第四話 冬
応永二十二年(一四一五)十二月 福建 泉州
福建の冬は、島門の冬ほど寒くなかった。
霜は降りるが、雪は見なかった。台所の水も、凍ることはない。それでも、朝は白い息が出た。
わたしは、水を汲みながら、ふと足を止めた。
島門は、いまごろ、もっと寒いはずだ。
そう思って、次に浮かんだ考えに、自分で驚いた。
どれくらい、寒かっただろう。
思い出せなかった。
寒いということは覚えている。板戸の隙間から入る風が冷たかったことも、硯の水が薄くなって、墨の線がかすれたことも、覚えている。
でも、それがどれくらいの寒さだったのか、いま、この福建の朝の冷たさと比べて、どちらがどれだけ厳しいのか、うまく思い出せない。
指先が、桶の縁で止まった。
水が、桶の中で小さく波打っている。その揺れを見ながら、わたしは記憶の中の島門の海を思い浮かべようとした。
響灘は、冬になると、鉛の色をしていた。そのはずだ。
本当に、鉛の色だっただろうか。
もっと暗い色だった気もするし、もっと白っぽかった気もする。曇りの日と、晴れの日とで、色は違ったはずだ。どちらの記憶が、いま自分の中にあるのか、判然としない。
桶を提げ直して、わたしは歩き出した。
歩きながら、心の臓のあたりが、じわりと重くなるのを感じていた。
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その夜、板間で、わたしは久しぶりに、島門のことを頭の中で辿ってみた。
石段は、三段あった。三段目に座っていた。
杭は、河口に何本あっただろう。
四本。
そう思って、次の瞬間、迷った。
四本だっただろうか。それとも、もっとあっただろうか。潮がいちばん引いたとき、幾つ見えていただろう。
数えていたはずだ。三年間、毎日書いていたはずだ。
なのに、いま、頭の中で杭の数を数え直そうとすると、輪郭がぼやける。
石段の段数も、思い出そうとすると、危うくなった。三段だったはずだ。だが、いま思い浮かべる光景では、二段しかないように見える瞬間がある。
自分の記憶の中の景色が、自分自身の手で、少しずつ書き換えられているような気がした。
疑い出すと、切りがなかった。
屋敷の間取りは、正しく覚えているだろうか。父の座敷は、廊下のどちら側にあっただろう。番屋から屋敷までの道のりは、どれくらいだっただろう。
一つ疑い出すと、他のことまで、急に頼りなく思えてくる。
背筋が、冷たくなった。
寒さのせいではなかった。
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十二月 半ば
阿蓮が、久しぶりに顔を出した。
「言葉、だいぶ達者になったな」
「まだまだにござります」
このやりとりも、ほとんど明の言葉でできるようになっていた。日本語に頼るのは、込み入った話をするときだけになった。
阿蓮は、わたしの顔を見て、少し眉を寄せた。
「何かあったか」
「……いえ」
「顔が、変だ」
わたしは、少し迷って、それから言った。
「島門の潮の高さを、思い出せなくなりました」
阿蓮は、怪訝な顔をした。
「潮の高さ」
「島門の湊で、三年間、毎日書いておりました。杭が何本見えるかで、潮の高さを測っておりました」
「それが」
「思い出せませぬ」
阿蓮は、しばらく黙っていた。
「そんなもの、覚えていなくても困らないだろう」
「困りませぬ」
わたしは、頷いた。
「困りませぬが」
「が」
「忘れてしもうたということが、恐ろしゅうござります」
阿蓮は、そこで何も言わなかった。
しばらくして、こう訊いた。
「ほかにも、忘れたか」
「まだ、分かりませぬ」
「分からない、とは」
「忘れたことに気づいて、初めて忘れたと分かりますゆえ。気づいておらぬものは、まだ数えられませぬ」
阿蓮は、腕を組んで、しばらく黙っていた。
いつもより、長く黙っていた。
「陳様には、伝えておく」
「わたくしが忘れっぽいと、でござりますか」
「そうじゃない」
阿蓮は、少し語気を強めた。
「働きに障りがないか、訊かれているだけだ」
わたしは、頷いた。
陳様に報せる役目だから、訊いてくださっているのだ。
そう受け取った。
阿蓮が、それ以上何か言いたそうにして、結局、何も言わずに行ってしまったことには、気づかなかった。
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その夜、わたしは筆を執った。
板ではなく、阿蓮からもらった古い紙の切れ端に、初めて日本の字を書いた。
島門。遠賀川。河口。杭、四本、あるいは五本。石段、三段。丘の上に屋敷。
書きながら、手が止まった。
杭の数が、やっぱり定まらない。
