↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
潮を編む――滅んだ小領主の娘、唐土に売られ、海賊の妻となる  作者: ハタ星人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
165/168

第二話 取次ぎ役を志願する

永享四年(一四三二)十一月 伊予国 怒和島 下怒和


弥七から、次の報せが届いたのは、それから、ひと月ばかりが経ってのことだった。庭の隅に、いつもの気配が、音もなく現れた。


「首尾は」


わたしが、そう問うと、弥七は、深く、頭を下げた。


「申し上げましたとおりに、進み申した。あちらに、『手前どもの頭を、一度、御挨拶に、参らせましょう』と、持ちかけましたところ」


「向こうの返事は」


「二つ返事にて。『それは、ありがたい』と、まるで、子供のように、顔を、綻ばせており申した」


その様子が、目に浮かぶようだった。


「あちらに、疑われはせなんだか。急に、そのような話を、持ち出して」


わたしが、そう問うと、弥七は、少し、笑ったようだった。


「いえ。手前が、既に、幾月も、あちらに、通い詰めた間柄にござります。むしろ、『ようやく、この誼を、皆にも、見せびらかせる』とでも、思うておられる様子で。誇らしげにさえ、見え申した」


「誇らしげ、とは」


「これまで、あちらの家中で、心を許せる者が、一人もおらなんだ御方にござります。ようやく、頼れる相手ができた、と。それを、家中の皆に、見せつけたい、という気持ちが、透けて見え申した」


その言葉に、わたしは、静かに、頷いた。侮られ続けてきた者の、その渇きの深さを、あらためて、思い知らされる心地がした。


「あの御方の、暮らし向きは、いかなるものか」


わたしが、そう続けて訊ねると、弥七は、少し、考えるような顔をした。


「棚ぼたで、家名だけを、押し付けられた身にござります。屋敷そのものは、それなりの構えにござりますが、蔵の中は、思うたよりも、寂しいものにて。先代の代から仕えておった、古参の家臣どもに、蔵の切り盛りを、実のところ、握られておるようにて」


「その古参どもは、あの御方を、どう見ておる」


「表向きは、しかと、頭を下げており申す。ですが、目の奥は、冷ややかにて。『所詮、傍流上がりの若造』という、そういう色を、隠しきれておりませぬ」


弥七のその報告に、わたしは、静かに、頷いた。


「日取りは」


「来月の、十日過ぎ。あちらの屋敷にて、正式に、お迎えする、との仰せにござります」


わたしは、深く頷いた。長らく、待ち続けた甲斐が、確かに、あったようだった。数えることに慣れたこの頭でも、この日を、心のどこかで、待ち望んでいたのかもしれなかった。


「よい首尾だ。この調子で、頼む」


「畏まって、ござります」


弥七は、そう言うと、静かに、頭を下げた。


「あと一つ、申し上げておきたきことが」


「なんだ」


「あちらの家中には、既に、手前が、弥九郎様の遣いだということが、しかと、知れ渡っており申す。低い身分ながら、それなりの筋目の者だという扱いを、既に、受けており申す」


その言葉に、わたしは、静かに、頷いた。名目だけの、低い武士の身分を与えておいたことが、じわりと、効きはじめていた。


「陶石の道は、いかがしておる」


わたしは、そう訊ねた。この一件のもう一つの狙いを、忘れたわけではなかった。


「変わらず、砥部の職人たちの手で、続いており申す。あちらの代官殿は、その手の細かい商いには、そもそも、目が届いており申さぬ。誰が仕入れ、誰が運んでおるか、あちらは、ほとんど、気にも留めており申さぬ様子で」


「それは、好都合だ。目が届かぬということは、こちらが、いくらでも、後から、その道筋に、手を入れられる、ということだ」


わたしが、そう言うと、弥七は、深く頷いた。


「仰せのとおりにござります。手前も、そのつもりで、あちらの蔵の様子を、それとのう、見て回っており申す」


「よい心がけだ。殿が御挨拶に赴かれる日まで、あと一つ、頼みたきことがある」


わたしが、そう続けると、弥七は、静かに、次の言葉を待った。


「あちらの家中の、古参どもの顔ぶれを、しかと、頭に入れておいてくれ。誰が、あの御方を、いちばん強く、侮っておるか。誰なら、こちらの側に、いずれ、引き込めそうか」


「畏まって、ござります。既に、幾人か、目星は、付けており申す」


「聞かせてくれ」


わたしが、そう促すと、弥七は、静かに、頷いた。


「筆頭家老格の、戸田図書という老臣が、いちばん、あの御方を、快う思うており申さぬ。先代の代から、四十年近く、あの家に仕えてきた男にて。『傍流の若造に、この家を、任せられるものか』と、家中の若い者どもの前でさえ、隠さず、そう漏らしておるとか」


