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潮を編む――滅んだ小領主の娘、唐土に売られ、海賊の妻となる  作者: ハタ星人


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第十四話 頼る蜜の味

正長元年(一四二八)八月 伊予国 怒和島/紀伊国 熊野


熊野三山への贈答をはじめてから、四月あまりが過ぎた。夏の盛り、紀伊から、思いがけない報せが届いた。


「熊野一帯、此度は、稀に見る不作にて、難儀しておるとのこと」


六郎太が、そう報告した。


「冷たい風が、夏のあいだ、幾度も、吹き込んだそうにて。米も、麦も、思うたほど、実らなんだと聞き及んでおり申す」


わたしは、頭の中で、素早く算段を組んだ。この機に、贈答の中身を、一段、厚くするべきかどうか。


---


「殿。此度は、いつもより、多めに、米と塩とを届けとうござります」


わたしが、そう進言すると、弥九郎は、少し考えてから、頷いた。


「不作に苦しむ相手に、米を届けるか。分かりやすい話だな」


「はい。分かりやすい恩は、分かりやすいだけ、深う刻まれまする」


六郎太に、米を積んだ船と、塩、そして、島で余っていた蕎麦の実を、幾つも持たせて、熊野へ向かわせた。


十日ほどのちに戻った六郎太は、山伏たちの、これまでとは違う様子を、こう報告した。


「今度ばかりは、皆、涙を流さんばかりに、喜んでおられました。中には、地に伏して拝む方もおられたほどにて」


「それほどまでに」


「はい。米俵の一つが、これほど、人の心を動かすものかと、それがし自身、驚き申した」


六郎太は、そう言って、少し疲れた顔をしながらも、確かな手応えを滲ませていた。


「向こうの様子は、他に、何か気づいたことは」


「不作の村では、子供らが、既に、痩せはじめておりました。大人たちは、なけなしの米を、まず子供に回しておるようで」


その報せに、わたしは、胸が痛んだ。数として届いた「不作」という言葉の裏に、こうして、具体の顔と体とが、確かにあった。


「とりわけ、山の奥の、椎ノ谷という里が、ひどうござります」


六郎太は、声を落とした。


「山伏衆の里にて、代々、峰入りの先達と、薬草採りを務めてきた家ばかりとか。田も畑も、ほとんど実らず、種籾にまで、手をつけた家があると聞きました。三山からの施しも、あの奥までは、なかなか、届かぬようで」


「里の者は、どれほどか」


「百ほど。うち、子供が、四十ばかり」


頭の中で、数が一つ、形を結びかけた。けれど、それを、いまは口にしなかった。口にするには、早すぎる。


「次に届ける米は、いつもより、さらに多く積め。子供らのために。椎ノ谷の里へは、別に、一艘、仕立てよ」


「承知いたしました」


---


その後も、熊野一帯の不作の痛手は、なかなか癒えなかった。二月ほどのち、こちらから、また、様子を伺いに使いを出すと、山伏の一人が、こう漏らしたという。


「二神様の御恩がなければ、この冬は、幾人もの死者を出しておりましたでしょう」


その報せを聞いて、わたしは、頭の帳に、静かに、一つの数を書き加えた。最初は、ありがたい施しにすぎなかったものが、いつのまにか、なくては立ち行かぬ、当てにするものへと、質を変えはじめていた。


「これは、良き兆しにござります」


わたしは、弥九郎に、そう告げた。


「良き兆し、か。相手が、困っておるというのに」


「困っておるからこそ、こちらの手を、深う信じるようになりまする。困りごとが去ったあとも、その信は、そう簡単には消えませぬ」


---


年を越え、ようやく、次の実りが見えはじめた。だが、不作の年の手入れ不足は、あちこちに、まだ、確かな爪痕を残していた。参詣路の一部は、大雨で崩れたまま、手が回らずに放置され、通行にも、支障が出ていたという。


「参詣路の普請にも、手を貸したいと存じます」


わたしが、そう申し出ると、山伏の代表格の一人が、深く頭を下げた。


「幾度も御厚志を賜り、まことに、恐縮至極にござる。何と御礼を申し上げればよいか」


「礼は、要りませぬ。同じ海を渡る者同士、困ったときに、支え合うのは、当たり前のことにござります」


その言葉を口にしながら、わたしは、頭の中で、まったく別のことを数えていた。参詣路の普請に人手と銭を出せば、熊野三山との縁は、いっそう太くなる。太くなった縁の分だけ、いずれ、こちらの求めることにも、頷きやすくなるだろう。


