだけは、まだ、うまく書き込めずにいた。
筆を置いて、しばらく、暗い天井を見ていた。
弥九郎は、悪人という顔をしていなかった。損得で動く、ただそれだけの男だった。だが、その損得の先に、あの人影がある。
損得は、正しい理屈だ。数の上では、狂いがない。
——だが、正しい理屈の先に、何が転がっているかまでは、理屈は教えてくれない。
島門でも、同じことがあった。升の狂いを正した。その正しさの先で、与三次が叱られた。太平が国を出た。
正しさは、いつも、誰かの上に着地する。
その着地する先を、見ないふりをして進むのか。それとも、見た上で、それでも進むのか。
いまのわたしには、まだ、どちらとも決めかねていた。
決めかねたまま、わたしは灯を吹き消した。
暗闇の中で、繋がれていたあの人影の輪郭だけが、しばらく、瞼の裏に残っていた。




