↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
潮を編む――滅んだ小領主の娘、唐土に売られ、海賊の妻となる  作者: ハタ星人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
114/128

幕間 十二 数   幸松

応永三十四年(一四二七)九月 伊予国 怒和島 下怒和


数えられる、ということを、わしは、よう知っておる。


数えるほうの苦労を知る者は、多かろう。数えられるほうの心地を知る者は、あまり、おらぬ。


---


昼、庭先で、亀吉と二人、下の子らに話をした。因島から能島、来島と、村上のお頭が三つの島を治めるまでの話じゃ。亀吉が身振りで船の揺れを真似るたび、子らは、きゃあと言うて転げた。


「一つずつ、確かに積み重ねてきたからこそだ。急いでは、こうはならなかっただろう」


わしがそう言うと、子らは、神妙な顔をして頷いた。


あれは、姐さんの口癖じゃ。


言うてから、気づいた。わしの口から出たのは、わしの言葉ではない。姐さんが、いつも、遠くを見ながら、誰に言うでもなしに零す言葉を、いつのまにか、わしは、自分のものにしておる。


それが、嫌でないのが、不思議じゃった。


---


姐さんが、わしらに、字を教えはじめた日のことを、覚えておる。


不作の年じゃった。親の顔も、生まれた浦の名も、半分は忘れた。流れてきた者が、五人、船倉の隅に置かれた。


姐さんは、わしらを一列に座らせて、言うた。飯を食わせていただいた分は、いずれ返さねばなりませぬ、と。


ほかの子らは、泣いた。恩を着せられたと思うたのか、飯の値を突きつけられたと思うたのか、わしには分からぬ。


わしは、息を吐いた。


浦では、情けで拾うてくれた家が、冬が長引くたびに、子を一人、また一人と、手放していくのを、見た。情けで拾われた者は、情けが尽きたとき、どうなるか分からぬ。勘定で拾われた者は、勘定の合うあいだは、捨てられぬ。


姐さんの勘定は、わしには、いちばん信じられる綱じゃった。


のちに、字を習うているさなか、一度だけ、訊いた。


「姐さんは、なぜ、字を教えてくださるのですか」


「役に立つゆえ」


「誰の役に」


「そなたの役に立ちまする。そして、そなたが役に立てば、この一党の役に立ちまする」


「それは、同じことにござりますか」


「同じことにいたしまする」


わしは、頷いた、ことになっておる。


姐さんは、そのあと、しばらく、わしの顔を見ておった。何かを覚え込むような目じゃった。


あれは、頷いたのではない。また、息を吐いたのじゃ。


同じことにいたしまする、と、姐さんは言うた。できるとも、いたしたいとも、言わなんだ。いたしまする、と、決めたのじゃ。決めたことを、人に告げて、その人の目の前で、引っ込めぬ。そういう人に、わしは、生まれて初めて、会うた。


---


あれから、わしは、姐さんの足を見るようになった。


師走の夜、隠れ里の見回りから戻る姐さんを、浜の手前で待った。待っていた、というのは、嘘じゃ。たまたま通りかかった、ことにしておる。


その前の月から、気づいておった。姐さんは、殿の部屋の前を通るとき、足の運びが変わる。一歩目を、ゆるめる。二歩目で、取り戻す。廊下の隅を拭くふりをして、わしは、それを、何度か見た。


数える人は、数えられぬものが一つ出ると、足が乱れる。これも、姐さんに、教わったようなものじゃ。


「お一人で、大事ござりませぬか」


「大事ない。案ずるな」


並んで歩いた。波の音が、足元を追うてきた。


「姐さんは、お寂しゅうござりますか」


訊いてしもうてから、背中が冷えた。


「寂しい、というのとは、少し違う」


「では、何にござりますか」


「まだ、自分でも、よう分からぬ」


わしは、それ以上、問わなんだ。問えなんだ、というほうが近い。


あのとき、気づいたのじゃ。この人は、わしと同じじゃ、と。


姐さんが、どこから来たのか、わしは、詳しゅうは知らぬ。古参が酒の席で、荷として買われてきた人じゃと、声を落として話すのを、聞いたことがある。親も家もなく、どこかの誰かの勘定の中で、運ばれてきた人。わしが、浦で、情けを数えておったのと、同じ数え方を、この人は、ずっと、しておる。だから、数えられぬものが出ると、足が乱れる。


