第二十六話 面目の代償
永享三年(一四三一)八月 伊予国 忽那諸島
大野氏の城が落ちてから、半月ほどが過ぎた。捕らわれた当主の処遇について、河野方(通春方)から、正式な沙汰が下されることになった。
「切腹を、申し付ける」
その報せを、義重の使いが、館まで伝えてきた。
その一言に、わたしは、しばらく、言葉を失った。
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「弥九郎方は、この決定に、関わっておらぬのか」
わたしが、そう確かめると、使いは、頷いた。
「河野方、御自らの御沙汰にござる。弥九郎様は、捕縛するところまでで、手を止めておられました」
その答えに、わたしは、深く頷いた。皆殺しにしないという、殿御自身の、これまで幾度も貫いてこられた下知は、確かに守られていた。だが、その外側で、河野方自身が、より重い決着を、下そうとしていた。
「殿は、この決定を、止めることは」
「止める立場には、ござりませぬ。あくまで、河野方の内々の御沙汰にて」
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その夜、弥九郎と、この報せについて、あらためて話し合った。
「止められなんだのか」
弥九郎が、そう漏らした。
「止める理由が、こちらには、ござりませぬ。あの御方は、河野方に、正面から、刃向かった。その処遇を、河野方が、どう決めようとも、こちらが、口を挟む筋合いはござりませぬ」
「分かってはおる。だが」
弥九郎は、そこで、言葉を切った。
「あれほどの筋を通した男が、こうして、命で、その代償を払う。それが、正しいことなのか、俺には、まだ、分からぬ」
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「殿は、大野氏当主に、何か、感じるものが、おありなのですか」
わたしが、そう訊ねると、弥九郎は、しばらく、黙っていた。
「あの男の目には、俺自身の、ある部分が、映っておった気がする」
「殿御自身の、部分、とは」
「筋を通す、という部分だ。俺も、いずれ、誰かに、同じ目に遭わされるかもしれぬ」
その言葉に、わたしは、何も言い返せなかった。
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「わたくしは、殿とは、少し、違うように思うており申す」
わたしは、そう続けた。
「違う、とは」
「なめられれば、殺す。それでしか、保てぬ面目が、武家の統治には、確かにあるのでしょう。この決定は、酷いようでいて、河野方の面目を保つためには、必要なことだったのやもしれませぬ」
弥九郎は、それを聞いて、しばらく、こちらの顔を見つめていた。
「お前は、それを、すんなりと、受け入れられるのか」
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「すんなりとは、申しませぬ。ですが、理解は、できまする」
わたしは、そう答えた。
「かつて、この島を、理と利で治めてまいりました。ですが、理と利だけでは、片づかぬ場面が、これから先、幾度も、出てまいりましょう。そのたびに、目を背けておっては、この一党そのものが、いずれ、なめられましょう」
弥九郎は、それを聞いて、深く、長い息を吐いた。
「お前は、その論理を、もう、内側に、取り込みはじめておるのだな」
その一言に、わたしは、少し、虚を突かれた。だが、驚きよりも先に、口の端が、微かに持ち上がった。恐ろしいと思われることを、厭う気持ちは、いつのまにか、薄れていた。むしろ、殿にだけは、この変わりようを、正しく見抜いていてほしい。そう望んでいる自分に、遅れて気づいた。
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「殿は、どうなのですか」
わたしが、そう訊ねると、弥九郎は、しばらく、考え込んだ。
「俺は、まだ、馴染めぬ。だが」
弥九郎は、そう続けた。
「この立場に、立ち続ける限り、いずれ、この論理を、呑み込まねばならぬ日が、来るのだろう。嫌悪を抱えたままでもだ」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。この男が、いま、抱えているものの重さを、あらためて、感じずにはいられなかった。
