第九話 雷を待つ
応永三十四年(一四二七)九月 伊予国 怒和島 下怒和
秋の澄んだ朝、窯場の隅に、白く硬いだけの器が、また一つ、静かに、しかし確かに積み上がっていた。
磁器には、まだ届かない。だが、ただの陶器でもない。その中途半端な出来を、太郎丸と次郎丸は、もう幾年ものあいだ、黙々と焼き続けていた。
「今日のも、まだ、白磁には遠うござります」
太郎丸が、そう言って、焼き上がったばかりの器を、光にかざした。うっすらと灰色がかった白。触れれば、硬く、それなりの重みがある。だが、明の白磁のような、あの澄んだ白さには、まだ、遠く及ばなかった。
「骨灰の分は、足りておるか」
わたしが、そう訊ねると、太郎丸は、傍らの甕の蓋を取って見せた。中には、粉雪のような、真っ白な粉が、詰まっている。
「先月、行然殿の手の者が、また一荷、運んで参りました。金剛の山の谷で、牛の骨を煮て、脂を抜き、真っ白になるまで焼き切ったものと、聞いてござります」
骨を焼いて粉にし、素地に混ぜる。幾年も前に、わたしが、太郎丸と次郎丸に授けた工夫だった。骨灰を混ぜると、素地の締まる熱が、幾らか下がる。登り窯の火でも、器が、石のように硬く焼き締まるようになった。白さも、骨灰を入れぬ土より、一段、増した。
だが、骨灰が除いてくれるのは、熱の壁だけだった。土に溶け込んだ鉄の色までは、除いてくれない。それが、この、うっすらとした灰色の正体だった。
「鉄分を、もっと除ければ」
わたしは、そう呟いた。頭の中には、ずっと前から、その先の答えが、既にあった。だが、それを、どうやって、この島の職人たちの手で、実際に形にするか。その一点だけが、ずっと、答えの出ないまま、頭の隅に据え置かれていた。
次郎丸が、窯の火加減を見ながら、こちらへ声をかけた。
「姐さんは、いつも、まだ先があると仰る。それがしには、この白さで、もう十分に思えまするが」
「十分ではない。明の白磁と並べれば、その違いは、誰の目にも明らかじゃ。唐物として売れるほどの品にするには、この鉄分の色を、もっと、根こそぎ除かねばならぬ」
「根こそぎ、にござりますか」
「さよう。だが、いまの水簸だけでは、限りがある。もっと、確かな力が要る」
次郎丸は、それを聞いて、少し考え込んだ。この兄弟は、宋伝来の窯築きの技を持ちながら、白磁には届かぬという壁に、幾年も向き合い続けてきた。その辛抱強さに、わたしは、いつも、頭が下がる思いがした。
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その夜、灯りの下で、わたしは、久しぶりに、あの着想を、あらためて紙に書き起こしてみた。
強い電流は、鉄を強く磁化させる。雷は、途方もなく強い電流である。前の生で、そういう理屈を、確か、学校のどこかで習った覚えがあった。詳しい仕組みまでは、覚えていない。だが、「起きれば、途方もなく強い磁石ができる」という、その一点だけは、はっきりと、頭の中に残っていた。
高く尖った金属を立てておけば、雷はそこに落ちやすい。これも、同じ学びの中にあった、もう一つの一般常識だった。
この二つを重ねれば、答えは、自ずと見えてくる。島でいちばん高い山の頂に、鋼の棒を立てる。雷が落ちれば、その棒が、強く磁化する。その磁化した鉄で、鉄分を吸着させれば、これまでの白く硬いだけの器が、初めて、本物の白磁へと生まれ変わる。
理屈は、単純だった。だが、単純な理屈ほど、実際に形にするには、途方もない手間がかかることを、わたしは、これまでの日々で、幾度も思い知らされてきた。
弥九郎にも、この着想を、あらためて話した。
「雷を、捕らえるというのか」
弥九郎は、少し呆れたような顔をした。
「捕らえるというより、落ちやすい場所を用意しておくだけのこと。あとは、天の気まぐれに任せるしかござりませぬ」
「危うくはないのか。雷が落ちる場所の近くに、人がおれば」
「危のうござります。それゆえ、仕掛けを整えたあとは、嵐の折には、なるべく人を近づけぬようにいたしまする」
弥九郎は、それを聞いて、しばらく黙っていた。
「お前の思いつきは、いつも、突拍子もないな」
「突拍子もない思いつきでなければ、この島は、いまごろ、まだ、ただの痩せた島のままにござりました」
その言葉に、弥九郎は、声を立てて笑った。
「違いない」
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翌朝、窯場の職人たちと、鍛冶屋を集め、この算段を、あらためて説いた。
「山の頂に、鋼の棒を、立てたいと思うておる」
わたしが、そう切り出すと、職人たちは、顔を見合わせた。
