↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
潮を編む――滅んだ小領主の娘、唐土に売られ、海賊の妻となる  作者: ハタ星人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
156/168

第三十九話 交わす杯

永享四年(一四三二)五月 筑前国 大内方陣中


戦を終えた弥九郎方と、大内方の主だった者たちとのあいだで、正式に、杯を交わす宴が、催されることになった。この報せは、帰路につく直前の弥九郎から、館へ届いた文で、詳しく知ることができた。


文には、こう記されていた。


「大内方の重臣格の御方が、われらの働きに、正式な謝意を述べられた」


---


その重臣は、名を、内藤某といった。大内家中でも、さほど名の通らぬ御方だった。


「此度の助勢、まことに、大内家にとって、確かな支えとなり申した」


内藤は、そう述べたという。


「盛見様を失うた我が家中にとって、弥九郎殿方の踏みとどまりは、単なる助勢以上の、確かな信となり申した」


その言葉を、弥九郎は、文に、丁寧に、書き記していた。


---


「今後も、誼を通じたい」


内藤は、そう申し出たという。伊予国内に留まらない、より広い関係の芽が、ここで、確かに、示されていた。


わたしは、その文を、何度も、読み返した。かつて、勝ち戦への招待として仕込んだ、あの一手が、いま、こうして、個人的な信頼にまで、育っていた。


---


文には、続けて、郷田十兵衛のことも、記されていた。


「十兵衛が、此度の戦を通じて、俺の陸戦の腕と、指揮官としての器とを、それぞれ、静かに、認めてくれた」


弥九郎は、そう書いていた。


「あの男に、初めて会うたときには、俺は、まだ、船の上でしか、力を発揮できぬ男だった。だが、いまは、陸でも、多少は、通じるようになったと、そう思う」


その一文に、わたしは、深く、感慨を覚えた。この一党が、幾年もかけて、少しずつ、積み上げてきた技と、縁とが、いま、こうして、確かな形になって、返ってきていた。


文には、さらに、こう続けられていた。


「村上孫六も、此度の戦、大いに手柄を立てた。三島の主として、その名を、さらに、確かなものにしたようだ」


「正俊の一振り——村正——も、宴の席で、大いに評判になった。いずれ、大内方から、注文が入るやもしれぬ」


その一文に、わたしは、微かに笑った。あの若い刀匠が、こうして、遠い九州の地でも、その腕を、認められはじめていた。


「彦次や、幸松、亀吉たちも、しかと、役目を果たした。皆、無事だ」


その一文に、わたしは、深く、安堵の息を吐いた。


---


宴の様子も、文には、詳しく記されていた。


「進物として、こちらからは、白磁の器に、灰澄ましの清酒を注いだものと、正俊の一振りとを、あらためて贈った。あちらからは、九州の名産の品々を、幾つも、頂戴した」


「あの清酒には、皆、驚いておられた。透き通った白磁の杯に、同じく透き通った酒が注がれる様は、なるほど、他では、なかなか見られぬものであろう。銘は何かと、幾人もの方に、訊ねられたぞ」


その一文に、わたしは、頬が緩むのを感じた。新居郡で試しに始めた酒が、幾度もの加減の探り直しを経て、ようやく、こうして、遠国の宴の席でも、確かな評判を得るまでになっていた。まだ、蒸留までは、手が届いていない。だが、この澄んだ一杯だけでも、十分に、この一党の新しい顔になりうる。そう、頭の中の帳に、静かに、書き加えた。


