第三十話 九州の土を踏む
永享三年(一四三一)十月 筑前国 博多近郊
弥九郎方の船団が、瀬戸内を出て、初めて、北九州の戦の場に到達したのは、出立から十日ほど後のことだった。
館に残るわたしのもとへ、その報せは、幾日か遅れて届いた。
「大内様の陣に、無事、到着せり」
その一報を携えてきたのは、伊佐次だった。此度は、弥九郎に付き従い、その後、報告のために、一度、島へ戻ってきていた。
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「かの地の様子は、いかに」
わたしが、そう訊ねると、伊佐次は、少し、重い顔をした。
「これまで、噂としてのみ、耳にしてきた大内と少弐の抗争。その実相は、想像しておったよりも、遥かに、荒れ果てておりました」
「荒れ果てておる、とは」
「幾年もの睨み合いで、田畑は、あちこちで、荒れ放題。民の顔にも、疲れが、深く滲んでおりました」
その報告に、わたしは、頭の中で、これまで、遠い国の話として、処理してきたこの戦の重みを、あらためて、数え直した。
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「弥九郎様は」
「大内方の、他の武将・水軍衆との顔合わせを、既に、済ませておられます。二神定海の名は、伊予国内だけでのうて、かの地でも、既に、一定の重みを持って、迎えられておりました」
その報せに、わたしは、少し、誇らしい思いを抱いた。
「郷田十兵衛殿の指南は」
「早速、小競り合い程度の緒戦で、活きております。殿の陣立ての読みが、めきめきと、確かになっておられるとのこと」
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「一つ、気になる話を、耳にいたしました」
伊佐次が、そう続けた。
「なんじゃ」
「瀬戸内への帰路は、必ず、響灘を通ることになると、大内方の水軍衆から、聞かされました」
「響灘、とは」
「白水衆の縄張りにござります」
その名に、わたしは、頭の中で、遠い記憶を、静かに手繰り寄せた。白水三郎。かつて、自分を、荷として、唐人商人に売った男の一党だった。
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「白水三郎は、いまも、あの縄張りを」
わたしが、そう訊ねると、伊佐次は、頷いた。
「はい。いまのところ、大内方に近しい態度を、崩してはおらぬとのことにて」
「それなら、いまは、ただの地理の話にすぎぬな」
わたしは、そう言って、その話を、頭の帳の隅に、そっと仕舞い込んだ。いまはまだ、遠い先の、他人事のような話だった。だが、この一言が、いずれ、どれほどの重みを持つことになるのか、このときは、まだ、知る由もなかった。
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伊佐次は、それから、数日、島に留まったのち、再び、九州の陣へと戻っていった。
その後も、幾度か、報せが届いた。弥九郎の陸戦の腕が、着実に育ちつつあること。船の指図では、並ぶ者のない弥九郎も、陸の大軍の駆け引きでは、なお、郷田十兵衛の指南を借りねば、動けぬ場面があること。
「殿は、いかがお過ごしか」
わたしが、そう訊ねると、報告に来た若い水手は、答えた。
「日々、十兵衛殿の指南を、真剣に受けておられます。船の上の技だけでは、通じぬことを、身をもって、学んでおられるようで」
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その報せに、わたしは、少し、安堵した。弥九郎という男は、いつも、こうして、足りぬところを、素直に、認め、学び直す力を持っていた。その柔らかさこそが、この男の、確かな強さだった。
その夜、綾のもとを訪ねた。九州の様子を、かいつまんで伝えた。
「殿は、遠い地でも、しかと、御自分を保っておられるのですね」
綾が、そう言った。
「はい。ですが、遠い戦は、いつ、何が起きるか、はきとは、読めませぬ」
「案じておられますか」
その問いに、わたしは、少し、考えた。
「案じております。数えることでは、測れぬ距離にござりますゆえ」
「虎王丸は、父上を、恋しがっておりませぬか」
わたしが、そう続けて訊ねると、綾は、微笑んだ。
「毎日、湊まで、船を見に行っております。強がって、口には出しませぬが、寂しいのでしょう。弥太郎も、兄上の後ろに付いて、よちよちと、湊まで参ります」
その話に、わたしは、少し、胸が痛んだ。
