第八話 十兵衛の弟子たち
応永三十四年(一四二七)九月 伊予国 怒和島 下怒和
秋の初め、朝の稽古が、いつもより、賑やかになっていた。
庭先には、いつもの弥九郎に加え、幸松、亀吉、それに、彦次の旧手下たちの幾人かが、石を並べながら、郷田十兵衛の説く陣立てに、耳を傾けていた。稽古の輪は、この一年のあいだに、少しずつ、しかし確かに、広がり続けていた。朝の涼しい風が、庭先を、心地よく吹き抜けていた。
「石一つが、十人、二十人の一団にござる。その置き方一つで、崩れず持つか、あっけなく崩れるかが、決まり申す」
十兵衛の、よく通る声が、庭先に、朗々と響いていた。以前と変わらぬ、地に足のついた教え方だった。
庭の隅では、彦次自身も、若い者たちに混じって、木刀の素振りをしていた。
「彦次殿の手の者たちも、随分と、様になってまいりましたな」
わたしが、そう声をかけると、彦次は、少し照れたように、頭を掻いた。
「まだまだ、十兵衛殿の域には、遠く及びませぬ。ですが、あれらも、いつまでも、ただの荒くれ者では終われぬと、腹を括ったようで」
彦次の言葉には、これまでにない、確かな誇らしさが滲んでいた。かつて、鵜の子の入江で、縄張り一つを争っていた頃の彦次とは、まるで別人のようだった。
「殿にも、稽古の様子を、御覧いただきたく存じます」
彦次が、そう続けた。
「弥九郎様も、随分と、腕を上げられました」
「殿は、いかがにござりますか」
わたしが、そう訊ねると、彦次は、少し考えてから答えた。
「船の上では、並ぶ者のない御方にござる。陸でも、十兵衛殿の教えを、驚くほどの速さで、我が物にしておられる。ただ」
「ただ」
「殿御自身は、まだ、御自分の腕に、十分な自信をお持ちでないご様子。それがしから見れば、既に、十分な域に達しておられるように見え申すが」
その話を聞きながら、わたしは、弥九郎の、あの生真面目な性分を、あらためて思った。海の上で並ぶ者のない男が、陸の稽古では、いまだに、控えめな態度を崩さない。その慎重さもまた、この男の美点の一つだった。
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稽古が一区切りついたところで、十兵衛が、珍しく、腰を下ろして、皆に、昔語りを始めた。
「今日は、少し、昔の戦の話をいたそう」
その一言に、幸松と亀吉が、目を輝かせた。二人とも、こういう昔話には、ことのほか、深く身を乗り出す性分だった。
「南北朝の頃の話にござる。あの戦は、二つの、まるで違う戦い方が、同時に競われた戦でもあり申した」
十兵衛は、そう切り出して、地面に、木の枝で、簡単な図を描きはじめた。
「一つは、楠木正成公に発する戦い方。山伏や、在地の悪党どもを使い、変装、潜伏、偽の情報を流し、敵の目を欺く。正面から力比べをするのではなく、地の利と、人の繋がりとで、大軍を翻弄する型にござる」
その話を、わたしも、少し離れた場所で、静かに聞いていた。楠木党残党が、この一党に加わったいきさつを思えば、決して、無縁な話ではなかった。庭先の男たちも、それぞれ、興味深げに、十兵衛の言葉に聞き入っていた。
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「もう一つは、高師直という、幕府方の武将が用いた型にござる」
その名に、わたしは、思わず、耳を澄ませた。高師直。前の生の学びの中で、教科書の片隅に載っていた名だった。南北朝の争いの中で、ある時期、幕府の内側で大きな力を持った武将。それくらいの、ごく大まかな知識しか、わたしは持ち合わせていなかった。
「高師直は、身分や道徳にとらわれぬ、徹底した合理主義者だったと申す。都市の無頼、傭兵、被官の武士団を、金で雇い入れ、正規の武家とは違う、荒っぽい戦い方をさせ申した」
「荒っぽい、とは」
幸松が、そう訊ねた。
「夜討ち、放火。政敵の屋敷に火を放ち、天然の要害と頼む城でさえ、縄梯子や鉤縄を使うて、力ずくで登り、乗り越えさせる。楠木公の型が、知恵と情報で翻弄する型だとすれば、高師直の型は、金と力とで、正面から穴を穿つ型にござる」
その話に、わたしは、静かに聞き入っていた。名前だけは知っていた男の、その配下がどう戦ったかという中身を、こうして初めて、詳しく聞き知ることになった。
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「二つの型、どちらが、優れておりましょうか」
亀吉が、そう訊ねた。
十兵衛は、少し笑って、首を振った。
「優劣ではござらぬ。使いどころが違うだけのこと。楠木公の型は、劣勢を覆すための、防ぎと攪乱の型。高師直の型は、大軍が、堅い守りを力ずくで破るための型にござる。どちらも、時と場合によって、確かな力を持ち申す」
