六部 第一話 綿花と、実りつつある誼
永享四年(一四三二)十月 伊予国 怒和島 下怒和
秋の日差しが、まだいくらか強く、庭先に降り注いでいた。館の縁側で、わたしは、幸松が持ち帰った、一房の綿花を、手のひらに乗せていた。風に、微かに、潮の匂いが混じっている。
「これが、今年の出来にござります」
幸松が、そう言って、傍らに控えた。
「白さも、嵩も、去年よりずっと確かなものになっており申す。畑を広げた分も、しかと、実りにござります」
わたしは、その白い綿を、指先で、そっとつまんでみた。柔らかく、それでいて、繊維の一本一本が、しっかりと、絡み合っている。四年前、この土地に初めて種を蒔いたときには、これほどの出来になるとは、正直、誰も、思うてはいなかった。
「これほどの量が、これから毎年、確かに採れるようになれば」
「はい。厚手の糸に撚り、織り上げれば、帆に使えるだけの量に、そう遠くないうちに、届きましょう」
幸松が、そう、静かに、続けた。
「まだ、そこまでは、届かぬのか」
「もう一年か二年、畑を広げる時が要り申す。ですが、もはや、絵空事ではござりませぬ」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。数を数えることに慣れたこの頭でも、こうして目に見える形で、確かな実りが積み重なっていくのを見るのは、いつも、心が動かされることだった。
「新居郡の田畑と、糸を織る職人たちの手当ては」
「幸い、この二年、常備兵の入れ替えと並行して、機織りの手も、少しずつ、育ってまいりました。まだ、厚手の帆布を織るだけの技は、身についてはおり申さぬが」
「それも、いずれ、確かに、追いついてくるだろう。急いては、しくじる」
わたしが、そう言うと、幸松は、深く、頭を下げた。
「では、この綿は、しばらく、試しの糸として、使わせていただきとうござります」
「頼む。ときに、機織りのほうの手筈は、いかがしておる」
わたしが、そう訊ねると、幸松は、少し、考えるような顔をした。
「新居郡の女たちに、幾人か、機織りを覚えさせており申す。ですが、これまで織ってきたのは、着物や敷物の類。厚みも、目の詰まり方も、帆布とは、まるで違うもの。撚りを強くすれば、糸そのものが、切れてしまい申す」
「一朝一夕には、なかなか、参らぬか」
「はい。ですが、女たちの中には、既に、糸の太さを、指先だけで、見分けられる者も出てまいりました。数を数えるのと同じく、これも、積み重ねにござります」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。
「その者たちの名は、一人残らず、しかと、控えてあるか」
「はい。腕の立つ順に、帳へ」
「よい心がけだ。名もなき手が、いずれ、この一党の帆を、しかと、織り上げたのだとなれば、当人たちの励みにもなろう」
わたしが、そう言うと、幸松は、少し、驚いたような顔をしたのち、深く、頭を下げた。
「一人、際立って腕の立つ女がおり申す。名は、たね、と申しまして、もとは、鵜の子の出だとか。糸の撚りの強さを、指先だけで、寸分違わず、揃えられるそうにて」
「その者には、いずれ、他の女たちの、手ほどきの役目も、担わせるとよい」
「畏まって、ござります。たね自身も、乗り気なようで、既に、幾人か、若い娘を、傍らに置いて教えており申す」
その話を聞き、わたしは、静かに、頷いた。技を一人で抱え込まず、次の担い手へと、確かに、渡していく。それもまた、この一党が、これまで、幾度も繰り返してきた形だった。刀鍛冶の正俊と清光、酒造りの職人たちも、皆、そうして、後に続く手を育ててきた。この綿花の道もまた、いずれ、同じように、確かな流れを作っていくのだろう。
「では、この綿は、しばらく、試しの糸として、使わせていただきとうござります」
「頼む」
幸松が、館を辞していく後ろ姿を見送りながら、わたしは、手の中の綿を、しばらく、見つめ続けた。この一房が、いずれ、この一党の船団の帆を、丸ごと覆うほどの量になる日が来る。数えることに慣れたこの頭でも、その日付までは、まだ、はきとは、見通せなかった。
