第四十二話 通す関
応永三十四年(一四二七)九月 伊予国 因島・来島
能島が、村上一党の手に落ちてから、半年ほどが過ぎた。孫太郎は、代官として、着実に、島を治めはじめているという報せが、幾度か届いていた。
その間、来島への手立てを、わたしは、頭の中で、幾度も練り直していた。力ずくで攻め落とすのではなく、通す側に回ることで、向こうから頭を下げさせる。六島で確かめた手筋を、そのまま使う心づもりだった。
「孫六殿を、お呼びしとうござります」
わたしは、弥九郎に、そう進言した。
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数日後、孫六が、因島から、みずから船を寄せてきた。
「来島のこと、いよいよ、動かれるか」
孫六は、そう訊ねた。その声には、これまでとは違う、確かな落ち着きがあった。
「はい。ただし、能島とは、違うやり方で進めとうござります」
わたしは、そう答えた。
「違うやり方、とは」
「力ずくでは、攻めませぬ。孫六殿には、来島の商いの道に、まず、しっかりと入り込んでいただきとうござります」
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「入り込む、とは」
孫六が、少し戸惑った顔をした。
「来島は、他国の船も入り込みやすい、開けた商いの地だと伺いました。ならば、その商いの道そのものを、こちらの手で、安全にして差し上げれば、よろしゅうござります」
「安全にする、とは、水先案内のことか」
「はい。因島・能島の潮に加え、来島周辺の潮も、孫六殿の一党であれば、既に、ある程度、知っておられましょう」
孫六は、それを聞いて、深く頷いた。
「知っており申す。あの水道も、決して、易しい潮ではござらぬが」
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「まずは、来島に出入りする商船に、水先案内の役目を、無償で申し出とうござります」
わたしは、そう続けた。
「無償、にござるか」
「はい。初めは、恩を売るところから始めねばなりませぬ。得を急げば、警戒されましょう」
「その恩を、いつ、実に変える」
弥九郎が、そう訊ねた。
「幾度か、無事に、商船を導いたのち、来島の地の者たち自身から、この仕組みを、正式に頼みたいという声が上がるのを、待ちとうござります」
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「向こうから、頼ませる、というわけか」
孫六が、そう確かめた。
「はい。これまでも、この一党は、そうして、幾つもの島を、傘下に収めてまいりました。柱島も、津和地島も、そして、因島も」
孫六は、それを聞いて、微かに笑った。
「それがしの一党も、その道筋で、こちらの傘下に収まったのだったな」
「はい。孫六殿は、既に、その生き証人にござります」
その言葉に、孫六は、深く頷いた。
「それがしの一党が、こちらの傘下に収まったあの日から、既に、二年半ほどが過ぎ申した」
孫六は、そう続けた。
「あの日は、まだ、互いに、腕を測り合うだけの間柄でござった。それが、いまでは、こうして、同じ絵図を、共に描く仲になっており申す」
「歳月というものは、こうして、間柄そのものを、少しずつ、作り変えていくものにござりますね」
わたしが、そう答えると、孫六は、深く頷いた。
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数日後、孫六の一党は、来島周辺の水道で、商船の水先案内を、静かに始めた。
初めのうちは、地の者たちも、警戒の色を隠さなかった。だが、幾度か、危うい潮を、無事に導き通すうちに、その警戒は、少しずつ、和らいでいった。
「近ごろ、因島の一党の船が、よう、この辺りに出ておるようで」
来島の漁師の一人が、そう漏らしたという報せが、伊佐次を通じて届いた。
「怪しんでおるのか」
弥九郎が、そう訊ねた。
「怪しむというより、むしろ、ありがたがっておる様子にて。先だっても、荒れた潮で難儀しておった商船を、一党の者が、無償で導いたとの由」
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だが、事は、いつも、思うようには運ばなかった。ひと月ほど過ぎたころ、伊佐次から、思いがけない報せが届いた。
「来島の一部の頭が、こちらの水先案内を、快う思うておらぬとの由」
「なにゆえ」
わたしが、そう訊ねると、伊佐次は、少し声を落とした。
「これまで、自分たちだけで、荒れた潮を、命がけで乗り越えてきた誇りがある、と。そこへ、余所者に頼るのは、腰抜けの証だと、そう申す者もおるようにて」
その報せに、わたしは、頭の中で、算段を組み直した。恩を積むだけでは、届かぬ心があった。誇りという、数では測れないものが、そこには、確かにあった。
「孫六殿には」
「まだ、お伝えしており申さぬ」
