第三十五話 弩、火を噴く
永享四年(一四三二)三月 響灘
弥九郎方と、白水三郎方との海上戦が、いよいよ、始まった。この戦の行方は、館に残るわたしのもとへも、幾日か遅れて、報せが届いた。
「戦、始まり申した」
伊佐次からの、最初の一報だった。
「弩は、どうか」
わたしが、そう訊ねると、続けて、詳しい報せが届いた。
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「弩を持たせた急ごしらえの水手にも、確かに、扱えており申す。『弓は三年、弩は十日』という理屈どおりにて」
その報せに、わたしは、少し、安堵した。稽古の浅い者にも、確かな戦力になる。これまで、幾年もかけて、積み上げてきた技が、いま、この決戦の場で、確かに活きていた。
「焙烙玉のほうは」
「揺れる船上での扱いには、やはり、危うさが伴うようにて。幾つかの弩も、実際に、壊れる場面があったとの由」
その報せに、わたしは、頭の中で、静かに、この技の限界を、あらためて確かめた。都合よく、万能の武器にはならない。それもまた、これまでの、この一党の学びの一つだった。
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数日後、より詳しい戦況が届いた。
「戦況は、弥九郎方が、優勢に進めており申す」
その報せに、館じゅうが、静かに沸き立った。
「白水三郎は」
わたしが、そう訊ねると、伊佐次は、少し、複雑な顔をした。
「討ち取れており申さぬ。地の利を活かし、幾度も、こちらの追撃を、かわしておるとのこと」
その答えに、わたしは、頭の中で、静かに数を組み直した。優勢のまま、決着がつかない。この一戦だけでは、まだ、終わらないのかもしれなかった。
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「殿は、いかに」
わたしが、そう訊ねると、伊佐次は、答えた。
「御無事にて。ですが、いくらか、苛立ちを、隠しきれておらぬご様子にて」
「苛立ち、とは」
「追い詰めても、追い詰めても、白水三郎が、するりと、逃げ延びてしまうことに、御自身でも、もどかしさを、感じておられるようで」
「村上一党の船団は」
わたしが、そう訊ねると、伊佐次は、答えた。
「孫六殿御自身も、この戦に、加わっておられます。因島・能島仕込みの水先の技が、ここでも、確かに活きておるとのこと」
その報せに、わたしは、深く頷いた。三島の主となった孫六の技が、いま、この決戦の場でも、確かな力になっていた。
「郷田十兵衛殿は、陸から」
「はい。海戦とはいえ、上陸した拠点の守りなど、陸の指南も、あわせて、活きておるようにて」
その報告に、わたしは、この一党が積み重ねてきた、あらゆる縁と技とが、いま、この一戦に、集約されていることを、あらためて感じ取った。
その話に、わたしは、深く頷いた。
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「郷田十兵衛殿は、何と」
わたしが、そう続けて訊ねると、伊佐次は、答えた。
「『海の戦にも、時の運がある』と、皮肉半分に、そう仰っておられました」
その言葉に、わたしは、微かに笑った。これまでも、幾度も口にしてきた「戦は時の運」という言葉が、こうして、また、繰り返し、この一党の中に、確かな言い習わしとして、根付いていた。
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翌日、より詳しい戦況が、あらためて届いた。
「白水三郎、いくつかの、浅瀬に、幾度も、船を逃げ込ませておるようにて」
伊佐次が、そう報告した。
「浅瀬、とは」
「大船が入り込めぬ、狭く、入り組んだ場所にござります。潮の満ち引きを、あの男は、幼い頃から、この身に刻んでおるかのごとく、よう、知り抜いておるとの由」
その報せに、わたしは、頭の中で、静かに、これまでの、この一党の戦い方を、思い返した。
「因島攻めの折の、孫太郎の潮読みは、活かせぬのか」
わたしが、そう訊ねると、伊佐次は、答えた。
「殿も、同じことを、考えておられます。ですが、白水三郎の縄張りの潮は、また、違う癖を持っておるようにて。一朝一夕には、読み切れぬご様子」
その答えに、わたしは、深く、息を吐いた。潮の癖は、土地によって、まるで違う。それは、これまで、幾度も、痛感してきた道理だった。
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「ならば、どうすれば」
わたしは、独り、そう、自分に問いかけた。しばらく、地図を、じっと見つめ続けた末、一つの案が、頭に浮かんだ。
「浅瀬に逃げ込む先を、あらかじめ、絞り込めぬものか」
