第四話 口上の下書き
永享四年(一四三二)十二月半ば 伊予国 怒和島 下怒和
師走の風が、庭先の松の枝を、微かに揺らしていた。館の一室で、わたしは、弥九郎と、二人だけで、向かい合っていた。文机の上には、白磁の小皿が一枚、清酒の入った瓶子が一つ、そして、別子から届いたばかりの銅の延べ板が、小さな布の上に、並べられていた。
「これだけの品を、いったい、どうするつもりだ」
弥九郎が、そう訊ねた。
「殿の、京への贈り物にござります」
わたしが、そう答えると、弥九郎は、少し、怪訝そうな顔をした。
「通春様への、支度金ということか」
「はい。ですが、それだけでは、ござりませぬ」
わたしは、白磁の小皿を、指先で、そっと撫でた。
「この白磁も、清酒も、いま、京では、まだ、誰も、目にしたことのない品にござります。別子の銅は、量そのものが、他家にはない裏付けとなりましょう。この三つを揃えれば、殿は、京にて、どなたに贈り物をなさろうと、決して、見劣りいたしませぬ」
「見劣りせぬ贈り物か。それが、なにゆえ、要るのだ」
弥九郎が、そう問うと、わたしは、静かに、答えた。
「殿は、京にて、御公儀・管領家に近侍なされ、武名を高められるが筋にござります」
その言葉を、わたしは、一語一語、確かめるように、口にした。
「武名、とな」
「はい。教通方は、もとより、御公儀や、細川様に近しい家柄にござりました。その教通方を、族滅せしめてより、まだ、幾月とは経っており申さぬ」
弥九郎は、その言葉に、静かに、頷いた。
「このまま、何もせずにおれば、通春様御自身が、中央に弓引いたのだと、要らぬ勘繰りをされかねませぬ。ゆえに、通春様御自身が、進んで京へ上り、将軍家・管領家に、近侍なさる。それによって、『教通方を滅ぼしたは、中央への謀反にあらず』と、身をもって、お示しいただく。それが、この一件の、しかと、行き着く先にござります」
弥九郎は、腕を組み、しばらく、黙って、続きを促した。
「白磁や清酒、銅を、御公儀や、御守護衆への贈り物として、惜しみなく、お使いいただく。それだけで、通春様の御名は、たちまち、京の噂の種になりましょう。伊予の片田舎から、これほどの品を携えて上ってきた御方がおる、と」
「なるほどな。派手に振る舞えということか」
「はい。ただし、加減が、要りまする」
わたしは、そう続けた。
「加減とは」
「あまりに、急に、華やかに振る舞えば、御公儀に、かえって、要らぬ勘繰りをされましょう。『族滅の後ろめたさを、金子で覆い隠そうとしておるのでは』と。それでは、逆に、心証を、損ないかねませぬ」
「では、どうする」
「はじめは、御公儀への、御目通りの折の、控えめな手土産として。それを幾度か重ね、少しずつ、量と質を、上げてまいりましょう。ただし、あまり、悠長にも、構えてはおられませぬ。族滅から、日が経てば経つほど、いまさら御目通りに参るその理由づけそのものが、色褪せてまいりますゆえ」
「急ぎつつ、急がぬように見せよ、ということか」
「さようにござります」
その言葉に、弥九郎は、深く頷いた。
「相変わらず、細かい段取りだな」
「大きな絵図ほど、細かい段取りが、要りまする」
わたしは、そう答えながら、文机に並べた品を、あらためて、見つめた。
「白磁は、まず、十枚。清酒は、瓶子で五つ。銅は、上等な延べ板だけを選り分け、目方にして、いくらか」
わたしは、指先で、数を数えながら、静かに、続けた。
「この目方であれば、御公儀への手土産としては、いかにも、身の丈に合った、控えめな品にござります。ですが、質そのものが、他家には、決して真似のできぬ品ゆえ、目に留まらぬはずが、ござりませぬ」
「控えめに見せて、実は、しかと、目立つように仕組む、というわけか」
弥九郎が、そう言うと、わたしは、微かに、頷いた。
「もう一つ、仕込んでおきたきことが、ござります」
わたしは、そう続けた。
「なんだ」
「この贈り物に、代官殿御自身が、蔵から取りまとめた金子を、いくらか、加えていただく形に、仕立てとうござります」
その言葉に、弥九郎は、少し、怪訝そうな顔をした。
「代官に、恩を売る、ということか」
「はい。あの代官殿には、砥部の年貢のうち、幾らかを、通春様への献上に充てるよう、それとなく、持ちかけておこうと、思うており申す。ご自身の手で、蔵から、実際に、金子を、取りまとめていただく形にて」