「棒を立てて、何をなさるおつもりで」
太郎丸が、そう訊ねた。
「雷を、そこへ落とす」
その一言に、職人たちのあいだに、小さなどよめきが走った。
「雷を、招き寄せる、と申されますか」
「招き寄せるというより、落ちやすい場所を、用意しておくだけのこと。高く、尖った金物には、雷が落ちやすい。それは、確かなことだと、知っておる」
「なぜ、そのようなことを、御存じにござりますか」
その問いに、わたしは、いつものように、はっきりと言い切った。
「知っておる。それだけのことじゃ。詳しい仔細までは、いま、語る要はない」
出どころを語らず、ただ、断定する。それが、こういう場面で、いちばん、人を動かす言い方だった。職人たちは、なお、半信半疑の顔をしていたが、これまで、こちらの思いつきが、幾度も、思わぬ形で実を結んできたことを、よく知ってもいた。
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「棒に、雷が落ちれば、どうなりましょうか」
鍛冶屋の一人が、そう訊ねた。
「その棒が、途方もなく強い磁石になる。その磁石を使えば、これまで、どうしても除けなかった器の鉄分を、根気よく吸い出せるようになろう」
「磁石、にござりますか」
「さよう。磁石が、鉄を引き寄せる力を持っておるのは、皆も知っておろう。雷という、途方もない力を受ければ、その力は、並の磁石とは、比べものにならぬほど、強うなるはずじゃ」
職人たちは、それを聞いて、なお、腑に落ちぬ顔をしていたが、やがて、一人が、恐る恐る、口を開いた。
「試しに、やってみとうござります。うまくいけば、白磁に届くやもしれませぬゆえ」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。
「鋼の棒は、どこの鍛冶屋に打たせましょうか」
伊佐次が、そう訊ねた。
「腕のよい鍛冶屋に、まっすぐで、太い棒を打たせよ。曲がっておれば、雷を受けたときに、途中で折れかねぬ」
「承知いたしました」
数日のうちに、大人の背丈の三倍ほどもある、太い鋼の棒が、幾度も打ち直されて、ようやく仕上がった。鍛冶屋の男は、額の汗を拭いながら、その出来栄えを、誇らしげに見せた。
「これだけの長さの棒を、まっすぐに打つのは、そうそうあることではござりませぬ。良い稽古になり申した」
「大儀であった」
その棒を、いよいよ、島でいちばん高い山の頂まで、運び上げる段取りに入った。
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山の頂まで、鋼の棒を運び上げる作業は、思っていたより、はるかに難儀な仕事だった。
道らしい道もない急な斜面を、幾人もの男たちが、代わる代わる、棒を担いで登っていく。重さに耐えかね、幾度も、足を滑らせる者が出た。
「これは、思うたより、骨の折れる仕事にござりますな」
伊佐次が、汗を拭いながら、そう漏らした。
「山を舐めてはならぬということじゃ。木を運ぶのも、鉱石を運ぶのも、いつも、この重さとの戦いじゃった」
わたしは、そう答えながら、自分自身も、荷の一端を担ぐ真似をしてみた。だが、腹の子のことを思い、伊佐次に、すぐに止められた。
「姐さんは、見ておられるだけで、よろしゅうござります」
その言葉に、わたしは、素直に従った。数を組むことはできても、この身では、もう、力仕事の輪には、加われなかった。
代わりに、道中の岩場に腰を下ろし、男たちが、棒を担いで登っていく様子を、じっと見守った。急な斜面では、縄を使い、幾人もの手で、少しずつ、棒を引き上げていく。一歩進んでは、休み、また一歩進んでは、休む。その繰り返しが、幾度も、幾度も続いた。
「まるで、索道の綱を張ったときのようにござりますな」
伊佐次が、そう漏らした。
「あのときも、こうして、一歩ずつ、進めてまいった。今度も、同じことじゃ」
途中、一度、棒を支える縄が切れかけ、男たちが、慌てて支え直す場面があった。誰も怪我をせずに済んだことに、わたしは、胸を撫で下ろした。何かを新しく試みるたびに、こうした危うい場面が、必ず、一つや二つは起きる。それを、これまでの日々で、幾度も見てきた。
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三日がかりで、ようやく、山頂に、鋼の棒が立った。
高さは、大人の背丈の三倍ほど。周りには、何もない、風の吹きさらす、ただの岩場だった。その岩場に、一本だけ、鋼の棒が、空へ向かって、まっすぐに突き立っている。その光景は、どこか、異様でもあり、同時に、どこか、神々しくもあった。しばらく、誰も、言葉を発しなかった。