四本だった気もするし、五本だった気もする。潮の満ち引きで、見える数が変わっていたはずなのに、それがいちばん多く見えたときの数なのか、いちばん少なく見えたときの数なのか、それすらも曖昧だった。
書いておけば、残る。
そう思って、三年間、毎日書いていたはずだった。
その帳面は、焼けてしまった。
書いたものが焼ければ、頭の中にしか残らない。頭の中のものは、書き直さなければ、少しずつ形を変えていく。
覚えているつもりで、実は覚えていない。
そのことに、初めて気づいた。
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同月 末
台所で働きながら、わたしは、ふと自分の声を思い出そうとした。
さよの声だ。
「飽きんもんですねえ」
そう笑っていた声。
声そのものは、耳の奥にまだ残っている気がする。だが、その声で何を話したか、細かいところは、もう霞んでいた。
兄の顔も、少しずつ、ぼやけはじめていた。
日に灼けた顔。汗の跡。無精髭。三日ぶりに戻ってきたときの、あの顔。
思い出そうとすると、輪郭は掴めるのに、細部が曖昧になる。目のあたりの皺が、どんなふうだったか。笑うと、頬のどこが動いていたか。
父の声も、危うくなっていた。
「よう、書いた」
その一言だけは、耳の奥にはっきり残っている。だが、その声の高さや、その日の父の顔つきは、もう思い出せなかった。
言葉だけが残って、それを発した人の姿が、少しずつ薄れていく。
言葉のほうが、人よりも長生きするのかもしれない。
そう思うと、皮肉なものだと感じた。
——このままでは、いつか、全部消える。
そう思うと、指先が冷たくなった。
前の生の記憶も、同じように消えていった。顔を思い出せない。名前も出てこない。手つきだけが残っている、と。
同じことが、この生の記憶にも起きようとしている。
二度目だ。
二度、同じことが起きようとしている。
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その夜から、わたしは紙の切れ端を集めるようになった。
阿蓮に頼んで、書き損じの紙や、使い終わった帳の余白を分けてもらった。高価な紙は使えないが、余りものなら、咎められない。
集めた紙に、覚えている限りのことを書いた。
父の顔つき。兄の口癖。与三次の手の皺。さよの笑い方。屋敷の間取り。番屋の場所。関の升の形。白水衆の約定、五つの条項。
書き出してみると、思っていたより多くのことが、まだ頭に残っていた。だが同時に、思っていたより多くのことが、もう抜け落ちていることにも気づいた。
母の顔は、ほとんど思い出せなかった。三年前、宗徳に「姉上によう似ておられる」と言われたときも、正直に言うと、あまり覚えていないと感じた。それがいま、さらに薄くなっている。
母についての記憶は、この体の千代のものだ。前の生の記憶に押されて、もともと薄かった。薄いものから先に、消えていくのかもしれない。
順番があるのだろうか。
そう思うと、怖くなった。
濃いものから先に消えるのか、薄いものから先に消えるのか。それとも、順番などなく、ただ気まぐれに欠けていくのか。
分からない。
分からないことは、分からないと書いた。
杭は、四本か五本。判然とせず。
母の顔、目のあたりしか出てこず。
正直に、そう書いた。
数を誤魔化さない。それが、島門で学んだことだった。分からないことを、分かったふりで書いてはならない。
書きながら、ふと、こんなことも思った。
これは、誰のために書いているのだろう。
誰かに見せるためではない。褥の下に隠しているのだから、誰にも見せるつもりはない。
自分のためだ。
自分のためだけに、こんなに必死になって、字を埋めている。
それが、少し可笑しかった。三年間、島門でも同じことをしていた。あのときは、父を動かすため、湊を守るためだった。今度は、誰のためでもない。ただ、自分の中から何かがこぼれ落ちていくのを、少しでも押しとどめるためだけに、書いている。
でも、と思う。
自分のために書くことも、悪くないのかもしれない。
阿蓮に分けてもらった紙の余白に、わたしは、さよの顔を思い出せる限り描こうともした。
絵は、下手だった。前の生でも、この生でも、絵の稽古などしたことがない。丸を二つ描いて目とし、線を引いて口とする。それだけの、子どもの落書きのようなものだった。
それでも、描いてみると、描く前より少しだけ、さよの顔がはっきりした気がした。
手を動かすということは、頭の中だけで思い出すのとは、また別の働きをするのかもしれない。
前の生で、そういう話を聞いたことがある気がする。誰から聞いたのかは、もちろん思い出せない。