「戻られたら、しかと、たくさん、遊んでいただかねばなりませぬね」
「はい。殿も、きっと、そう、なさりたいはずにござります」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。
数日後、村上孫六からも、九州の陣に加わった一党の様子を伝える文が届いた。
「因島・能島の船団も、大内方の陣にて、確かな働きを見せておるとの由」
わたしは、その文を、丁寧に、読み返した。孫六の一党もまた、この遠い戦の場で、着実に、その名を、高めつつあった。
「三島の主として、遠い九州の地でも、確かな働きを見せておられるのですね」
わたしは、独り言のように、そう呟いた。
その夜、灯芯を整えながら、帳に、孫六の一党の働きのことも、あわせて、書き加えた。因島・能島から始まった、この一党との縁が、いま、こうして、遠い九州の戦場でも、確かに、実を結んでいた。
窓の外を見ると、十一月の月が、静かに、海を照らしていた。九州の空にも、同じ月が、昇っているはずだった。その月を見上げながら、わたしは、遠く離れた弥九郎のことを、静かに、思った。
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夜、灯芯を整えながら、帳に、この日のことを書き留めた。
弥九郎方、大内方の陣に到着。北九州の戦の実相、想像より荒れ果てておる。殿の名、かの地でも重みを持つ。郷田十兵衛の指南、実戦で活きはじめる。響灘の白水衆、いまはまだ、大内方に近しい態度。
書き終えて、しばらく、その一行を見つめた。遠い北九州の地で、この一党は、いま、新たな地歩を築こうとしていた。だが、その先に、何が待っているのか、まだ、誰にも、分からなかった。
翌朝、範久様が、この報せを聞き、館を訪れた。
「殿、御無事にて、九州の陣に、到着されたのですね」
「はい。かの地の様子は、想像より、厳しいもののようにて」
その答えに、範久様は、少し、表情を曇らせた。
「それがしにも、いずれ、遠国の政に、関わる日が、来るのでしょうか」
「来るやもしれませぬ。ですが、いまは、まず、この伊予の地を、しかと、治めることに、専念なさいませ」
その言葉に、範久様は、深く頷いた。
「千代殿は、遠国の情勢にも、常に、目を配っておられますね」
「はい。数えることに慣れた性分ゆえ、遠くの出来事も、いずれ、この島に、関わってくるやもしれぬと、常に、案じてしまうのです」
その答えに、範久様は、感心したように、頷いた。
「それがしも、いずれ、そのような視野を、身につけとうござります」
その素直な向上心に、わたしは、深く、頷いた。
数日後、定行からも、新居郡の様子を伝える文が届いた。金子の地の民たちも、変わらず、落ち着いて、暮らしているという。その報せに、わたしは、深く、安堵した。
留守を預かる日々、島の隅々にまで目を配りながら、わたしは、遠い九州の弥九郎の身を、いつも、案じ続けていた。数えることでは、決して埋められない、その距離の重さを、あらためて、噛みしめる日々だった。
その夜、綾のもとを、もう一度、訪ねた。この日、範久様や、定行と交わした話を、かいつまんで伝えた。
「二人とも、着実に、育っておりますね」
綾が、そう言った。
「はい。この島が、これまで、幾年もかけて、育ててきた者たちにござります」
「千代殿も、その育ての親の一人にござりますね」
その言葉に、わたしは、少し、照れくさい思いを抱いた。
「わたくし一人の手柄では、ござりませぬ。この島の、皆の手によるものにござります」
「その謙虚さも、また、千代殿らしゅうござります」
綾は、そう言って、微笑んだ。
「殿が、お戻りになったら、この二人の成長を、しかと、御覧いただきたいものですね」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。
「はい。きっと、驚かれましょう」
その夜、館の一室で、独り、これまでの、この島の歩みを、あらためて、振り返った。荷として売られた小娘が、この島に流れ着いてから、既に、十年以上の歳月が流れていた。その歳月の中で、幾人もの人々が、この一党に加わり、それぞれの形で、育ち、支え合ってきた。
その積み重ねの先に、いま、この一党は、瀬戸内の広い一角を治め、遠く九州の戦にまで、その手を伸ばすまでになっていた。数えることに慣れた頭でも、この歩みの重さは、簡単には、数え切れなかった。
弥太郎の寝息が、隣の間から、静かに聞こえてきた。この子が、いつか、この歩みの続きを、その手で、担うことになるのだろうか。答えの出ぬ問いを、わたしは、また、静かに、心の中に、しまい込んだ。