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数日後、大野氏当主の切腹が、正式に執り行われたという報せが届いた。
「最期まで、乱れることのない、見事な最期であったと聞き申す」
伊佐次が、そう報告した。
「家臣たちの様子は」
わたしが、そう訊ねると、伊佐次は、少し、複雑な顔をした。
「悲しみと、同時に、当主の生き様を、誇らしく思う色も、あったようにて」
その報せに、わたしは、頭の中で、静かに、この一件を数え直した。筋を通し、その筋のままに、命を絶つ。それもまた、一つの、確かな生き方だったのだろう。
「これで、河野方の内側に、逆らう芽は、また一つ、絶えたということですね」
わたしが、そう漏らすと、口の端が、微かに持ち上がるのを、自分でも、止められなかった。
伊佐次は、その笑みを、一瞬、見つめてから、すぐに、目を伏せた。
「姐さんは、時折、そういう、御顔をなさいますな」
「気に障ったか」
「いえ。ただ、この一党が、ここまで来られたのは、姐さんの、その御顔の裏にある勘定のおかげだと、しかと、承知しており申す」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。もはや、この冷たさを、身近な者たちの前で、取り繕う要はなかった。
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その夜、綾のもとを訪ねた。大野氏当主の最期を、かいつまんで伝えた。
「筋を通された御方、にござりましたね」
綾が、そう言った。
「はい。最期まで、屈することは、ござりませなんだ」
「その最期を、千代殿は、どう、お受け止めですか」
その問いに、わたしは、しばらく、考えた。
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「必要なことであったと、理解しております」
わたしは、そう答えた。
「なめられれば、殺す。それでしか、保てぬ面目が、武家の統治には、確かにあるのでしょう。河野方が、内側の芽を断ち、一本にまとまるには、避けられぬ沙汰でした」
その答えに、綾は、静かに、こちらの顔を見つめた。
「理解は、しておられるのですね」
「はい」
「では、お心は」
その問いに、わたしは、すぐには、答えられなかった。
「心は」
少しの間のあと、わたしは、そう繰り返した。
「数に、入れておりませなんだ」
言ってから、自分の声が、思ったより、小さいことに気づいた。
「千代殿は、また、少し、変わられましたね」
「変わった、とは」
「以前の千代殿であれば、必要なことと理解された時点で、この一件を、終いにしておられたでしょう。いまは、数に入れておらぬものがある、と、お気づきです」
その言葉に、わたしは、何も言い返せなかった。
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夜、灯芯を整えながら、帳に、この日のことを書き留めた。
大野氏当主、河野方の御沙汰にて、切腹。弥九郎方、この処断には、一切、手を下さず。なめられれば殺す、という統治の論理を、初めて、正面から目の当たりにする。
書き終えて、しばらく、その一行を見つめた。この一件は、弥九郎と、わたしとの間に、これまでとは違う、静かな温度差を生んでいた。その差の正体を、まだ、正しくは、名付けられずにいた。
翌日、鶴丸——いまは範久様——が、館を訪ねてきた。大野氏の一件を、既に、聞き及んでいるようだった。
「大野氏当主が、切腹されたと、伺いました」
範久様が、そう言った。その声には、当主としての、確かな重みが、以前よりも増して、滲んでいた。
「はい。河野方の御沙汰にて」
「その御方は、最後まで、屈しなんだと」
「はい」
範久様は、しばらく、考え込んでいた。
「それがしも、いずれ、そうした決断を、下さねばならぬ日が、来るのでしょうか」
その問いに、わたしは、しばらく、答えに詰まった。
「来るやもしれませぬ。ですが、いまは、まだ、その日ではござりませぬ」
「千代殿は、その日が来たとき、それがしに、何を、お教えくださいますか」
その真っ直ぐな問いに、わたしは、深く、胸を突かれた。
