幕間 十二 数 幸松
応永三十四年(一四二七)九月 伊予国 怒和島 下怒和
数えられる、ということを、わしは、よう知っておる。
数えるほうの苦労を知る者は、多かろう。数えられるほうの心地を知る者は、あまり、おらぬ。
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昼、庭先で、亀吉と二人、下の子らに話をした。因島から能島、来島と、村上のお頭が三つの島を治めるまでの話じゃ。亀吉が身振りで船の揺れを真似るたび、子らは、きゃあと言うて転げた。
「一つずつ、確かに積み重ねてきたからこそだ。急いでは、こうはならなかっただろう」
わしがそう言うと、子らは、神妙な顔をして頷いた。
あれは、姐さんの口癖じゃ。
言うてから、気づいた。わしの口から出たのは、わしの言葉ではない。姐さんが、いつも、遠くを見ながら、誰に言うでもなしに零す言葉を、いつのまにか、わしは、自分のものにしておる。
それが、嫌でないのが、不思議じゃった。
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姐さんが、わしらに、字を教えはじめた日のことを、覚えておる。
不作の年じゃった。親の顔も、生まれた浦の名も、半分は忘れた。流れてきた者が、五人、船倉の隅に置かれた。
姐さんは、わしらを一列に座らせて、言うた。飯を食わせていただいた分は、いずれ返さねばなりませぬ、と。
ほかの子らは、泣いた。恩を着せられたと思うたのか、飯の値を突きつけられたと思うたのか、わしには分からぬ。
わしは、息を吐いた。
浦では、情けで拾うてくれた家が、冬が長引くたびに、子を一人、また一人と、手放していくのを、見た。情けで拾われた者は、情けが尽きたとき、どうなるか分からぬ。勘定で拾われた者は、勘定の合うあいだは、捨てられぬ。
姐さんの勘定は、わしには、いちばん信じられる綱じゃった。
のちに、字を習うているさなか、一度だけ、訊いた。
「姐さんは、なぜ、字を教えてくださるのですか」
「役に立つゆえ」
「誰の役に」
「そなたの役に立ちまする。そして、そなたが役に立てば、この一党の役に立ちまする」
「それは、同じことにござりますか」
「同じことにいたしまする」
わしは、頷いた、ことになっておる。
姐さんは、そのあと、しばらく、わしの顔を見ておった。何かを覚え込むような目じゃった。
あれは、頷いたのではない。また、息を吐いたのじゃ。
同じことにいたしまする、と、姐さんは言うた。できるとも、いたしたいとも、言わなんだ。いたしまする、と、決めたのじゃ。決めたことを、人に告げて、その人の目の前で、引っ込めぬ。そういう人に、わしは、生まれて初めて、会うた。
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あれから、わしは、姐さんの足を見るようになった。
師走の夜、隠れ里の見回りから戻る姐さんを、浜の手前で待った。待っていた、というのは、嘘じゃ。たまたま通りかかった、ことにしておる。
その前の月から、気づいておった。姐さんは、殿の部屋の前を通るとき、足の運びが変わる。一歩目を、ゆるめる。二歩目で、取り戻す。廊下の隅を拭くふりをして、わしは、それを、何度か見た。
数える人は、数えられぬものが一つ出ると、足が乱れる。これも、姐さんに、教わったようなものじゃ。
「お一人で、大事ござりませぬか」
「大事ない。案ずるな」
並んで歩いた。波の音が、足元を追うてきた。
「姐さんは、お寂しゅうござりますか」
訊いてしもうてから、背中が冷えた。
「寂しい、というのとは、少し違う」
「では、何にござりますか」
「まだ、自分でも、よう分からぬ」
わしは、それ以上、問わなんだ。問えなんだ、というほうが近い。
あのとき、気づいたのじゃ。この人は、わしと同じじゃ、と。
姐さんが、どこから来たのか、わしは、詳しゅうは知らぬ。古参が酒の席で、荷として買われてきた人じゃと、声を落として話すのを、聞いたことがある。親も家もなく、どこかの誰かの勘定の中で、運ばれてきた人。わしが、浦で、情けを数えておったのと、同じ数え方を、この人は、ずっと、しておる。だから、数えられぬものが出ると、足が乱れる。
大人じゃと思うておった。この島の、誰より賢い、大人じゃと。違うた。流れ着いた子が、背丈だけ伸びた人じゃった。
それからじゃ。姐さんから、目を離すまい、と思うたのは。