大人じゃと思うておった。この島の、誰より賢い、大人じゃと。違うた。流れ着いた子が、背丈だけ伸びた人じゃった。


それからじゃ。姐さんから、目を離すまい、と思うたのは。


人前では、千代様と呼ぶ。それがし、と言う。内でだけ、姐さんと呼ぶ。内でだけ、わしと言う。使い分けるのも、勘定の内じゃ。


---


その翌年の秋、鶴丸様の傍に付いて、四月ほど経ったころ。


「幸松は、自分のこれからのことを、考えたことがあるか」


姐さんに、そう問われた。


「これまでは、あまり、考えたことがござりませなんだ。ただ、その日その日を、精一杯、過ごすことしか」


「いずれ、幸松にも、しかるべき立場を、用意しとうござります」


わしは、頭を下げた。深う、深う下げた。長いこと、上げられなんだ。


姐さんは、それを、有り難がっておると見たじゃろう。頭の上で、声が、少しあたたこうなったのを、聞いた。


違うた。


わしは、泣いておった。有り難うて、ではない。立場を用意する、というのが、手下ではのうて、家臣にする、ということじゃと、分かったからじゃ。家臣になる。名を持つ。どこかの土地の、どこかの城の、誰かの下に、置かれる。姐さんの傍には、おれぬ。


姐さんは、わしを、手放す算段を始めた。そう思うた。それが、勘定として正しいことも、わしには、分かった。わしが外で働くほうが、この一党の役に立つ。同じことにいたしまする、と姐さんは言うた。わしの役に立つことと、一党の役に立つことが、同じになる日が、来た。それだけのことじゃ。


それだけのことが、あんなに痛いとは、思わなんだ。


顔を上げたとき、姐さんは、もう、次のことを数えておる目をしておった。わしは、笑うて見せた。笑うたのも、勘定の内じゃった。


---


晩秋、鶴丸様と庭で木刀を振っておると、姐さんが来た。


顔の色が、ようなっておった。館の者が、そう噂するのを、わしは、聞いておった。殿の渡りが、増えたころじゃった。


「幸松には、どう見える」


姐さんに、そう訊かれて、わしは、答えた。


「千代様が、少し、楽しそうに見えまする」


姐さんは、はっとした顔をした。それから、訊いた。


「幸松は、楽しい、というのは、どういうものだと思う」


わしは、木刀を下ろして、答えた。


「よう分かりませぬが……鶴丸様と、剣の稽古をしておるとき、他のことを、何も考えずに済むこと、にござりましょうか。数えずとも、済むというか」


あれは、嘘じゃ。


いや、嘘というほどのものでも、ない。半分は。


わしは、稽古のあいだも、数えておる。鶴丸様の足が、昨日より、どれほど前に出るか。鶴丸様が、誰の顔を見て、誰の顔から目を逸らすか。数えずに済む時など、わしには、ない。浦を出てから、一度も、ない。


それでも、あのとき、数えずとも済む、と言うたのは、姐さんに、そういう時が、あってもよいと、伝えたかったからじゃ。足を乱して歩いておった夜から、一年近く。やっと、姐さんの足が、乱れぬ日が増えた。楽しそうに見えた。それが、殿の渡りのせいじゃと、わしには、分かっておった。分かっておって、言わなんだ。言うてしまえば、姐さんは、また、それを数えはじめる。


だから、わしは、自分の嘘を、貸した。


姐さんは、立ち尽くしておった。わしは、木刀を握りしめたまま、それを見ておった。わしの嘘が、一人の人の足を、少しでも軽うしたなら、わしは、それで、よい。


姐さんは、わしに、見られておったとは、知らぬ。わしの嘘のことも、知らぬ。それで、よい。


---


夜が更けた。


姐さんの腹が、近ごろ、目立ってきた。足の運びが、また変わった。乱れではない。庇うておる足じゃ。あの夜道で、寂しさではない、と答えた人が、いま、腹に手を当てて歩いておる。


九月の風が、板戸の隙間を鳴らしておる。わしは、子らの寝床を、端から端まで、見て回った。一人ずつ、寝息を数える。数は、合うておる。


いずれ、どこかへ出される日が来るじゃろう。姐さんは、まだ、わしに何も言うておらぬ。言うてくださるまで、わしは、知らぬふりをして、数を覚える。字を覚えたときと、同じじゃ。


使うていただければ、それで、と言うたのは、十二のわしじゃった。


いまは、使われる、とは、思うておらぬ。使うていただく人に、使いきれぬほどの数え手に、なる。それが、わしの勘定じゃ。


外で、潮が、満ちはじめた。数えずとも、満ちる。そういう音を、わしは、嫌いではない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。