第二十五話 城を落とす
永享三年(一四三一)七月 伊予国 怒和島 下怒和
梅雨が明け、七月の末、ついに、大野氏の城攻めの日が来た。
夜半、月のない闇の中を、楠木党残党の一団が、静かに、山を登りはじめた。藤内の下知のもと、二十人ほどの手練れが、崖に取り付き、縄梯子と鉤縄とを使い、音もなく、城の裏手へと迫っていく。行然も、その一団に加わっていたが、手勢を実際に動かす差配は、もっぱら、藤内が担っていた。
わたしは、怒和島の館で、早馬の知らせを通じて、その様子を、追っていた。此度も、この身は、戦場に立つことは、叶わなかった。だが、この一戦の絵図を描いたのは、間違いなく、この自分だった。
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「登り、始めており申す」
伊佐次が、届いた知らせを、そう伝えた。
「まだ、見咎められておらぬか」
「いまのところは。城方の見張りは、いつもどおりの数にて」
その報せに、わたしは、頭の中で、静かに数を数えた。ここまでの支度が、すべて、正しく実を結ぶかどうか。その答えは、もう、この身では、決められなかった。
夜が更け、城の物見櫓の一つから、小さな炎が上がったという知らせが、続けて届いた。
「始まり申した」
伊佐次が、そう呟いた。
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藤内たちが、物見櫓に、火を放ったのだという。城方が、その火に気を取られているあいだに、別の一団が、城門近くまで、密かに忍び寄っていた。
やがて、大きな爆ぜる音が、夜の静寂を、一気に破ったという一報が、駆け込んできた。
「門を、破り申した」
その報せに、わたしは、深く息を吐いた。焙烙玉が、閂を、内側から、確かに吹き飛ばしていた。
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「弥九郎様、御突入」
その報せと同時に、弩を構えた常備兵百五十あまりが、開いた門から、一斉になだれ込んだと知れた。彦次を先頭に、幸松、亀吉らも、その中に加わっていた。門を割り、力ずくで押し通る彦次の攻め口は、いつぞや、十兵衛から聞いた、高師直の型そのものだった。知恵と潜伏で搔き乱す楠木党残党の型と、金と力とで正面から穴を穿つ彦次の型と。二つの異なる型が、いま、この一戦で、初めて、同時に、確かな形を取っていた。
城内は、突然の混乱に、大きく揺れているという。夜討ちと、放火と、破られた門と。三つの衝撃が、同時に、城方を襲っていた。
「城方の兵、百五十からは下りますまい。数では、決して劣っており申さぬ」
伊佐次が、そう報告した。
「それでも」
わたしは、そう続けた。
「技の差が、ものを言いましょう」
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戦いは、それから、幾刻か続いたと、途切れ途切れの知らせが伝えてきた。弩を構えた常備兵が、城方の反撃を、確実に押し返していく。焙烙玉は、既に役目を終え、この先は、弩と、白兵の技とが、戦いの主役だった。
途中、ひときわ大きな叫び声が上がったという報せに、思わず、息を止めた。誰かが、深手を負ったのだろう。すぐには、誰の声かも、生死も、分からなかった。分からないまま、次の報せを待つほかなかった。
弥九郎自身も、本隊を率いて、城の中腹まで、既に、進んでいるという報せが届いた。
「殿は、御無事か」
わたしが、そう訊ねると、使いの者は、頷いた。
「御無事にて。郷田十兵衛殿の指南どおり、陣立てを崩さず、着実に、押し込んでおられまする」
その報せに、わたしは、少し、肩の力を抜いた。だが、まだ、終わってはいなかった。
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夜が明けるころ、城の本丸近くから、決定的な報せが届いた。
「大野氏当主、捕らえられ申した」
