第十九話 仕上げの一手
永享二年(一四三〇)十二月 周防国 山口
弥九郎の船団が、大内領の湊に着いたのは、出立から十日ほどのちのことだった。
「大内様への目通り、叶いましたか」
留守を預かるわたしのもとへ、その報せが届いたのは、さらに十日ほど経ってからのことだった。使いに立った若い水手が、息を切らせながら、こう報告した。
「叶い申した。大内様は、弥九郎様を、思いのほか、丁重にお迎えになった由にて」
その報せに、わたしは、深く息をついた。
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その報せを聞いてから、弥九郎が帰島するまでの半月ほど、わたしは、留守の島の差配に、追われていた。
「殿がおられぬあいだ、大野氏側から、何か、動きは」
義重に、そう訊ねると、義重は、首を振った。
「いまのところ、静かなものにござる。大内方が参陣したという噂も、まだ、はきとは、伝わっておらぬようで」
「噂が届くのは、いつ頃になりましょうか」
「早ければ、ひと月のうちに。遅くとも、年明けには」
その見立てに、わたしは、頭の中で、この先の段取りを、あらためて組み直した。噂が届いてから、大野氏がどう動くかを見極め、その隙を突いて、次の一手を打つ。時の流れを、正しく読むことが、何より肝要だった。
留守のあいだ、鶴丸も、幾度か、館を訪れた。
「弥九郎殿の御帰りは、まだにござりますか」
「もうしばらく、かかりましょう。案じずともよろしゅうござります」
「案じておるというより……この一党の行く末が、いまや、それがしの家の行く末とも、深う結びついておることを、あらためて、思い知らされております」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。少年から、当主へ。鶴丸の中で、その変化は、確かに、着実に進んでいた。
弥九郎の帰島は、それから、さらに半月ほどのちのことだった。
「無事の御帰還、何よりにござります」
わたしが、そう出迎えると、弥九郎は、いくらか疲れた顔をしながらも、確かな手応えを滲ませていた。
「大内様は、こちらの武名を、既に、よう御存じであった」
「村上一党と手を結んだ噂、六島・因島・能島・来島を治めた噂、いずれも」
「それだけではない。少弐氏との抗争において、こちらが、いずれ、役に立つ相手だと、既に、目算を立てておられるようだった」
その言葉に、わたしは、頭の中で、素早く数を組み直した。大内方が、単なる義理立てではなく、実利の見込みから、こちらの申し出を受けたのだとすれば、この先の縁は、より確かなものになるはずだった。
「大内様御自身は、どのような御方でしたか」
わたしが、そう訊ねると、弥九郎は、しばらく、考えてから、答えた。
「大きな家の主というものが、皆、そうなるのかは分からぬ。ただ、あの御方には、こちらの一挙手一投足を、静かに値踏みするような目があった」
「値踏み、にござりますか」
「ああ。俺たちが、六島や因島・能島・来島を、値踏みしてきたのと、同じ目だ。あの御方も、幾つもの家を、そうやって、見極めてこられたのだろう」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。値踏みする者と、される者。この一党も、いつのまにか、値踏みされる側から、値踏みする側へと、確かに、立場を移しつつあった。だが、大内という、さらに大きな家の前では、まだ、値踏みされる側にいることを、忘れてはならなかった。
「殿は、値踏みされて、いかが、お感じになりましたか」
「悪い気はしなかった。値踏みされるというのは、こちらが、既に、値のつく相手だということだ」
その答えに、わたしは、微かに笑った。
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「参陣は、承知いただけたのですか」
