# 第三十九話 客人の報せ
応永三十三年(一四二六)十二月 伊予国 怒和島 下怒和
薦田様の一件から、一年ほどが過ぎた。冬の海は、日ごとに、冷たさを増していた。
迎えの船が、赤間関から戻ってきたのは、師走に入って間もなくのことだった。
湊に降り立ったさよは、記憶にあるより、ずっと痩せていた。頬がこけ、目の下に、深い隈が刻まれている。それでも、こちらを見上げたその目には、あの日と変わらぬ、まっすぐな光があった。
「姫様」
さよは、そう言って、地面に手をつこうとした。わたしは、慌てて、その体を支えた。
「よい。そのようなことは、もう、よい」
さよの傍らには、男の子が一人、しがみつくように立っていた。歳の頃、数えで五つ。母の袖を、小さな手で、離すまいとするように、固く握りしめていた。
「この子は」
わたしが、そう訊ねると、さよは、微かに、笑った。
「名を、鷹丸と申します。父親は……もう、おりませぬ」
それ以上は、語らなかった。わたしも、それ以上は、訊ねなかった。
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館に落ち着くと、さよは、ゆっくりと、これまでのことを語りはじめた。
赤間関の船宿で、何年も働き続けたこと。ある日、暇を出され、独りで生きる道を探したこと。鷹丸を身籠り、産んだこと。父親のことは、最後まで、多くを語らなかった。
「苦労を、かけたのだな」
わたしが、そう言うと、さよは、首を振った。
「苦労なんぞ、姫様に比べれば、大したことはございませんでした。うちは、ただ、生きてきただけです」
その物言いに、わたしは、しばらく、何も言えなかった。数えることでしか、これまで、物事を捉えられずにいた自分にとって、「ただ、生きてきた」という一言は、どう数えればよいのか、見当もつかなかった。
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「体の具合は」
わたしが、そう訊ねると、さよは、少し、目を伏せた。
「良うは、ございません。ただ、姫様に、一目お会いできただけで、もう、十分でございます」
「そのようなことを申すな」
わたしは、思わず、声を強めた。
「これから、しかと、養生させる。医者も呼ぶ。良うなるまで、ここにおればよい」
さよは、その言葉に、しばらく、こちらの顔を見つめていた。それから、静かに、涙をこぼした。
「姫様は、変わられましたね」
「変わった、とは」
「昔は、そのように、人を気遣う言葉を、なかなか、口にはなさいませなんだ。心の内では、いつも、案じておられたのでしょうけれど」
その言葉に、わたしは、深く、胸を突かれた。
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「あの夜のこと、覚えておられますか」
さよが、ふと、そう言った。
「縁組が決まった夜、姫様が、小さな声で、『嫌じゃ』と仰った、あの夜のことです」
「覚えておる」
「あのとき、うちは、何も言えませなんだ。今なら、言えます」
さよは、そう言って、こちらの手を、そっと握った。
「姫様。あんまり、ご自分を、責めんでくださいまし。あなた様のせいでは、ござりませぬ。あなた様が、賢かったから、こうなったのでもござりませぬ」
その一言に、わたしは、しばらく、声が出なかった。十年以上前、言われなかった言葉が、いま、ようやく、届いていた。
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さよの容体は、それから、ひと月のあいだ、良くなったり、悪くなったりを繰り返した。良い日には、鷹丸を膝に乗せて、機嫌よく笑っていた。悪い日には、ほとんど、床から起き上がれなかった。
わたしは、政の合間を縫って、さよのもとへ、幾度も足を運んだ。鷹丸も、いつのまにか、こちらに、少しずつ、懐いてきた。
そして、年の瀬も迫った、ある夜。
さよは、静かに、眠るように、息を引き取った。最期まで、苦しむ様子は、なかった。
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「鷹丸のことは、わたくしが、しかと、お引き受けいたす」
わたしは、さよの亡骸の傍らで、そう誓った。鷹丸は、まだ、母が眠っているとしか、思っていない様子だった。事の意味を、正しく飲み込むには、あまりに幼かった。
その小さな寝顔を見つめながら、わたしは、頭の中で、静かに、数を組み直した。この子には、母の記憶が、ほとんど残らないだろう。おぼろげな面影だけを抱えたまま、育っていくことになる。その空白を、これから、誰が、どう埋めていくのか。
その答えを、わたしは、まだ、持ち合わせていなかった。
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その日、伊佐次が、珍しく、急いだ様子で、館へ駆け込んできた。
「殿。千代様。予州家方の橘修理亮様より、使いが参っており申す」
橘修理亮。二神本家の娘を娶った、予州家方の在地武将の一人だった。かつて義重が語った「予州家に付いておる家へ一人」という縁組の相手が、まさに、この橘家だった。