その一報に、館の内が、静かに沸き立った。
「討ち死にではのうて、捕縛か」
わたしが、そう訊ねると、使いの者は、頷いた。
「弥九郎様、御自らの下知にて。降伏する者は、殺すなと」
その答えに、わたしは、深く頷いた。皆殺しにしないという、殿がこれまで貫いてこられた下知は、この激しい戦の中でも、確かに守られていた。
同じ頃、別働隊として送り出していた常備兵からも、報せが届いていた。通春様の本隊が、教通方の本拠へ、既に、押し寄せているという。大野氏という後ろ盾を、こちらが確かに断ったことで、教通方の兵の出足が、いくらか鈍っているとの由だった。二正面の絵図が、いま、確かに、噛み合いはじめていた。
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夜、灯芯を整えながら、帳に、この日のことを書き留めた。
大野氏の城、落つ。楠木党残党の夜討ち・放火・崖登り、焙烙玉による城門破壊、弩を持つ常備兵の突入。三段構えの攻城戦、成功す。大野氏当主、捕縛。殺さぬという歯止め、守られる。別働隊、通春様の本隊に合流。教通方本拠への攻め、既に始まる。
書き終えて、しばらく、その一行を見つめた。これまでの、理と利による決着とは、まるで異なる、純粋な力と技による勝利だった。その勝利の重みを、わたしは、まだ、正しくは数えきれずにいなかった。
翌日、彦次を先頭とする先発の一団が、怒和島へ、戻ってきた。幸松と亀吉も、その中にいた。
戦いのあいだ、幸松と亀吉は、彦次の下で、弩を構え、城内へと突入する一団の中にいた。館へ戻ったのち、二人から、直に、戦の様子を聞くことができた。
「恐ろしゅうござりました」
幸松が、そう漏らした。
「矢が、幾度も、間近を掠め申した。稽古とは、まるで、違う恐ろしさにて。門を潜ってすぐ、目の前に立っておった城方の男が、鉤縄の一党に、後ろから斬り伏せられ申した。倒れる音が、思うたより、ずっと重うござった」
亀吉も、頷いた。
「それがしは、弩を構えたまま、狙いを外し申した。狙うた先に、味方が飛び込んで参りましてな。危うく、味方を撃つところにて。あの一瞬は、いまも、夢に出て参ります」
「それでも、十兵衛殿の御指南どおりに、動けたか」
わたしが、そう訊ねると、二人は、深く頷いた。
「体が、覚えており申した。頭で考えるより先に、体が、動いており申した」
その言葉に、わたしは、深く、安堵の息を吐いた。幾月もの稽古が、実の戦場で、確かに、命を守る力になっていた。
「怪我は」
「幸松は、かすり傷ひとつ。それがしは、少し、足を挫き申した。ですが、命に関わる怪我では、ござりませぬ」
亀吉が、そう答えると、わたしは、深く頷いた。
「円秀殿に、しかと、診てもらうように」
「承知いたし申した」
その様子を見ながら、わたしは、この島で育った子供たちが、いま、確かに、一人前の戦士として、戦場を、生き抜いてきたことを、あらためて、噛みしめた。
橘小三郎も、幸松たちと同じ一団に加わり、初めての戦を、生き延びていた。
「小三郎殿は、いかがでしたか」
わたしが、そう訊ねると、小三郎は、まだ、いくらか、青ざめた顔をしていた。
「正直、足が、竦みました。ですが、幸松殿たちの後を追ううちに、いつのまにか、前へ、進んでおり申した」
「初めての戦は、皆、そのようなものにござります」
わたしが、そう言うと、小三郎は、深く頷いた。
「予州家の縁の者として、恥じぬ働きを、せねばと、そればかりを、考えており申した」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。この島に集った、それぞれの立場の若者たちが、皆、この一戦で、確かに、一つ、大人へと近づいていた。
彦次もまた、無事に、戻ってきていた。
「彦次殿は、いかがでしたか」
わたしが、そう訊ねると、彦次は、少し、誇らしげな顔をした。
「かつての、根無し草の頃には、考えられなんだほど、確かな役目を、果たせ申した。この島に、拾われた恩を、少しは、返せたかと存じます」