わたしは、しばらく、考えを巡らせた。
「孫六殿御自身の口から、その者たちに、直に、語っていただきとうござります。余所者としてではのうて、同じ海で生きる者として」
数日後、孫六が、その頭のもとを、単身、訪ねたという報せが届いた。
「何と、申されたのか」
わたしが、そう訊ねると、伊佐次は、答えた。
「『それがしも、かつては、貴殿らと同じく、独りで潮と戦うてきた身。だが、独りで戦い続けるには、この歳月は、あまりに長い。誇りを捨てよとは申さぬ。ただ、誇りを守りながら、生き延びる道もあると、それだけを、申し上げたい』と」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。数と勘定だけでは届かぬ場所に、孫六自身の、これまでの歩みが、確かに届いていた。
その報せに、わたしは、頭の中で、静かに数を組み直した。恩は、少しずつ、積み重なっている。だが、まだ、これだけでは、足りなかった。
「もう一手、要りまする」
わたしは、そう続けた。
「何を、なさるおつもりか」
「来島の地の者たちの中にも、幾つかの小さな頭がおるはず。その者たちに、直に、こちらの意図を、伝えとうござります」
弥九郎は、少し考えてから、頷いた。
「策のうちか」
「はい。恩を積むだけでは、いつまでも、遠くから見ているだけの間柄で終わりましょう。どこかで、直に、言葉を交わす場が要りまする」
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孫六が、来島の主だった頭たちを、酒宴に招いたのは、それから、ひと月ほどのちのことだった。
「この一年、御一党の船を、幾度も、案内させていただき申した」
孫六は、そう切り出した。
「まことに、かたじけのう存ずる。あの潮は、地の者でも、幾度か、命を落としかけるほどの難所にて」
来島の頭の一人が、そう応じた。
「それがしどもは、いずれ、この仕組みを、もっと確かな形にしとうござる」
孫六は、そう続けた。
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「確かな形、とは」
「水先案内の駄賃を、正式にいただく代わりに、この先も、末永う、御一党の商いを、お守りいたしとうござる」
その申し出に、来島の頭たちは、しばらく、顔を見合わせていた。
「駄賃、とは、いかほど」
「荷の値の、ごく僅かにて。それ以上は、求め申さぬ」
その答えに、頭の一人が、少し考えてから、口を開いた。
「正直に申さば、これまで、幾度も、余所からの海賊に、荷を奪われてまいり申した。御一党が、代わりに守ってくださるなら、それがしどもにとっても、悪い話ではござらぬ。加えて、御一党の背後には、二神様の御一党もおられると、風の噂に聞いており申す。それだけの大きな力が控えておるとなれば、下手な海賊も、二の足を踏みましょう」
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その言葉に、孫六は、深く頭を下げた。
「かたじけのう存ずる。決して、御期待を裏切りませぬ」
数日後、来島の頭たちから、正式に、水先案内と警固を、孫六の一党に委ねたいという申し出が届いた。
その報せを受け、わたしは、弥九郎と、あらためて向き合った。
「来島、こちらの傘下に収まりましてござります」
「力ずくでは、一戦もせなんだな」
弥九郎が、そう言った。その声には、感心したような響きがあった。
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「はい。恩を積み、直に言葉を交わし、向こうから頼ませる。いつものやり方にござります」
「因島、能島、来島。これで、三島すべてが、孫六の手に」
「はい。孫六殿の一党は、これで、確かな三島の主として、瀬戸内に、名を刻むことになりましょう。三島合わせて、船は五十を超え、人も四百に届こうかという厚みにござります」
その言葉に、弥九郎は、しばらく、考え込んでいた。
「三島の主、か。悪くない響きだ」
「はい。因島・能島・来島、三島を統べる村上一党。この名は、いずれ、瀬戸内の海に、確かな重みを持つようになりましょう」
「お前の見立てだ。外れることはあるまい」
「外れることも、これまで、幾度かござりました。ですが、この見立てだけは、確かなものと存じます」
弥九郎は、それを聞いて、微かに笑った。
「いずれ、この名が、遠く後の世にまで、語り継がれるやもしれませぬ」
わたしは、そう答えた。自分でも、なぜ、そんな言葉が口をついて出たのか、分からなかった。ただ、頭の奥で、あの、村上という名を初めて聞いたときの、微かな震えが、また、静かに蘇っていた。
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その夜、孫六を招いて、ささやかな祝いの席が設けられた。
「因島から始まり、能島、来島。まさか、これほどまでに、遠くまで来られるとは、思うてもみなんだ」
