第二十話 最後まで折れぬ男
永享三年(一四三一)二月 伊予国 砥部・大野郷
大野氏との交渉が、まだ、続いていたころ、通春様御自身から、一つの申し出が、義重を通じて届いていた。
「教通方に与する在地の武家の中で、大野氏こそが、最も大きく、最も手強い相手。あれを、弥九郎殿に、託したい。こちらは、通春様御自身が、本隊を率いて、教通方の本拠を、直に、突く所存にて」
その書状の中身を、義重が、あらためて、弥九郎のもとへ伝えてきた。
「本隊が、直に、教通方を」
弥九郎が、そう確かめた。
「はい。二正面から、同時に、攻める形にござります。こちらが、大野氏を確かに抑え込めば、教通方は、その最大の後ろ盾を失い、本隊の攻めに、抗う力を、大きく削がれましょう」
わたしは、そう答えた。頭の中では、既に、この二正面の絵図が、静かに組み上がっていた。
「こちらからも、いくらか、手勢を出すべきだろうな」
弥九郎が、そう言った。
「はい。常備兵の一部を、別働隊として、通春様の本隊に、預けとうござります。此度の戦は、大野氏一つの話ではのうて、伊予国内の政の絵図そのものを、決する一戦になりましょう」
その言葉に、弥九郎は、深く頷いた。数日のうちに、常備兵三十ほどが、別働隊として、通春方の本隊のもとへ、送り出された。
義重を使者に立てての交渉は、それから、幾度か、繰り返された。
「大野氏当主、此度も、頑として、御言葉を、お聞き入れになりませぬ」
義重が、疲れ果てた顔で、そう報告に戻ってきたのは、二度目の交渉から、さらにひと月ほどのちのことだった。
「何と、仰せであったか」
わたしは、そう訊ねた。
「『河野の家中の縁を、いくら説かれても、それがしの答えは、変わらぬ。この地は、先祖代々、この手で守り抜いてきた地。他家の口利きなど、要らぬ』と、そう、繰り返すばかりにて」
その報告に、わたしは、頭の中で、これまで積み重ねてきた説得の言葉を、一つ一つ、思い返した。所領安堵の示唆、河野本家との縁、そして、通春方の優勢という現実。そのいずれもが、大野氏という男の前では、まるで、意味を持たなかった。
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「大野氏は、なぜ、これほどまでに、頑ななのでしょうか」
わたしは、そう漏らした。
「単なる意地とは、思えませぬ。何か、もっと深い理由が、あるように思えてなりませぬ」
義重は、しばらく考えてから、答えた。
「大野氏の家は、確か、先々代の折、一度、他家の口利きで、所領の一部を、奪われたことがあると聞き申した」
「奪われた、とは」
「詳しくは、それがしも、はきとは知らぬ。ただ、その一件以来、大野氏は、他家の力を借りることを、極端に嫌うようになったとか」
その話に、わたしは、頭の中で、一つの像を、静かに結んだ。かつての痛手が、いまの頑なさの根にある。それならば、道理を説いても、通じぬはずだった。過去の傷は、理屈では、決して癒えぬものだった。
「奪われた所領は、いまも、取り戻せぬままなのですか」
わたしは、そう訊ねた。
「取り戻せぬままにて。以来、大野氏は、家中の結束だけを頼りに、細々と、領地を守り続けてきたと聞き申す」
「その口利きをした家とは、いまも、確執が」
「いまは、既に、滅んだ家にござる。ゆえに、恨みをぶつける相手すら、既に、この世にはおらぬ」
その話に、わたしは、しばらく、言葉を失った。恨みをぶつける相手すらいない痛手を、幾代にもわたって、抱え続けてきた家。その重さは、これまで相対してきた、どの相手とも、異なる質のものだった。
「それほどの傷を負いながら、なお、家を保っておられるとは」
「頑固さの裏に、確かな辛抱強さもある、ということでござろう」
義重は、そう言って、深く息をついた。
「それがしも、幾度か、大野氏当主とは、顔を合わせたことがござる。頑固ではあるが、決して、愚かな御方ではない。むしろ、筋の通った、確かな御仁にて」
「その筋を、当主殿は、どのように、申されましたか」
わたしが、そう訊ねると、義重は、しばらく、思い出すように、間を置いた。
「『負けると分かっていても、筋を通す。それが、この家の在り方だ』と。『子や孫が、いずれ、この家の名を思い出したとき、恥じぬ最期であったと、そう言えれば、それでよい』とも」
その言葉に、わたしは、しばらく、黙って、頭の中で、その意味を数えた。損得の外側にある、あの男なりの、確かな勘定。数えることに慣れたわたしの物差しでは、到底、測りきれぬ勘定だった。
その勘定の形に、ふと、遠い記憶が重なった。島門で、大内方の兵に囲まれてもなお、退かなかった父の姿。あの日、父もまた、勝ち目のなさを、承知の上で、槍を取ったのだろう。あのときは、ただ、愚かだと、そう思っていた。生き延びることこそが、すべてに勝る勘定だと、そう信じて疑わなかった。いまも、その信念そのものは、変わっていない。だが、大野氏という男の話を聞いた分だけ、あの日の父の勘定にも、こちらの物差しでは測れぬ何かが、確かにあったのかもしれないと、そう思うようになっていた。