その言葉に、わたしは、深く頭を下げた。
郷田十兵衛も、戦いを終えて、疲れた顔をしながらも、確かな手応えを滲ませていた。
「殿の陣立て、見事なものにござった。もはや、それがしの指南など、要らぬやもしれませぬ」
十兵衛が、そう言うと、わたしは、首を振った。
「まだまだ、そなたの指南には、敵いませぬ。此度、こうして、勝てたのも、そなたの教えあってのこと。殿がお戻りになれば、しかと、そう申し上げましょう」
その遣り取りを聞きながら、わたしは、この一党が、これまで積み重ねてきた、幾つもの縁と技との、確かな結晶を、目の当たりにしている気がした。
正俊と清光も、無事に、戻ってきていた。二人が仕上げた、あの揃いの一振りは、弥九郎の手で、戦場で、確かに、その真価を発揮したと、伝令から聞き及んでいた。
「刃こぼれ一つ、なかったとの由。まことにござりますか」
正俊が、そう訊ねた。
「殿御自身が、お戻りになれば、しかと、確かめられましょう。銘を切るのも、それから、にござります」
正俊は、深く頷いた。
長船清光も、この戦で、自らの手で鍛えた武具の数々が、確かに、役立ったことを、誇らしげに報告してきた。
「量を鍛える技も、質を極める技も、この戦で、それぞれ、確かな値打ちを示し申した」
清光が、そう言うと、正俊も、深く頷いた。
「互いの技があってこそ、この勝ちがある。そう思うており申す」
二人の、かつての衝突からは、想像もできないほどの、確かな信頼が、いま、そこにあった。
その夜、綾のもとを訪ねた。城攻めの首尾を、詳しく伝えた。
「城が、落ちたのですね」
綾が、そう言った。
「はい。ですが、決して、軽い勝ちではござりませなんだ。幾人もの怪我人も出ました」
「命を落とした者は」
「弥九郎方でも、常備兵のうち、幾人かが、命を落としており申す。ですが、大野氏方には、それよりなお多くの死者が出たと聞いております」
その報せに、綾は、しばらく、目を伏せた。
「幸松殿や、亀吉殿たちは」
「皆、無事に、戻ってまいりました」
綾は、それを聞いて、深く、安堵の息を吐いた。だが、その顔には、まだ、いくらか、陰りが残っていた。
「それでも、名も知らぬ誰かの命が、幾つも、失われたのですね」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。数として見れば、この戦は、確かな勝利だった。だが、綾の言葉は、その数の裏にある、一人一人の命の重みを、あらためて、思い出させてくれた。
「大野氏当主は、いかに」
綾が、そう訊ねた。
「捕らわれております。この先の処遇は、河野方の御沙汰次第にて」
その答えに、綾は、少し、複雑な顔をした。
「筋を通された御方が、これから、どうなられるのか」
「まだ、分かりませぬ」
わたしは、そう答えるのが、精一杯だった。
翌日、円秀が、戦で怪我を負った者たちの手当てを、一つ一つ、丁寧に終えたという報告に来た。
「命に関わる怪我は、幸い、ござりませなんだ」
円秀が、そう報告すると、わたしは、深く、安堵の息を吐いた。
「用意していただいた薬が、大いに役立ち申した」
「それは、何よりにござります」
わたしは、そう答えながら、頭の中で、この戦の全容を、あらためて、数え直した。夜討ち、放火、焙烙玉、弩の突入。三段構えの攻城戦は、確かに、成功した。だが、その成功の裏には、幾多の支度と、幾人もの働きとが、静かに、積み重なっていた。
「殿は、いま、どちらに」
わたしが、そう訊ねると、六郎太が、答えた。
「まだ、大野郷に、留まっておられます。大野氏当主の身柄の引き渡しと、河野方への報告とで、お忙しいご様子にて」
その答えに、わたしは、深く頷いた。殿が戻られるまで、あと幾日かかろうか。数えても、すぐには答えの出ない問いだった。
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数日をかけて、弥九郎方の船団は、砥部から、怒和島へと、戻ってきた。湊には、綾たちが、既に、出迎えの支度を整えて、待っていた。