「代官御自身に、その手で、蔵を、動かさせるのか」
「はい。ただ、金子を、右から左へ、お渡しいただくだけでは、ござりませぬ。殿御自身が、通春様に、御目通りの折、『この金子は、砥部の代官が、年貢のうちより、丹精込めて、取りまとめたもの』と、それとなく、お伝えいただきたいのです。伊予にて、これほどの金子を、自らの手で、確かに、取りまとめられる者がおる。それを、通春様の御耳に、届けることに、狙いがござります」
「して、その金子、目方は、いかほどにいたす」
弥九郎が、そう訊ねた。
「控えめすぎては、かえって、みすぼのう映りましょう。代官殿御自身の、御面目が立つよう、いくらか、多めに、御用意いただこうと、思うており申す」
「多めに、とな」
「はい。此度ばかりは、格を、しかと、見せつけていただかねばなりませぬ。それだけの金子を、一度に、蔵から、動かすとなれば——」
わたしは、そこで、少し、間を置いた。
「戸田も、黙ってはおりますまい」
わたしがそう言うと、弥九郎は、しばらく、考え込んだ。
「代官の覚えが、通春様の御前で、じかに、上がるわけだな」
「はい。それだけでも、あの御方には、この上ない恩にござります。ですが、それを、こちらが、密かに、お膳立てしたと知れば、あの御方の、この一党への恩義は、いよいよ、深うなりましょう」
「二重に、恩を着せるわけか」
「さようにござります」
わたしがそう答えると、弥九郎は、少し、感心したような顔をした。
「して、代官が、その金子を、実際に、蔵から、取りまとめるとなれば、年貢の帳面にも、手をつけねばなるまい。それは、容易いことか」
「そこが、もう一つの狙いにござります。あの代官殿の蔵は、長年、戸田図書という老臣が、独り占めにしてまいりました。代官殿御自身が、みずから、蔵を動かし、しかも、面目のために、いくらか、多めに、取りまとめられたとなれば、戸田の目には、決して、面白くは映りますまい」
「その軋轢も、承知の上で、仕掛けるわけか」
弥九郎が、そう訊ねると、わたしは、静かに、頷いた。
「はい。いずれ、あの老臣が、代官殿の、確かな妨げになる日が、まいりましょう。その芽を、いまのうちから、育てておきとうござります」
「相変わらず、先の先まで、見据えておるな」
弥九郎が、そう言うと、わたしは、微かに、笑った。
「一つの手で、幾つもの目当てを、同時に、叶える。それが、この一党の、しかと、身につけたやり方にござります」
「時期も、しかと、選びとうござります。年が明け、雪解けを待って、御目通りの機を、初めのものといたしましょう。その後は、季節ごとに、少しずつ、量を、増やしてまいる形にて」
「一年がかりの絵図、というわけか」
「はい。一度きりの豪勢な贈り物では、かえって、あちらの気位を、削ぎましょう。少しずつ、確かに、積み重ねていくほうが、あちらの信を、しかと、得られましょう」
その言葉に、弥九郎は、深く頷いた。
「そのとおりにござります。ですが、これだけでは、まだ、通春様が、京で、どう振る舞われればよいのか、御自身にも、はきとは、お分かりになりますまい」
「それで、口上か」
「はい」
わたしは、そう言うと、腕組みを解き、通春が国元に留まったままでは、族滅の一件が、いずれ、御公儀に要らぬ勘繰りをされかねぬ、という懸念を、あらためて、口にした。
「この一党で、通春様の御在京を、進めておりますのは、御存じのとおり。ですが、京での御栄達だけを、いたずらに、お勧めしても、あの御方には、伝わりますまい。何のためになさるのか、しかと、腑に落ちる言葉が、要りまする」
わたしは、そう言うと、文机の隅に置いてあった、一枚の紙を、手元に引き寄せ、筆を取った。
「殿は、京にて、武名を高められるが筋。国元のことは、われらに、しかと、お任せくださりませ——さしあたっては、この一文が、骨子になりましょう」
「随分と、素直な物言いだな」
弥九郎が、そう言うと、わたしは、微かに、笑った。
「素直に見せることこそが、肝要にござります。裏の思惑を、微塵も、匂わせぬ物言いでなくば、あの御方は、かえって、疑いましょう」
「あの御方は、恩を売っては、次の働きを引き出そうとする質だからな」