「これで、あとは、雷を待つだけにござりますか」
太郎丸が、そう訊ねた。
「さよう。ただし、いつ落ちるかは、誰にも分からぬ。嵐の季節が来るたびに、この棒に、雷が落ちるのを、辛抱強く待つしかない」
「気の長い話にござりますな」
「気の長い話ばかりじゃ。溜池も、段畑も、この島で育てているものは、皆、そうであった」
その言葉に、太郎丸は、小さく、ほっとしたように笑った。
「一つ、お伺いしとうござります。もし、幾年待っても、一度も雷が落ちなんだら、どういたしましょうか」
その問いに、わたしは、しばらく考えた。
「そのときは、また、別の道を探るまでのこと。この棒を立てたことが、無駄になるわけではない。少なくとも、待つだけの賭けではのうて、狙って仕掛ける策を打ったという、その一事だけは、確かに残る」
「無駄にはならぬ、と」
「ならぬ。何もせず、ただ運を待つよりは、よほどましじゃ」
太郎丸は、それを聞いて、深く頷いた。周りで作業を手伝っていた男たちも、その遣り取りを、黙って聞いていた。誰の顔にも、これから始まる、気の長い待ち時間への、覚悟のようなものが、静かに、確かに浮かんでいた。
山を下りる道すがら、幾度も、振り返って、山頂の棒を見上げた。夕日を浴びて、その棒は、鈍く、金色に輝いて見えた。その輝きを、しばらく、目に焼きつけておいた。
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棒を立て終えたその日の夕刻、山を下りながら、わたしは、遠くに広がる海を、しばらく見つめていた。
この試みが、うまくいく保証は、どこにもなかった。何年も待って、一度も雷が落ちないかもしれない。落ちたところで、思うような磁力が得られないかもしれない。それでも、待つだけの賭けにせず、狙って仕掛ける策として組み立てたことに、わたしは、いくらかの手応えを感じていた。
数えることに慣れた頭でも、この試みばかりは、最後まで、確かな数字で語ることができなかった。運という、数えられないものが、この試みの成否を、大きく左右する。それでも、仕掛けを整えておくことと、ただ待つこととのあいだには、確かな違いがあるはずだった。
館に戻ると、太郎丸と次郎丸が、まだ、窯場で、白く硬い器を、幾つも並べて検めていた。
「今日、山頂に、棒を立て終えました」
わたしが、そう告げると、二人は、顔を見合わせて、微かに笑った。
「これで、いつか、本物の白磁に届く日が来るのですね」
太郎丸が、そう言った。その声には、これまでの幾年もの辛抱が滲んでいた。
「いつになるかは、まだ、分からぬ。だが、道筋は、ようやく、一つ、見えてきた」
「気の長い話にござりますが、それがしどもは、慣れており申す」
次郎丸が、そう続けた。宋の世から伝わる技を継ぎながら、この島の土と向き合い続けてきた兄弟にとって、時をかけることは、もはや、苦ではないようだった。
その姿を見ながら、わたしは、この島に流れ着いた、様々な技と、様々な人の思いとが、こうして、少しずつ、一つの形へと織り込まれていくのを、あらためて感じていた。
窯場を出る際、もう一度だけ、振り返った。兄弟は、既に、次の焼きの支度に取り掛かっていた。その背中には、これまでの幾年もの辛抱と、これからの幾年もの辛抱とが、同じだけの重みで、静かに乗っているように見えた。
灯を消す前に、帳に、その日のことを書き記した。
山頂に、鋼の棒、立てる。雷を待つ。うまくいく保証はなし。だが、仕掛けておくことに、意味はある。
書き終えて、しばらく、その一行を見つめた。数えられぬものを相手にする心細さと、それでも仕掛けを打っておくことの、静かな手応えと。両方が、胸の内に、同時にあった。
弥九郎が、隣の部屋から、静かに渡ってきた。
「棒は、無事に立ったか」
「はい。三日がかりにござりましたが、無事に」
「怪我人は」
「一人も出ませなんだ。途中、縄が切れかける場面もござりましたが」
弥九郎は、それを聞いて、深く息をついた。
「怪我人が出なんだこと、何よりじゃ」
「はい。ですが、これから先も、雷が落ちたあとの後始末には、危うさが伴いましょう。落雷の折の火や、余波での怪我。まだ、油断はできませぬ」
「そのときは、そのときで、考えればよい。いまは、まず、無事に立ったことを、喜んでおけ」
その言葉に、わたしは、少し肩の力が抜けるのを感じた。数えることばかりに気を取られ、無事に済んだことを、素直に喜ぶ間もなく、次の危うさへと、頭が先回りしてしまう。それが、自分の癖だと、あらためて気づかされた。
外では、秋の初めの風が、山の方角から、涼しく吹き下ろしてきていた。