「お帰りなさいませ」
わたしが、そう出迎えると、弥九郎は、疲れきった顔をしながらも、確かな笑みを浮かべた。
「戻ったぞ」
その一言に、これまでの、長い緊張が、ようやく、解けていくのを感じた。
「これで、よかったのでしょうか」
わたしは、そう、誰にともなく呟いた。
弥九郎が、その声を聞きつけ、こちらへ近づいてきた。
「よかったかどうかは、まだ、分からぬ。だが、他に道は、なかった」
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「大野氏当主は、いかに」
わたしが、そう訊ねると、弥九郎は、少し複雑な顔をした。
「捕らえてはおる。だが、あの目は、いまも、まったく、屈しておらぬ」
「屈せぬまま、捕らわれておられる、と」
「ああ。あの御方は、たとえ捕らわれようと、己の筋を、決して曲げぬのだろう」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。この一戦は、力では、確かに、決着がついた。だが、大野氏という男の、あの筋そのものは、いまも、まだ、屈していなかった。
「これから、どうなさるおつもりですか」
わたしが、そう訊ねると、弥九郎は、しばらく、考え込んだ。
「河野方の御沙汰を、待つほかあるまい」
その答えに、わたしは、頭の中で、静かに、この先の展開を数えはじめた。捕らわれた当主の処遇を、誰が、どう決めるのか。その答えは、まだ、はきとは、見えなかった。
その日の午後、正俊が、あの揃いの一振りを、弥九郎のもとへ、持参した。
「刃こぼれ一つ、ござりませぬ」
弥九郎が、その刀を、鞘から抜き、光にかざしながら、そう言った。
正俊は、その様子を、じっと見つめていた。
「銘を、切ってもよろしいか」
正俊が、そう訊ねると、弥九郎は、深く頷いた。
「無論だ。この一振りは、既に、恥じぬ働きを見せた」
正俊は、その夜のうちに、鍛冶場へこもり、静かに、銘を刻んだ。翌朝、その刀を、あらためて、弥九郎のもとへ、届けに来た。
「村正、と切らせていただき申した」
その名を聞いた瞬間、わたしの頭の奥で、また、あの微かな震えが走った。この名が、いつか、遠い未来で、どのような形で語り継がれることになるのか。いまも、まだ、はきとは分からなかった。
「良い名だ」
弥九郎は、そう言って、深く頷いた。その一言に、正俊は、深く、深く、頭を下げた。
「殿、まことに、御苦労さまにござりました」
わたしが、そう言うと、弥九郎は、深く頷いた。
「お前の支度があってこその、この勝ちだ」
その言葉に、わたしは、深く頭を下げた。
「首尾は、河野方に、しかと、伝わりましたか」
「これから、伝える。此度の戦、河野方にとっても、確かな成果になろう」
「疲れておられますか」
「疲れた。だが、悪い疲れではない」
その答えに、わたしは、微かに笑った。
「良い疲れ、にござりますね」
「ああ。良い疲れだ」
弥九郎は、そう言って、静かに、目を閉じた。この長い戦いが、ようやく、一つの区切りを迎えていた。
翌朝、範久様のもとへ、この戦の首尾を伝える使いを、あらためて、遣わした。
「城、落つ。犠牲、最小限に留まる。大野氏当主、捕縛」
その一報を聞いた範久様は、深く、安堵の息を吐いたという。
「これで、河野内訌も、いよいよ、決着に近づくのですね」
範久様が、そう漏らしたと、使いから伝え聞いた。その言葉に、わたしは、深く頷いた。
弥太郎が、父の足元に、嬉しそうに、まとわりついていた。その光景を見ながら、わたしは、この長い戦いの、確かな終わりを、静かに、噛みしめていた。数えることに慣れた頭でも、この安堵の重みだけは、簡単には、数え切れなかった。ただ、皆が、無事に、この地に戻ってきたという、その一事だけが、いま、何よりも確かな数として、胸に刻まれていた。夜風が、静かに、湊を渡っていった。
外では、七月の熱気が、まだ、こもるように残っていた。




