第二十一話 通じぬ道理
永享三年(一四三一)三月 伊予国 砥部・大野郷
義重が、大野氏の頑なさの根を聞き出してから、ひと月ほどが過ぎた。弩と焙烙玉の支度は、その間も、十兵衛の手で、着実に進められていた。ただ、義重が、最後の義理として、もう一度だけ、あらためて使者を立てさせてほしいと、そう申し出てきていた。
「此度も、お聞き入れいただけませなんだ」
義重が、疲れきった顔で、そう報告した。
「所領安堵の儀は、いかように」
わたしが、そう訊ねると、義重は、首を振った。
「示唆いたし申した。だが、当主は、こう仰せられた。『安堵などという紙切れ一枚に、この家の値打ちを、売り渡すつもりはない』と」
---
「二度目、三度目と、重ねても、同じでござりましょうか」
弥九郎が、そう訊ねた。
「同じにござりましょう。あの御方の意地は、揺らぐ気配が、まるでござらぬ」
義重は、そう答えてから、少し声を落とした。
「正直、それがしも、もう、何を申せばよいのか、分からなくなってまいり申した」
その言葉に、わたしは、頭の中で、これまでの交渉の記録を、あらためて数え直した。三度の使者、二度の書状、一度の直談判。いずれも、同じ壁に、同じように跳ね返されていた。
---
「もう一度だけ、書状を、送ってみとうござります。此度こそ、まことに、最後の一通と、心得て」
わたしは、そう提案した。
「これで、お応えいただけねば、もはや、義理を通す道は、尽き申した。心置きなく、力に訴えられましょう」
義重は、深く頷いた。
「これが、最後の義理にござるな。試してみましょう」
数日後、丁寧に書き上げた書状が、大野氏の館へ届けられた。所領安堵の条件、河野方の下知の正当性、そして、通春方の勢いが、既に伊予国内を大きく覆っていること。理を尽くして、一つ一つ、書き連ねた。
戻ってきた返書は、短かった。
「無用」
その一文字だけが、大きく、はっきりと、記されていた。
---
「これほどまでとは」
弥九郎が、その返書を見て、しばらく黙っていた。
「無用、の二文字に、あの御方の、すべてが込められておりましょう」
わたしは、そう答えた。
「道理も、利も、通じぬ相手が、確かに、いる。頭では、分かっていたつもりでござりました。ですが、これほど、はっきりと、突きつけられるとは」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。数と勘定を頼りに生きてきたこの身にとって、道理も利も通じぬ相手というものは、これまで、幾度も出会ってきたようでいて、実は、正面から向き合ったことのない類の相手だった。
「せめて、大野氏の家中の様子を、もう少し、詳しく知りとうござります」
わたしは、そう続けた。
「以前、松吉からも、いまのところ不満を持つ者はおらぬと、聞いており申した。ですが、それも、まだ、外から見ただけの見立てにすぎませぬ。踏み込んで調べれば、何か、違う顔が見えてくるやもしれませぬ」
義重は、しばらく考えてから、答えた。
「あれから、こちらでも、さらに人をやって、調べさせており申した。松吉殿の見立てどおり、不満を持つ者は、いまだ、見当たり申さぬ。ですが、それだけではのうて、なぜ、これほどまで乱れぬのか、その理由の一端も、見えて参った。大野氏の家中は、驚くほど、一枚岩にて。当主の頑固さを、家臣たちも、むしろ、誇りとしておる節がござる」
「誇り、にござりますか」
「はい。『よそに媚びぬ家』という評判そのものが、あの家の、家臣たちの拠り所になっておるようで」
その話に、わたしは、頭の中で、大野氏という一族の輪郭を、また一段、はっきりとさせた。頑固さの根が、当主一人のものではなく、家中全体に、深く根を張っている。これでは、内側から崩す道は、望み薄だった。
---
「なぜ、ここまで、頑ななのでしょうか」
