第五話 遠回りの末に
永享四年(一四三二)十二月末 伊予国 怒和島 下怒和
「千代様。お報せにござります」
松吉が、そう告げに来たのは、師走も、半ばを過ぎた頃だった。
「なんだ」
「はい。先だって、鞆の浦にて、堺の商人が、唐物の伝手はないかと、問丸を、幾つも、訊ね回っていたとの報せが、届いており申した。その道すがら、弥九郎様の御名を、耳にしたようで」
「それで」
「連れの、京の公家の御方が、『その弥九郎とやらに、一度、会うてみたい』と、じきじきに、仰せになったとかにて。公家の御方から、名指しで、そう仰せになれば、こちらとしても、無下には、いたしかねまする」
わたしは、静かに、頷いた。身分の上では、公家の御方の呼び出しを、無視するわけにはいかない。
「して、この一件、そもそもの起こりは、何であったか。いま少し、詳しゅう、聞かせてくれ」
わたしが、そう続けて訊ねると、松吉は、少し、考えるような顔をした。
「はい。手前が、鞆の浦の間丸から、聞き及んだところでは、堺の若い商人が、幾月も前から、『唐物の書物の伝手はないか』と、京・堺のあちこちを、訊ね歩いておったとのこと。連れの公家の御方が、よほど、その書物に、執心しておられるようで」
「書物、とな」
「詳しくは、手前にも、分かりませぬ。ただ、その執心ぶりは、並々ならぬものだと、間丸の主人も、口を揃えており申した」
その話に、わたしは、静かに、耳を傾けた。書物一つに、これほどまで、執心する公家の御子息とは、いったい、いかなる人物なのか。数えることに慣れたこの頭にも、まだ、その輪郭は、はきとは、見えてこなかった。
松吉が下がったあと、その夜、弥九郎に、この一件を、あらためて、話した。
「京の公家御方が、俺に、会いたいとな」
弥九郎が、そう言った。
「はい。ですが、殿。此度は、いつもの筋とは、違いまする」
「違う、とは」
「見知らぬ小島に、公家の御方を、じかに、お呼び立てするのは、いかにも、不作法な話にござります。相手が、代官殿や、通春様のような、伊予国内の御方であれば、こちらの流儀で、お迎えするのも、道理にござりましょう。ですが、京の公家の御方を、この島まで、お運びいただくのは、あまりに、こちらの都合を、押し付けすぎる形にて」
その言葉に、弥九郎は、少し、意外そうな顔をした。
「では、どうする」
「殿が、こちらから、御出向きになるのが、しかるべき筋かと、存じます。尾道であれば、瀬戸内の中でも、名の知れた湊にて。京の御方を、お迎えするにも、恥ずかしからぬ場所にござります」
「俺が、出向くのか」
「はい。身分の重い御方に、呼ばれて、赴く。それ自体は、何ら、恥ずべきことでは、ござりませぬ。ですが、それを、この島まで、御足労いただく形にしてしまえば、こちらの都合を、押し付けることになりましょう」
弥九郎は、しばらく、考え込んでいたが、やがて、深く頷いた。
「こちらから、良き人柄と、良き先入れを、作っておくわけだな」
「はい。此度は、まだ、縁の薄い相手にござります。まずは、殿御自身が、礼を尽くして、御目にかかる。あの御方が、この一党を、どう思われるかで、この先の付き合いも、大きく、変わってまいりましょう」
その言葉に、わたしは、静かに、頷いた。
「さようにござります。松吉を通じて、あちらに、それとなく、伝えておきましょう。『弥九郎、じきじきに御目にかかりたく、尾道まで、参上いたしたく存じます』と」
「よかろう。いつ頃、発てばよい」
「年が明けてから、日和を見て、いたしましょう。急いては、しくじりまする」
わたしがそう言うと、弥九郎は、微かに、笑った。
「相変わらず、急がぬな、お前は」
「急いた分だけ、後で、綻びが出まする」
「手土産は、いかがいたしましょう」
わたしが、そう続けると、弥九郎は、少し、考えるような顔をした。
「京の公家の御方には、何が、喜ばれるものか、俺には、はきとは、分からぬが」
「白磁の小皿を、幾つか、お持たせいたしましょう。京では、まだ、誰も、目にしたことのない品にござります。品そのものが、口上に代わりましょう」
「なるほどな。物言わずとも、この一党の値打ちを、しかと、示せるわけか」