---


普請の手配は、伊佐次が中心となって進めた。別子で培った道普請の技が、ここでも、確かに活きた。


「山の道を切り開く技は、もう、それがしの手に、しっかりと馴染んでおり申す」


伊佐次は、そう言って、崩れた参詣路の修復に、精を出した。


現地に赴いた伊佐次は、崩れた路肩の様子を、丁寧に検分し、こう報告してきた。


「崩れは、思うたより浅うござる。土を突き固め、石を組み直せば、十分に、往来を取り戻せましょう」


「人手は、足りるか」


「島から連れてきた者たちと、熊野水軍の水夫たちとを、合わせれば、事足りましょう。ただ、山の斜面での作業ゆえ、慣れぬ者には、いくらか、危うい場面もござります」


「無理はさせるな。又八のようなことが、二度とあってはならぬ」


その一言に、伊佐次は、深く頷いた。


普請の合間、伊佐次は、熊野水軍の男たちとも、次第に、親しく言葉を交わすようになっていった。


「あちらの水夫たちは、潮の読み方が、こちらとは、また違うておりまする。学ぶことも、少のうござりませぬ」


その報告に、わたしは、頷いた。技術の連環は、こうして、島と島、人と人との間を、静かに広がっていく。


普請が進むにつれ、参詣路を行き来する人々の顔にも、次第に、安堵の色が戻りはじめた。老いた巡礼の一人が、伊佐次の手を取り、涙ながらに礼を述べる場面もあったという。


「あの様子を見ると、こちらの働きが、確かに、誰かの役に立っておるのだと、実感いたしまする」


伊佐次は、そう言って、少し照れたような顔をした。数や勘定だけでは測れぬ手応えが、そこには、確かにあった。


---


千子正俊の鍛冶場も、この参詣路普請の折に、島の職人たちと合流する形で、怒和島へと移された。


「日の当たる場所で、鍛冶を振るえる日が、まさか、こうして早う来ようとは」


正俊は、島に着いた日、そう言って、感慨深げに、周囲を見回した。


「まだ、これからにござります。長船の鍛冶師を迎えるのも、時を待たずに進めましょう」


「異存ござらぬ」


正俊は、そう答え、割り当てられた鍛冶場の隅に、静かに、道具を並べはじめた。


「里の仲間は、連れて来られなんだのですか」


わたしが、そう訊ねると、正俊は、少し寂しげな顔をした。


「幾人か、誘い申した。だが、長年、隠れ里で生きてきた者の中には、日の当たる場所を、むしろ恐れる者もおり申す。無理には誘えませなんだ」


「いずれ、機を見て、また、お誘いになればよろしゅうござります」


「左様、いたしとうござる」


正俊の道具の中に、幾振りかの、小ぶりな刃物があった。里の子供たちに、鍛冶の手ほどきをするための、稽古用の道具だという。


「いずれ、この島の子らにも、鍛冶を教えとうござる」


「幸松や、他の子らも、興を持ちましょう」


「ならば、いつか、機を見て」


その言葉に、わたしは、頷いた。技を継ぐ者を育てるという営みは、この島の、あらゆる場面で、繰り返されてきたことだった。


---


熊野三山の側は、この年の暮れが近づくころには、こちらへの依存を、隠さなくなっていた。


「来年も、米の融通、参詣路の手入れ、御力添えを、賜れましょうか」


使いの言葉には、最初のころにあった、遠慮の色が、次第に薄れていた。謙る度合いは、むしろ、深くなっていた。困ったときだけ頭を下げるのではなく、日々の暮らしそのものが、こちらの手を、当てにするようになっていた。


わたしは、その変化を、帳に、丁寧に書き留めながら、頭の中で、静かに、次の一手を見極めはじめていた。


もう一段、握るべき要が、どこにあるか。水と銭だけでは、まだ、足りない。信仰そのものの権威には、決して踏み込まない。だが、その周りにある、実務の隅々——参詣路の警固、関所の扱い、そうした細部にこそ、次の握りどころがあるはずだった。


「関所の扱いについて、いま少し、詳しゅう知りとうござります」


わたしが、そう水を向けると、熊野水軍の頭は、快く応じた。


「熊野三山の名代であれば、諸国の関所も、大方は、咎めなく通れ申す。信心深い土地柄ゆえのことにて」


「その名代の証は、どのような形を取るのですか」


「三山の御札と、山伏の姿にて。それさえあれば、まず、疑われることはござらぬ」


その話に、わたしは、頭の中で、静かに数を組んだ。この網を借りれば、これまで届かなかった遠国の情報も、こちらの耳に入るようになる。松吉の耳目と、この山伏の網とを繋げば、瀬戸内の外にまで、目が届くようになるはずだった。