「承知いただいた。表向きは、通春方への援護という形だ。だが、既に、大勢は決しかけておる。実のところは、仕上げに加わるだけの話だと、大内様御自身、よう分かっておられるようだった」
「それを、あえて、御指摘なさらなかったのですね」
「無論だ。分かっておることを、わざわざ、口にする無粋な真似は、せぬ」
その答えに、わたしは、深く頷いた。この一党が、これまで幾度も重んじてきた、暗黙の了解という間合いを、弥九郎は、既に、自分のものとして、使いこなしていた。
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「贈り物は、いかがでしたか」
「白磁の器には、大層、御満悦であった。特に、正俊の鍛えた一振りには、御自ら、幾度も、鞘から抜き、光にかざしておられた」
「銘のない刀に、何か、仰いましたか」
「銘がないことを、むしろ、面白がっておられた。『まだ、名乗るに値せぬと申すか。それは、いずれ、名乗るに値する日が来るということだろう』と」
その言葉に、わたしは、頭の奥で、また、あの微かな震えを感じた。村正という銘が、いずれ、名乗るに値する日。その言葉が、まるで、遠い未来からの、何かの予兆のように、頭の隅に、静かに響いた。
「大内様は、他に、何か、仰いましたか」
「刀を、たいそう気に入られてな。『この鍛冶師、いずれ、我が家中にも、欲しいものだ』と、半ば冗談めかして、そう仰った」
「殿は、何とお答えに」
「『その鍛冶師、既に、それがしの一党の者にござる』と、そう申しておいた」
その返答に、わたしは、思わず、笑った。
「殿らしい、はっきりとした申しようにござりますね」
「はっきりと申さねば、いずれ、横合いから、掻っ攫われかねぬ。あの手の話は、曖昧にしておくほうが、危うい」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。人を惹きつける器量を持つ者ほど、こうした駆け引きの機微にも、確かに敏かった。
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「大野氏の側は、この動きを、どう見ておりましょうか」
わたしは、話を、目の前の課題に戻した。
「まだ、詳しくは伝わっておらぬだろう。だが、いずれ、噂は届く。大内方が、通春方に参陣すると知れば、大野氏の側にも、動揺が走るはずだ」
「動揺したところへ、こちらから、あらためて、降伏を促す使者を送りましょう。この機を逃せば、次は、ござりませぬ」
弥九郎は、頷いた。
「その役目、誰に任せる」
「六郎太に。字も書け、応対も丁寧にござります。それに、この一党の実を、正しく伝えられる者にござります」
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数日後、六郎太が、大野氏のもとへ、使者として遣わされた。
戻ってきた六郎太の顔は、しかし、思っていたより、晴れやかではなかった。
「大野氏当主、頑として、降伏を撥ねつけており申した」
「理由は」
「所領安堵まで示唆したのですが、『先祖伝来の地を、他家の口利きで保つくらいなら、討ち死にするほうが、まし』と、そう申されました」
その報告に、わたしは、少し、頭を抱えた。理と利を尽くしても、通じぬ相手というものが、確かに、この世には、存在する。
「大野氏の館の様子は、どうであった」
わたしが、そう訊ねると、六郎太は、記憶を辿るように、答えた。
「古びた館にござりましたが、手入れは、行き届いており申した。当主自らが、田畑の見回りにも出られると、家中の者が申しておりました」
「民には、慕われておるのか」
「慕われておるようにござります。頑固ではあるが、私腹を肥やすような真似は、一切なさらぬとか」
その報せに、わたしは、少し、意外な思いを抱いた。ただの頑迷な老人ではなく、確かな筋を通す統治者としての顔も、大野氏には、あるようだった。
「当主は、幾つほどの御方か」
「五十を、幾つか過ぎたあたりかと」
「跡継ぎは」
「息子が一人、おられるとか。ですが、父の頑固さを、そのまま受け継いでおられる様子にて」