孫六は、盃を傾けながら、そう漏らした。
「孫六殿御自身の、この一年の働きあってのことにござります」
わたしが、そう言うと、孫六は、少し照れたような顔をした。
「それがしの働きというより、こちらのやり方を、忠実になぞっただけのこと。ですが」
孫六は、そう続けた。
「そのやり方を、こうして、我が物にできたことが、何より、この一党にとっての、確かな財産にござる」
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「孫太郎殿は、能島で、よう治めておられるとか」
わたしが、そう訊ねると、孫六は、深く頷いた。
「あれも、もう、一人前の代官にござる。来島のほうも、いずれ、誰かに、任せねばなりますまい」
「御一族の中に、他にも、跡目に据えられる若者は」
「幾人か、おり申す。じっくりと、育てとうござる」
その答えに、わたしは、深く頷いた。一つの島を得るごとに、次を育てる者が、また一人、必要になる。この繰り返しこそが、島を保ち続けるための、確かな道筋だった。
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「弥九郎殿には、この一年、まことに、御世話になり申した」
孫六は、あらためて、深く頭を下げた。
「礼を言うのは、こちらのほうだ」
弥九郎が、そう答えた。
「貴殿の一党があってこそ、この瀬戸内の一角が、これほど確かなものになった」
その遣り取りを、わたしは、少し離れた場所から、静かに見守っていた。数年前、初めて出会ったときには、互いに、探り合うだけの間柄だった。それが、いまでは、こうして、三島を共に治める、確かな盟友になっている。
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夜が更けてから、独り、帳を広げた。
来島、力ずくによらず、水先案内と恩の積み重ねにて、傘下に収まる。因島・能島・来島、村上一党、三島すべてを治める。孫六殿、三島の主として立つ。
書き終えて、しばらく、その一行を見つめた。三年前、村上孫六という名を、初めて耳にしたときのことを、ふと思い出した。あのころは、まだ、互いに、腕を測り合うだけの相手だった。それが、いまでは、瀬戸内の海に、確かな根を張る、三島の主にまで育っていた。
この一党もまた、同じように、幾つもの縁を重ねながら、少しずつ、育ってきた。孫六の歩んできた道と、この一党の歩んできた道とは、どこか、同じ根から伸びているような気がした。
六島、因島、能島、来島。数えれば、これだけの島々が、いま、確かに、この一党の絵図の中に収まっていた。だが、その先には、まだ、忽那諸島全体という、遥かに大きな絵図が広がっている。頭の中の帳は、今日もまた、書き終えることがなかった。
灯芯が、じりじりと、小さな音を立てて燃えていた。今宵も、渡りはなかった。それでも、この一年の積み重ねを思えば、胸の内に、確かな手応えだけは、静かに残っていた。
この一年で、六島に、因島、能島、来島まで加わった。数えれば、この一党は、絶えず、前へ前へと、動き続けてきた。動き続けているあいだは、この頭も、確かに、必要とされ続ける。
その考えが、頭の隅を、また、ちらりと過ぎった。あの夜、渡りの数を数え直しながら思い至った、あの考えの続きだった。答えは、まだ、出ていなかった。ただ、この一党が、この先も、動き続けることを、自分がどこかで、望んでいるような気がした。その望みの正体を、いまはまだ、正しく見極める勇気が、持てずにいた。
その夜、綾のもとを訪ねた。来島の首尾を伝えると、綾は、静かに、耳を傾けていた。
「力ずくではのうて、恩と、言葉とで、成し遂げられたのですね」
「はい。ただし、恩だけでは、届かぬ心もござりました。誇りを持つ者には、誇りを守ったまま歩める道を、示さねばなりませぬ」
「それは、孫六殿が、御自身の言葉で、伝えられたのですね」
「はい。わたくしの策では、そこまでは、届きませなんだ」
綾は、それを聞いて、微かに笑った。
「策の届かぬところを、人の情が埋める。それも、この一党らしい形にござりますね」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。
翌朝、幸松と亀吉が、館の庭先で、村上一党が三島を治めるに至った経緯を、他の子らに、身振り手振りで語って聞かせているのが見えた。
「因島から始まって、能島、来島まで。すごい話だな」
亀吉が、そう言うと、幸松が、頷いた。
「一つずつ、確かに積み重ねてきたからこそだ。急いでは、こうはならなかっただろう」
その様子を、わたしは、少し離れた場所から、静かに見守っていた。この島で育つ子らの中にも、こうして、一党の歩みが、確かに語り継がれはじめていた。
外では、九月の澄んだ潮風が、静かに吹いていた。因島、能島、来島。三つの島の灯りが、遠く、水平線の向こうに、それぞれ、確かに灯っているはずだった。