幸松と亀吉は、その説明に、それぞれ、頷きながら聞き入っていた。二人にとって、こういう昔話は、ただの読み物ではなく、いずれ自分たちが担うことになる役目の、確かな手引きとして響いているようだった。
その言葉を、わたしは、頭の中で、静かに書き留めた。楠木党残党は、これまで、変装・潜伏・偽情報・防諜・都市工作という、楠木正成流の技を、この一党のために使ってきた。だが、いずれ、堅い守りを力ずくで破らねばならぬ場面が来るとすれば、その技だけでは、足りぬのかもしれなかった。
「高師直の配下は、いまも、どこぞに残っておりましょうか」
弥九郎が、そう訊ねた。
「それがしが、若き日、武者修行で東国を巡った折にも、似た技を使う者たちを、幾度か、見申した。名も知れぬ、金で雇われるだけの者たちにて。夜討ちや放火、忍び込んでの調べ物を、生業にしており申した」
「東国の話にござりますか」
「さよう。この瀬戸内には、あまり縁のない話にて。だが、技そのものは、誰が使うても、使えぬわけではござらぬ」
その一言に、わたしは、頭の中で、静かに、何かが結びつくのを感じた。技そのものは、誰が使ってもよい。だが、楠木党残党には、既に、変装・潜伏・偽情報という、知恵で攪乱する型が根付いている。金と力とで正面から穴を穿つ、高師直の型を、あえて同じ者たちに重ねれば、かえって、どちらの型も、中途半端になりかねなかった。
ならば、この荒っぽい型を、誰に、担わせるべきか。頭に浮かんだのは、彦次のことだった。かつて、鵜の子で、みずから一党を率い、力ずくで縄張りを守ろうとしていた男。夜討ちも、力攻めも、彦次にとっては、既に、身に馴染んだ流儀だった。彦次と、その手勢とに、この型を、正式に、仕込んでみる価値はあるかもしれなかった。まだ、思いつきの域を出なかったが、その思いつきは、頭の中で、確かな重みを持ちはじめていた。
「面白い話にござりました」
わたしは、十兵衛に、そう礼を言った。
「なに、儂の若い頃に習い覚えた、古い話にすぎませぬ。今の世に、そのまま使えるかどうかは、また別のこと」
十兵衛は、そう言って、笑った。だが、わたしの頭の中では、その「古い話」が、既に、次の算段の種として、静かに、確かに、芽吹きはじめていた。
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稽古を終えたあと、十兵衛と、幸松、亀吉との関係について、少し話をした。
「あの二人は、どこまで、育っており申すか」
「幸松は、冷静に数を読む力が、既に、並の大人以上に伸びており申す。ただ、優しすぎるきらいがある。人を斬る覚悟が、まだ、十分ではござらぬ」
「亀吉は」
「あちらは、逆にござる。体の動きも、陣立ての読みも、着実に育っており申す。ですが、その分、人の情を汲み取る力が、まだ、育ちきっており申さぬ」
その評に、わたしは、深く頷いた。幸松の優しさと、亀吉の冷徹さ。二人が、それぞれの足りぬところを補い合いながら育っていけば、いずれ、この一党にとって、かけがえのない指揮官の芽になるだろう。
「二人とも、いずれ、殿の下で、確かな役目を担うことになりましょう」
「さよう。じゃが、まだ、時が要り申す。急いて仕上げれば、かえって、脆い器になり申す」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。急がず、だが、着実に。それは、これまで、この一党が、幾度も繰り返してきたやり方でもあった。
その日の午後、幸松と、少し言葉を交わす機会があった。
「稽古は、どうか」
「面白うござります。石を並べるだけで、まるで、本当に兵を動かしておるような心持ちになり申す」
「人を斬る覚悟のことを、十兵衛殿が案じておられた」
その一言に、幸松は、少し表情を曇らせた。
「それがしも、分かっており申す。いざというとき、迷わず動けるかどうか。まだ、自分でも、はきとは分かりませぬ」
「迷いがあること自体は、悪いことではない。迷いのない者のほうが、かえって、恐ろしい」
わたしが、そう言うと、幸松は、少し驚いた顔をした。
「姐さんが、そう仰るとは、思うており申さなんだ」
「わたくしとて、迷わず割り切れることばかりではない。ただ、割り切らねばならぬときに、割り切っておるだけのこと」
その言葉に、幸松は、しばらく、考え込むような顔をしていた。
一方、亀吉とは、また違う話になった。
「亀吉は、数を読むのが、めきめきと早うなっておるな」
「はい。石を並べるだけで、次に何が起きるか、大方、見えるようになってまいり申した」
「人の心のほうは、どうか」
その問いに、亀吉は、しばらく黙っていた。
「そちらは、まだ、よう分かりませぬ。人が、なぜ、数に合わぬ動き方をするのか。いまだに、腑に落ちませぬ」
「それは、いずれ、分かるようになる。数だけでは測れぬものが、この世には、確かにある。わたくし自身、いまだに、それを学び続けておる最中じゃ」
