第二話 升と帳面
応永十九年(一四一二)九月 筑前国遠賀郡 島門
芦屋からの使いは、加瀬という侍だった。
四十がらみで、痩せていて、背筋がまっすぐだった。濡れ縁に膝をついて父に対したときも、頭の下げ方に無駄がない。旅の埃を落としてから通されたらしく、袴の裾が濡れていた。
わたしは茶を運ぶ役で座敷に入った。
本当は女中の仕事だ。でも朝から屋敷の中が妙にざわついていて、誰も彼もが落ち着かず、盆を持って立っていたわたしを誰も止めなかった。
だから、聞けた。
「——年内に、あと二十貫」
加瀬はそう言った。
父の指が、脇息の縁で止まった。
「年内に、とは」
「師走までに、ということでござる」
「無理を申される」
「無理は、承知にござります」
加瀬は表情を変えなかった。責めているのでも、詫びているのでもない。ただ、決まったことを伝えに来た顔をしている。
「周防が騒がしゅうござる。御屋形様は兵を養わねばなりませぬ。芦屋の枝はどこも同じだけ増やしております。島門だけが除かれるわけには参りますまい」
「……相分かった」
父はそう言った。
わたしは茶を置いて、下がった。
障子を閉める前に、加瀬がこちらを見た。
一瞬だった。娘が茶を運んできたと思っただけだろう。それでも、その目には値踏みの色があった。この家に何人いて、何が置いてあって、どれくらい搾れるか。そういうものを数えている目だ。
この人は、勘定のできる人だ。
だから歩き方に迷いがなかったのだ。昨日、丘を上ってくるのを見て「話が通じる人間」だと思ったのは、たぶん当たっている。ただしそれは、こちらの都合のいい意味ではなかった。
廊下を戻りながら、頭の中でざっと組んでみた。
二十貫。銭に直せばそういう額で、それがどれくらいの重さなのか、この体のわたしにはまだ正確に分からない。分からないけれど、父の指が止まったのだから、軽くはない。
そして、いま関を通っている荷の量も、去年通った荷の量も、この家の誰も知らない。
知らないまま、増やせと言われている。
足りるのか足りないのかも分からないのに、どうやって工面するんだろう。
背中が冷たくなった。
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その日の午後、わたしは番屋へ行った。
与三次は框に座って、縄をなっていた。荷の少ない日はこうしている。わたしが土間に入っても、顔を上げなかった。
「与三次」
「……はい」
「帳を付ける」
老人の手が止まった。
「昨日、書くならわたしに書いてほしいと言うたな」
「申しました」
「では、書く」
与三次はしばらく縄を見ていた。それから、ゆっくり顔を上げた。
「姫様。あれは、ものの弾みでござる」
「弾みでも、言うたことは言うたこと」
「……」
わたしはそこで黙った。
言葉を重ねてはいけない。この人はもう分かっている。分かっていて迷っているのだから、こちらが押せば押すほど逃げ道を探す。
前の生で覚えたことだ。人に何かを始めさせるとき、いちばん効くのは説得ではない。**始めてしまうこと**だ。
わたしは土間に座って、持ってきた帳面を膝の上で開いた。墨と筆も出す。父の書斎から、断らずに持ってきた。
「今日は、何が通った」
与三次が息を吐いた。長い息だった。
「……米が、四十二俵」
「どこの」
「芦屋の商人のもので、遠賀の奥へ上ります」
「四十二俵。芦屋の商人。遠賀へ上り」
わたしは声に出しながら書いた。字はまだ下手だ。この体の指は、まだ筆に慣れていない。
「他には」
「麻布が三十反。塩が、六俵」
「塩」
「はい」
書きながら、指が止まった。
塩が、六俵。
少ない。
いや、少ないかどうかも本当は分からない。この土地の塩の要り用を、わたしは知らない。だから何も言わずに、そのまま書いた。書いておけば、あとで比べられる。
「与三次」
「はい」
「明日も、同じように言うてくれ」
「毎日でございますか」
「毎日よ」
老人は、また長く息を吐いた。
そして、なった縄を脇に置いた。
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**同年 九月〜十二月 島門**
それから、三月かかった。
毎日、番屋へ通った。雨の日も行った。与三次が荷を読み上げ、わたしが書く。読み上げるといっても、この老人は帳簿を見ているわけではない。全部、頭の中にある。誰の荷が、どこから来て、どこへ行って、いくら取ったか。四十年ぶんの記憶が、聞けばいくらでも出てきた。
驚いたのは、去年のことも、一昨年のことも出てきたことだ。
「去年の霜月は、米がよう通りました。芦屋の湊が普請で塞がっておりましたゆえ」
「どれほど」
「……さて。一日に、五十俵は下らなんだかと」
「何日ほど」
「二十日ばかり」