その報告を聞きながら、わたしは、頭の中で、大野氏という一族の輪郭を、少しずつ、確かなものにしていった。力だけでは、簡単には片づかぬ相手。だが、その頑固さの裏には、確かな筋の通し方があるらしいことも、見えはじめていた。
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「大内方の参陣を、伝えたのか」
弥九郎が、そう訊ねた。
「伝え申した。ですが、動揺するどころか、かえって、闘志を燃やしておられる様子にて」
「面白い男だな」
弥九郎は、そう漏らした。
「面白がっておる場合ではござりませぬ」
「面白がってはおらぬ。値踏みしておる」
弥九郎は、そう続けた。
「殺せば、それで終わりだ。だが、降して、こちらの家臣に取り込めれば、話は別だ。あれほどの頑固さで、民に慕われる男を、こちらの旗の下に置ければ、他の在地武家への示しにもなる。『あの大野氏当主すら、いまは、この一党に従うておる』という一言が、この先、どれほどの言葉より、重うござりましょう」
その言葉に、わたしは、少し考えを巡らせた。
「殿は、大野氏を、家臣として、取り込みたいと」
「取り込めるならば、そのほうが得だ。取り込めぬなら、殺すまでのこと。まだ、どちらの目もある」
「取り込めなんだ場合、殺せば、あの頑固さが、かえって、他の在地武家の間で、語り継がれる種になりはしませぬか」
わたしが、そう指摘すると、弥九郎は、深く頷いた。
「そこが、厄介なところだ。あの男を殺せば、『筋を通して死んだ忠義者』として、名だけが、都合よく残る。生かして従わせるほうが、こちらにとっては、よほど、都合がよい」
「では、なおのこと、力攻めの前に、もう一押し、機を作りとうござります」
「分かっておる。ただし、機を作るだけの時をかけて、決着を先延ばしにするつもりは、ない」
弥九郎は、そう言い切った。その声には、これまで幾度も、厳しい決断を下してきた者だけが持つ、確かな重みがあった。
「次の使者は、いかがいたしましょう」
「もう一度だけ、機を与える。それでも、なびかぬなら、力に訴えるほかない」
「二度目の使者、誰を立てましょうか」
わたしは、少し、考えを巡らせた。
「義重様お一人では、いささか、格が足りぬかもしれませぬ。同じ河野の家中とは申せ、しょせんは、分家の当主にすぎませぬゆえ」
「では、誰を」
「熊野三山の縁を、使わせていただきとうござります。あちらの、格の高い御坊に、お口添えを、お願いいたしとうござります。武家の理屈の通じぬ相手には、時に、俗世を離れた御方の言葉のほうが、よほど、重うござります」
弥九郎は、それを聞いて、深く頷いた。
「熊野の御坊と、義重様と。お二方で、赴いていただくか」
「はい。義重様には、河野の家中としての筋を。御坊には、信心の重みを。二つながらに、大野氏に、示しとうござります」
その人選に、弥九郎は、深く頷いた。相手の性分に合わせて、使者の顔ぶれを変える。そうした細やかな配慮もまた、この一党が、これまで積み重ねてきた知恵の一つだった。
数日のうちに、熊野三山から、位の高い、老いた僧が一人、遣わされてきた。名を、円秀とは、また別の、覚仁といった。
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その夜、船倉ならぬ館の一室で、帳を広げた。
大内方、参陣を承諾。表向きは通春方への援護、実質は仕上げの参陣。正俊の刀、大内様の御目に留まる。大野氏、なお、頑として降伏を拒む。
書き終えて、しばらく、その一行を見つめた。大内との間に、借りを作らせたという実質的な貸しができた。この貸しが、この先、どう返ってくるかは、いまは、まだ、語らせずにおく。
弥太郎が、乳母の腕に抱かれて、静かに眠っていた。この子が、大人になる頃、大内という名は、この一族にとって、どのような意味を持つ名になっているだろうか。答えの出ぬ問いを、わたしは、また、帳の隅に置いた。