「いずれ、この縁を、松吉とも、繋いでおきとうござります」


「弥九郎殿さえ、御承知くだされば、異存はござらぬ」


その返答に、わたしは、深く頷いた。恩を売るという行いの先に、こうして、確かな実利が、一つ、また一つと、積み重なっていく。


---


その頃、新居郡から、伊佐次を通じて、思いがけず良い報せが届いた。


「あの綿花、無事に、実り申した」


伊佐次が、そう告げた。声には、隠しきれない興奮があった。


「まことか」


「はい。花が開いたあと、白い綿毛が、弾けるように、いくつも吹き出し申した。屯田兵たちも、初めのうちは、半信半疑でしたが、実際に、綿毛を摘み取ってみせると、皆、目の色を変えており申した」


わたしは、その報せに、深く頷いた。植えてから、ちょうど一年。米や麦とは違う実りの形に、この島の者たちが戸惑うことも、覚悟の上だった。


「量は、いかほどに」


「まだ、一区画だけの試しにござりますゆえ、さほどの量ではござりませぬ。ですが、種を除き、弓で打ちほぐしてみたところ、確かに、綿らしい、ふわりとした嵩になり申した」


「糸には」


「まだ、紡ぐところまでは、至っており申さぬ。ですが、屯田兵の女房衆の中に、機織りの心得のある者がおり、興味を示しております」


その報せに、わたしは、頭の中で、この先の段取りを、あらためて組み立てた。綿繰り、綿打ち、糸紡ぎ。一つ一つの工程を、この島の者たちの手に、少しずつ、覚え込ませていかねばならなかった。


「土の痩せ具合は、いかがであった」


わたしが、そう訊ねると、伊佐次は、少し、表情を曇らせた。


「それが、案じられるところにて。綿は、思うたよりも、土の力を、貪欲に吸い上げるようにて。同じ区画で、来年も育てるとなれば、堆肥だけでは、いささか、心許のうござります」


その言葉に、わたしは、しばらく、考えを巡らせた。


「新居郡は、漁もできる土地であったな」


「はい。鰯や、雑魚は、幾らでも獲れましょう」


「その雑魚を、干して、砕いて、土に鋤き込め。魚の身は、堆肥よりも、よほど、力の強い肥やしになる」


伊佐次は、少し驚いた顔をした。


「魚を、田に撒くのでござりますか」


「田ではのうて、綿の畑にじゃ。米や麦には、これまでどおりの肥やしでよい。だが、綿のような、土を痩せさせる作物には、魚の肥やしを、惜しみなく、注ぎ込むがよい」


「かしこまりました。さっそく、雑魚を干す支度を、進めさせましょう」


その答えに、わたしは、深く頷いた。海の民として生きてきたこの一党にとって、魚は、いつでも、身近にある恵みだった。その恵みを、田畑にまで回すという発想は、これまで、誰の頭にも、浮かんでいなかった。