「はい。多くを、語る要はござりませぬ。ただ、丁重に、御目にかけるだけで、十分にござります」
わたしがそう言うと、弥九郎は、深く頷いた。
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年が明けて間もなく、弥九郎は、松吉・六郎太の手の者を伴い、尾道へと発っていった。館の門先まで、わたしは、見送りに出た。
「殿。くれぐれも」
「分かっておる。堂々と、だろう」
弥九郎は、そう言って、微かに笑った。
「相手は、代官殿とは、また違う筋にござります。京の公家の御方には、こちらの武張った様は、あまり、通じませぬ。ただし、卑屈にもなられませぬよう。この一党の値打ちを、しかと、お示しくださいませ」
「案ずるな。俺とて、それくらいの、加減は、心得ておる」
弥九郎は、そう言うと、供の者たちを従え、館の門を出ていった。その後ろ姿を、わたしは、しばらく、見送り続けた。京の公家との縁は、これまで、この一党が、扱ったことのない、まったく別の筋合いだった。数えることに慣れたこの頭でも、こればかりは、はきとは、見通せぬ賭けだった。
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弥九郎の留守のあいだ、綾の部屋を、幾度か、訪ねた。
「殿は、京の御公家の御方に、御会いになるのですね」
綾が、そう訊ねた。
「はい。此度は、いつもとは、勝手の違う相手にござります」
「殿なら、しかと、務め上げられましょう」
わたしがそう答えると、綾は、静かに、微笑んだ。庭先では、弥太郎と虎王丸が、父の留守を、いつものように、素振りで、埋めていた。
「父上は、京の御方に、御会いになるとか」
虎王丸が、そう訊ねてきた。
「はい。まだ、見ぬ、遠い京の御方にござります」
「父上なら、どのような御方にも、堂々と、立ち向かわれましょう」
弥太郎が、そう言うと、わたしは、微かに、微笑んだ。
「はい。そなたたちも、いずれ、そういう場に、立つ日が、来るやもしれませぬ。いまは、その素振りを、一つ一つ、確かなものに、なさいませ」
二人は、素直に、頷くと、また、木刀を、構え直した。
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十日ほどが過ぎた頃、弥九郎は、無事に、帰島した。
「首尾は、いかがでござりましたか」
わたしが、そう訊ねると、弥九郎は、少し、思い返すような顔をした。
「尾道の、さる商人の屋敷を、借り受けて、そこで、会うた」
「あちらの、御様子は」
「あの令息、初めのうちは、ひどく、緊張しておったな。俺のような、元は倭寇の頭だった男に、じかに、会うのは、初めてだったのだろう。だが、話すうちに、存外、飾り気のない、真っ直ぐな男だと、分かった」
「殿は、いかに」
「戒能の代官のときと、同じ理屈だ。相手が、誰であれ、こちらが、卑屈にも、尊大にもならず、ただ、堂々と、応じるだけよ」
その言葉に、わたしは、静かに、頷いた。
「妙な二人連れだったな」
「妙、とは」
「一人は、商人らしい、こなれた身なりの若い男。善兵衛と申した。もう一人は、それよりも、いくらか、線の細い、育ちの良さそうな若者でな。山科という、京の公家の家柄だそうだ」
その家名に、わたしは、静かに、聞き覚えのある響きを感じた。京の公家の家柄。
「して、その令息は、なにゆえ、この一党に」
「本人が、家督を継ぐ身ではのうてな。父は既に身罷り、家は兄が継いでおる。次男坊の居場所は、あまりないと、そう漏らしておった」
「棚から転がり込むようにして家名を継いだ者もいれば、生まれながらの家に、居場所を見出せぬ者もおる。人の身の上とは、様々にござりますね」
わたしがそう言うと、弥九郎は、深く頷いた。
「兄との仲は、悪うはないが、屋敷に、己の居場所が、日に日に、狭うなっていくと、そう感じておるようだった。書物ばかりに、明け暮れておってな」
「書物、とは」
「『墨子』という、遥か唐土の、古い書だそうだ。城の守り方だの、力の働きだの、光の理だのが、書かれておるとか。俺には、はきとは、分からなんだが」
その言葉に、わたしは、静かに、耳を傾けた。