わたしは、そう、書状にしたためた。
「白水三郎が、幾度も同じ浅瀬に逃げ込むのであれば、そこに、あらかじめ、伏せの船を、忍ばせておくことは、できませぬか。潮を読み切れずとも、逃げ込む先さえ、絞り込めれば、待ち伏せは、できましょう」
その書状を、急ぎ、響灘の陣へ、送り出した。
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数日後、返しの書状が届いた。
「その策、既に、郷田十兵衛が、同じことを、考えておった」
弥九郎の、その一言に、わたしは、少し、驚いた。
「十兵衛殿が」
「うむ。陸戦の伏兵の理屈を、そのまま、海に当てはめたのだと。お前と、同じ絵図を描いておったわ」
その報せに、わたしは、深く、感じ入った。陸と海、まるで違う戦の場でも、行き着く理屈は、同じだった。
「して、その策は」
わたしが、そう、書き返すと、数日のうちに、実行されたとの報せが届いた。
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その夜、綾のもとを訪ねた。戦況を、かいつまんで伝えた。
「まだ、決着は、ついておらぬのですね」
綾が、そう言った。
「はい。優勢ではござりますが、白水三郎、なお、逃げ延びておるとのこと」
「千代殿は、その報せを、どう、お受け止めですか」
その問いに、わたしは、少し、考えた。
「もどかしゅうござります。ですが、優勢であることは、確かな事実にござります」
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綾は、それを聞いて、深く頷いた。
「もう少しの辛抱、にござりますね」
「はい。ただし、その、もう少しが、いつまで続くのか、いまは、まだ、分かりませぬ」
わたしは、そう答えながら、頭の中で、次の一手を、あらためて考えはじめた。優勢のまま、追い詰めているのなら、あとは、白水三郎の逃げ道を、いかに、絞り込むかにかかっていた。
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夜、灯芯を整えながら、帳に、この日のことを書き留めた。
弥九郎方と白水三郎方、海上戦、始まる。弩、実戦で確かな働きを見せる。ただし、壊れる場面もあり、万能ではない。戦況、優勢に進むも、白水三郎、地の利を活かし、なお、逃げ延びる。決着、まだつかず。
書き終えて、しばらく、その一行を見つめた。優勢でありながら、決着がつかない。この、もどかしい戦いの先に、どのような結末が待っているのか、いまは、まだ、誰にも、分からなかった。
その夜、範久様が、この戦況を、あらためて訊ねに来た。
「決着は、まだ、ついておらぬのですか」
「はい。優勢ではござりますが、白水三郎、なお、逃げ延びております」
「もどかしゅうござりますね」
「はい。ですが、この一党は、これまでも、もどかしい戦いを、幾度も、乗り越えてまいりました」
その言葉に、範久様は、深く頷いた。
「殿の御無事を、しかと、祈っており申す」
その素直な祈りに、わたしは、深く、頭を下げた。
数日後、伏せの船を忍ばせた策の、初めての結果が届いた。
「白水三郎、いつもの浅瀬に逃げ込んだところを、伏せの船に、待ち伏せされ申した」
その報せに、館じゅうが、静かに、沸き立った。
「討ち取ったか」
わたしが、そう訊ねると、使いは、少し、口ごもった。
「あと一歩のところで、また、逃げられ申した。ですが、船を、幾艘か、確かに、沈めており申す」
その答えに、わたしは、頭の中で、静かに、この戦の趨勢を、数え直した。討ち取れずとも、着実に、白水三郎の力を、削ぎ落としつつあった。
「あの男の船の数は、いま、いかほどに」
「二十艘から、十四、五艘ほどまで、減っておるとの由」
その報せに、わたしは、深く頷いた。
「あと、もうひと押し、にござりますね」
わたしは、独り言のように、そう呟いた。数の上での優勢が、いよいよ、確かな形になりつつあった。
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その夜、正俊と清光も、この報せを聞き、館を訪れた。
「弩の技が、ここまで、戦を、動かすことになろうとは」
正俊が、そう漏らした。
「量を鍛える技があってこそ、急ごしらえの水手にも、確かな武器を、持たせることができ申した」
清光も、深く頷いた。
その言葉に、わたしは、深く、感じ入った。かつて、対立していた二人の技が、いま、こうして、この一党の、確かな力の柱の一つになっていた。
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翌朝、範久様が、館を訪れ、この戦況を、詳しく訊ねた。
「白水三郎の船、既に、半分近くまで、減っておるとのことですね」