数日後、円秀が、九州の陣へ送る、さらなる薬の支度について、報告に来た。
「傷薬、痛み止め、そして、疲れを癒す薬草。ひととおり、揃え申した」
円秀が、そう言うと、わたしは、深く頷いた。
「頼む。殿が、少しでも、健やかに、この戦を、乗り越えられるように」
その言葉に、円秀は、深く頭を下げた。
その足で、正俊の鍛冶場を訪ねた。正俊は、清光と共に、新たな武具を、黙々と、鍛え続けていた。
「戦支度は、まだ、続いておるのか」
わたしが、そう訊ねると、正俊は、頷いた。
「殿が、お戻りになるまでには、さらに、幾振りか、仕上げておきとうござる」
「頼もしい限りにござります」
清光も、その傍らで、深く頷いた。
「量を鍛える技も、質を極める技も、この島では、もはや、どちらも、欠かせぬものになり申した」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。かつて、激しく対立していた二人が、いまでは、こうして、共に、この島の武具を、支え続けていた。
館へ戻る道すがら、太郎丸と次郎丸の窯からも、白い煙が、静かに立ち昇っているのが見えた。呉徳全の教えを受け継いだ、この兄弟の技もまた、この島の、確かな財産の一つだった。
この島に集った、それぞれの技を持つ者たちが、いま、弥九郎の帰りを待ちながら、それぞれの持ち場で、静かに、しかし確かに、務めを果たし続けていた。その光景を見ながら、わたしは、この一党の、確かな厚みを、あらためて、噛みしめた。
その夜、義重とも、遠い九州の情勢について、あらためて、話し合った。
「大内様の御戦は、いかがなりましょうか」
義重が、そう訊ねた。
「まだ、はきとは、分かりませぬ。ですが、殿が、しかと、陣に加わり、共に戦うておられることは、確かにござります」
「殿の、その覚悟が、いずれ、大きな実を結びましょう」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。
「義重様は、範久様の御様子を、どう御覧になっておられますか」
わたしが、そう訊ねると、義重は、微かに笑った。
「日に日に、当主としての貫禄が、備わってきておる。あれの父として、これほど、嬉しいことはない」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。
「大祝家との御縁も、あの子の、確かな支えになりましょう」
「はい。この縁を、これからも、大切に、育ててまいる所存にて」
義重は、そう言って、深く頷いた。
夜が更けても、わたしは、なかなか、寝つけずにいた。頭の中では、遠い九州の戦況、島の日々の暮らし、そして、この一党の、これからの行く末が、絶えず、巡り続けていた。
灯を消しても、しばらくのあいだ、頭の中の帳は、静かに、開いたままだった。
翌朝、伊佐次からの、さらに詳しい文が届いた。九州の陣中の暮らしぶりを、細やかに、書き記したものだった。
「陣中の飯は、いまだ、粗末なものにて。殿も、皆と同じ物を、召し上がっておられます」
その一文を読み、わたしは、少し、胸が痛んだ。
「島におれば、少しは、良い物を、召し上がっていただけように」
わたしは、独り言のように、そう漏らした。だが、それは、この一党の主として、自ら選んだ道だった。皆と同じ苦労を分かち合わぬ将には、誰もついてこない。それは、島門を出てから、幾度も見てきた道理だった。
文には、続けて、こうあった。
「殿は、夜、陣幕の中で、島の暮らしを、よう、話しておられます。窯の火、塩の匂い、弥太郎の笑い声。それらを語るとき、殿は、いつもより、幾分、若やいだ様子にて」
その一文に、わたしは、しばらく、動けなかった。数えることに慣れたこの頭では、決して、掬いきれない何かが、そこにはあった。
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その足で、綾のもとを、もう一度、訪ねた。この文の内容を、かいつまんで伝えた。
「殿は、遠い地でも、いつも、この島のことを、思うておられるのですね」
綾が、そう言った。
「はい。数えることでは、決して測れぬ、その思いの深さを、あらためて、知らされました」
その言葉に、綾は、微かに笑った。
「千代殿も、殿のことを、同じように、思うておられるからこそ、その一文に、心を動かされたのでしょう」
その指摘に、わたしは、何も言い返せなかった。
外では、十月の夜風が、いくらか、冷たさを増していた。