わたしは、そう漏らした。
「筋、というものにござろう」
弥九郎が、そう答えた。
「筋、にござりますか」
「損得を超えて、譲れぬ一線がある。俺にも、いくらか、分かる気がする」
その言葉に、わたしは、少し驚いた。
「殿にも、譲れぬ一線が」
「ある。数えて出るものではない類のものだ」
弥九郎は、それだけ言って、それ以上は続けなかった。だが、その短い答えの中に、これまで見えていなかった、この男の一面が、確かに滲んでいた。
「大野氏は、われらが敵として、初めて出会う、正面から向き合うべき相手やもしれませぬ」
わたしは、そう続けた。
「これまでの島々は、皆、いずれ、利で動く目があった。だが、大野氏には、それがござりませぬ」
「利で動かぬ相手を、どう攻める」
「利ではのうて、力と、技で、決着をつけるほかござりますまい。ただし、力で決着をつけるにも、丁寧な支度が要りまする」
弥九郎は、深く頷いた。
---
三度目の使者を、伊佐次に任せて送った。
戻ってきた伊佐次の顔には、これまでにない、複雑な色が浮かんでいた。
「当主は、それがしに、こう申されました。『わしを説くために、これほど、幾人もの者を、幾度も、遣わす。その執念には、正直、頭が下がる。だが、執念と、道理とは、また、別のものだ』と」
その言葉に、わたしは、しばらく、何も言えなかった。
---
「他に、何か、申されたことは」
わたしが、そう訊ねると、伊佐次は、少し考えてから、答えた。
「『わしの家は、代々、この地を、他家の口利きに頼らず、守り抜いてきた。その筋を、いま、曲げれば、先祖に、顔向けができぬ』と」
「先祖、にござりますか」
「はい。あの御方にとっては、いまの家中の者たちだけでなく、既に亡き、代々の先祖たちにも、恥じぬ生き方をせねばならぬという、確かな縛りがあるようにて」
その話に、わたしは、頭の中で、これまでの自分の物差しを、あらためて見直した。生きている者たちの得失だけを数えてきた自分には、亡き先祖への義理という物差しは、これまで、正面から数えたことのないものだった。
「大野氏の家系は、いつ頃から、あの地を」
わたしは、そう訊ねた。
「かれこれ、二百年近く、と聞いており申す。鎌倉の御代より、あの砥部の地を、守り抜いてきたとの由」
その答えに、わたしは、少し、息を呑んだ。二百年。この一党が、まだ、根城すら持たなかった頃から、遥かに遡る歳月だった。
「二百年、他家に頼らず、か」
弥九郎が、そう呟いた。
「その重みは、俺にも、いくらか分かる。だが、それと、いまの戦の勝ち負けとは、また、別の話だ」
「はい。ですが、あの御方にとっては、その二百年こそが、いまの戦そのものより、重いのかもしれませぬ」
その言葉に、弥九郎は、しばらく、黙り込んでいた。
---
「殿。内側から崩す道は、これで、完全に、断たれ申した」
わたしは、弥九郎に、そう告げた。
「一枚岩、か」
「はい。ここまで、頑ななのは、当主一人の意地ではのうて、家中すべてが、同じ誇りを抱いておるゆえ。説いても、裏から崩しても、届きませぬ」
弥九郎は、深く頷いた。
「では、あとは、十兵衛の支度どおりに、進めるしかないな」
「はい。弩と焙烙玉、これまで積み上げてきたものを、すべて、注ぎ込む所存にござります」
---
その夜、板間で、あらためて、これからの段取りを詰めた。
「大野氏の城は、砥部の山中にあると聞く」
弥九郎が、そう確かめた。
「はい。険しい地にて、正面から攻めれば、こちらの損も、少なくはござりますまい」
「では、正面からは、攻めぬのか」
「まだ、決めかねております。ただ、これまでの理と利では、片づかぬ相手だと、はっきりいたしました。この先は、力の話にござります」
