第二十二話 畿内から来た男
永享三年(一四三一)四月 伊予国 怒和島 下怒和
大野氏攻めの支度を、正式に始めることになった。その最初の評定の場で、伊佐次が、思いがけない報告を持ち出した。
「弩の弦と機関が、なお、足りており申さぬ」
「以前からの、あの課題か」
弥九郎が、そう訊ねた。
「はい。直せる職人が、いまだ、この島にはおり申さぬ。壊れれば、そのまま、使えぬ木の棒になり果てまする」
「因島や、大三島の鍛冶屋にも、当たりをつけてはみたのだが」
わたしが、そう問うと、伊佐次は、少し、口惜しそうな顔をした。
「いずれも、見たこともない道具ゆえ、手が出せぬと、断られており申した。あの弩は、この国では、既に廃れた技にて。扱える者そのものが、稀にて」
「いま、確かに使えるのは」
弥九郎が、そう訊ねた。
「三挺のみにて。二挺は、既に、機関が傷んでおり申す」
その報告に、わたしは、頭の中で、これまでの怠りを、あらためて数え直した。船倉に眠らせたまま、幾年も、放り置いてきた道具だった。その報いが、いま、こうして、突きつけられていた。
「三挺では、この戦には、到底、足りませぬ」
わたしは、そう言った。
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その報告に続けて、郷田十兵衛が、さらに重い話を切り出した。
「火薬の量そのものが、決定的に足りませぬ」
「硝石は、島で作れるはず」
わたしが、そう言うと、十兵衛は、首を振った。
「硝石は、確かに。だが、硫黄は、以前、阿蓮殿の伝手を頼り、明の商人から、一度きり、僅かに得たのみにて。攻城戦で使うだけの焙烙玉を揃えるには、とうてい足りませぬ」
その報せに、わたしは、頭の中で、素早く算段を組み直した。硫黄の出どころを、明頼みから、自前の調達へ切り替えねばならなかった。
「その道筋を辿った者は、これまで、おるのか」
わたしが、そう訊ねると、水手は、少し考えてから、答えた。
「密かに、渡っておる商人が、幾人か、おるとは聞き申す。ですが、正式に、堂々と、この道を使うた者は、おらぬはずにて」
「なぜ、堂々と使えぬ」
「大内様の御目を、避けねばならぬからにござります。関門を通らずに、上方や、九州の外へ荷を運ぶ道筋は、いわば、抜け荷の道にて」
その言葉に、わたしは、頭の中で、この計画の危うさを、あらためて数え直した。抜け荷の道を使うということは、大内様との、いまの縁を、危うくしかねない賭けでもあった。
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「硫黄の当ては、他にないのか」
弥九郎が、そう訊ねた。
その問いに、宇和海筋の商人と付き合いのある水手の一人が、思いがけないことを口にした。
「薩摩の硫黄島、鬼界ヶ島から出る硫黄が、日向灘、豊後水道を経て、宇和海を北上する道筋があると、聞いたことがござります」
「その道筋の、終着は」
わたしが、そう訊ねると、水手は、少し考えてから、答えた。
「はきとは存じませぬが、忽那諸島のあたりまで、届くと聞き及んでおりまする」
その言葉に、わたしは、胸の奥で、何かが、静かに繋がるのを感じた。この島そのものが、既に、硫黄の密輸の終着点になっているとすれば、自前で、その道筋を辿り直すことも、決して、不可能ではなかった。
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「その道筋を、こちらの手で、確かめとうござります」
わたしは、そう進言した。
「危うい話だ」
弥九郎が、そう答えた。
「危ういやもしれませぬ。ですが、明頼みの、一度きりの調達では、この先、立ち行きませぬ」
弥九郎は、しばらく考えてから、頷いた。
「よかろう。誰に任せる」
「伊佐次に。潮を読む腕は、既に、確かなものにござります」
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弦と機関の職人については、行然を通じて、また新たな縁が結ばれることになった。
「畿内から、一人の職人を、御紹介いたしとうござる」
行然が、そう告げた。
「畿内から、とは」
「かつて、幕府方に近しい武家に仕えておった、弓弩の職人にござる。その家が没落し、行き場を失うておったところを、それがしどもの一党が、庇い申した」
「郷田殿と、同じ経路にござりますね」
わたしが、そう言うと、行然は、深く頷いた。
「没落した畿内の技術者・武人が、それがしどもの縁を通じて、この島に流れ着く。もう、幾度目かの道筋にござる」
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数日後、その職人が、島へ渡ってきた。名を、五郎左衛門といった。歳の頃、四十半ば。痩せた体つきに、職人らしい、節くれ立った指をしていた。