書いた。
正確ではない。この老人の勘であって、数えたものではない。それでも、書けば形になる。形になれば、今年と並べられる。
十月の半ばには、指にたこができた。
十一月には、字が少しましになった。
そして師走の頭に、帳面が三冊になった。
わたしは屋敷の自分の部屋で、三冊を並べた。
外は雪になりそうな空だった。板戸の隙間から入る風が冷たくて、指がかじかむ。息を吹きかけながら、去年と今年を突き合わせていく。
米。麻布。塩。荏胡麻。鉄。
一つずつ、通った量を足していく。足して、去年の与三次の勘と並べる。
——合わない。
米が、合わない。
今年のほうが、通った船の数は多い。荷を積んだ舟も多い。それなのに、関で取った米の量が、去年より少ない。
もう一度足した。
三度目に、手が震えはじめた。
寒さのせいだと思おうとした。違った。
二十俵。
三月で、二十俵。
一年に直せば八十俵。それが、どこかで消えている。
升の底に貼られた、指の腹ぶんの板。
——やっぱりだ。
わたしは帳面を閉じて、両手で顔を覆った。しばらくそうしていた。
嬉しかったのか、怖かったのか、自分でも分からない。ただ、心臓が速くて、耳のうしろが熱かった。
三月かけて、ようやく数字が出た。
これで、言える。
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**同年十二月 島門**
年の暮れに、博多から人が来た。
宗徳という。母の弟にあたる人だ。
母は三年前に死んだ。博多の商家から嫁いできた人で、この屋敷では最後まで少し浮いていた。武家の作法を知らないと姑に叱られていたのを、わたしは覚えている。覚えているというより、この体の千代が覚えている。
宗徳は、母の三年目の弔いに来た。塩と麻布を扱う商人で、五十近い。背が低くて、丸い。よく笑う。
弔いが済んだあと、この人はわたしを縁側に呼んだ。
「千代殿。大きゅうなられた」
「……はい」
「姉上によう似ておられる。目のあたりが」
そう言って、笑った。
わたしは何と答えていいか分からなかった。母の顔を、正直に言うとあまり覚えていない。この体の記憶にはあるはずなのに、前の生の記憶に押されて薄い。それが少し後ろめたかった。
「宗徳殿」
「はい」
「博多では、塩はいくらほどで買えまするか」
宗徳が、笑うのをやめた。
わたしを見た。それから、腰を下ろし直した。
「……何ゆえ、そのようなことを」
「島門の関を通る塩が、少のうございます。少ないのに、値は下がりませぬ」
「ほう」
「近ごろは、遠賀の奥の者が塩を買いに芦屋まで行くと聞きました。島門を通らずに」
宗徳はしばらく黙っていた。
そして、言った。
「博多では、一俵が二百文ばかりでござる」
「島門では、三百文にござります」
「——ほう」
宗徳の目が、変わった。
そこには、わたしを子どもとして見る目がなかった。かといって、恐ろしがる目でもない。ただ、話が通じる相手を見つけた者の目だった。
「千代殿。それは、誰から聞かれた」
「誰にも。帳を付けておりますゆえ」
「帳」
「はい」
「……ご自分で」
「はい」
宗徳は、腹の底から息を吐いた。それから、また笑った。今度は目が笑っていなかった。
「これは、恐ろしい姪御を持ったものじゃ」
そう言って、しばらくわたしの顔を見ていた。
「よろしいか、千代殿。塩の値が違うのは、道が違うからでござる。博多から芦屋へ入る塩は、船で一度。島門へ回すには、そこからもう一度小舟に積み替える。積み替えれば人が要る。人が要れば銭が要る」
「では、島門へ直に入れれば」
「入りませぬ。河口に砂が寄って、塩を積んだ船は腹をこすりますゆえ」
「……」
「千代殿。値の違いには、たいてい理由がござる。理由のない違いを見つけたときだけ、そこに人の手が入っておる」
わたしは、その言葉を書き留めたいと思った。
前の生で、誰かに同じことを言われた気がした。誰だったかは、やっぱり出てこない。
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宗徳が帰ったあと、わたしは父の座敷へ行った。
三冊の帳面を抱えていた。
父は文机に向かっていた。年の暮れで、芦屋へ納める分の算段をしていたのだと思う。紙の上に数字が並んでいて、それを何度も書き直した跡があった。
「父上」
「……なんじゃ」
「関の帳にござります」
わたしは三冊を畳の上に置いた。
父は顔を上げなかった。
「九月から師走まで、通った荷をすべて書きつけました。与三次に読み上げさせ、わたくしが書きました」
「千代」
「二十俵、足りませぬ」
父の筆が止まった。
「船の数は去年より多うございます。荷を積んだ舟も多うございます。それなのに、関で取った米は去年より少のうございます。三月で二十俵。一年なら、八十俵にござります」
