第二十三話 焙烙玉
永享三年(一四三一)五月 伊予国 宇和海
伊佐次が、宇和海の道筋を確かめるため、船を出したのは、それから間もなくのことだった。
「関門海峡、大内様の御目を、あえて避けとうござります」
伊佐次は、そう言って、出立の支度を整えた。
「日向灘から、豊後水道を抜け、宇和海を北上する。東回りの道筋にござります」
わたしは、頭の中で、これまで書き溜めてきた潮の表を、あらためて思い描いた。だが、この遠い海域の潮までは、まだ、詳しくは分かっていなかった。
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「潮を読み、関所の目を盗み、追手があれば振り切る。かつて、倭寇として培った技が、ここでも、そのまま活きましょう」
わたしが、そう言うと、伊佐次は、深く頷いた。
「奪う技を、今度は、運ぶ技として使うわけにて」
その言葉に、わたしは、少し感慨を覚えた。この一党が積み重ねてきた技は、いつも、こうして、姿を変えながら、次の役目を得ていく。
船が出て、十日ほどが過ぎたころ、宇和海の在地の海賊衆と、小さな諍いがあったという報せが届いた。
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「土居と名乗る一党にござります」
戻ってきた伊佐次が、そう報告した。
「頭は、いかなる者か」
わたしが、そう訊ねると、伊佐次は、答えた。
「土居某と申す御方にて。宇和海の一角を、代々、治めてきた一族との由」
「因島や、六島と、似た気質やもしれませぬな」
わたしは、そう漏らした。地に根を張り、余所者を警戒する。これまで、幾度も、出会ってきた性分だった。
「縄張りを、荒らしたと、思われたようで」
「戦うたのか」
弥九郎が、そう訊ねた。
「一戦、交える寸前まで、まいり申した。ですが」
伊佐次は、少し間を置いて、続けた。
「荷の一部を融通し、道筋の情報を分け合うことで、折り合いをつけ申した」
その報告に、わたしは、深く頷いた。武力で押し通すのではなく、理と利で折り合いをつける。この一党の、いつものやり方が、遠い海の上でも、確かに通じていた。
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「して、硫黄は」
わたしが、そう訊ねると、伊佐次は、誇らしげな顔をした。
「確かに、手に入り申した。薩摩の硫黄島から来た品にて、量も、これまでとは、比べ物になりませぬ」
その報せに、館じゅうが、静かに沸き立った。硝石、木炭、硫黄。火薬の三つの原料が、ここで初めて、すべて自前で揃うことになった。
「硝石の育ちも、近ごろ、目に見えて、早うなり申した」
伊佐次が、そう続けた。
「蚕の糞を混ぜはじめてから、でしたな」
「はい。桑を育てはじめて、まだ、日は浅うござりますが、蚕の糞を、土に混ぜ込むようになってから、硝石の育ちが、これまでの半分ほどの時で、済むようになり申した」
わたしは、深く頷いた。前の生で、かすかに聞きかじった理屈だった。桑の葉を食んだ蚕の糞には、糞の中でも、格別に、養い分が濃く含まれているという。それが、いずれ、養蚕そのものの実りにも繋がるはずだった。糸を紡ぐための蚕が、思わぬところで、火薬の育ちをも、支えていた。
「これで、明頼みではのうなりましたね」
わたしが、そう言うと、弥九郎は、深く頷いた。
「よくやった」
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火薬が潤沢になったことで、郷田十兵衛が、以前から温めていた着想を、いよいよ、形にする試みが始まった。
「焙烙玉のような形にできれば、寡兵でも、大軍の足を止められましょう」
十兵衛は、そう言って、幾つかの試作を、太郎丸たちと共に、作りはじめた。
だが、事は、簡単には運ばなかった。
「爆ぜ方が、弱うござる」
最初の試作は、ただ、煙を上げただけで終わった。次の試作は、逆に、暴発し、扱った者の一人が、手に軽い火傷を負った。
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「これでは、使えませぬ」
十兵衛が、苦い顔で、そう漏らした。
「割合を、変えてみましょう」
わたしは、そう提案した。硝石、硫黄、木炭。前の生の記憶を頼りに、幾つかの割合を、太郎丸たちに試させた。
幾度もの失敗を経て、ようやく、安定して爆ぜる割合に行き着いたのは、それから、ひと月ほど後のことだった。
「これなら、使えましょう」
十兵衛が、そう言って、初めて、はっきりと頷いた。
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「この焙烙玉を、誰に持たせる」