外では、十二月の海風が、鋭く、冷たく吹きつけていた。年の瀬が、近づいていた。
弥九郎が、部屋の外から、声をかけてきた。
「まだ、書いておるのか」
「はい。義重殿を、大野氏への使者に立てる件、書き留めており申した」
「うまく、いくと思うか」
「五分と五分にござります。義重殿の言葉は、確かに響きましょう。ですが、大野氏の頑固さは、それすらも、撥ねつけるやもしれませぬ」
「五分か。ならば、賭けるしかないな」
「はい。賭けるしかござりませぬ」
弥九郎は、それを聞いて、微かに笑った。
「その言い方、お前らしくないな。もっと、はっきりと言い切るところだろう」
「五分は、五分にござります。言い切れぬことを、無理に言い切れば、いずれ、しくじりまする」
その答えに、弥九郎は、深く頷いた。
「正直な物言いのほうが、時に、頼もしい。それも、この一年で、学んだことの一つだ」
その言葉を、わたしは、静かに、胸に刻んだ。
翌日、義重と、覚仁とが、大野氏への使者として、出立の支度を整えた。
「それがしと、覚仁殿と、お二方のみで、参る所存にて」
「お二方で」
「河野の家中の縁を頼りに、一人の武家として、大野氏当主に、向き合いとうござる。大勢を連れていけば、かえって、脅しに見えましょう。覚仁殿には、俗世の外から、道理を説いていただく」
覚仁が、そう続けた。
「戦の理屈では、動かぬ心にも、仏の言葉なら、いくらか、届くこともござる。それがしにできることは、それだけにござろう」
その申し出に、わたしは、深く頷いた。
「御二方の御覚悟、しかと、承りました」
「案ずるな。それがしも、この一件には、この家の行く末がかかっておると、よう分かっており申す」
義重は、そう言って、静かに、館を発っていった。その後ろ姿には、綾の父として、また、鶴丸の後見人として、この幾年で積み重ねてきた重みが、確かに滲んでいた。
義重と、覚仁とが戻ってきたのは、それから、十日ほどのちのことだった。その顔には、隠しきれぬ疲労の色が浮かんでいた。
「いかがでしたか」
わたしが、そう訊ねると、義重は、力なく、首を振った。
「撥ねつけられ申した。覚仁殿の言葉にも、当主は、静かに耳を傾けてはおられました。ですが、最後まで、頷くことは、ござらなんだ」
「筋を通す、という一念だけは、まことに、揺るがぬ御方にござった」
覚仁が、そう言い添えた。
「ですが、この一度では、まだ、終わらせぬつもりにて。幾度でも、参る所存にござる」
義重が、そう続けた。
その言葉に、わたしは、深く頭を下げた。
「義重殿の御覚悟、しかと、受け止めまする」
この年の瀬は、こうして、まだ、決着の見えぬまま、静かに、暮れようとしていた。
弥太郎は、この頃、既に、達者に歩き回るようになっていた。義重の疲れた顔を見て、何かを察したのか、その膝によじ登り、小さな手で、頬を撫でた。
「弥太郎……かたじけない」
義重は、そう言って、微かに笑った。その笑顔には、幾らかの疲れが、少しだけ、和らいでいるように見えた。子供の無邪気さが、時に、大人の心の重荷を、こうして、そっと、軽くしてくれることがあった。
「弥太郎は、義重殿に、よう懐いておりますね」
わたしが、そう言うと、義重は、頷いた。
「鶴丸が、まだ、あれくらいの歳であった頃を、思い出し申す。あの子も、こうして、無邪気に、それがしの膝に、よじ登ってきたものにて」
「鶴丸様も、いまや、当主として、重い荷を背負っておられます」
「はい。あの頃の無邪気さは、もう、あの子の中には、あまり残っておりますまい」
その言葉に、わたしは、少し、胸が痛んだ。この一党が動かす政の重さが、こうして、幼い者たちの育ちにも、確かな影を落としていた。
「弥太郎も、いずれ、同じ道を辿るのでしょうか」
わたしが、そう漏らすと、義重は、しばらく、考えてから、答えた。
「それは、千代殿と、弥九郎殿とが、どう育てられるか次第にござろう。ただ、この一党の子であれば、いずれ、何がしかの重荷を、背負うことにはなりましょう」
その言葉を、わたしは、静かに、胸に刻んだ。




