第三十七話 荷は荷じゃ、と言った男
永享四年(一四三二)四月 響灘
潮の満ち引きを見極め、退路を絞るという、最後の一手が、実行に移された。その報せは、数日後、響灘の陣から戻ってきた伊佐次自身の口から、直に、語られることになった。
「白水三郎、ついに、討ち取られ申した」
その一報に、館じゅうが、静かに、そして深く、沸き立った。
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「詳しゅう、話してくれ」
わたしが、そう促すと、伊佐次は、語りはじめた。
「地の者から聞き出した、あの入り江。潮の満ちる刻限を見計らい、退路を、しかと、塞ぎ申した。白水三郎は、いつものように、逃げ込もうとしましたが、退路は、既に、こちらの船で、埋められており申した」
「その後は」
「観念したのか、白水三郎は、正面から、船を寄せ、殿と、直に、相まみえ申した」
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その話に、わたしは、しばらく、言葉を失った。かつて、自分を、荷として、唐人商人に売った、あの男。その男が、いま、弥九郎と、正面から、向き合ったのだった。
「その場の様子を、しかと、聞かせてくれ」
わたしが、そう促すと、伊佐次は、あの日の光景を、あらためて、辿るように、語りはじめた。
「白水三郎の船は、既に、こちらの船に、四方を囲まれておりました。逃げ場がないと悟ったのでしょう。あの男は、みずから、船を寄せ、殿の船に、乗り移って参り申した」
「殿御自身が、迎え撃たれたのか」
「はい。郷田十兵衛殿が、代わりましょうと申し出たのですが、殿が、御自ら、それを、退けられ申した。『これは、俺の因縁だ』と」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。
「白水三郎は、老いてなお、腕の立つ男にござった。最初の一撃は、殿の肩を、かすめ申した。血が、甲板に、幾筋も、散り申した」
「殿は、御無事に」
思わず、声が、高くなった。伊佐次は、頷いた。
「かすり傷にござります。ですが、あの一撃を受けて、殿の目の色が、変わり申した。それからは、一方的にござった」
伊佐次は、しばらく、言葉を選ぶように、間を置いた。
「殿の太刀筋は、これまで、それがしが見てきた中でも、ひときわ、鋭うござった。白水三郎の刃を、二合、三合と、確かに、受け流し、四合目で、あの男の刀を、弾き飛ばし申した」
「白水三郎は」
「刀を失うてなお、素手で、殿に、掴みかかろうとし申した。ですが、殿は、それを、退かず、正面から、受け止められ申した」
「殿は、何と」
わたしが、そう訊ねると、伊佐次は、答えた。
「多くは、語られませなんだ。ただ、『荷は荷じゃ、と言った男が、いま、どういう心持ちか、聞かせてもらおう』と、そう仰せになったとのこと」
「白水三郎は、何と」
「『悪う思うな。荷は荷じゃ。それだけのことよ』と、あの折と、同じ台詞を、繰り返したとの由」
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その答えに、わたしは、胸の奥が、鈍く、痛むのを感じた。何年もの歳月が流れても、あの男は、あのときと、まるで変わっていなかった。
「決着は」
わたしが、そう訊ねると、伊佐次は、静かに、答えた。
「その一言を最後まで聞き終えると、殿は、一太刀で、決着をつけられ申した。白水三郎、その場に、崩れ落ち、敗れて、討たれ申した。皆殺しにはせぬという歯止めは、家を相手にする折に適用するもの。一介の海賊である、あの男個人には、適用されませなんだ」
その答えに、わたしは、深く頷いた。殿の下知による歯止めが、どこまでを守り、どこからを守らないのか。その一線が、ここで、はっきりと示されていた。
「白水衆の、残された者たちは」
わたしが、そう訊ねると、伊佐次は、答えた。
「頭を失い、多くは、降伏いたし申した。命までは、奪っており申さぬ」
その答えに、わたしは、深く頷いた。頭一人には、厳しい裁きを下しても、その配下たちにまでは、及ばさない。この一党の、確かな線引きだった。
「殿の御様子は」
「戦を終え、いくらか、疲れた御様子にて。ですが、御無事にござります」
その報せに、わたしは、深く、安堵の息を吐いた。
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その夜、独り、この報せを、頭の中で、あらためて、噛みしめた。
かつて、自分を売った男の最期を、どう受け止めればよいのか。麻生盛久との対面のときとは、また、違う感情が、胸の内に、渦巻いていた。盛久は、家や血の縁を、その裏切りの理由として持ち出した。だが、白水三郎は、最初から、そうしたものを、一切、持ち出さなかった。ただ、「荷は荷じゃ」と、その一言だけで、すべてを、割り切っていた。