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夕刻、庭先で、弥太郎が、木刀の素振りを、繰り返していた。腰が、まだ、幾分、浮いている。指南役に、幾度も、同じ指摘を受けているはずだったが、なかなか、身につかぬようだった。それでも、悔しそうな顔をしながら、幾度も、幾度も、構え直している。
「あれも、いずれ、腕を上げましょう」
わたしの傍らに立った綾が、そう言った。
「はい。まだ、五つにござりますが、飲み込みは、早いようで」
わたしが、そう答えると、綾は、静かに、微笑んだ。
「虎王丸も、負けじと、励んでおりまする。あの二人が、並んで育っていく様は、見ていて、飽きませぬ」
「はい。この島が、いずれ、あの子たちの手に、しかと、渡っていく日のことを思うと」
わたしは、そう言いながら、乳母に抱かれた、まだ首も据わらぬ、もう一人の娘の顔を、そっと覗き込んだ。名は、まだ、決まっていなかった。弥九郎が、帰島の折に「殿に、お選びいただきとうござります」と願ったきり、日々の忙しさに紛れ、そのままになっていた。
「名を、まだ、お決めになっておられぬのは」
綾が、そう問うと、わたしは、少し、苦笑した。
「殿が、あれこれと、迷うておられるようで。急かすまいと、思うております」
「殿らしゅうござりますね」
綾が、そう言って、微笑んだ。この子もまた、いずれ、この一党の一員として、それぞれの場所を、見つけていくことになるのだろう。数えることに慣れたこの頭でも、この子らの行く末までは、まだ、はきとは、数え切れなかった。
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その夜、皆が寝静まったころ、わたしは、独り、庭の隅で、一人の男を、待っていた。
「弥七、参りました」
暗がりから、音もなく、あの男が、姿を見せた。此度の帰島から、既に、四月あまりが経っていた。此度の役目のため、弥九郎家中の、名目だけの、低い武士の身分を、あらかじめ与えてある。素性を隠す忍びの身であることに変わりはなかったが、それがあれば、代官の屋敷への出入りにも、いくらか、無理が利いた。
「久しいな。あれから、どうしておった」
わたしが、そう声をかけると、弥七は、静かに、頭を下げた。
「仰せのとおり、急がず、腰を据えて、砥部の代官のもとへ、幾度も、通うており申した」
「首尾のほどは、いかがか」
「はい。手前は、弥九郎様の家中の者にござりますが、いずれ、通春様の御下で、貴殿が栄達なさるであろうと見込み、内々に誼を結ばせていただきたく参上いたしました——そう申し上げて、まずは、貢物を持ち、顔を繋ぎ申した」
弥七が、そう続けた。
「向こうの様子は」
「思うたとおりの御仁にござりました。棚から転がり込むようにして、戒能の家名を継いだ身の上ゆえ、家中に、心を許せる者が、まだ、あまりおらぬようで。手前のような、下手に出て通う者を、むしろ、喜んで迎え入れており申す」
その報告に、わたしは、静かに、耳を傾けた。教通方族滅の直後、まだ砥部の跡目が定まる前から、わたしは、あの土地の行く末を、読んでいた。長らく、同じ人物が治め、これまでは、宗家側の有力な武士が任されてきた、あの砥部の地。生半可な者には、任せられぬはずの土地だからこそ、身内でありながら、通春に借りのある、御しやすい人物が、いずれ、都合よく、据えられるはずだった。その読みのままに、跡目が正式に定まるより先んじて、弥七を、送り込んでおいたのだ。あらためて、その符合を、思い返した。
「先だっての文には、既に、目をかけてもらえるようになった、とあったが」
「はい。此度の秋、あちらから、手前を、私邸の宴に、幾度か、招くようにさえ、なり申した。手前のような、身分低き者を、わざわざ、そこまで引き立てるのは、それだけ、心を許してくれておる証にござりましょう」
弥七の声には、静かな確信があった。
「向こうは、どのような話を、そなたに」
「愚痴が、多うござります。家中の年寄りどもが、自分を、いつまでも、傍流上がりの若造としか見ておらぬ、と。守護の重臣筋からも、軽んじられておる、と。手前は、ただ、黙って、うんうんと頷き、時折、『貴殿ほどの御方が、なぜ、そこまで侮られねばならぬのか』とだけ、申し上げており申す」