「その書を、いかにして、手に入れたと」
「唐物を見比べる、連歌の会でな。ある商人が、虫食いだらけの、古い巻物を、二束三文で、売りに出しておったのを、たまたま、手にしたのが、始まりだそうだ。絵図の一つに、目を、奪われたと、そう申しておった」
「絵図とは」
「水を汲み上げる、螺旋の仕掛けだそうだ。それを聞いた途端、俺は、思わず、声を上げてしもうたわ」
「声を、とは」
その問いに、わたしの心の隅が、微かに、騒めいた。
「『それは、まさしく、別子の坑道で、使うておる、あの道具ではないか』とな。令息は、それを聞いて、目の色を、変えおった。書物の上でしか、知らなんだ理屈が、既に、形になって、動いておると知って、しまいには、腰を浮かせんばかりであったわ」
弥九郎の、その話に、わたしは、深く頷いた。螺旋の仕掛け。それは、この一党が、既に、別子の坑道で、実際に使っている、あの道具と、あまりに、よく似た響きだった。だが、まだ、その符合を、この目で、確かめる術は、わたしの手元には、なかった。
「して、善兵衛殿とは」
わたしは、そう続けて訊ねた。
「幼き頃からの、馴染みだそうだ。商人の子と、公家の子。身分は違えど、唐物への好奇心だけは、人一倍だとか。善兵衛は、堺で、新たに店を構えたばかりでな。数多の新参の中で、頭一つ抜け出るには、他の誰も、まだ、扱うていない品が要ると、そう申しておった」
「それで、この一党を、頼ったと」
「うむ。俺が、もとは、この瀬戸内で、倭寇の頭を、務めておったという噂を、堺の商人仲間から、又聞きしたそうだ。その筋なら、唐物や、書物の伝手も、あるやもしれぬとな。尾道・鞆の浦の問丸を、幾つも、渡り歩いたが、けんもほろろに、追い返されもしたと」
「それでも、諦めなんだのですね」
「令息の、あの執心を、間近で見ておるうちに、放っておけぬようになったと、善兵衛が、そう申しておった」
その話に、わたしは、静かに、この二人の間柄を、思い描いた。身分の違う二人が、一つの渇きを、共に、抱え続けてきた。それもまた、この一党が、これまで、幾度も、見てきた縁の形だった。数えることに慣れたこの頭でも、こうした人と人との巡り合わせだけは、いつも、確かな勘定を超えたところに、あるように思えた。
「善兵衛は、堺で、何を、商うておると」
わたしが、そう続けて訊ねると、弥九郎は、頷いた。
「唐物全般だそうだ。だが、まだ、これといった、目玉になる品がのうてな。老舗の納屋衆には、とても、敵わぬと、ぼやいておった」
「それで、まだ誰も、扱うておらぬ品を、探しておるのですね」
「うむ。あの二人、それぞれの渇きを、抱えながら、互いに、支え合うておるように、見えたな」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。
「殿は、あちらに、何と」
「唐物の伝手であれば、この一党にも、確かな筋がある、とだけ、伝えておいた。阿蓮のことは、まだ、名までは、出しておらぬ」
「それでよろしゅうござります。追って、しかるべき折に、引き合わせましょう」
わたしがそう言うと、弥九郎は、深く頷いた。
「して、あの二人は、これから、どうする」
「令息が、その道具を、しかと、この目で、見てみたいと、食い下がってきてな。『それは、しかと、この目で、御見せいただけませぬか』と」
「殿は、何と」
「一度、この島まで、参られてはどうかと、持ちかけておいた。あの道具は、書物だけでは、まず、伝わるまいと思うてな」
「令息は」
「二つ返事であったわ。『これほどの、丁重な招きをいただけるとは、思うてもみなんだ』と、そうも、申しておったが、あれは、道具のほうに、心を、奪われておったのだろうな」
その言葉に、わたしは、微かに、笑った。
「跡取りでもない身の上ゆえ、京の御屋敷には、居場所も、さほど、ないと、殿に、漏らしておったのですね」
「うむ。あの様子では、この島のほうが、よほど、性に合うのやもしれぬな」
弥九郎が、そう言うと、わたしは、深く頷いた。
「殿御自身から、じきじきに、お誘いになったと」
「うむ。尾道で、一度、じかに、顔を合わせ、あの道具の話まで、出たあとであれば、こちらから、お誘いしても、不作法にはなるまいと、そう思うてな」