その徹底した損得ずくの生き方に、わたしは、どこかで、自分自身と、重なるものを感じていた。数えることに慣れた自分と、あの男とは、根の部分で、似ていたのかもしれなかった。
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これは、単純な断罪でも、カタルシスでもなかった。情の読み損ねだったのか、それとも、逆に、初めて、正しく読めた瞬間だったのか。わたしは、まだ、その答えを、はきとは、見つけられずにいた。
弥九郎からの書状には、こう記されていた。
「あの男は、最期まで、変わらなんだ。それだけが、救いのような、そうでないような、妙な心地がした」
その一文に、わたしは、深く頷いた。弥九郎もまた、この決着を、単純には、飲み込みきれずにいるようだった。
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その数日後、白水三郎の縄張りだった響灘の一帯が、正式に、弥九郎方の手に入ったとの報せが届いた。
「白水衆の生き残りの者たちは、いかに」
わたしが、そう訊ねると、伊佐次は、答えた。
「多くは、そのまま、この地に残り、弥九郎方の水先案内衆として、召し抱えられることに、なりそうにて」
その報せに、わたしは、深く頷いた。
「頭を討ち、配下を活かす。これも、村上一党を傘下に収めた折と、同じやり方にござりますね」
「はい。姐さんが、これまで、幾度も、繰り返してこられたやり方にござります」
伊佐次が、そう答えると、わたしは、少し、考え込んだ。
「やり方は同じでも、この度は、いつもと、違う心持ちがいたします」
「違う心持ち、とは」
「これまでは、ただ、この一党のための、勘定にすぎませなんだ。ですが、此度は、わたくし自身の、積年の因縁が、絡んでおります」
その言葉に、伊佐次は、深く頷いた。
「姐さんにとって、あの男は、この一党の敵である前に、まず、御自身の過去そのものだったのでしょう」
その指摘に、わたしは、何も言い返せなかった。
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「響灘という、この一帯を得たことで、この一党の縄張りは、いかほどに、広がったか」
わたしが、そう続けて訊ねると、伊佐次は、答えた。
「六島、因島・能島・来島、そして、いまや、響灘まで。瀬戸内の西の端から、北九州の入り口までを、一つに、束ねる形にござります」
その報せに、わたしは、頭の中で、これまでの、この一党の歩みを、あらためて、数え直した。荷として、船底に押し込まれていたあの日から、いまや、これほどの広さを、束ねるまでになっていた。
「この広がりを、殿は、どう、受け止めておられるか」
わたしが、そう訊ねると、伊佐次は、少し、考えながら、答えた。
「大きゅうなりすぎた、という戸惑いも、いくらか、あるようにて。ですが、それ以上に、この広がりを、しかと、守り抜かねばならぬという、重い覚悟を、感じておられるご様子」
その答えに、わたしは、深く頷いた。広がることは、同時に、守るべきものが、増えることでもあった。
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翌日、綾のもとを訪ねた。この報せを、かいつまんで伝えた。
「かつて、千代殿を、売った男」
綾が、そう言った。
「その男の最期を、聞いて、いかがにござりましたか」
その問いに、わたしは、しばらく、考えた。
「不思議と、憎しみは、湧いてまいりませなんだ。むしろ、あの男の生き方の徹底ぶりに、どこか、感じ入るものが、ござりました」
綾は、それを聞いて、静かに、頷いた。
「それもまた、千代殿らしい、受け止め方にござりますね」
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夜、灯芯を整えながら、帳に、この日のことを書き留めた。
白水三郎、退路を絞る策にて、討ち取られ申す。最期まで「荷は荷じゃ」と言い切る。皆殺しにせぬ歯止めは、この男には、適用されず。千代の内心、単純な断罪ではのうて、複雑な感情を残す。
書き終えて、しばらく、その一行を見つめた。かつて、荷として売られた自分が、いま、その売った男の最期を、こうして、遠く離れた島から、見届けている。この巡り合わせの重さを、あらためて、噛みしめずにはいられなかった。
翌日、範久様に、この決着を伝えた。
「白水三郎、討たれ申した」
「千代殿を、かつて、荷として売った男が」
「はい」
範久様は、しばらく、こちらの顔を、じっと見つめていた。
「千代殿の、これまでの道のりの重さを、あらためて、感じ入っており申す」
その言葉に、わたしは、深く頭を下げた。
「範久様は、それがしにとって、当主として仕える御方であると同時に、この島で、共に、育ってこられた御方でもござります。その御方に、こうして、この因縁の重さを、しかと、受け止めていただけること、まことに、有難う存じます」