亀吉は、その言葉を、静かに、頭の中に刻み込むようにしていた。二人の育ち方は、対照的でありながら、互いの足りぬところを、いずれ補い合うようになるのではないか。そんな予感が、わたしの中に、静かに芽生えていた。
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彦次も、この稽古を通じて、常備兵の中で、古参格としての立場を、確かなものにしていた。
「近ごろは、若い者たちが、それがしを頼ってくることも、増えてまいり申した」
彦次が、そう漏らした。
「かつての敵が、いまでは、頼られる古参にござりますか」
「妙な巡り合わせにござる。じゃが、悪い気はいたしませぬ」
彦次は、そう言って、微かに笑った。かつて鵜の子の入江で退けられた男が、いまでは、この一党の内側で、確かな居場所を得ている。その姿を見るたびに、わたしは、潰さず退けるに留めたあの日の判断が、間違っていなかったことを、あらためて確かめる思いがした。
「若い者たちに、何を、教えておられる」
わたしが、そう訊ねると、彦次は、少し考えてから答えた。
「十兵衛殿の教えを、そのまま、繰り返し伝えており申す。それがし自身、まだ、教えるというより、共に学んでおる身にて。ですが、若い者たちには、それがしのような、根無し草の生き方だけはさせとうない。その一心にて、稽古をつけており申す」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。彦次自身の七年間の流浪が、いま、こうして、若い者たちを導く力に変わっている。無駄になった歳月は、一つもなかったのかもしれない。
「かつての手下たちも、幾人か、新居郡へ渡ったと聞いた」
「はい。あれらも、それぞれの道を、見つけつつあるようで。それがしとしては、寂しくもあり、誇らしくもあり、複雑な心持ちにござる」
彦次の、その率直な物言いに、わたしは、思わず、微笑んだ。人が育ち、離れ、また新しい縁が生まれる。その繰り返しこそが、この一党の、確かな歩みそのものだった。
「彦次殿は、いまの手下たちに、当時の恨みごとを、話されることはござりますか」
わたしが、そう訊ねると、彦次は、少し考えてから、首を振った。
「話しませぬ。あれは、それがし一人の過去にて、若い者たちに背負わせるべきものではござらぬ。ただ、負けを認め、頭を垂れることが、決して恥ではないということだけは、折に触れ、伝えており申す」
「負けを認めることが、恥ではない、と」
「さよう。それがしは、あのとき、負けを認めなんだら、いまごろ、とうに、この世におらなんだでしょう。負けを認めたからこそ、こうして、いまも、生きて、働いておられる」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。彦次のその実感の伴った言葉は、若い者たちにとって、どのような教えよりも、確かな重みを持って響いているに違いなかった。
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その夜、灯を消す前に、帳を広げた。
十兵衛殿の講義、南北朝の戦い方二種。楠木正成流と、高師直流。幸松、亀吉、それぞれの育ち方、なお違い。彦次殿、古参格として定着す。かつての敵が、いまは、若い者を育てる側に回っている。
書きながら、高師直という名を、もう一度、頭の中で反芻した。夜討ち、放火、縄梯子での登攀。楠木党残党が、いまは知らぬその技を、いずれ、身につけさせることになるかもしれない。まだ、はっきりとした形にはなっていなかった。だが、頭の隅に、その種は、確かに、静かに蒔かれていた。
弥九郎が、隣の部屋から、静かに渡ってきた。
「今日の講義のことを、まだ考えておるのか」
「はい。高師直という男の名が、頭から離れませぬ」
「そこまで、気に掛かるか」
「気に掛かると申すより、いずれ、使い道があるように思えてなりませぬ。楠木党残党の技だけでは、届かぬ場面が、この先、必ず来ましょう」
弥九郎は、それを聞いて、少し考え込んだ。
「お前が、そう思うなら、いずれ、形になるのだろうな」
「まだ、絵図にすらなっており申さぬ。ただの、頭の中の種にすぎませぬ」
「種は、いつか芽吹く。お前の種は、これまで、外れたためしがない」
その言葉に、わたしは、少し面映ゆい思いがした。灯りが、静かに揺れていた。
「外れたことも、幾度もござります。ただ、外れたときのことは、あまり、口にせぬだけのこと」
弥九郎は、それを聞いて、声を立てて笑った。
「お前らしい返事だ」
外では、秋の初めの虫の声が、いつになく澄んで聞こえていた。灯りを吹き消す前に、もう一度だけ、庭先で稽古に励んでいた男たちの顔ぶれを、頭の中に思い浮かべた。幸松、亀吉、彦次、そして、その旧手下たち。それぞれが、それぞれの過去を抱えながら、いま、同じ庭で、同じ教えに耳を傾けている。その光景を、もう少し長く、この目に焼きつけておきたいと思った。