「その戸田という男は、代官殿の代替わりで、何か、失うたものが、あるのか」


わたしが、そう訊ねると、弥七は、深く頷いた。


「先代の折には、蔵の勘定から、普請の差配まで、ほとんど、あの男が、一手に、握っており申した。いまの代官殿は、そこまで、まだ、手が回っておられませぬゆえ、表向きは、変わらず、戸田が、実務を、握ったままにて。ですが、いずれ、代官殿御自身が、力を付けられれば、その座を、脅かされる。あの男は、それを、恐れておるようにも、見え申す」


「なるほどな。侮りの裏に、失うことへの怯えが、隠れておるわけだ」


「もう一人、若い側近に、能勢新六という男がおり申す。こちらは、代官殿と、齢も近く、他の古参どもとは、いくらか、距離を置いておるようにて。あの男なら、いずれ、こちらの側に、引き込める見込みも、ござりましょう」


その報告に、わたしは、静かに、頷いた。


「その二人の名、しかと、覚えておこう。戸田は、当面、遠ざけておくよりほかあるまい。能勢のほうは、いずれ、使い道が、出てこよう」


「頼もしいことだ」


「殿が、御挨拶に赴かれる折、それとのう、御耳に入れておきましょう。座に着いた者どもの、目つき一つで、誰が敵で、誰が使えるか、殿ならば、しかと、見極められましょう」


その言葉に、わたしは、微かに、頷いた。


「弥九郎様は、人の目つきを読むことに、長けておられる。戦場で、幾度も、それで、命を拾うてこられた御方だ」


弥七は、そう言うと、静かに、頭を下げた。来たときと同じように、音もなく、闇の中へ、姿を消した。


---


翌朝、朝餉の膳を、並べて、弥九郎に、この日の首尾を、あらためて、報告した。


「日取りが、決まったか」


弥九郎が、そう訊ねた。


「はい。来月の十日過ぎにござります。あちらの屋敷にて、正式に、お迎えする、との仰せにて」


「早いな」


「あちらが、待ちきれぬ、ということにござりましょう」


わたしがそう答えると、弥九郎は、微かに、笑った。


「して、儂は、何を、心得ておけばよい」


「殿には、これまでどおり、堂々とした礼を、尽くしていただくのみにて。ただ、一つ、加えておきたきことが」


「なんだ」


「あちらの家中には、殿を、内心、侮る者も、おりましょう。ですが、殿御自身は、その目つきに、決して、動じてはなりませぬ。動じれば、それこそ、あちらに、こちらの値打ちを、見くびられまする」


その言葉に、弥九郎は、深く頷いた。


「案ずるな。戦場で、幾度も、そういう目つきには、慣れておる」


「頼もしいことにござります。もう一つ、弥七から、聞き及んでおることが」


わたしは、そう続けた。


「なんだ」


「あちらの家中に、戸田図書という、筆頭家老格の老臣がおり申す。先代の代から仕えてきた男で、いまの代官殿を、いちばん、強う、侮っておるとか。この者には、決して、深入りなさいませぬよう」


「侮っておる相手には、近寄らぬほうがよい、ということか」


「はい。あの手の男は、こちらが下手に出れば出るほど、かえって、増長いたしまする。挨拶の場でも、目が合うたところで、殊更に、気に留める必要は、ござりませぬ」


「もう一人、若い側近に、能勢新六という男がおるとも、聞いており申す。こちらは、いずれ、使い道が、出てまいりましょう。ただし、此度は、まだ、名を覚えるだけで、十分にござります」