「弩の弦と機関、直せると伺いました」
わたしが、そう訊ねると、五郎左衛門は、深く頷いた。
「直すだけでなく、新しく打つことも、できまする。ただし、材料が要り申す」
「材料とは」
「よく撓る木、そして、丈夫な鹿の腱。この島に、あるかどうか」
わたしは、頭の中で、島の産物を、あらためて数え直した。
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「木は、別子の山にござります。鹿の腱は、これから、探させとうござります」
わたしが、そう答えると、五郎左衛門は、微かに笑った。
「揃えば、幾らでも、打ちましょう。それがしの手が、鈍っておらぬことを、お見せいたす」
「五郎左衛門殿は、畿内では、どのような御方に、仕えておられたのですか」
わたしが、そう訊ねると、五郎左衛門は、少し、遠い目をした。
「口にするのも、憚られる家にござる。ただ、その家が、政の争いに敗れ、一夜にして、すべてを失い申した。それがしのような、腕一本の職人まで、行き場を失い申した」
「その折の悔しさは」
「いまも、消えており申さぬ。だが、悔しさだけを抱えて生きても、腹は膨れませぬ。いまは、この島で、腕を振るえることに、感謝いたしており申す」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。没落した者たちが、この島に流れ着き、ここで、新しい居場所を見出す。その繰り返しを、この島は、これまで、幾度も見てきた。弦・機関の増産が、これで、ようやく、本格化する目処が立った。
その日の夕方、行然と、あらためて、楠木党残党の技について、話し合う機会があった。
「一つ、御頼みしたきことが」
わたしは、そう切り出した。
「大野氏の城を落とすには、これまでとは違う技が、要りまする」
「違う技、とは」
行然が、そう訊ねた。
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「夜討ち、放火、そして、崖を登っての城内への浸透」
わたしは、そう続けた。行然は、少し、表情を硬くした。
「それは、それがしどもの流儀とは、いささか、異なる技にて」
「存じております。楠木党残党の技は、変装、潜伏、情報を探ること。だが、此度は、それとは、また別の技が要りまする」
行然は、しばらく、黙っていた。
「高師直は、政敵の屋敷に火を放ち、天然の要害さえ、縄梯子と鉤縄で乗り越えさせたと申す。それができるだけの技を、身につけよ」
わたしは、そう告げた。出典は、明かさなかった。ただ、確かな事実として、言い切った。
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「高師直、と申されると」
行然が、少し眉を寄せた。
「それがしどもにとっては、いわば、仇敵の流儀にござる」
「存じております。ですが、いま、必要なのは、恨みではのうて、役に立つ技にござります。かつての敵のやり方であっても、役に立つならば、取り込む。それが、この一党のやり方にござります」
行然は、しばらく、考え込んでいたが、やがて、深く頷いた。
「かしこまり申した。生き延びるための実利、と割り切りましょう」
その答えに、わたしは、深く頭を下げた。
「稽古は、誰が付ける」
弥九郎が、そう訊ねた。
「行然殿御自身が、まず、率先して、学び直されるとのこと。齢は、既に、若うはござりませぬが」
「あの御方が、みずから」
「はい。人に命じるだけでは、真に、身につく技にはならぬと、そう仰せになりました」
その言葉に、弥九郎は、深く頷いた。
「頭に立つ者が、みずから、汗をかく。それでこそ、下の者もついてくる」
数日後、隠れ里の外れで、楠木党残党の面々が、崖に見立てた急な斜面を、縄と鉤縄とを使い、幾度も、登り降りする稽古が始まった。
「これまでの、変装や、潜伏の技とは、まるで、違う筋にござる」
行然が、息を切らしながら、そう漏らした。
「体の使い方から、覚え直さねばなりませぬ」
若い衆の一人が、そう言いながら、それでも、幾度も、崖を登り続けていた。落ちかけては、また、登り直す。その繰り返しを、わたしは、遠目に、しばらく見守っていた。
「怪我人は」
わたしが、そう訊ねると、行然は、答えた。
「幾人か、擦り傷、打ち身の類にて。命に関わる怪我は、いまのところ、ござりませぬ」
「無理はさせぬように」
「承知いたしており申す。ですが、実の戦場では、もっと過酷な条件で、この技を使わねばなりませぬ。いまのうちに、体で覚え込ませておかねば、いざというとき、命取りになりましょう」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。何度も失敗を重ねてこそ、確かな技になる。この一党が、これまで、幾度も、繰り返してきた道理だった。