「はい。ゆえに、この贈り物も、恩を売る形にして、差し上げねばなりませぬ。『殿の御栄達のため』と、しかと、そう申し上げて」
わたしがそう続けると、弥九郎は、その紙を、手に取り、しばらく、じっと、見つめていた。
「『武名を高められるが筋』とは、いささか、堅苦しくはないか」
「では、いかように」
わたしが、そう問うと、弥九郎は、少し、考えるような間を置いてから、答えた。
「殿ほどの御方が、いつまでも、伊予に留まっておられるは、いかにも、もったいなきこと——このぐらいの言い回しのほうが、あの御方には、耳に心地よかろう」
その言い回しに、わたしは、静かに、頷き、筆を、紙の上に、走らせた。
「なるほど。持ち上げつつ、その先を、御自身で、思い描かせる形にござりますね」
「お前の下書きに、俺の勘所を、少し、混ぜただけのことよ」
弥九郎が、そう言うと、わたしは、微かに、笑った。
「殿の勘所は、いつも、この一党の絵図を、しかと、人の心に、馴染ませてくださいまする」
「して、この口上、誰の口から、通春様へ」
「殿御自身のお口から、御伝えいただきとうござります。この一党の名は、決して、表には出しませぬ」
「俺が、あくまで、通春様の御ためを思う忠臣として、贈り物を差し出す、というわけか」
「さようにござります。殿には、いつも、そのように、表に立っていただかねばなりませぬ」
わたしがそう答えると、弥九郎は、微かに、苦笑した。
「俺は、いつまで経っても、お前の描く絵図の中で、駒の一つに過ぎぬな」
「いえ。この一党の、顔にござります。駒には、なれませぬ」
わたしがそう言うと、弥九郎は、しばらく、わたしの顔を見つめていたが、やがて、声を立てて、笑った。
「よかろう。近いうちに、通春様への御目通りの機を、見計らうとしよう」
---
その日の午後、松吉が、館の一室に、あらためて、姿を見せた。
「千代様。京への荷のこと、伺いたきことが、ござります」
「銅と白磁、清酒の、運び方のことか」
わたしが、そう訊ねると、松吉は、深く頷いた。
「はい。尾道・鞆の浦を経て、京へ上る道筋にて。ですが、これほどの品を、まとめて運べば、海賊にも、目を付けられかねませぬ」
「いかにも、そうであろうな」
「一度に、まとめては運ばず、幾度かに分け、荷駄の中に、紛れさせて運ぶのが、確かにござりましょう。護衛には、六郎太の手の者を、幾人か、割かせとうござります」
松吉が、そう続けると、わたしは、静かに、頷いた。
「頼む。この荷は、通春様の御栄達の第一歩。決して、しくじるわけには、まいらぬ」
「畏まって、ござります。荷駄の支度が整い次第、道筋も、あらためて、お伝えいたしましょう。尾道・鞆の浦の問丸には、これまでどおり、白磁や清酒の商いの荷として、紛れさせとうござります」
「あの筋であれば、周りの目にも、慣れたものだ。無理に隠すより、そのほうが、かえって、目立たずに済もう」
わたしがそう言うと、松吉は、深く頷いた。
松吉が、そう言い残し、館を辞していく後ろ姿を見送りながら、わたしは、あらためて、この一件の重さを、思い返していた。
---
夕刻、伊佐次が、別子から戻り、館を訪れた。
「千代様。銅の産出、此度は、いよいよ、確かなものになってまいりました」
伊佐次が、そう報告した。
「坑道の水は、しかと、抜けておるか」
わたしが、そう訊ねると、伊佐次は、深く頷いた。
「あの螺旋の道具、幾つも据えたおかげにて。水に阻まれ、掘り進められなんだ層にも、ようやく、手が届くようになり申した」
「よい報せだ。この銅、しばらくは、通春様への贈り物として、蓄えておきたい」
わたしがそう言うと、伊佐次は、少し、意外そうな顔をした。
「銅を、京へ、お贈りに」
「はい。殿の京での御栄達のためにござります。ただし、そのまま、荒々しい塊のままでは、見苦しかろう。間接に焼く窯で、しかと、精錬し、目方も、板の形も、揃えたものを、選り分けてほしい」
「畏まって、ござります。ならば、山からの荷は、しばらく、贈り物にふさわしい、上等な延べ板だけを、選り分けて、お届けいたしましょう」
伊佐次のその言葉に、わたしは、静かに、頷いた。
「窯の普請のほうは、変わりないか」