だが、測りきれぬからといって、この一件が、片づかぬわけではなかった。
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「殿。此度の一件、道理では、片づきますまい。力に訴えるほかござりませぬ」
わたしは、弥九郎に、そう告げた。迷いのない声だった。
「もう、それしかないか」
「はい。義重様が、幾度、足を運ばれても、あの御仁の答えは、変わりますまい。時をかけるだけ、無駄にござります」
弥九郎は、しばらく、黙っていた。
「力攻めとなれば、双方に、少なからぬ犠牲が出よう。何とか、ならぬか」
「何とかする、とは」
「又八のような犠牲を、これ以上、増やしとうはない」
その言葉に、わたしは、少し、考えを巡らせた。
「殿。犠牲を減らす道は、一つだけ、ござります。ただし」
「ただし」
「あの御方が、命より大事にしておられる、武士としての体面、その誇りを、こちらから、踏みにじる形になりましょう。正面から、槍を合わせるのではなく、あちらの誉れごと、外側から、押し潰す策にござります。それでも、よろしゅうござりますか」
その問いに、弥九郎は、しばらく、黙っていた。
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「郷田十兵衛が、以前、こんなことを申しておった」
弥九郎は、そう切り出した。
「『武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つことが本にて候』とな。十兵衛が、いつも、そう言い聞かせておった。要は、体面より、勝つことのほうが、武士にとっては、よほど大事だという理屈らしい」
「殿は、それを、正しいと思われますか」
「正しいかどうかは、分からぬ。ただ、俺たちが、これから、あの御仁に、しようとしていることは、その理屈と、同じ形をしておるのだろうな」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。
「はい。誇りより、犠牲を減らすことを、こちらは、選びまする」
「やれ。俺は、それでよい」
弥九郎は、そう言い切った。
「郷田十兵衛には、既に、支度を進めさせております。弩と、新しく試みておる焙烙玉。正面から槍を合わせるのではなく、遠間から、確かに、削り取る戦にござります。名のある武士同士が、正々堂々、渡り合うような戦には、なりますまい」
「あの御仁は、それを、卑怯と呼ぶだろうな」
「呼びましょう。ですが、卑怯と呼ばれても、味方の命が、一つでも多く、無事に残るのならば、安いものにござります」
その言葉に、弥九郎は、深く頷いた。
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その足で、郷田十兵衛を呼び、この方針を、あらためて、確かめた。
「大野氏攻めは、槍働きではのうて、弩と焙烙玉で、遠間から、削り取る戦にいたしとうござります」
わたしが、そう告げると、十兵衛は、深く頷いた。
「それがよろしゅうござる。名のある武士との一騎討ちなど、この時代でも、既に、廃れかけておる作法にて。数を頼み、機を頼み、確かに勝つ。それこそが、いくさというものにござる」
「十兵衛殿は、それを、恥とは思われませぬか」
「思わぬ。それがしも、幾多の戦場で、そうやって、生き延びてまいり申した。生き延びた者だけが、次の戦で、また、誰かを守れる」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。
「弩の数は、いかほど、揃いましょうか」
「幾月かのうちに、五十は、揃えられ申そう。焙烙玉は、まだ、扱いに慣れた者が少のうござるゆえ、まずは、慎重に、数を絞って試したく存ずる」
「大野氏の手勢は、いかほどと、見ておりますか」
わたしは、そう訊ねた。
「二百に届くかどうか、というところにて。ただ、身内の結束は固く、たとえ寡兵でも、退くことを知らぬ一党にて。侮れませぬ」
「侮ってはおりませぬ。ただ、正面から当たれば、双方に、深い傷が残りましょう。遠間から、確かに、削り取るこの策であれば、その傷を、いくらか、浅くできるはずにござります」
十兵衛は、それを聞いて、深く頷いた。
「殿の仰る通りにて。それがしも、これまでの戦で、幾度も、無駄な血を見申した。減らせるものなら、減らすに越したことはござらぬ」
「頼みまする」
十兵衛は、深く頭を下げ、支度に取り掛かった。この島に集った、それぞれの技を持つ者たちが、いま、この一戦に向けて、静かに、しかし確かに、動きはじめていた。
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夜、館に戻り、帳を広げた。