その判断に、わたしは、静かに、頷いた。段取りを踏んでこそ、次の一歩が、無理なく、確かに、進む。
「よい判じにござります。いつ頃、お越しに」
「年明けの、松の内が明けた頃には、参ると申しておった」
「畏まりました。その日までに、離れを、整えておきましょう」
「善兵衛も、荷を運ぶ道すがら、共に、顔を出すと申しておった」
「畏まりました。しかと、二人分の、支度を、整えておきましょう」
「白磁は、あちらの、御気に召したようだったか」
わたしが、そう続けて訊ねると、弥九郎は、深く頷いた。
「令息が、幾度も、しげしげと、御覧になっておった。『このような品、京でも、見たことがない』と、素直に、驚いておられたわ」
「それは、何よりにござります。物言わずとも、この一党の値打ちを、示せたようで」
「あの様子であれば、この島に、来ることを、随分と、楽しみにしておるようだったぞ」
弥九郎は、そう言うと、少し、疲れた様子ながらも、満足げな顔をした。
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夜、綾の部屋で、茶を前に、この日のことを、話した。
「京の御公家の御方が、この島に、いらっしゃるのですか」
綾は、そう言って、少し、驚いたような顔をした。
「はい。棚ぼたで家名を得た者、家にありながら居場所のない者。この一党の周りには、そうした者ばかりが、集まってまいりまする」
「それも、殿と千代殿の、人を見る目ゆえにござりましょう」
綾が、そう言うと、わたしは、微かに、笑った。
「見る目、というより、隙間を、見逃さぬだけにござります。此度は、殿御自身が、尾道まで、御出向きになったからこそ、その隙間に、しかと、辿り着けたのです」
「殿が、じきじきに、御出向きになったのですね」
「はい。公家の御方を、この島まで、お呼び立てするのは、いかにも、不作法な話にござりますゆえ。急いては、しくじりまする」
その言葉に、綾は、深く頷いた。
「あの御方々の、住まいは、どうなさるおつもりで」
綾が、そう訊ねた。声には、少し、気遣うような響きがあった。
「館の離れを、しばらく、使わせようと、思うており申す。善兵衛殿は、堺と、この島とを、行き来する身ゆえ、長くは、留まりますまい」
「令息のほうは」
「まだ、はきとは、分かりませぬ。ですが、殿の話によれば、あの若者の目には、確かな渇きが、宿っておるようで。この島で、それを、満たしてやれるものが、あるやもしれませぬ」
その言葉に、綾は、深く頷いた。
「墨子という書物のことも、殿から、伺いました」
綾が、そう続けた。
「はい。水を汲み上げる、螺旋の仕掛けが、描かれておるとか。殿の話を聞いただけで、なにやら、心の隅が、騒めきましてござります」
「千代殿が、そこまで、興を惹かれるとは、珍しゅうござりますね」
綾が、そう言うと、わたしは、微かに、笑った。
「ただの、勘にすぎませぬ。ですが、この一党の勘は、これまで、幾度も、当たってまいりました。あの令息が、この島に、参られた折には、その書を、しかと、この目で、確かめとうござります」
「弥太郎も、虎王丸も、いつか、この島に来た、よそ者たちの話を、知ることになりましょう。皆、それぞれの隙間から、この一党に、辿り着いたのだと」
「はい。それもまた、この一党の、確かな形にござります」
「殿が、じきじきに、尾道まで、御出向きになったこと。この一党の礼の尽くし方も、また一つ、増えましたね」
綾が、そう言うと、わたしは、静かに、頷いた。
「相手によって、こちらから、伺うべきときもあれば、こちらへ、お迎えすべきときもござります。その見極めを、決して、誤ってはなりませぬ」
「千代殿の、その見極めがあってこそ、この一党は、確かに、広がってまいりました」
綾が、そう言うと、わたしは、微かに、笑った。この島に、また一つ、新しい糸が、加わろうとしていた。螺旋の仕掛け、と、弥九郎は言った。その古い書物が、何を、この一党にもたらすのか。数えることに慣れたこの頭でも、まだ、答えは、見えなかった。松の内が明けるまでの、短い日々を、わたしは、静かに、待つことにした。