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「橘様が、何用だ」
弥九郎が、そう訊ねた。
伊佐次は、少し声を落として、続けた。
「御子息を一人、こちらの配下に加えていただきたい、との申し出にござります」
その言葉に、わたしと弥九郎は、思わず、顔を見合わせた。
「御子息、とは」
わたしが、そう訊ねると、伊佐次は、手にしていた文を差し出した。
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文には、丁寧な筆致で、事の次第が記されていた。橘修理亮には、二神本家から嫁いだ正室のほかに、先妻との間に、二人の男子がいるという。此度、こちらへ寄越されるのは、その次男。名は、小三郎、十五になるという。
「先妻の子、しかも、次男とは」
弥九郎が、そう呟いた。わたしは、頭の中で、素早く、事の意味を組み立て直した。
「本家から嫁いだ正室との子ではなく、先妻の子を、こちらへ送る。これは、橘家にとって、都合のよい駒を手放すという意味では、決してござりませぬ」
「どういうことだ」
「先妻の子であっても、橘家にとっては、大切な血筋にござります。それを、あえて、こちらへ寄越す。これは、こちらへの信を示す、確かな証にござります。加えて」
わたしは、少し声を落として、続けた。
「文の端々に、予州家の御意向も、透けて見えまする。二神本家が、一度、教通方・通春方に割れた一件を、予州家御自身も、危ぶんでおられるのでしょう。橘家を通じて、こちらとの縁を、いま一度、確かに結び直しておきたいという肚が、透けて見え申す」
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「人質、ということか」
弥九郎が、そう訊ねた。その声には、わずかな緊張があった。
わたしは、少し考えてから、答えた。
「人質という形は、確かに、取っておりましょう。ですが、この時代、人質は、単なる脅しの道具ではござりませぬ。互いの信を、目に見える形にする、確かな作法にござります」
「橘家は、それほどまでに、こちらを頼りにしておる、ということか」
「はい。二神本家の娘を娶ったことで結ばれた縁が、これまでは、書付の上だけのものにござりました。それを、実際の人の行き来にまで発展させたい、という意志の表れにござりましょう」
弥九郎は、しばらく、腕を組んで、考え込んでいた。
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「受け入れるべきか」
弥九郎が、そう訊ねた。
「はい。受け入れるべきにござります」
わたしは、迷わず、そう答えた。
「理由は」
「一つには、橘家との縁が、これで、いっそう固まりまする。二つには、若い者を一人、育て上げることは、この一党の先々にとっても、決して損にはなりませぬ。三つには」
わたしは、少し間を置いてから、続けた。
「これを断れば、橘家の面目を潰すことになりましょう。信を示そうとした手を、こちらが払いのける形になれば、通春方の中での、こちらの立場そのものが、危うくなりかねませぬ」
弥九郎は、それを聞いて、深く頷いた。
「お前の言うとおりだ。受け入れよう」
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「その若者、これまで、どのような育ちをしてきたのだろうな」
弥九郎が、ふと、そう漏らした。
「文には、多くは記されておりませぬ。ただ、剣の腕は、それなりに立つとのことにて」
わたしが、そう答えると、弥九郎は、少し考え込んだ。
「先妻の子として、正室の子とは違う扱いを受けてきたのであれば、腕を磨くことだけが、己の値打ちを示す道だったのやもしれぬ」
その見立てに、わたしは、少し、意外な思いがした。弥九郎は、数を読むことには長けていないと、これまで、ずっと、そう思い込んでいた。だが、人の育ちの陰影を読み取ることにかけては、自分よりも、よほど、鋭いところがあった。
「殿は、そうしたことに、よう気づかれまする」
わたしが、そう言うと、弥九郎は、少し照れたように笑った。
「俺自身、似たような育ちだったからな」
その一言に、わたしは、しばらく、何も言えなかった。倭寇の頭領として、この島に流れ着くまでの弥九郎の道のりを、あらためて、思い起こさずにはいられなかった。数では見えぬものを、この男は、いつも、当たり前のように見て取る。その力は、自分の中には、決して育たなかったものだった。
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「橘様には、いつごろ、御子息を寄越されるおつもりか」
弥九郎が、伊佐次に、そう訊ねた。
「年が明けてから、とのことにござります。まずは、御挨拶にと」
「分かった。丁重に、迎える支度をせよ」
弥九郎は、そう言って、伊佐次を下がらせた。二人きりになると、弥九郎は、少し、複雑な顔をした。
「十五の若者を、この一党に迎える、か」
「殿は、案じておられるのですか」
「案じてはおらぬ。ただ、あの子らのことを、思い出す」