夕暮れ、稽古を終えた一団が、疲れ切った顔で、隠れ里へと戻っていった。その中に、藤内の姿もあった。かつて、追手から逃れ、この島に匿われた、あの男だった。
「藤内殿も、この稽古に」
わたしが、そう声をかけると、藤内は、少し照れたような顔をした。
「あの折、命を拾うていただいた恩を、こうして、返せる機がくるとは、思うており申さなんだ」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。この島に流れ着いた者たちの、それぞれの恩返しの形が、いま、この戦支度の中に、確かに、織り込まれていた。
翌日、伊佐次を、あらためて呼び、宇和海の道筋を探る役目を、正式に言い渡した。
「危うい役目にござります。抜け荷の道を辿ることになりますゆえ」
わたしが、そう告げると、伊佐次は、深く頷いた。
「これまでも、危うい海を、幾度も渡ってまいり申した。この島のためとあらば、いかなる海も、恐れませぬ」
「危うい役目には、それに見合うだけの、確かな見返りを、用意いたしとうござります」
わたしは、そう続けた。
「この一件が、無事に済んだ暁には、そなたには、別子か、新居郡のいずれかに、そなた自身の名で、田畑を持たせとうござります。これまで、幾度も、危うい役目を、黙って引き受けてくれた、その恩に、報いたく存じます」
その申し出に、伊佐次は、少し、驚いた顔をした。
「それがしのような者に、そこまでは」
「危うい役目を、当たり前のこととして、頼み続けるわけには、まいりませぬ。恩を、きちんと、返さねば、この一党そのものが、いずれ、人を、使い捨てにする一党に、成り下がりましょう」
その言葉に、伊佐次は、深く、頭を下げた。この一党が、ここまで来られたのは、こうした者たちの、確かな支えがあってこそだった。
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その夜、弥九郎と、この日の首尾を振り返った。
「弦の職人、硫黄の道筋、そして、楠木党残党の新たな鍛錬。三つの手が、同時に動きはじめました」
「一つずつでは、間に合わぬということか」
「はい。大野氏という壁は、これまでの相手とは、違う重みを持っておりまする。すべての手を、同時に、注ぎ込まねばなりませぬ」
弥九郎は、深く頷いた。
「お前が、そこまで急ぐのは、珍しいな」
「急がねば、しくじりまする。この一戦だけは、これまでのように、気の長い話では、済ませられませぬ」
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夜、灯芯を整えながら、帳に、この日のことを書き留めた。
弦・機関の職人、五郎左衛門、畿内より来る。硫黄の自前調達、宇和海の道筋を、伊佐次に探らせる。楠木党残党に、新たな鍛錬(夜討ち・放火・崖登り)を命じる。大野氏攻めの支度、三つの手、同時に動きはじめる。
書き終えて、しばらく、その一行を見つめた。これまで、この一党は、幾つもの技を、一つずつ、丁寧に積み上げてきた。だが、この大野氏という壁を越えるには、その積み上げてきた技のすべてを、一度に、注ぎ込まねばならなかった。
弥九郎が、部屋の外から、声をかけてきた。
「まだ、書いておるのか」
「はい。この戦は、これまでとは、規模が違いまする。書き記すことも、いつもより、多うござります」
「疲れておらぬか」
「疲れは、ござります。ですが、いま、手を緩めるわけには、まいりませぬ」
弥九郎は、それを聞いて、しばらく、こちらの隣に座った。
「無理をするな。お前が倒れれば、この一党の頭が、止まってしまう」
その言葉に、わたしは、少し、胸が温かくなった。
「殿が、そうして、案じてくださるだけで、随分と、力が湧いてまいりまする」
翌朝、綾のもとを訪ねた。この日までの支度の進み具合を、かいつまんで伝えた。
「これほど、多くの技を、一度に動かすのは、初めてのことにござりますね」
綾が、そう言った。
「はい。ですが、一つ一つは、これまで、この島が、幾年もかけて、積み上げてきたものにござります。何も、一朝一夕に、生まれたものは、ござりませぬ」
「その積み重ねが、いま、この一戦のために、束ねられておるのですね」
「はい。そう思うと、この重い支度も、この島の歩みそのものの、確かな証のように思えてまいりまする」
その言葉に、綾は、静かに、微笑んだ。
「千代殿が、そのように、感慨を口にされるのは、珍しゅうござりますね」
「近ごろ、少しずつ、数えるだけでは、済まぬものを、感じるようになってまいりました」
その答えに、綾は、深く頷いた。弥太郎と、綾の子・虎王丸とが、その傍らで、無邪気に、笑い声をあげていた。もう六つになった虎王丸は、幼い弥太郎の、よき遊び相手だった。
外では、四月の穏やかな風が、静かに吹いていた。だが、その穏やかさの裏で、この島は、いま、これまでにない規模の戦支度を、静かに進めていた。