「はい。備長炭の手当ても、道普請の索道も、滞りなく、進んでおり申す。ただ、山の男どもの中には、この冬の寒さに、幾人か、風邪で、床に伏せる者も」
「無理はさせるな。山を、しかと、守り続けてくれる者たちにこそ、この一党は、支えられておる」
わたしがそう言うと、伊佐次は、深く、頭を下げた。
「畏まって、ござります」
頭を上げたあと、伊佐次は、少し、言い淀んだ。
「千代様。先だって、殿のお言葉を、松吉殿の使いから、承り申した」
「取り立ての件か」
「はい。手前ごとき山師が、腰に刀など、と、一晩、眠れませなんだ」
伊佐次は、苦笑して、自分の腰に、手をやった。そこには、まだ、真新しい鞘が、不慣れに、収まっていた。
「されど、山の若い衆の顔を見ておりますと、断れませなんだ。侍の端くれの下で働くのと、ただの山師の下で働くのとでは、里の者の見る目が違う、と、坑道の者らが申しますゆえ。受けることにいたしました。名は、これまでどおり、伊佐次で、よいとのこと。有り難く」
「別子の者たちが、軽く見られぬように、という殿の御思案だ。受けてくれて、よかった」
わたしがそう言うと、伊佐次は、思い出したように、続けた。
「山を下る途中、新居郡にも、寄りました。彦次殿のもとにも、同じ使いが、届いておりました」
「彦次は、何と」
「その場では、何も。使いの者を、半刻ほど、待たせたそうにござります。それから、ひとこと、受ける、と。ただし、銭で雇うた者どもの前でも、胸を張れる札であるなら、と」
「彦次らしい」
わたしは、小さく、息を漏らした。恨みはない、と言いながら、まだ底の見えぬあの男が、取り立てを、自分の掌で一度、量ってから受けた。それでよかった。この一党に連なる者が、受けるか、断るかを、自分で決められること。鵜の子の入江で争っていた頃には、思いもしなかったことだった。
伊佐次が、館を辞していく後ろ姿を見送りながら、わたしは、手の中の、銅の小さな延べ板を、あらためて、見つめた。この一つ一つが、いずれ、京の御公儀の目に、確かな重みとして、映ることになるのだろう。
---
同じ夕刻、幸松が、しおれた顔で、館を訪れた。手には、裂けた布の切れ端を、大事そうに、抱えていた。
「これは」
わたしが、そう訊ねると、幸松は、悔しそうに、その布を、差し出した。
「厚手の綿糸で織った、初めての帆布にござります。風を受けさせてみたところ、ものの数刻で、この様に」
布は、縦に、大きく、裂けていた。
「撚りが、甘かったか」
わたしがそう訊ねると、幸松は、深く頷いた。
「はい。着物や敷物の撚りでは、帆の風には、到底、耐えられませぬ。かといって、撚りを強くすれば、糸そのものが、切れてしまい申す。この兼ね合いが、まだ、しかと、掴めておりませぬ」
「たねは、なんと」
「あの女子も、首をひねっており申した。『帆の布は、着物とは、まるで違う生き物じゃ』と」
その言葉に、わたしは、微かに、笑った。
「一本の太い糸に頼るのではのうて、細い糸を幾重にも、撚り合わせてみてはどうか。一本一本は、切れやすくとも、束になれば、また、違う強さが、生まれよう」
わたしがそう言うと、幸松は、目を、大きく見開いた。
「細い糸を、幾重にも……そのようなこと、思いも寄りませなんだ」
「たねに、そう伝えてくれ。糸の性分を、誰よりも、指先で見分けられる者だ。糸口は、あの者が、しかと、掴んでくれよう」
「はい。さっそく、伝えとうござります」
「急いては、しくじる。まずは、この一枚から、何が足りぬかを、しかと、数えることだ」
「はい。もう幾度か、糸の太さと撚りの強さを、変えて、試させとうござります」
「頼む。この帆布が、いずれ、この一党の船団を、丸ごと、覆う日が来る。急がずとも、確かに、近づいておる」
わたしがそう言うと、幸松は、深く、頭を下げ、裂けた布を、大事そうに、抱え直した。
「必ずや、次には、しかと、織り上げてご覧に入れまする」
幸松が、館を辞していく後ろ姿を見送りながら、わたしは、頭の中で、静かに、この日の出来事を、数え直していた。白磁、清酒、銅。通春様への贈り物。裂けた帆布。まだ、種を蒔いたばかりの糸。どちらも、いま、確かな形になろうとしている、この一党の営みだった。
---
夜更け、庭の隅で、わたしは、独り、一人の男を、待っていた。
「弥七、参りました」