言い切った。
胸が鳴っていた。喉が渇いて、舌が回らなくなりそうだった。それでも最後まで言った。
言うと決めていた。三月かけて、そのために数を作ったのだから。
父は、長いあいだ黙っていた。
それから、帳面に手を伸ばした。
一冊目を開く。めくる。二冊目を開く。三冊目を開く。
紙のこすれる音だけが座敷に響いた。庭で、何かが落ちた。雪が枝から滑ったのかもしれない。
父の指が、あるところで止まった。
「……この字は」
「わたくしにござります」
「下手じゃ」
「はい」
「読める」
父はそう言って、帳面を閉じた。
そして、初めてわたしの顔を見た。
「升を、あらためよ」
「……はい」
「新しいものを作らせよ。芦屋の升と目を合わせて、番屋に据えよ。旧いものは、割って燃やせ」
「はい」
「与三次を呼べ」
わたしは頭を下げて、立ち上がった。
障子に手をかけたとき、背中で父が言った。
「千代」
「はい」
「……よう、書いた」
それだけだった。
廊下に出て、障子を閉めて、それから三歩ほど歩いて、立ち止まった。
膝が笑っていた。
うまく歩けなかった。壁に手をついて、しばらくそうしていた。
——通った。
三月かけて、初めて通った。
数を作れば、聞いてもらえる。この世界でも、それは同じだった。だったら次も、その次も、同じやり方でいける。潮のことも、砂のことも、周防の噂のことも、全部数にして持っていけばいい。
わたしは、頭の中でもう次のことを考えていた。
だから、与三次を呼びに行くのが自分の役目だということも、その与三次にこれから何が起きるかということも、そのときは考えていなかった。
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父は、与三次を叱った。
座敷に呼びつけて、四半刻ばかり叱った。
わたしは廊下にいた。呼ばれなかったので、入らなかった。障子越しに、父の声が聞こえた。声を荒らげてはいなかった。ただ、静かに、長く続いた。
四十年、この関にいて、なぜ気づかなんだ。
気づいておったなら、なぜ申さなんだ。
娘に言われるまで、何をしておった。
——ああ。
廊下に立ったまま、わたしは自分の指の先が冷えていくのを感じていた。
そうか。
そうなるのか。
帳面を持っていけば、父は升を作り直す。それは計算に入れていた。掠めていた者が咎められる。それも計算に入れていた。
与三次が叱られることを、わたしは計算に入れていなかった。
一度も、考えなかった。
三月のあいだ、あの老人は毎日わたしに荷を読み上げた。四十年ぶんの記憶を、一つずつ紙に移した。移すたびに、そこには「四十年、自分は見過ごしてきた」という証しが積み上がっていく。
分かっていて、読み上げていたのだ。
「書くなら、姫様に書いていただくほかない」
あの日、あの人の手が升の底に置かれたまま震えていたのを、わたしは見ていた。見ていて、脇へどけた。段取りを組むのに忙しかったから。
障子が開いた。
与三次が出てきた。
わたしを見て、立ち止まった。
何か言わなければと思った。何も出てこなかった。
「与三次、わたくしは」
「姫様」
老人は、わたしの言葉を遮った。
そして、頭を下げた。深く、時間をかけて。
「新しい升は、正月までに据えまする」
それだけ言って、行ってしまった。
背中が、ひとまわり小さく見えた。
わたしは廊下に残された。
謝るべきだったのか、礼を言うべきだったのか、それとも何も言わないのが正しかったのか、いくら考えても分からなかった。
数の合わせ方なら分かる。人の心の合わせ方は、どこにも書いていない。
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**応永二十年(一四一三)正月 島門**
年が明けて、応永二十年になった。
正月の三日に、新しい升が番屋に据えられた。芦屋の升と目を合わせた、白木のものだった。旧い升は割って燃やした。燃えるときに、貼り足された底板が最後まで残って、炭になって崩れた。
与三次はいつも通りに関にいた。いつも通りに荷を検め、いつも通りにわたしに読み上げた。何も変わらなかった。何も変わらないことが、少し怖かった。
正月の七日。
川向こうから、また舟が来た。
門番が告げた名は、加瀬ではなかった。
「芦屋の御屋形様の御名代、麻生盛久様にござります」
叔父の名だった。
わたしは濡れ縁に出て、丘を上ってくる列を見た。供が五人。前の使者のときより多い。
先頭を歩く男は、加瀬のように背筋がまっすぐではなかった。むしろ、少し猫背だった。
歩き方に、急ぐ様子がまるでない。
まるで、この島門という湊のことなら、来る前からもう全部知っている、とでもいうような足取りだった。