わたしが、そう続けると、範久様は、少し、驚いた様子を見せた。
「千代殿が、それがしに、そのような、丁寧な言葉を、かけてくださるとは」
「範久様は、既に、この一党の、確かな柱の一つにござります。柱には、しかと、敬意を払わねばなりませぬ」
その答えに、範久様は、深く、頭を下げた。
「それがしも、いずれ、千代殿のように、御自身の因縁と、正面から、向き合える人間に、なりとうござります」
その素直な言葉に、わたしは、少し、胸を突かれた。
「因縁と向き合うことは、決して、心地よいものでは、ござりませぬ。ですが、向き合わずに、逃げ続ければ、いずれ、それが、この身の、いちばん柔らかいところを、いつまでも、脅かし続けましょう」
その言葉に、範久様は、深く頷いた。
「しかと、心に、刻みまする」
その凛とした返答に、わたしは、この幼い当主が、着実に、大人としての厚みを、身につけつつあることを、あらためて感じた。
範久様が去ったあと、わたしは、独り、館の縁側に座り、あの男の最期の言葉を、あらためて、心の中で、繰り返した。「荷は荷じゃ、それだけのことよ」——その一言に、恨みをぶつける先すら、見出せなかった。あの男にとって、自分は、最初から最後まで、ただの荷にすぎなかった。その徹底ぶりが、かえって、この胸の内を、静かに、落ち着かせていた。
「わたくしは、あの男とは、違う」
わたしは、独り言のように、そう呟いた。数を数え、勘定を組む点では、あの男と、確かに、似ていた。だが、その勘定の先に、この一党の、幾人もの顔があった。弥九郎、綾、弥太郎、範久様、定行、この島の民たち。あの男には、決して、なかったものだった。
その違いだけが、いま、この胸の内で、確かな、支えになっていた。
夜が更けても、わたしは、なかなか、寝つけずにいた。頭の中では、あの日、荷として売られた小娘の姿と、いま、こうして、この決着を見届けている自分の姿とが、幾度も、重なり合っては、離れていった。
翌日、正俊と清光も、この決着を聞き、館を訪れた。
「殿の御佩刀、此度の一戦にも、しかと、御守りくださいましたか」
正俊が、そう訊ねた。
「はい。御無事に、この決着まで、辿り着かれました」
わたしが、そう答えると、正俊は、深く、安堵した顔を見せた。
「いずれ、あの一振りに、銘を刻む日が、いよいよ、近づいてまいりましたな」
その言葉に、わたしは、微かに、笑った。
「白水三郎との決着がついたいま、その日は、もう、遠くはござりますまい」
その答えに、正俊は、深く頷いた。
「清光殿と、心を込めて、その日のための支度を、進めとうござります」
清光も、傍らで、深く頷いた。この島に集った、それぞれの技を持つ者たちが、皆、この節目を、それぞれの形で、噛みしめていた。
二人が去ったあと、わたしは、独り、館の奥の一室で、あの男との、これまでの因縁を、あらためて、丁寧に、帳に、書き記した。島門を出た日、唐人商人に売られた日、泉州での長い年月、そして、いまの、この決着。一つ一つの出来事を、数え直しながら、わたしは、この長い物語が、ようやく、一つの区切りを、迎えたことを、静かに、実感した。
「これで、ようやく、前だけを見て、歩めるようになるのでしょうか」
わたしは、独り言のように、そう呟いた。答える者は、誰もいなかった。ただ、灯芯の、微かな音だけが、静かに、部屋の中に、響いていた。
弥太郎が、隣の間で、小さく、寝返りを打つ音がした。その音に、わたしは、いくらか、心が、和むのを感じた。この子には、荷として売られた過去も、白水三郎という名も、まだ、何一つ、知られていなかった。それでよいのだと、わたしは、静かに、思った。この子の物語は、まだ、何にも縛られずに、始まったばかりだった。
灯を消しても、しばらくのあいだ、目は冴えたままだった。頭の中では、あの男の最期の一言が、幾度も、繰り返し、木霊し続けていた。「荷は荷じゃ」。その徹底ぶりを、いまの自分は、どう受け止めればよいのか。答えは、まだ、はきとは、見つからなかった。ただ、時が経てば、この重みも、少しずつ、形を変えていくのだろうと、そう、静かに、思うことにした。夜は、そうして、静かに、更けていった。庭先の木々を渡る風の音だけが、いつまでも、耳に、残っていた。
その音を、子守唄のようにして、わたしは、ようやく、深い眠りに落ちていった。夢の中でも、あの男の最期の言葉だけは、静かに、繰り返し、響き続けていた。それでも、目覚めたときには、その重みが、いくらか、軽くなっているような気がした。新しい朝が、静かに、島を、包み込んでいくはずだった。夜は、そうして、確かに、更けていった。庭先の木々を渡る、静かな風の音だけが、いつまでも、残っていた。その音を聞きながら、わたしは、静かに、深く、目を閉じた。
外では、四月の穏やかな風が、静かに吹いていた。