暗がりから、音もなく、あの男が、姿を見せた。
「久しいな。代官の様子は」
わたしが、そう訊ねると、弥七は、静かに、頭を下げた。
「はい。此度、通春様が、京へ上られるとの噂が、代官の耳にも、届いたようにござります。あの御方、少々、落ち着かぬ様子で」
「落ち着かぬ、とは」
「通春様が、京にお出でになるあいだ、国元の御沙汰が、いかように変わるのか。自分の立場が、いよいよ、危うくなるのではないか——そう案じておるようにて」
弥七が、そう続けた。
「もっともな懸念だ。ならば、そなたから、それとのう、伝えてくれ。通春様の京での御栄達が、いずれ、代官殿御自身の立場をも、確かなものにする、と」
わたしが、そう言うと、弥七は、微かに、頷いた。
「なるほど。通春様が、京で御名を挙げられれば、その御方に、しかと、目をかけていただいておる代官殿の値打ちも、上がる、という道理にござりますね」
「さようだ。あの御方には、いずれ、正式な守護代への道も、開けてこよう。いま、慌てず、しかと、腰を据えておるほうが、得だと」
わたしがそう続けると、弥七は、静かに、頷いた。
「畏まって、ござります。あの御方には、それとのう、そう聞こえるように、申し上げておきましょう」
「頼む」
「して、通春様への贈り物、京へ上る道筋は、もう定まったのでござりますか」
弥七が、そう訊ねると、わたしは、静かに、答えた。
「松吉が、幾度かに分けて運ぶ手筈を、いま、整えておる。荷が動きはじめれば、そなたにも、砥部の周りの道筋に、目を配ってもらうやもしれぬ」
「畏まって、ござります。いつなりと、お申し付けくださりませ」
弥七は、そう言い残すと、来たときと同じように、音もなく、闇の中へ、姿を消した。
夜、綾の淹れた白湯を、飲みながら、この日のことを、話した。
「殿が、京にお出でになれば、しばらくは、御留守にござりますね」
綾が、そう言った。
「はい。ですが、それも、この一党のためにござります」
「梅も、虎王丸も、弥太郎も、殿の御留守のあいだ、寂しがりましょう」
綾が、そう言うと、わたしは、静かに、頷いた。
「殿には、しかと、御役目を、果たしていただかねばなりませぬ。留守のあいだは、この一党の皆で、しかと、支えましょう」
「千代殿が、そうおっしゃるのなら」
綾は、そう言って、微笑んだ。
「梅は、まだ、乳離れもしておりませぬに、もう、殿の御留守を、寂しがる日が来るとは」
わたしがそう言うと、綾は、静かに、微笑んだ。
「子は、育つのが、早うござります。あっという間に、殿の御帰りを、指折り数えるようになりましょう」
「そのころには、通春様の御名も、京で、しかと、聞こえるようになっておりましょう」
わたしがそう言うと、綾は、少し、考えるような顔をした。
「殿は、京にお出でになっても、御立派に振る舞われましょう。あの御方は、いつも、堂々としておられますゆえ」
「はい。ですが、殿御自身が、京で名を挙げられれば挙げられるほど、この島での御役目は、皆で、しかと、肩代わりせねばなりませぬ。幸松の綿花、伊佐次の別子、弥七の代官、それぞれの糸を、これまで以上に、確かに、束ねておく要がござります」
わたしがそう言うと、綾は、深く頷いた。
「千代殿の御役目も、いよいよ、増えますね」
「数えることに、変わりはござりませぬ。ただ、数える糸の数が、また一つ、増えるだけのこと」
わたしがそう答えると、綾は、微かに、笑った。
「千代殿らしい、物言いにござります」
「殿が、京で名を挙げ、御留守のあいだも、この島の営みが、いささかも、揺るがぬ様をお見せする。それもまた、この一党の、確かな力にござりましょう」
わたしがそう言うと、綾は、静かに、頷いた。
「虎王丸にも、弥太郎にも、いずれ、この日々のことを、しかと、語り聞かせとうござりますね。殿が京へお出でになったあいだ、この島は、皆の手で、しかと、支えられていたのだと」
「はい。それもまた、この一党の、確かな形にござります」
わたしは、そう言いながら、膝の上で組んだ手を、静かに、握り直した。京は、まだ、遠い。だが、その遠さを、一日ずつ、縮めていく支度が、この島では、既に、始まっていた。遠くから、弥太郎の、寝入りばなの、微かな寝息が、聞こえてくるようだった。