「宴の席では、盛見様を失った悲しみと、それでも前へ進まねばならぬという、確かな決意とが、同時に、あちらの家中にも、滲んでおった」


その一文を読みながら、わたしは、遠い九州の地の、その情景を、頭の中に、静かに、思い描いた。


---


館に残るわたしのもとへ、伊佐次が、あらためて、詳しい報告に来た。


「殿は、御機嫌そうにて」


伊佐次が、そう言った。


「帰路の支度は」


「既に、整っております。あと十日もすれば、島へ、お戻りになりましょう」


その報せに、わたしは、深く、安堵の息を吐いた。


---


その日の午後、正俊の一振り——村正——が、宴の席で評判を得たという話を、あらためて、伊佐次から、詳しく聞いた。


「大内方の重臣の一人が、その一振りを、しかと、手に取り、幾度も、感嘆の声を漏らしたとの由」


伊佐次が、そう言った。


「切れ味だけでなく、その銘に込められた由来にも、興を持たれたようにて」


「由来、とは」


わたしが、そう訊ねると、伊佐次は、答えた。


「楠木氏の末裔の伝承を持つ、伊勢の刀匠の技と、備前長船の技とが、一つに、合わさった一振りだと、殿御自身が、そう、語られたとの由」


その話に、わたしは、深く、感じ入った。かつて、対立していた二つの技が、いま、こうして、遠い九州の宴の席でも、確かな評判を得ていた。


「正俊殿は、この評判を、いかに」


「戸惑いながらも、深く、喜んでおられるとの由。いずれ、大内方から、正式な注文が入るやもしれぬと、殿も、そう見立てておられます」


その報せに、わたしは、少し、誇らしい思いを抱いた。


---


「彦次たちの働きについても、詳しゅう、聞かせてくれ」


わたしが、そう続けて訊ねると、伊佐次は、答えた。


「彦次は、常備兵の中でも、既に、確かな頭角を、現しつつあります。郷田十兵衛殿からも、目をかけられておるとの由」


「かつて、鵜の子で、こちらを退けた、あの彦次が」


「はい。七年、根無し草として、流れ続けた末に、いまでは、この一党の、確かな戦力の一人となっております」


その話に、わたしは、深く、感慨を覚えた。人の縁というものは、時に、思いも寄らぬ形で、結び直されるものだった。


「幸松や、亀吉たちは」


「二人とも、それぞれの持ち場で、しかと、役目を果たしております。幸松は、新居郡の差配のみならず、此度の戦でも、兵站の差配に、確かな腕を、見せたとの由」


その報せに、わたしは、深く頷いた。この島で育った子らが、それぞれの形で、着実に、この一党の柱に、育ちつつあった。


---


その夜、綾のもとを訪ねた。この文の内容を、かいつまんで伝えた。


「大内様との縁が、これほどまでに、深まったのですね」


綾が、そう言った。


「はい。伊予国内に留まらない、より広い関係の芽が、確かに、育ちました」


「殿も、御立派に、務めを果たされたのですね」


その言葉に、わたしは、深く頷いた。


---


「殿の帰りが、待ち遠しゅうござりますね」


綾が、そう続けた。


「はい。弥太郎も、毎日、湊で、船の行方を、目で追っております」


わたしが、そう答えると、綾は、微笑んだ。


「この戦が、無事に終わったことを、まずは、しかと、喜びましょう」


「それに」


綾は、少し、照れたような顔をして、続けた。


「殿がお戻りになる頃には、また、一人、増えておるやもしれませぬ」


「四人目にござりますか」


わたしが、そう言うと、綾は、深く頷いた。


「はい。この島で、これほど多くの子を、授かることになろうとは、正直、思うており申さなんだ」


「賑やかな家にござりますね」


「賑やかで、よろしゅうござります。子らの声が絶えぬ館は、それだけで、確かな福にござりますゆえ」


その言葉に、わたしは、深く頷いた。


---


夜、灯芯を整えながら、帳に、この日のことを書き留めた。


戦を終え、大内方と、正式に杯を交わす。内藤某、正式な謝意を述べ、今後の誼を申し出る。郷田十兵衛、殿の陸戦の腕と器を、静かに認める。帰路の支度、整う。あと十日ほどで、帰島の見込み。


書き終えて、しばらく、その一行を見つめた。この長い戦いが、ようやく、確かな形で、終わろうとしていた。その先に、この一党が、どのような景色を見ることになるのか、いまは、まだ、はきとは、分からなかった。


その日の午後、範久様と、定行にも、この報せを、あわせて伝えた。


「殿方、皆、御無事にて、間もなく、お戻りになります」


その報せに、二人とも、深く、安堵の顔を見せた。


「これで、ようやく、この長い戦いにも、区切りが、つくのですね」


範久様が、そう言った。


「はい。ですが、区切りがついても、この一党の歩みは、まだ、終わりませぬ」


その答えに、範久様は、深く頷いた。


その日の夕方、綾も、この報せを聞き、赤子を抱いたまま、部屋を訪れた。


「殿方、皆、御無事にて、間もなく、お戻りになるとのこと。まことに、ようございました」


綾が、そう言った。


「はい。長い戦いにござりましたが、確かな実を、結んでまいりました」


「大内様との縁、村上一党の手柄、正俊殿の一振りの評判。数えれば、この一戦は、幾つもの実りを、この一党にもたらしたのですね」


綾が、そう続けると、わたしは、深く頷いた。


「はい。犠牲も、ござりました。ですが、その犠牲を、決して、無駄にはいたしませぬ」


その言葉に、綾は、深く頷いた。


「範久も、定行も、此度の留守居を、しかと、務め上げました。この島の、次の世代が、着実に、育っておること、あらためて、嬉しゅうござります」


「はい。皆様の、これまでの導きがあってこそにござります」


わたしが、そう言うと、綾は、微かに笑った。


「わたくし一人の手柄では、ござりませぬ。千代殿の、日々の導きあってこそにござります」


---


義重が去ったあと、わたしは、独り、館の縁側に座り、あと十日ほどで戻るという、弥九郎のことを、静かに、思った。長い戦いの末、この一党は、瀬戸内から北九州までを、確かに、束ねるまでになっていた。だが、その広がりの先に、まだ、何が待っているのか、いまは、まだ、誰にも、分からなかった。