弥九郎は、しばらく、考え込んでいた。その顔には、いつもの決断の速さがなかった。筋を通す男を、正面から討たず、弩や焙烙玉で搦め手から屠れば、「あの一党は、正々堂々とは戦わぬ」という評判が、これから先、在地の武家を従えるたびに、こちらの足を引っ張りかねない。その勘定を、腹の底で、まだ量りきれていないようだった。
わたしは、少し、間合いを詰め、殿の傍らに、いつもより、近う座り直した。灯りの当たる角度を、そっと、確かめながら。無意識ではなかった。この近さと、この灯りの落ち方とが、殿の迷いを、いくらか、軽くすることを、わたしは、既に、幾度も、この身で確かめていた。
「評判の傷は、勝ってさえおれば、いずれ、薄れましょう。ですが、この一戦で味方を大きく損なえば、その傷は、二度と、埋まりませぬ」
わたしは、そう、静かに、囁いた。声を落とすこともまた、言葉そのものより、よほど、相手の心に、深く届くことを、いつのまにか、覚えていた。
弥九郎は、しばらく、こちらの顔を、じっと見つめていた。その目から、いくらか、迷いの色が、薄れていくのが分かった。
「力の話になれば、俺の出番だな」
「はい。ですが、力の話であっても、無駄な犠牲は、極力、避けとうござります」
---
「郷田十兵衛殿にも、御相談したく」
わたしは、そう続けた。
「十兵衛は、なんと」
「まだ、伺うておりませぬ。ですが、大野氏の城の縄張りを、まず、確かめてから、算段を組みたいとのご意向にござりましょう」
その夜、綾のもとを訪ねた。ここまでの交渉のすべてが、実らなかったことを、かいつまんで伝えた。
「筋を通す御方、にござりますね」
綾が、そう言った。
「はい。これまで、幾度も、相対してきた者たちとは、まるで違う気質にござります」
「千代殿には、測りかねる御方でしょう」
その一言に、わたしは、深く頷いた。
「はい。数では、測りきれませぬ」
「数で測れぬからといって、悪いというわけではござりませぬ。ただ、違う物差しを持つ御方が、この世には、確かにおる。それだけのことにござりましょう」
---
綾の言葉に、わたしは、しばらく、考え込んだ。数で測れぬ者を、これまで、幾度も、脇へ置いてきた。だが、この大野氏という男だけは、脇へ置いたまま、済ませるわけにはいかなかった。
「力で、決着をつけることになりましょう」
わたしが、そう言うと、綾は、静かに、目を伏せた。
「それしか、道が、ござりませぬか」
「ござりませぬ。道理も、利も、通じぬ相手にござりますゆえ」
綾は、それを聞いて、しばらく、黙っていた。
「せめて、犠牲は、少のうござりますように」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。
---
夜、灯芯を整えながら、帳に、この日のことを書き留めた。
大野氏との交渉、三度にわたり、すべて実らず。書状も、無用の二文字で返される。道理も利も通じぬ相手と、はっきりと知る。力での決着を、正式に定める。
書き終えて、しばらく、その一行を見つめた。これまで、この一党は、力ではなく、理と利で、幾つもの島を傘下に収めてきた。その積み重ねが、いま、初めて、正面から、通じぬ壁にぶつかっていた。
大野氏という男の、あの頑なさを、わたしは、まだ、正しくは理解できずにいた。だが、理解できずとも、この一戦は、避けられなかった。数えることに慣れた頭の中で、初めて、数えられぬものと、正面から向き合う覚悟を、静かに固めた。
弥九郎が、部屋の外から、声をかけてきた。
「まだ、書いておるのか」
「はい。大野氏のこと、まだ、うまく飲み込めませぬ」
「飲み込めずとも、進むしかあるまい」
「はい。ただ、一つだけ、確かめとうござります」
「何だ」
「殿の仰った、譲れぬ一線、というものにござります。殿御自身の、その一線とは、何にござりますか」
弥九郎は、しばらく、黙っていた。
「お前と、この島の者たちを、守り抜くことだ。それだけは、何があろうと、譲らぬ」