義重様、大野氏の頑なさの理由を、聞き出す。先々代の教訓と判明。利でも道理でも動かず、筋のみで動く男と知る。力に訴えるほかなし。弩と焙烙玉にて、犠牲を減らす策を、殿、御承知。
書き終えて、しばらく、その一行を見つめた。何度も失敗を重ねてきたこの一党にとって、これまでの相手は、いずれ、利か情かで、道が開けた。だが、大野氏という男だけは、そのどちらの鍵も、受け付けなかった。
弥九郎が、部屋の外から、声をかけてきた。
「まだ、帳を、睨んでおるのか」
「はい。義重様の伝えてくださった、あの言葉が、まだ、頭から離れませぬ」
「『子や孫が、恥じぬ最期であったと言えれば、それでよい』、か」
「殿も、覚えておられましたか」
「忘れられぬ言葉だ。俺たちが、これまで、積み重ねてきたものとは、まるで違う勘定で、生きておる男らしい」
「わたくしたちの勘定は、間違うておりましょうか」
弥九郎は、しばらく、考えてから、答えた。
「間違うてはおらぬ。ただ、勘定の外側にも、確かに、人の生き方はある。それを、忘れてはならぬということだろう」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。
「殿。父のことを、思い出しており申した」
「お前の父御か」
「はい。あの日、島門で、退かなんだ父の勘定も、大野氏当主のそれと、あるいは、似ていたのやもしれませぬ」
弥九郎は、それを聞いて、しばらく、黙っていた。
「盛久は、いま、いかが、しておりましょうか」
わたしが、ふと、そう訊ねると、弥九郎は、答えた。
「大内方の陣におるとの由。此度、大内様が参陣されれば、また、顔を合わせることになろう」
「あの叔父上と、また」
「案ずるな。あの男が、こちらに、何かを仕掛けてくる気配は、いまのところ、ない」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。あの男との因縁も、まだ、正しくは、決着がついていなかった。だが、いまは、目の前の大野氏の一件に、頭を、集中させねばならなかった。
弥太郎が、隣の間で、小さく寝息を立てていた。この子が育つ世に、筋を通すために滅びる者と、勢いに流されて生き延びる者と、どちらが、より正しい生き方なのか。答えの出ぬ問いを、わたしは、また、帳の隅に置いた。
綾に、この日のことを、あらためて伝えると、綾は、しばらく、黙って聞いていた。
「筋を通して滅びる道を、当主殿御自身が、選んでおられるのですね」
「はい。それが、あの御方の、確かな勘定にござります」
「悲しいことにござりますね。ですが、それもまた、一つの、確かな生き方にござりましょう」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。綾は、いつも、こちらの数では測りきれぬものを、正しく言い当ててくれた。
「千代殿なら、どうなさいますか。同じ立場に立たされたら」
その問いに、わたしは、しばらく、答えに詰まった。
「分かりませぬ。ただ、筋を通すために、大切な者たちを、道連れにすることだけは、したくないと、そう思いまする」
「それも、また、千代殿らしい、答えにござりますね」
綾は、そう言って、微かに笑った。
弥太郎が、二人の話し声を聞きつけて、とことこと、部屋に入ってきた。まだ、何も分からぬ顔で、こちらの膝に、よじ登ってくる。その温もりを抱きながら、わたしは、大野氏当主の言葉を、あらためて、思い返した。
「子や孫が、恥じぬ最期であったと言えれば、それでよい」
この子が、いつか、母の生き方を、恥じぬものと思ってくれるだろうか。答えの出ぬ問いが、また一つ、胸の奥に、静かに積み重なった。
弥九郎が、隣の部屋から、こちらの様子を見に、静かに、渡ってきた。
「まだ、起きておったのか」
「弥太郎を、あやしておりました」
「戦の支度は、どうなっておる」
「十兵衛殿が、しかと、進めてくださっております。あとは、機を見て、仕掛けるのみにて」
弥九郎は、それを聞いて、深く頷いた。
「犠牲は、できるだけ、減らせそうか」
「減らせるよう、しかと、手を尽くしまする。ですが、戦である以上、まったく出ぬ、ということには、なりますまい」
「分かっておる。それでも、これまでよりは、確かに、少のうなるはずだ」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。弥太郎の寝顔を、二人で、しばらく、黙って見つめた。
灯を消したあとも、しばらくのあいだ、大野氏当主の、あの言葉が、頭の中で、静かに響き続けていた。筋を通して滅びる男と、勘定を通して生き延びようとする自分たちと。どちらが正しいかは、まだ、誰にも、分からなかった。ただ、確かなことが一つだけあった。この一戦もまた、これまでと同じく、幾つもの犠牲と、幾つもの決断とを、静かに、積み重ねていくことになるのだろう。
外では、二月の冷たい風が、なお、鋭く吹きつけていた。