「来年は、区画を、いま少し広げとうござります」


わたしが、そう告げると、伊佐次は、深く頷いた。


「屯田兵たちにも、その旨、しかと、伝えておきましょう」


弥九郎に、この報せを伝えると、弥九郎は、少し驚いた顔をした。


「唐土の作物が、この国の土でも、確かに育つのか」


「育ちました。あとは、この綿を、どこまで、確かな銭に変えられるか。それが、これからの正念場にござります」


「気の長い話だな」


「気の長い話ばかりにござります。ですが、育つと分かっただけでも、大きな一歩にござります」


その言葉に、弥九郎は、微かに笑った。


---


年の瀬、弥九郎と、この一年を振り返った。


「白磁が焼き上がり、熊野との縁も、確かに太うなった。良き一年であったな」


「はい。ですが、又八のこと、忘れてはおりませぬ」


「忘れるなよ。忘れれば、あの死は、本当に、ただの数になる」


その言葉に、わたしは、深く頷いた。


弥太郎が、隣の間で、小さく声を上げた。もう、寝返りを打てるようになっていた。


「この子が歩きはじめるころには、熊野との縁は、いったい、どこまで太くなっておりましょうか」


「さあな。だが、お前のことだ。太くするだけでは、飽き足らぬだろう」


その言葉に、わたしは、少し笑った。図星だった。


---


その夜、弥九郎と、この一年の熊野との縁を、あらためて振り返った。


「米を届けただけで、これほどまでに、頼られるようになるとはな」


「不作という、分かりやすい災いが、味方をしてくれました。誰の目にも、こちらの手が、確かに助けになったと、見えましたゆえ」


「お前は、災いすらも、勘定に入れるのだな」


「災いを、こちらが起こしたわけではござりませぬ。ただ、起きた災いに、どう応じるかを、選んだだけにござります」


弥九郎は、それを聞いて、しばらく、黙っていた。


「その選び方が、いつも、うまいのだ、お前は」


「うまいと申されましても、素直には、喜べませぬ。人の難儀を、こちらの利に変えておるだけにござりますゆえ」


「利に変えねば、こちらも、いずれ、立ち行かなくなる。それは、この島に来てから、幾度も、思い知らされてきたことだろう」


その言葉に、わたしは、深く頷いた。


「殿がおられねば、わたくしは、この勘定を、素直に、勘定のまま、口にできませなんだでしょう」


「俺がおらずとも、お前は、いずれ、誰かに語らせる術を、見つけたはずだ」


弥九郎は、そう言って、微かに笑った。その笑い方には、こちらへの、確かな信頼が滲んでいた。


夜、灯芯を整えながら、帳に、この年最後の記を残した。


熊野三山、不作の災いを機に、こちらへの頼りを、いっそう深める。参詣路の普請、伊佐次が担う。千子正俊、怒和島へ移る。次に握るべきは、信仰そのものではなく、その周りの実務。頭を下げるときは、遠からず、来よう。


書き終えて、しばらく、その一行を見つめた。恩を売るということは、ときに、蜜のように甘く、ときに、蜜だからこそ、恐ろしいものを孕んでいる。相手が、その甘さに、どこまで浸りきるか。そこから先が、いよいよ、この策の正念場だった。


正俊も、この年の瀬、島の暮らしに、少しずつ、馴染みはじめていた。


「隠れ里におった頃には、正月というものも、ろくに祝えなんだ」


正俊が、そう漏らすと、太郎丸が、驚いた顔をした。


「祝えなんだ、とは」


「日の当たる場所では、正月の支度をすれば、人目についてしまう。ゆえに、ひっそりと、身内だけで、粥をすする程度にて」


その話に、太郎丸は、しばらく、言葉を失っていた。


「此度の正月は、島の皆と、共に祝いましょうぞ」


「かたじけない。まことに、かたじけのうござる」


正俊は、そう言って、深く頭を下げた。


年の瀬の支度は、例年どおり、島中で進められた。餅をつく音、正月飾りを整える人足たちの声が、あちこちから聞こえてきた。


「この賑やかさも、また、良きものにござりますね」


わたしが、そう言うと、綾が、頷いた。


「政の話ばかりでは、人は、疲れてしまいまする。こういう節目の賑わいが、皆の力を、また、蓄えさせてくれるのでしょう」


その言葉に、わたしは、深く頷いた。数えることに慣れたわたしには、こうした季節の巡りの持つ意味を、綾ほど、深くは、汲み取れずにいた。


綾の二人目の子も、この春、無事に生まれていた。今度は、女子だった。名は、撫子と付けられた。虎王丸が、この妹によく懐き、片時も離れずにいた。


「虎王丸様が、あれほど、妹御を可愛がられるとは、思うており申さなんだ」


わたしが、そう言うと、綾は、微笑んだ。


「あの子なりに、兄としての務めを、覚えつつあるのでしょう」


その言葉に、わたしは、深く頷いた。この島の子らが、また一人、増えていた。


弥太郎も、この正月、初めて、餅を口にした。柔らかく潰したものを、少しずつ、口に運ぶと、その顔に、満面の笑みが広がった。


「うまいか」


弥九郎が、そう声をかけると、弥太郎は、機嫌よく、声を上げた。まだ、言葉にはならぬ、ただの喜びの声だった。それでも、その声を聞くたび、この一年の疲れが、いくらか、和らぐ気がした。


「来年は、どのような年になりましょうか」


わたしが、そう漏らすと、弥九郎は、少し考えてから、答えた。


「さてな。河野氏の内訌も、いつまで、いまの睨み合いのままでおるか。このままとは、思えぬ気もする」


「それでも、乗り越えねばなりませぬ」


「乗り越える。これまでも、そうしてきた」


その言葉に、わたしは、深く頷いた。


外では、正長元年の、最後の冷たい風が、静かに吹いていた。

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