その答えに、わたしは、しばらく、何も言えなかった。数では測れぬ一線が、この男の中にも、確かにあった。大野氏の筋と、弥九郎の筋とは、形こそ違え、同じ根から生えているのかもしれなかった。
翌朝、郷田十兵衛を呼び、大野氏の城について、あらためて相談した。
「城の縄張りは、既に、幾らか、調べており申す」
十兵衛は、そう言って、絵図を広げた。
「山の中腹に築かれた、堅固な城にて。正面から攻めれば、こちらの損が、かなりのものになりましょう」
「他に、道は」
「夜討ちにござる。だが、城方も、それを承知しておりましょう。並の夜討ちでは、通じますまい」
その言葉に、わたしは、頭の中で、これまで積み上げてきた技を、一つ一つ、思い浮かべた。弩、火薬、そして、楠木党残党の技。これらを、正しく組み合わせれば、道は、開けるかもしれなかった。
「十兵衛殿。しばし、支度に、時をいただきとうござります」
「承知いたした。急いては、しくじりましょう」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。
十兵衛が去ったあと、わたしは、独り、絵図を、しばらく、見つめ続けていた。山の中腹に築かれた城、険しい斜面、そして、二百年という歳月の重み。数えることに慣れた頭でも、この相手の輪郭は、なかなか、はっきりとはしなかった。
その日の午後、幸松が、亀吉たちに、大野氏攻めの支度について、それとなく話しているのが聞こえた。
「此度の戦は、これまでとは、違う戦になるらしい」
幸松が、そう言うと、亀吉は、少し不安げな顔をした。
「それがしらも、加わるのですか」
「まだ、分からぬ。だが、いずれ、この島の者すべてが、何らかの形で、関わることになろう」
その遣り取りを聞きながら、わたしは、この戦の重みが、既に、島の隅々にまで、静かに、伝わりはじめていることを感じた。子供たちでさえ、この戦の異質さを、肌で感じ取っていた。
幸松や亀吉たちに、字や算えだけでなく、この一党への忠義を、幼い頃から、丁寧に、教え込んできた。恩を着せ、居場所を与え、他に頼る先を持たせぬまま、育て上げる。それは、慈しみであると同時に、この身が、これまで、幾度も、使ってきた、確かな飼育の手管でもあった。この子らが、いずれ、迷いなく、この一党のために、命を差し出せるように。そう仕込んできた種が、この戦を機に、どのような形で、芽吹いていくのか。わたしは、静かに、その行方を、見極めるつもりだった。
夕方、綾のもとを、もう一度訪ねた。
「大野氏当主の御家系、二百年、あの地を守り抜いてきたと、伊佐次から聞き申した」
わたしが、そう言うと、綾は、深く頷いた。
「二百年という歳月は、人一人の命では、到底、測れぬものにござります。その重みの前では、われらの申し出など、あまりに、軽う映ったのやもしれませぬ」
その言葉に、わたしは、深く、頷いた。
「それでも、戦は、避けられませぬ」
わたしは、そう続けた。
「はい。ですが、避けられぬからこそ、せめて、敬意をもって、相対したいものにござりますね」
綾の、その一言に、わたしは、少し、考えた。敬意を払うことと、滅ぼすこととは、わたしの中では、矛盾なく同居していた。
「わたくしは、そこまでは、思えませぬ。二百年、動かなんだ根を、根こそぎ、絶やす。それだけのことにござります。あの御方の筋には、敬意を払うより、数として、正しく、始末をつけとうござります」
綾は、それを聞いて、少し、寂しげな顔をした。
「千代殿は、時折、そういう、突き放した物言いを、なさいますね」
「わたくしには、それしか、できませぬ。情に流されれば、この一党の者たちを、危うくいたしましょう」
その答えに、綾は、それ以上、何も言わず、ただ、静かに、頷いた。
外では、三月の風が、まだ、いくらか冷たく吹いていた。