人前では、千代様と呼ぶ。それがし、と言う。内でだけ、姐さんと呼ぶ。内でだけ、わしと言う。使い分けるのも、勘定の内じゃ。
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その翌年の秋、鶴丸様の傍に付いて、四月ほど経ったころ。
「幸松は、自分のこれからのことを、考えたことがあるか」
姐さんに、そう問われた。
「これまでは、あまり、考えたことがござりませなんだ。ただ、その日その日を、精一杯、過ごすことしか」
「いずれ、幸松にも、しかるべき立場を、用意しとうござります」
わしは、頭を下げた。深う、深う下げた。長いこと、上げられなんだ。
姐さんは、それを、有り難がっておると見たじゃろう。頭の上で、声が、少しあたたこうなったのを、聞いた。
違うた。
わしは、泣いておった。有り難うて、ではない。立場を用意する、というのが、手下ではのうて、家臣にする、ということじゃと、分かったからじゃ。家臣になる。名を持つ。どこかの土地の、どこかの城の、誰かの下に、置かれる。姐さんの傍には、おれぬ。
姐さんは、わしを、手放す算段を始めた。そう思うた。それが、勘定として正しいことも、わしには、分かった。わしが外で働くほうが、この一党の役に立つ。同じことにいたしまする、と姐さんは言うた。わしの役に立つことと、一党の役に立つことが、同じになる日が、来た。それだけのことじゃ。
それだけのことが、あんなに痛いとは、思わなんだ。
顔を上げたとき、姐さんは、もう、次のことを数えておる目をしておった。わしは、笑うて見せた。笑うたのも、勘定の内じゃった。
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晩秋、鶴丸様と庭で木刀を振っておると、姐さんが来た。
顔の色が、ようなっておった。館の者が、そう噂するのを、わしは、聞いておった。殿の渡りが、増えたころじゃった。
「幸松には、どう見える」
姐さんに、そう訊かれて、わしは、答えた。
「千代様が、少し、楽しそうに見えまする」
姐さんは、はっとした顔をした。それから、訊いた。
「幸松は、楽しい、というのは、どういうものだと思う」
わしは、木刀を下ろして、答えた。
「よう分かりませぬが……鶴丸様と、剣の稽古をしておるとき、他のことを、何も考えずに済むこと、にござりましょうか。数えずとも、済むというか」
あれは、嘘じゃ。
いや、嘘というほどのものでも、ない。半分は。
わしは、稽古のあいだも、数えておる。鶴丸様の足が、昨日より、どれほど前に出るか。鶴丸様が、誰の顔を見て、誰の顔から目を逸らすか。数えずに済む時など、わしには、ない。浦を出てから、一度も、ない。
それでも、あのとき、数えずとも済む、と言うたのは、姐さんに、そういう時が、あってもよいと、伝えたかったからじゃ。足を乱して歩いておった夜から、一年近く。やっと、姐さんの足が、乱れぬ日が増えた。楽しそうに見えた。それが、殿の渡りのせいじゃと、わしには、分かっておった。分かっておって、言わなんだ。言うてしまえば、姐さんは、また、それを数えはじめる。
だから、わしは、自分の嘘を、貸した。
姐さんは、立ち尽くしておった。わしは、木刀を握りしめたまま、それを見ておった。わしの嘘が、一人の人の足を、少しでも軽うしたなら、わしは、それで、よい。
姐さんは、わしに、見られておったとは、知らぬ。わしの嘘のことも、知らぬ。それで、よい。
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夜が更けた。
姐さんの腹が、近ごろ、目立ってきた。足の運びが、また変わった。乱れではない。庇うておる足じゃ。あの夜道で、寂しさではない、と答えた人が、いま、腹に手を当てて歩いておる。
九月の風が、板戸の隙間を鳴らしておる。わしは、子らの寝床を、端から端まで、見て回った。一人ずつ、寝息を数える。数は、合うておる。
いずれ、どこかへ出される日が来るじゃろう。姐さんは、まだ、わしに何も言うておらぬ。言うてくださるまで、わしは、知らぬふりをして、数を覚える。字を覚えたときと、同じじゃ。
使うていただければ、それで、と言うたのは、十二のわしじゃった。
いまは、使われる、とは、思うておらぬ。使うていただく人に、使いきれぬほどの数え手に、なる。それが、わしの勘定じゃ。
外で、潮が、満ちはじめた。数えずとも、満ちる。そういう音を、わしは、嫌いではない。