「それだけで、懐くものか」
わたしが、そう問うと、弥七は、微かに、笑ったようだった。
「侮られておる者ほど、そう言うてくれる相手に、飢えておるものにござります。それが、たとえ、身分の低い、名目だけの武士の言葉であっても」
その言葉に、わたしは、静かに、頷いた。人の弱さの、ちょうどよい隙間に、指を差し込む——それは、力でも、技術でもなく、この男が、幾年もかけて、身につけてきた、また別の種類の技だった。
「次の一手は」
わたしは、そう訊ねた。
「はい。もう、頃合いかと存じます。手前どもの頭・弥九郎様を、一度、御挨拶に参らせましょう、と持ちかけようと思うており申す」
「気を悪くはせぬか。急ぎすぎておらぬか」
わたしが、そう問うと、弥七は、少し、考えるような間を置いてから、答えた。
「いえ。あちらは、むしろ、待ち望んでおりましょう。弥九郎様のような、名の知れた御方が、じきじきに、御挨拶に来てくださるとなれば、家中における、あの御方自身の顔も、立ちましょうゆえ」
その読みに、わたしは、静かに、頷いた。
「では、その線で、進めてくれ。ただし——」
わたしは、少し、間を置いてから、続けた。
「殿御自身が赴かれる折には、決して、卑屈な態度を、お取りいただくわけにはいかぬ。戒能の家格を、しかと、立てた、堂々とした礼を、尽くしていただく」
「畏まって、ござります。手前が、あちらへ、その旨も、それとのう、伝えておきましょう。『弥九郎様は、いつも、あのように、御立派な御方じゃ』と、あちらの目に、しかと、そう映るように」
弥七の、その物言いに、わたしは、微かに、笑みがこぼれるのを感じた。
「頼もしいことだ」
「勿体なきお言葉にござります」
弥七は、そう言うと、深く、頭を下げた。
「畏まって、ござります」
弥七は、そう言い残すと、来たときと同じように、音もなく、闇の中へ、姿を消した。
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翌朝、井戸端で顔を洗う弥九郎に、ここまでの首尾を、あらためて、報告した。
「砥部の代官が、弥七に、すっかり気を許しておるとな」
弥九郎が、そう訊ねた。
「はい。棚ぼたで家名を継いだ身の上ゆえ、家中に、心を許せる者が、あまりおらぬようで。そこに付け込む形にて」
「それで、俺に、挨拶に行けと」
「はい。ですが、殿。これは、ただの挨拶では、ござりませぬ」
わたしは、そう続けた。
「では、何だ」
「先だっての一件で、教通方に付いていた戒能の本流は、族滅に巻き込まれ、滅びました。あの代官は、その傍流にすぎず、いずれ、周りの目も、見劣りのする、棚ぼたの跡取りだと、しかと、そう定まりましょう」
弥九郎は、腕を組み、黙って、続きを促した。
「されど、それゆえに、この一党にとっては、この上ない代官にござります。力のある者を据えられれば、こちらの入り込む隙はござりませぬ。侮られ、心細く、誰かに縋りたがっておる者だからこそ、弥七のような者が、そっと、寄り添えるのです」
「それだけの手間を、かけるだけの値打ちが、あの土地に、あるのか」
弥九郎が、そう訊ねた。
「はい。砥部は、あの白磁の陶石を仕入れる地にござります。河野氏の領内にある以上、正式な仕入れは、いつも、政のご機嫌次第。此度のように、宗家の内訌一つで、仕入れ先の代官が、丸ごと入れ替わることも、ままござります」
「材料の道が、政に振り回される、ということか」
「はい。あの地を、裏から、しかと、押さえられれば、白磁の陶石が、ふいに途絶える心配は、二度とせずに済みましょう」
その言葉に、弥九郎は、深く頷いた。
「政と、商いと。二重に、しかと、押さえておくわけだな」
「はい」
「その先は」
弥九郎が、そう訊ねた。
「いずれ、通春様には、京へ、お出でいただこうと、思うており申す。殿が、このまま、伊予に留まっておられれば、それこそ、周りに、要らぬ勘繰りをされましょう。この一党は、あくまで、殿御自身が伊予国内で、じかに、実権を握るのではのうて——」