弥九郎が、そう訊ねた。
わたしは、少し考えてから、はっきりと答えた。
「常備兵には、持たせませぬ。楠木党残党にのみ、限りとうござります」
「なぜだ」
「これは、生半な稽古で持たせてよい代物ではござりませぬ。下手をすれば、味方の手の中で爆ぜましょう」
弥九郎は、それを聞いて、深く頷いた。
「厳選された者にのみ、任せる、ということだな」
「はい。楠木党残党は、既に、鍛え抜かれた者たちにござります。彼らにのみ、この危うい仕事を、託しとうござります」
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支度がここまで進んだ折、弥九郎は、初めて、主だった者たちを、正式に一堂に集め、評定の席を設けた。伊佐次、松吉、六郎太、郷田十兵衛、幸松、亀吉。この一党の、いまの屋台骨を成す顔ぶれだった。
「此度の戦を機に、いま一度、この一党の構えを、正しく、定めておきたい」
弥九郎が、そう切り出した。
「これまで、忍びに近い技を持つ者、あるいは、鍛冶や、窯の技を持つ者を、幾人も、この島に迎えてきた。だが、その多くは、いまだ、武士としての正式な身分を、持たぬままだ」
「身分がないと、何か、障りが」
伊佐次が、そう訊ねた。
「障りが、ある。技を持つ者が、身分のないまま、外の目に晒されれば、いずれ、他家に、その技ごと、掻っ攫われかねぬ。あるいは、いざというとき、この一党のために、命を張る理由を、持ちにくくなる」
わたしは、そう続けた。
「郷田十兵衛殿、楠木党残党の主だった者たち、五郎左衛門殿、正俊殿、清光殿、そして、太郎丸殿・次郎丸殿。いずれも、既に、この一党にとって、欠かせぬ技を持つ者たちにござります。此度の戦を境に、正式に、武士として、召し抱えとうござります」
その言葉に、弥九郎は、深く頷いた。
「異存はない。むしろ、遅すぎたくらいだ」
「幸松や、亀吉たちも、幾年も、この島で、確かな働きを見せてまいりました。いずれ、然るべき時に、正式な取り立てを、考えとうござります」
その言葉に、幸松と亀吉は、揃って、深く頭を下げた。
「それがしどもに、そこまで」
「これまでの働きに、正しく報いる。それが、この一党の、確かな筋にござります。恩を、宙ぶらりんのままにしておいては、いずれ、綻びが生まれましょう」
その言葉に、弥九郎は、深く頷いた。
「では、この評定にて、決す。郷田十兵衛、五郎左衛門、正俊、清光、太郎丸、次郎丸。いずれも、正式に、この一党の武士として、扶持を与える。楠木党残党のうち、藤内をはじめとする、主だった者たちにも、同様に」
「かたじけのう存じまする」
その場に集った者たちが、揃って、深く頭を下げた。わたしは、その光景を、少し離れた場所から、静かに見つめていた。これまで、名も残らぬまま、この島を支えてきた者たちが、いま、こうして、確かな身分と、居場所とを、手にしていた。
「これで、誰が、この一党の、どの持ち場を担うておるのか、家中の誰の目にも、はきと、見えるようになりましょう」
わたしは、そう続けた。
「これまでのように、それぞれが、それぞれの判断で動くだけでは、この先、一党の図体が大きくなるほど、綻びが生まれやすくなりまする。此度のような評定の場も、これからは、折に触れ、設けとうござります」
その言葉に、弥九郎は、深く頷いた。
評定のあと、正俊が、行然の前に、あらためて、深く頭を下げる姿があった。
「行然殿に、一つ、お伺いしとうござります」
「なんなりと」
「それがしの家に伝わる、楠木公の血を引くという言い伝え。まことか、ただの作り話か、正直、それがし自身、はきとは、分かっており申さぬ。行然殿は、楠木党の縁の御方。何か、御存じのことがあれば」
行然は、しばらく、正俊の顔を、じっと見つめていた。
「まだ、百年とは経っておらぬ話にござる。遠い神代の言い伝えとは、わけが違う。儂の師の、その師にあたる御方が、まさに、あの動乱の時代を、この身で生き抜いた御方でな。千子、という名も、伊勢に散った一党の一つとして、はきと、聞かされており申す」
「それほど、確かな話にござりますか」
正俊が、思わず、身を乗り出した。
「南朝方の落人が、追手を逃れ、伊勢の山中に散った折、刀を鍛える技を持つ者たちが幾人も、その縁にすがって、土地を得たと聞く。ただし、正直に申せば、当時、同じように名乗りを上げた家は、一つや二つではのうて、幾つもあった。生き延びるために、その名にすがった家も、少なからずあったはずにて。真に血を引く家か、その縁に、あとから連なった家か。そこまでは、儂にも、判じかねる」
その言葉に、正俊は、しばらく、黙っていた。
「血の証がのうとも、構いませぬ。それがしの鎚が、その筋を、確かに、継いでおると、そう思うて、これからも、鍛え続けとうござります」