「教えられることは、限られておりましょう。ですが、その日が来たときには、必ず、傍らに、おりまする」
その答えに、範久様は、深く頭を下げた。
「かたじけのう存じまする」
その後ろ姿を見送りながら、わたしは、この幼い当主が、いつのまにか、こうした重い問いを、自ら発するまでに、育っていることを、あらためて、感じ取った。
その日の夕方、幸松——いまは定行——が、館を訪れた。新居郡の差配の報告を兼ねてのことだった。
「新居郡は、変わらず、落ち着いております」
定行が、そう報告した。
「金子の名は、地の者たちに、受け入れられておるか」
わたしが、そう訊ねると、定行は、深く頷いた。
「はい。妻も、この地の者たちに、よう馴染んでおりまする」
その報告に、わたしは、深く頷いた。
「大野氏の一件は、聞き及んでおるか」
「はい。厳しい御沙汰であったと」
「そなたは、どう思う」
その問いに、定行は、しばらく、考え込んだ。
「それがしのような、拾われた身には、正直、量りかねる重さにござります。ですが、統治というものには、時に、そうした厳しさも、要るのでしょう」
その答えに、わたしは、深く頷いた。かつての孤児が、いま、こうして、統治の重みについて、自分なりの考えを、はっきりと述べられるまでに、育っていた。
その夜、独り、帳を広げながら、この日、範久様と、定行、それぞれと交わした言葉を、あらためて、思い返した。
一人は、これから、当主として、重い決断を、幾度も下していくことになる若者。もう一人は、既に、統治の一角を担う立場に立った、かつての孤児。二人とも、この一党が、これまで、幾年もかけて、育ててきた者たちだった。
弥九郎が、部屋に、静かに入ってきた。
「範久と、定行のことを、考えておったのか」
「はい。二人とも、確かに、育っております」
「お前が、育てたようなものだ」
「わたくし一人の手柄では、ござりませぬ。この島の、皆の手によるものにござります」
弥九郎は、それを聞いて、深く頷いた。
「その謙虚さも、お前らしい」
その言葉に、わたしは、微かに笑った。
「殿は、お疲れではござりませぬか」
わたしが、そう訊ねると、弥九郎は、少し、考え込んだ。
「疲れておる。だが、それ以上に、まだ、あの当主の目が、頭から離れぬ」
「大野氏当主の、あの目にござりますね」
「ああ。屈せぬまま、死んでいった、あの目だ」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。
「殿は、いずれ、その目を、忘れられる日が、来るのでしょうか」
「分からぬ。だが、忘れずにいることも、また、一つの、殿としての務めなのかもしれぬ」
その答えに、わたしは、しばらく、何も言えなかった。この男は、いつも、こうして、抱えた重みを、簡単には、手放そうとしなかった。その頑なさこそが、この男の、確かな誠実さだった。
「わたくしは、殿ほど、その重みを、正面から、抱え続けられませぬ」
わたしは、正直に、そう言った。
「数えることに逃げてしまう。それが、わたくしの、逃げ方にござります」
「逃げ方、か」
弥九郎は、そう言って、少し、笑った。
「逃げ方があるのは、悪いことではない。ただ、逃げ切れぬときも、いずれ、来よう」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。
翌日、義重が、大野氏当主の遺された家族の処遇について、あらためて、相談に来た。
「御正室と、御子息は、いかがなさいましょうか」
義重が、そう訊ねた。
「御子息は、まだ、幼子にござります。命までは、奪わずとも、よろしいのでは」
わたしが、そう答えると、義重は、少し、辛そうな顔をした。
「それが、千代殿。既に、通春様御自身より、御下知が届いており申す」
「御下知、とは」
「御子息には、切腹を、申し付けよ、と」
その言葉に、わたしは、しばらく、何も言えなかった。
「理由は」
「逆らった当主の、直の血筋を、生かしておけば、いずれ、父の無念を継ぐ者として、育つやもしれぬ。それを、通春様は、案じておられるとの由。此度の一件は、河野氏一本化の総仕上げ。誰の目にも、なめられぬ形を、しかと、示さねばならぬ、と」
わたしは、頭の中で、静かに、この下知を数え直した。命だけは守りたいという、あの思いは、既に、こちらの手を離れていた。
「殿は、これを」