その言葉に、弥九郎は、深く頷いた。


「二人の名、しかと、覚えておこう。戸田には、深入りせず、能勢には、それとのう、目を配る、というわけだな」


「さようにござります」


わたしがそう言うと、弥九郎は、少し、考えるような顔をした。


「贈り物は、何を、持たせる」


「白磁の器を、幾つか。清酒も、一樽。あまり、豪勢すぎては、かえって、あちらの気位を、削ぎましょう。ほどよい塩梅の品にて」


「相変わらず、細かいところまで、勘定しておるな」


弥九郎が、そう言うと、わたしは、微かに、笑った。


「細かいところを見落とせば、大きなところで、しくじりまする」


「よかろう。日取りまで、いま少し、間がある。それまでに、支度を、整えておこう」


弥九郎が、そう言うと、わたしは、深く頭を下げた。


---


その日の昼下がり、浜へ降りると、別子からの荷船が、着いていた。伊佐次が、舳先に立って、水夫たちに、指図している。


荷揚げされる銅の塊は、黒く、重く、まだ、粗い肌をしていた。積み上げられるたびに、板の桟橋が、低く、軋んだ。


「銅の出も、いくらか、落ち着いてまいり申した。ですが、坑道の奥、新たな脈を、また一つ、見つけており申す」


「よい報せだ。木材の手当ては」


「輪伐の仕組みが、既に、根付いており申す。この分なら、しばらくは、心配ござりませぬ」


伊佐次は、汗を拭いながら、声を落とした。


「一つ、お耳に入れたきことが。通春様の御在京の支度にござります。船・荷駄の手配は、こちらで進めておりますが、御当主様御自身が、まだ、いささか、腰が引けておられるご様子で」


「殿には、お伝えしてあるか」


「はい。近々、あらためて、御説得に、赴かれるとのことにて」


「よし。あちらも、こちらも、急いてはならぬ。だが、遅れすぎても、いかぬ」


荷を担ぐ水夫たちの掛け声が、浜に響いていた。砥部の一件は、緒に就いたばかり。通春様の在京も、まだ、腰が定まらぬ。木綿の帆も、まだ、試しの段。いっぺんに、あまりに多くの糸を、手繰らねばならぬ息苦しさを、わたしは、潮の匂いと一緒に、飲み込んだ。それぞれの糸は、確かに、少しずつ、前へと、進んでいた。


---


入れ替わりに、幸松が、館を訪れた。手には、新しい綿糸の束を、抱えていた。


「千代様。厚手の糸、少しずつ、太さが揃うてまいり申した」


幸松が、そう報告した。


「機織りの女たちの、腕も、上がってきたか」


「はい。たねを筆頭に、幾人か、糸の撚りを、指先だけで、見分けられるようになってまいり申した。ただ、まだ、帆に使えるだけの、厚み・堅さには、届いており申さぬ」


「試しに、一枚、織らせてみたか」


わたしが、そう訊ねると、幸松は、少し、考えるような顔をした。


「まだ、そこまでは。手前としては、いま少し、糸そのものを、確かなものにしてから、機にかけとうござります。急いて、無駄な布を、幾枚も、織ることは、避けとうござります」


「そなたの、その慎重さは、正しい。だが、いつまでも、糸だけを、見つめておるわけにも、まいらぬ。年明けにでも、一度、試しに、織らせてみるがよい。しくじりから、学べることも、多かろう」


その言葉に、幸松は、深く頷いた。


「畏まって、ござります。年明けを、目処に、一枚、織らせてみましょう」


「頼む。裂けても、破れても、それもまた、確かな一歩だ」


わたしがそう言うと、幸松は、微かに、笑った。


「たねも、同じことを、申しておりました。『やってみねば、どこが足りぬかも、分からぬ』と」


「よい女子だ。そなたの下で、確かに、育っておるようだな」


幸松は、そう言われ、深く、頭を下げると、館を辞していった。


---


その足で、稽古場へ、様子を見に行った。亀吉が、十兵衛の指図のもと、若い常備兵を相手に、陣立ての稽古を、つけていた。


「亀吉は、近頃、いかがにござりますか」


わたしが、そう問うと、十兵衛は、少し、考えるような顔をした。


「陣立ての飲み込みは、相変わらず、確かにござる。ですが」


「ですが」


「あの者、船に乗っておるときのほうが、心なしか、生き生きとしておるように、見え申す。陸の陣立てより、海の間合いのほうが、性に合うておるのやもしれませぬな」


その言葉に、わたしは、静かに、頷いた。木綿の帆が確かなものになり、船上での組討ちの技を、いま少し磨いてやれば、亀吉の重心を、海の側へ、動かすこともできるだろう。だが、いまは、まだ、その時ではなかった。


「もう少し、陸で、鍛えていただきたく存じます。いずれ、然るべき折に」


「畏まって、ござる。それがしも、あの者の性分は、大事に、育ててやりたいと思うており申す」


十兵衛が、そう答えると、わたしは、深く頭を下げた。稽古場を後にしながら、頭の中で、この一党の、この先の陣立てを、静かに、思い描いた。幸松は陸、亀吉はいずれ海。それぞれの性分に合った場所を、確かに、見出していく。それもまた、この一党が、これまで、幾度も、繰り返してきたやり方だった。