「よき心構えにござる。儂もまた、血ではのうて、命の重さを説く筋だけを、これまで、頼りに生きて参った」
二人の遣り取りを、少し離れた場所から、わたしは、聞いていた。血の証を立てられぬまま、それでも、その名を背負って生きる者たちが、この一党には、幾人もいた。忽那の姓を持たぬまま範久様を支える幸松も、生まれの家を出て嫁いだ綾も、そして、わたし自身も。血にも家にも縛られぬ場所で、それぞれが、それぞれの筋を、確かに背負い直している。その光景を、あらためて、噛みしめずにはいられなかった。
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その頃、松吉が、大野氏の城の縄張りを、密かに探ってきていた。
「門は、南に一つ。物見櫓が、東西に、それぞれ一つ」
松吉が、そう報告した。
「守りは、厚いのか」
「厚うござります。ですが、夜の見張りは、それほど多くはござらぬ様子にて」
その報告に、わたしは、頭の中で、攻城戦の段取りを、少しずつ、組み立てはじめた。
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夜、弥九郎と、あらためて、この日までの支度を振り返った。
「硫黄、焙烙玉、そして、城の縄張り。すべてが、少しずつ、揃ってまいりました」
「あとは」
「弩の増産と、実際の試し撃ちにござります」
弥九郎は、深く頷いた。
「気の長い支度だったな」
「気の長い支度にござりました。ですが、この一戦だけは、急いてしくじるわけには、まいりませぬ」
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夜、灯芯を整えながら、帳に、この日のことを書き留めた。
硫黄、宇和海経由で自前調達に成功。硝石・木炭・硫黄、三つの原料、揃う。焙烙玉、幾度もの失敗を経て、安定した割合に行き着く。楠木党残党にのみ、火薬を扱わせると決す。大野氏の城の縄張り、松吉が探る。
書き終えて、しばらく、その一行を見つめた。これまで、幾つもの技を、一つずつ積み上げてきた。その一つ一つが、いま、この大野氏という壁を越えるために、静かに、しかし確かに、結集しつつあった。
その日の午後、正俊と清光が、共同で仕上げたという、一振りを、館へ持参してきた。
「揃いの武具、まずは、一振りだけ、仕上げ申した」
清光が、そう言って、その刀を、差し出した。
わたしは、その刀を、しばらく、じっと見つめた。刃文は、正俊の技によるものらしく、静かで、それでいて、確かな力強さを湛えていた。拵えは、清光の、実戦向けの、堅牢な作りだった。
「見事な出来にござります」
わたしが、そう言うと、正俊が、静かに、頷いた。
「量を鍛える技と、質を極める技と。この島で、ようやく、一つに、なり申した」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。異なる流儀を持つ二人が、幾月もの衝突を経て、いま、こうして、一つの成果を、共に生み出していた。
「銘は」
わたしが、そう訊ねると、正俊は、しばらく、考え込んだ。
「まだ、切っており申さぬ。この一振りが、実の戦場で、確かな働きを見せたのち、しかと、銘を刻みとうござる」
その答えに、わたしは、深く頷いた。この一振りが、いずれ、大野氏攻めの戦場で、その真価を、確かめられることになるはずだった。
その夜、伊佐次が、宇和海での道中、耳にしたという、もう一つの噂を、伝えてきた。
「宇和海の先、豊後水道のあたりでも、瀬戸内の一党の噂が、既に、広まりつつあるとのこと」
「良い噂か」
わたしが、そう訊ねると、伊佐次は、頷いた。
「はい。約定を違えぬ一党だと、そう伝わっておるようにて」
その話に、わたしは、深く、頷いた。この一党の名は、いつのまにか、瀬戸内の外にまで、確かに、届きはじめていた。
翌日、綾のもとを訪ねた。硫黄の調達が成ったことと、正俊・清光の一振りのことを、かいつまんで伝えた。
「これで、大野氏攻めの支度も、いよいよ、整いつつあるのですね」
綾が、そう言った。
「はい。ですが、まだ、弩の増産が、残っております。すべてが揃うまでは、気を抜けませぬ」
「千代殿は、いつも、そうして、最後まで、気を抜かれませぬね」
その言葉に、わたしは、微かに笑った。
「気を抜けば、そこから、綻びが生まれましょう。数えることに慣れた身にとっては、それが、性分にござります」
綾は、それを聞いて、静かに頷いた。
「その性分が、これまで、この一党を、幾度も、救うてきたのでしょう」
その言葉に、わたしは、深く頭を下げた。
その夜、弥九郎の渡りがあった。硫黄の調達、正俊・清光の一振り、そして、大野氏攻めの支度の進み具合。話は、尽きなかった。
「これで、いよいよ、決戦の日が、近づいてまいりましたね」