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同夜
紙を並べて、わたしはしばらくそれを眺めていた。
十枚に満たない、小さな束だった。三年ぶんの記憶を、これだけの紙に押し込めるしかなかった。
それでも、書いておけば、これ以上は薄れない。
明日、もっと書き足せる。今日思い出せなかったことも、いつか、何かの拍子に思い出すかもしれない。
——書けば、残る。
三年前、石段の三段目で、初めてそう思ったときと同じことを、いま、この福建の板間で、もう一度思っている。
場所は変わった。書く相手も変わった。
でも、書くという行いだけは、変わらなかった。
わたしは、紙の束を、褥の下に隠した。
誰かに見られて、燃やされては困る。
もう一度、大事なものを火で失うのは、御免だった。
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応永二十三年(一四一六)正月 福建 泉州
年が明けた。
福建の正月は、日本のものと違った。爆竹の音が、朝から晩まで鳴り響く。赤い紙が、あちこちの門に貼られている。
わたしは、その音を聞きながら、台所の仕事をしていた。
去年の正月、島門では、新しい升が番屋に据えられた日だった。白木の升が据えられて、旧いものは割って燃やされた。燃えるとき、貼り足された底板が最後まで残って、炭になって崩れた。
——あれから、一年しか経っていないのか。
そう思うと、不思議な気がした。
家を失い、湊を失い、言葉も失い、それでも、まだ一年しか経っていない。
一年前のわたしは、升を検め、父に帳を見せ、認められたことに膝を笑わせていた。
いまのわたしは、他人の家の台所で、消えていく記憶を紙に留めようとしている。
同じ一年のあいだに、こんなにも遠くまで来た。
台所の隅で、あの年配の下女が、わたしに何か話しかけてきた。正月の料理の支度を手伝えという意味だと、いまなら分かる。
言われたとおりに手を動かしながら、わたしはふと、この下女にも、故郷があるのだろうかと思った。
訊いたことはない。名前すら、まだ知らない。
三年前、太平という若者の名前を、荷とは関わりのない場所に、一行だけ書きつけたことがあった。あのとき、それが何になるのか分からなかった。
いま、目の前にいるこの人の名前も、まだ知らない。
また、同じことを繰り返している。
そう思った。
だが今度は、まだ何も起きていない。
いまなら、間に合う。
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爆竹の音が止んだ夜、わたしは、あの下女のところへ行った。
板を持って。
字はまだ通じないところも多いが、身振りと、覚えた言葉を繋いで、名を訊いた。
下女は、少し驚いた顔をして、それから、自分の名を教えてくれた。
阿花。
花という字だ、と教えてもらった。書いてもらった字を、わたしはその場で三度、板になぞった。
覚えた。
これで、忘れない。
板間に戻って、わたしは紙の束を取り出した。
書き足すことが、また幾つか見つかった。
阿花。台所の下女。花という字。正月の料理を教えてくれた。
さよは、赤間関へ売られたと聞いた。生死は分からず。
与三次、片腕を負傷。消息知れず。
太平、大内方に通じ、搦手を開けたと思われる。二十二歳。
書きながら、太平という名前のところで、指が止まった。
三年前、帳面の余白に、荷とは関わりのない一行を書いたことがあった。あのときは、それが何の役に立つのか分からなかった。
いまも、分からない。
分からないが、書いておく。
書いておけば、いつか役に立つかもしれない。役に立たなくても、忘れるよりはいい。
窓の外で、遠くの爆竹が、また一つ鳴った。
わたしは、紙を束ね直して、褥の下に戻した。
戻す前に、もう一度、束の一枚目を開いてみた。
そこには、いちばん初めに書いた一行があった。
応永二十二年四月、島門落城。父、討死。兄、行方知れずのち骸で見つかる。
字は、まだ拙かった。板の上での稽古が、まだ足りなかったころの字だ。
その拙い字を見ていると、この一年でどれだけ字が進んだかが、はっきり分かった。字は進んだ。言葉も、いくらか通じるようになった。
でも、進んだ分だけ、失ったものも増えている気がした。
杭の数。母の顔。潮の色。
覚えているつもりで、少しずつ手放しているものが、この一年で、確かにあった。
——それでも。
わたしは、束を閉じた。
進むことと、失うことは、別々には来ない。たぶん、いつも一緒に来る。
だったら、失う速さより、書き留める速さのほうを、少しでも上げればいい。
それだけが、いまのわたしにできることだった。
明日も、書く。
思い出せることが、まだ残っているうちに。