わたしは、そこで、少し、間を置いた。
「あの代官のような、御しやすい人物を、いずれ、正式な守護代の座にまで、押し上げる。その裏で、この一党が、実を、静かに、握り続ける。それが、この一件の、しかと、行き着く先にござります」
その言葉に、弥九郎は、しばらく、黙って、わたしの顔を、見つめていた。
「代官から、守護代にまで、か。随分と、先の話をしておるな」
「はい。ですが、種は、いま、蒔いておかねば、間に合いませぬ。此度の挨拶は、その、最初の一歩にすぎませぬ」
「なるほどな。それで、俺には、まず、挨拶に行けと」
「はい。ただし、殿には、決して、卑屈な態度を、お取りいただきたくはござりませぬ」
わたしが、そう続けると、弥九郎は、少し、意外そうな顔をした。
「取り入るための挨拶ではないのか」
「取り入るのは、弥七にござります。殿は、あくまで、戒能の家格を立てた、堂々とした礼を、尽くしていただきたいのです。殿御自身が、へりくだった様を見せれば、かえって、この一党全体の値打ちが、下がりましょう」
その言葉に、弥九郎は、しばらく、考え込んでいたが、やがて、深く頷いた。
「なるほどな。俺が、しかと、器を見せてこそ、弥七の口添えにも、重みが増す、ということか」
「さようにござります」
わたしが、そう答えると、弥九郎は、微かに、笑った。
「相変わらず、細かいところまで、勘定しておるな、お前は」
「細かいところを見落とせば、大きなところで、しくじりまする」
わたしが、そう言うと、弥九郎は、声を立てて、笑った。
「よかろう。近いうちに、行ってこよう」
「あわせて、殿。もう一つ、お耳に入れておきたきことが」
わたしは、そう続けた。
「なんだ」
「新居郡の綿花にござります。幸松の見立てでは、あと一年か二年のうちに、帆に使えるだけの量が、確かに、届きましょう」
弥九郎は、それを聞いて、深く頷いた。
「筵の帆とは、いよいよ、別れの時が来るか」
「はい。それが、いずれ、この一党の水軍そのものを、大きく、変えることになりましょう」
わたしは、そう言いながら、頭の中で、静かに、この先の絵図を、数え直していた。砥部の代官、京の通春様、新居郡の綿花。まだ、どれも、種を蒔いたばかりの段に過ぎなかった。だが、数えることに慣れたこの頭は、この一つ一つの糸が、いずれ、どのように、絡み合っていくのかを、既に、おぼろげながら、思い描きはじめていた。
「して、その代官のもとへ、いつ、赴けばよい」
弥九郎が、そう訊ねた。
「弥七の文が、いま少し届いてからにござります。あちらの心持ちが、しかと、整うてから動いたほうが、無駄がござりませぬ」
「相変わらず、急がぬな、お前は」
「急いた分だけ、後で、綻びが出まする。此度は、その綻びを、決して、出したくはござりませぬ」
わたしが、そう言うと、弥九郎は、深く頷いた。
「戒能の家名を、しかと、立てた挨拶か。俺自身、そういう出方は、嫌いではない」
「殿には、いつも、そのように、堂々としていただきとうござります。それが、この一党にとって、何よりの看板にござりますゆえ」
わたしが、そう答えると、弥九郎は、微かに、笑った。
「看板か。俺は、ただの男に過ぎぬがな」
「その、ただの男が、いまでは、六島・因島・能島・来島、そして響灘までを、その名の下に、束ねておりまする。並の男に、務まる話ではござりませぬ」
その言葉に、弥九郎は、しばらく、黙っていたが、やがて、静かに、口を開いた。
「お前が、そう言うのなら、そうなのだろうな」
「はい」
わたしは、そう短く答えた。数えることに慣れたこの頭は、こうした一言のやり取りの中にも、いつも、確かな重みを、量りながら、聞き取っていた。
「お前が、そうやって、先を見据えておるあいだ、俺は、目の前のことを、一つずつ、こなしていくとしよう」
弥九郎が、そう、あらためて、言った。
「よろしゅう、お願いいたしまする」
弥九郎が、立ち上がって、障子を開けた。庭では、弥太郎の木刀が、まだ、同じ拍子で、空を切っている。三日の後には、船が出る。それまでに、数えておくことを、わたしは、頭の中で、順に、並べ直した。