わたしが、そう言うと、弥九郎は、深く頷いた。
「長い支度だった。だが、その分、確かな戦になるはずだ」
「はい。何度も、失敗を重ねてまいりました。その一つ一つが、いま、この決戦のための、確かな礎になっております」
弥九郎は、それを聞いて、静かに、こちらの肩に、手を置いた。
「あとは、俺の役目だ。しかと、務めよう」
その言葉に、わたしは、深く頭を下げた。
翌朝、弥九郎は、郷田十兵衛と共に、城攻めの陣立てを、あらためて、絵図の上で、詰め直していた。
「夜討ちの一団、焙烙玉を投じる者、そして、弩を持つ突入の一団。この三段の、それぞれの動く刻限を、寸分違わず、合わせねばなりませぬ」
十兵衛が、そう説いた。
「ずれれば、どうなる」
弥九郎が、そう訊ねた。
「夜討ちが早すぎれば、城方に、備える時を与えましょう。焙烙玉が遅れれば、夜討ちの一団だけが、孤立し、危うくなり申す」
その説明に、弥九郎は、深く頷いた。
「刻限を計るのは」
「それがしと、千代様とで、あらかじめ、しかと、詰めておきましょう」
わたしは、そう答えた。
その日から、幾度も、絵図の上で、動きを確かめる稽古が、繰り返された。太郎丸や次郎丸も、この稽古に、時折、加わった。彼らの窯場で培った、火と時を読む感覚が、思いのほか、この戦支度にも、役立っていた。
「窯の火加減を読むのと、どこか似ており申すな」
太郎丸が、そう漏らすと、十兵衛は、微かに笑った。
「火も、戦も、間合いがすべてだ。焦れば、失敗する」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。この島で培われてきた、様々な技が、いま、この一戦のために、静かに、しかし確かに、結びつき合っていた。
その日の夕方、円秀が、館を訪れ、戦支度のための、薬の手配について、相談してきた。
「傷を負う者が、必ず、出てまいりましょう。止血の薬、痛みを和らげる薬、それぞれ、多めに、用意しておきとうござります」
「頼む」
わたしが、そう言うと、円秀は、深く頷いた。
「火傷の薬も、要りましょう。焙烙玉を扱う者たちには、特に」
その言葉に、わたしは、頭の中で、これまでの、幾度もの試作の失敗を、あらためて思い返した。手に軽い火傷を負った者もいた。この先の実戦では、もっと重い怪我も、覚悟せねばならなかった。
「命に関わる怪我にも、備えを」
わたしが、そう続けると、円秀は、しばらく、考え込んだ。
「それがしにできることは、限られており申す。ですが、できる限りの支度は、いたしましょう」
その答えに、わたしは、深く頭を下げた。技術の支度だけでなく、こうした、傷を癒す備えもまた、この一戦には、欠かせないものだった。数えることに慣れた頭では、つい、武具や火薬のことばかりに、目が向いてしまう。だが、円秀のような者たちの支えがあってこそ、この一党は、これまで、幾つもの戦いを、乗り越えてこられたのだった。
夜、灯芯を整えながら、あらためて、帳に、この日の細かな出来事を、書き加えた。
正俊・清光、揃いの武具、初の一振り、仕上がる。銘は、実戦ののちに。円秀、薬の支度を進める。夜討ち・焙烙玉・弩の三段の陣立て、刻限を合わせる稽古、始まる。
書き終えて、しばらく、その一行を見つめた。この島に集まった、それぞれの技を持つ者たちが、いま、一つの目当てに向かって、静かに、しかし確かに、力を合わせていた。武具を鍛える者、薬を調える者、陣立てを組む者。誰一人欠けても、この戦は、成り立たなかった。
弥太郎が、隣の間で、小さく寝返りを打つ音がした。この子が、大きくなる頃には、この一党は、いったい、どれほどの技と、どれほどの絆とを、積み重ねていることだろうか。答えの出ぬ問いを、わたしは、また、帳の隅に置いた。
その夜遅く、範久様からも、支度の進み具合を案じる文が届いた。
「大野氏攻めのこと、家中の者たちも、案じております」
その一文を読み、わたしは、翌日、みずから、義重の館を訪ね、範久様に、直に、いまの支度の様子を伝えることにした。
「弩、火薬、そして、陣立て。すべてが、少しずつ、整いつつござります」
わたしが、そう告げると、範久様は、深く頷いた。
「千代殿の御説明を伺い、いくらか、安堵いたしました」
「案じておられましたか」
「はい。これは、これまでの、この一党の戦とは、違う重みを持つと、伝え聞いておりましたゆえ」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。
「はい。ですが、この重みに見合うだけの支度を、しかと、積み重ねてまいりました。案ずることは、ござりませぬ」
範久様は、それを聞いて、ようやく、心からの笑みを見せた。
外では、五月の潮風が、いくらか湿り気を帯びて吹いていた。梅雨が、間もなく訪れようとしていた。