「はい。あともうひと押しで、決着がつきましょう」
わたしが、そう答えると、範久様は、深く頷いた。
「その、もうひと押しを、殿は、いかにして、なさるおつもりか」
その問いに、わたしは、少し、考えた。
「白水三郎という男は、追い詰められれば、なお、悪あがきをいたしましょう。ですが、船を失えば、いずれ、逃げ場そのものが、なくなります。その日を、辛抱強く、待つほかござりませぬ」
「辛抱、にござりますか」
「はい。数を削ぎ落とすことは、既に、成し遂げつつあります。あとは、その削ぎ落とした数が、確かな形で、実を結ぶのを、待つのみにござります」
その答えに、範久様は、深く頷いた。
「千代殿の、その辛抱強さも、また、この一党を支える、確かな力にござりましょう」
その言葉に、わたしは、少し、照れくさい思いを抱いた。
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範久様が去ったあと、わたしは、独り、館の縁側に座り、遠い響灘の海を、思い描いた。かつて、荷として、船底に押し込められたときの記憶が、いまも、鮮明に、蘇ってきた。あの日、自分を売った男の船が、いま、この手で、一艘、また一艘と、沈められていく。その巡り合わせの重さを、あらためて、噛みしめずにはいられなかった。
「殿、どうか、御無事で」
わたしは、独り言のように、そう、遠い海の方角に向かって、呟いた。答える者は、誰もいなかった。ただ、夜風だけが、静かに、庭先の木々を揺らしていた。
その夜遅く、円秀も、負傷者の手当ての様子を、報告に来た。
「此度の戦、これまでより、傷を負う者は、いくらか、少ないようにて」
円秀が、そう言った。
「なぜであろうか」
わたしが、そう訊ねると、円秀は、答えた。
「弩による遠戦が、これまでより多いためかと。斬り合いに持ち込まれる前に、決着がつく場面が、増えておるようにて」
その報せに、わたしは、深く頷いた。技を積み重ねることが、結果として、命を守ることにも、繋がっていた。
「それは、何よりの報せにござります」
わたしが、そう答えると、円秀は、深く、頭を下げた。
「引き続き、殿の御無事を、しかと、支えとうござります」
その言葉に、わたしは、深く、感謝の意を示した。この島の、それぞれの持ち場にいる者たちが、皆、この決戦を、それぞれの形で、支え続けていた。
その二日後、産気づいた。戦の報せを待つ、そのさなかのことだった。
「まさか、この折に」
産婆を呼びながら、わたしは、頭の中で、静かに、この巡り合わせを笑った。数えることに、これほど、思うようにならぬ瞬間もあった。
半日ほどの後、無事に、女子が生まれた。弥太郎に続く、二人目の子だった。
「よう、頑張られました」
円秀が、そう声をかけると、わたしは、深く、息を吐いた。腕の中の、小さな重みが、これまでにない、確かな安堵をもたらしていた。
弥九郎には、まだ、この報せは届いていなかった。決戦のさなかにある殿に、この慶事を、いつ、どう伝えるべきか。わたしは、腕の中の娘を見つめながら、静かに、思いを巡らせた。
夜、灯芯を整えながら、この日の出来事を、あらためて、帳に、丁寧に書き加えた。伏せの船の策の結果、範久様との遣り取り、円秀の報告。数えるべきことは、この長い決戦の中でも、絶えることがなかった。
書き終えて、しばらく、その一行を見つめた。白水三郎の船が、着実に、減っていく。その数の変化だけを見れば、この戦は、確かに、こちらの優勢のまま、進んでいた。だが、数だけでは、測れないものも、まだ、たくさん、この戦の中には、残っていた。あの男が、最期に、どのような形で、この因縁に、決着をつけるのか。それだけは、まだ、誰にも、分からなかった。
弥太郎の寝息が、隣の間から、静かに聞こえてきた。この子が、いつか、この長い戦の顛末を、知る日が、来るのだろうか。答えの出ぬ問いを、わたしは、また、静かに、心の中に、しまい込んだ。灯を消しても、しばらくのあいだ、耳は、遠い響灘の海鳴りを、聞き続けているような気がしていた。この長い決戦が、いつ、確かな終わりを迎えるのか。数を数えることに慣れたこの頭でも、その日付だけは、まだ、書き込めずにいた。ただ、この夜が明ければ、また、新たな報せが届く。それだけは、確かなことだった。窓の外の潮風は、いつまでも、変わらぬ音を、静かに、響かせ続けていた。その音を、子守唄のようにして、わたしは、ようやく、眠りに落ちていった。夢の中でさえ、頭の中の帳は、静かに、開いたままだった。夜は、静かに、更けていった。庭先の木々の葉が、風に、そっと、揺れる音だけが、しばらく、耳に、残っていた。その音を聞きながら、わたしは、ようやく、深い眠りに落ちていった。
外では、三月の潮風が、まだ、いくらか冷たく吹いていた。