---


館へ戻る途中、松吉と、行き会った。虎王丸の傅役に、正式に就いてから、まだ、日が浅い。その足取りには、以前よりも、幾分か、確かな重みが、加わっているように見えた。


「虎王丸様の、その後の御様子は、いかがか」


わたしが、そう問うと、松吉は、深く頭を下げた。


「日々、確かに、育っておられまする。範久様や、義重様の血筋にも、恥じぬように、しかと、お育て申し上げる所存にて」


「頼もしいことだ。そなたになら、安心して、任せられる」


わたしが、そう言うと、松吉は、少し、面映ゆそうな顔をした。


「手前のような者に、これほどの重い役目を、いただけるとは。この島に拾われた日には、思うてもみなんだことにて」


「京への荷の支度は、いかがか」


わたしが、そう続けて訊ねると、松吉は、頷いた。


「白磁と清酒、既に、選り分けを、終えており申す。あとは、殿が、御出立なさる日を、待つばかりにて」


「頼む。この一件は、決して、しくじるわけには、まいらぬ」


「畏まって、ござります」


松吉は、そう言われ、深く、頭を下げた。その後ろ姿を見送りながら、わたしは、この一党が、いつのまにか、確かな家中の重みを、持つに至ったことを、あらためて、実感した。かつて、手下の一人に過ぎなかった男が、いまでは、この一党の、次の世代を託される、確かな柱の一人になっていた。


---


その夜、綾の部屋を訪ねると、乳母に抱かれた娘が、すやすやと眠っていた。小さな手が、乳母の袖を、しっかりと、掴んでいる。その様子を、しばらく、二人で、見つめていた。


「まだ、名は」


綾が、そう訊ねた。


「殿が、いま少し、考えたいと、仰せで」


わたしが、そう答えると、綾は、微笑んだ。


「弥太郎の折も、随分と、迷うておられましたね」


「はい。ただ、あのときよりは、幾分、早う、お決めになりそうな気配にござります」


わたしが、そう言うと、綾は、静かに、頷いた。


「虎王丸も、いつのまにか、妹ができたことを、喜んでおりまする。まだ、抱くことは、できませぬが」


「良い兄になりましょう」


わたしが、そう答えると、綾は、深く頷いた。


「殿は、来月、砥部の代官殿へ、御挨拶に赴かれるとか」


綾が、そう続けた。


「はい。この一党の、これからを、左右する一歩にござります」


「殿ならば、しかと、務め上げられましょう」


綾のその言葉に、わたしは、静かに、頷いた。


「弥太郎も、虎王丸も、日々、確かに、育っておりまする。この島の先行きを思うと、心強いことにござります」


その言葉に、わたしは、少し、胸が温かくなった。数えることに慣れたこの頭でも、この子らの育ちだけは、勘定ではのうて、ただ、素直に、嬉しく思えることだった。


「千代殿は、御案じにござりますか。殿の、御挨拶のこと」


綾が、そう続けて訊ねた。


「案じてはおりませぬ。ただ、こればかりは、殿御一人の、御振る舞いに、すべてが、託されておりますゆえ」


「千代殿が、案じておられぬのなら、わたくしも、案じますまい」


綾は、そう言うと、静かに、微笑んだ。


「弥七という男のことも、殿から、少し、伺いました。楠木党の残党だとか」


「はい。忍びの技を持つ男にござります。此度の一件、あの者の、地道な働きあってこそ、ここまで、進んでまいりました」


「そういう、名の出ぬ働きをする者たちが、この一党には、幾人も、おりますね。松吉殿も、伊佐次殿も」


綾が、そう言うと、わたしは、深く頷いた。


「はい。表に立つ者だけでは、この一党は、決して、成り立ちませぬ。名の出ぬ働きを、しかと、数え、忘れぬこと。それも、わたくしの役目にござります」


その言葉に、綾は、静かに、頷いた。


綾が席を立つと、衣擦れが、静かに遠ざかった。乳母の腕の中で、娘が、小さく、身じろぎをした。日取りは、定まった。あとは、殿お一人の振る舞いに、すべてが懸かっている。その重さを、掌の上で、量り直しながら、わたしは、娘の寝顔を、しばらく、見ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。