「承知するほかござらぬ。通春様の御下知に、逆らう筋は、こちらにはござらぬ」
その答えに、わたしは、深く頷いた。数えることに慣れたこの頭でも、まだ十にも満たぬ子供の死を、正しく数え切ることは、できなかった。
「御正室は」
「あの御方は、大野の家に、なお、いくらかの縁を持つ御方。誰ぞ、心当たりの御家臣に、下げ渡すのが、筋にござりましょう」
わたしが、そう続けると、義重は、しばらく、考え込んだ。
「六郎太に、めあわせては、どうか。あの男も、そろそろ、身を固める齢にて」
「六郎太殿に」
「あれも、二神の血筋ではないが、これまで、確かな働きを見せてきた男。大野の御正室を、粗略には、扱いますまい」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。
数日後、大野氏の御正室は、六郎太に、下げ渡された。御子息は、通春様の御下知により、切腹を申し付けられ、その短い生涯を、終えた。命が守られたのは、御正室一人だけだった。
その報せを、綾にも、伝えた。
「御子息は」
綾が、そう訊ねた。
「通春様の御下知により、切腹を、申し付けられました」
その答えに、綾は、しばらく、目を閉じた。
「千代殿は、それを、良しとされたのですか」
「わたくしは、命までは奪わずともよいと、そう思うておりました。ですが、通春様の御下知には、逆らえませぬ」
「そうですか」
綾は、それだけ、静かに答えた。
「御正室の方は、六郎太殿に、下げ渡しました。あの御方だけは、命が守られました」
その言葉に、綾は、深く頷いた。
「御子息は、まだ、幼かったのでしょう」
「はい。十にも、満たぬと聞いております」
「その子に、罪などあったはずもないのに」
綾の、その一言に、わたしは、何も、答えられなかった。数として片づけてしまいがちな、この一件の裏にも、一人の子供の、短すぎた人生が、確かに、あったのだった。
「これで、よかったのでしょうか」
わたしは、そう、弥九郎に、漏らした。
「よかったかどうかは、分からぬ。だが、これ以上の犠牲は、避けられた」
その答えに、わたしは、深く頷いた。この一党が、これまで守ってきた「殺さぬ」という一線と、河野方の下した「なめられれば殺す」という一線と。その二つのあいだで、この一党は、これからも、幾度も、綱渡りを続けていくことになるのだろう。
その夜、範久様にも、この大野氏の家族の処遇について、あらためて、伝えた。
「命だけは、守られたと」
範久様が、そう確かめた。
「はい。それがしにできることは、これが、精一杯にござりました」
「千代殿は、いつも、そうして、できる限りの手を、尽くされますね」
その言葉に、わたしは、深く頭を下げた。
「範久様も、いずれ、こうした難しい判断を、御自身で、下さねばならぬ日が、来ましょう」
「はい。その日のために、いまから、しかと、学んでまいる所存にて」
その真っ直ぐな決意に、わたしは、深く、頷いた。この幼い当主が、いつか、この一党の重みを、自らの手で、担う日が来る。その日のために、いまは、共に、一つ一つ、歩みを重ねていくしかなかった。範久様は、深く頭を下げ、静かに、館を辞していった。その後ろ姿を見送りながら、わたしは、この一党の未来が、確かに、次の世代へと、受け継がれつつあることを、あらためて実感した。夜の帳が、静かに、島全体を、包み込んでいった。
その足で、正俊の鍛冶場にも、立ち寄った。正俊は、黙々と、槌を振るい続けていた。
「大野氏の一件、聞き及んでおるか」
わたしが、そう訊ねると、正俊は、手を止めた。
「はい。厳しい沙汰であったと」
「そなたの打つ刃も、いずれ、そうした場面で、使われることになる。それを、どう思うておる」
その問いに、正俊は、しばらく、考え込んだ。
「刃は、使う者の心次第にて。それがしは、ただ、確かな一振りを、鍛え続けるのみにござります」
その答えに、わたしは、深く頷いた。技を持つ者の、その静かな覚悟にも、この一党は、支えられていた。
館へ戻る道すがら、夕暮れの空を、しばらく、見上げた。この島に集った、それぞれの立場の者たちが、皆、それぞれの形で、この一件の重みを、受け止めていた。数えることに慣れたこの頭でも、その一つ一つの受け止め方までは、正しくは、数え切れなかった。
外では、八月の暑さが、まだ、いくらか、こもるように残っていた。