弥太郎が、湊のほうから、駆け足で、戻ってくる音がした。


「母上、父上の船は、まだ、見えませぬか」


弥太郎が、そう、息を弾ませながら、訊ねた。


「もう少しの辛抱にござります。あと十日もすれば、きっと、お戻りになりましょう」


わたしが、そう答えると、弥太郎は、少し、残念そうな顔をしながらも、深く頷いた。その素直な姿に、わたしは、少し、心が、和むのを感じた。


その夜遅く、円秀からも、九州へ送った薬の、最後の報告が届いた。


「傷を負うた者たちの多くが、既に、快方に向かっておるとの由」


円秀が、そう言った。


「亡くなった者は」


わたしが、そう訊ねると、円秀は、少し、声を落とした。


「幾人か、ござりました。ですが、これまでの戦に比べれば、その数は、いくらか、少のうござります」


その報せに、わたしは、深く、息を吐いた。


「その者たちの、家族への支えも、しかと、頼む」


「はい。しかと、心得ており申す」


円秀は、深く、頭を下げた。


---


翌朝、正俊と清光も、あらためて、館を訪れた。


「殿の御佩刀、此度の長い戦を、しかと、乗り越え、御守りくださいましたか」


正俊が、そう訊ねた。


「はい。御無事に、この決着まで、辿り着かれました」


わたしが、そう答えると、正俊は、深く、安堵した顔を見せた。


「殿がお戻りになったら、あらためて、御佩刀の手入れを、丁寧に、いたしとうござります」


「頼む。この一振りが、これからも、殿を、しかと、守り続けてくれるように」


その言葉に、正俊は、深く、頭を下げた。


夜、灯芯を整えながら、この日の出来事を、あらためて、帳に、丁寧に書き加えた。義重との遣り取り、弥太郎の素直な問い、円秀からの報告、正俊の願い。数えるべきことは、この長い戦の終わりが見えてきたいまも、絶えることがなかった。


その後、範久様も、あらためて、館を訪れた。


「殿が、お戻りになったら、しかと、御礼を、申し上げとうござります」


範久様が、そう言った。


「御礼、とは」


「留守のあいだ、それがしと、定行とが、しかと、この島を、支えられたのは、殿が、遠く九州の地で、戦い続けてくださったからにござります。その御苦労に、しかと、報いとうござります」


その言葉に、わたしは、深く、感じ入った。この幼い当主が、いつのまにか、感謝の心を、正しく、言葉にできるまでに、育っていた。


「範久様の、その言葉、殿も、きっと、お喜びになりましょう」


わたしが、そう答えると、範久様は、深く頷いた。


その後、定行も、新居郡から、戻る船の支度を整えるため、館を後にした。この島の、それぞれの持ち場にいる者たちが、皆、殿の帰りを、心待ちにしていた。


その夜、独り、館の奥の一室で、この長い戦の、これまでの歩みを、あらためて、丁寧に、帳に、書き記した。大内盛見討死の報せに始まり、白水三郎との決着、そして、大内方との、確かな杯。数えれば、この一年あまりで、この一党は、あまりに、多くのことを、成し遂げていた。


「殿が、お戻りになったら、しかと、この歩みを、労わねばなりませぬ」


わたしは、独り言のように、そう呟いた。数えることに慣れたこの頭でも、この長い戦の重みだけは、簡単には、数え切れなかった。


弥太郎の寝息が、隣の間から、静かに聞こえてきた。この子が、父の帰りを、あと十日、辛抱強く、待ち続けることになる。その様子を思うと、わたしは、少し、微笑ましい気持ちになった。灯を消しても、しばらくのあいだ、目は冴えたままだった。頭の中では、あと十日という日数が、幾度も、繰り返し、数え直されていた。その日数が、少しでも早く、過ぎ去ることを、静かに、願わずにはいられなかった。夜は、そうして、静かに、更けていった。庭先の木々を渡る風の音だけが、いつまでも、耳に、残っていた。


その音を聞きながら、わたしは、ようやく、深い眠りに落ちていった。夢の中でも、あと十日という日数だけは、静かに、繰り返し、数え続けられていた。目覚めれば、また、一日分、その数が、確かに、減っているはずだった。その積み重ねの先に、殿の帰る日が、確かに、待っていた。夜は、静かに、更けていった。庭の草木も、この静けさの中で、確かに、育ち続けていた。その成長の速さだけは、数えても、数えても、追いつけない気がした。


外では、五月の穏やかな風が、静かに吹いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。