その言葉に、わたしは、すぐに、弥九郎の弟のことだと分かった。幼い頃、飢えの中で死なせてしまったという、あの弟のことだった。弥九郎自身の口から、その話を、詳しく聞いたことは、これまで、一度もなかった。だが、幾つかの断片から、その死の重みだけは、確かに、感じ取っていた。弥九郎は、それ以上は語らず、ただ、窓の外を見つめていた。
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その日の夕方、綾のもとを訪ねた。赤子は、この頃には、綾の腕の中で、随分と重みを増していた。
「橘様の御子息が、こちらへ来られるとのこと、聞き及びましてござります」
綾が、そう言った。既に、館の中には、その噂が広まっているらしかった。
「はい。年が明けてから、とのことにて」
わたしが、そう答えると、綾は、少し、遠い目をした。
「わたくしも、猶子として、本家の御館へ入りました。血の縁と、家の縁とが、必ずしも同じではないことを、身をもって知っております」
その言葉に、わたしは、深く頷いた。綾自身が、まさに、その縁組の中で生きてきた人だった。そして、その縁組を組んだのは、他ならぬ、この自分だった。
「猶子として入られたとき、辛くはござりませなんだか」
わたしが、そう訊ねると、綾は、少し、驚いたような顔をした。
「その問い、千代殿御自身が、あの縁組を組まれた御方から、いま、伺うことになろうとは、思うており申さなんだ」
その一言に、わたしは、何も言い返せなかった。綾は、それを見て、微かに笑い、静かに続けた。
「辛くないと言えば、嘘になりましょう。ですが、それによって、島の皆が救われるのだと、そう聞かされておりました。ゆえに、辛さを、辛さのまま、抱え続けるわけにはまいりませなんだ」
その言葉に、わたしは、深く、胸を突かれた。綾は、これまで、その内側の辛さを、こちらに、一度も、はっきりと語ったことはなかった。いま、初めて、その一端を、垣間見た気がした。
「いま、思い返せば、辛さは、ござりましたか」
わたしが、重ねて訊ねると、綾は、微かに笑った。
「ござりました。ですが、いまとなっては、それでよかったと、そう思うております。鶴丸のこと、そして、この子のこと。すべて、あの日の選びから、繋がってまいりました」
その答えに、わたしは、しばらく、言葉を失った。綾の強さは、数では測れないものだった。辛さを辛さのまま抱え続けず、それでもよかったと言い切れるまでに、いったい、どれほどの月日と覚悟が要ったのだろうか。自分には、まだ、そこまでの境地は、見えていなかった。
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「その御子息は、どのような御気性にござりましょうか」
綾が、そう訊ねた。
「まだ、会うたことはござりませぬゆえ、分かりませぬ。ですが、先妻の子として、本家から嫁いだ正室の子とは、また違う立場に、これまで置かれてきたはずにござります」
「肩身の狭い思いを、なさってきたやもしれませぬね」
綾の一言に、わたしは、はっとした。そこまでは、考えが及んでいなかった。数の上では、確かに、価値のある駒だった。だが、その駒の内側にある、十五年分の心のありようまでは、まだ、数えていなかった。
「綾殿は、いつも、そこに気づかれる」
わたしが、そう言うと、綾は、少し微笑んだ。
「千代殿が、数えるところを、わたくしは、感じるだけにござります」
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「その子が来たら、幸松と、よい友になれるやもしれませぬ」
綾が、ふと、そう続けた。
「幸松も、寄る辺のない身の上から、いまの立場を得た子にござります。似た境遇の者同士、通じ合うところが、あるやもしれませぬ」
その言葉に、わたしは、頭の中で、これからの絵図を、あらためて思い描いた。橘小三郎という若者を、ただの人質として扱うのではなく、幸松や鶴丸と共に、この島の一員として育てていく。そうした道筋が、確かに見えてきた。
「よき考えにござります。幸松に、あらかじめ、話しておきましょう」
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その夜、幸松に、この話を伝えた。庭先で、鶴丸と共に、灯りのもとで、字の稽古をしているところだった。
「幸松、少し、よいか」
「はい、千代様」
幸松は、すぐに、筆を置いて、こちらへ向き直った。
「年が明けたら、新しい客人が来る。橘小三郎という、十五の若者だ」
その話に、幸松は、少し、驚いた顔をした。
「それがしと、同じような身の上、と伺いましてござります」
「境遇は違うが、寄る辺のない立場にあるという点では、確かに、通じるものがあろう」
幸松は、しばらく、考え込んでから、答えた。
「それがしに、何か、できることがござりましょうか」
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「まずは、友として、迎えてやってほしい。それだけでよい」
わたしが、そう言うと、幸松は、深く頷いた。
「承知いたしました」
その素直な返事に、わたしは、少し、胸が温かくなった。かつて拾われた孤児が、いま、新たに来る者を迎える側に立っている。この巡り合わせの重さを、あらためて、噛みしめた。
「幸松は、初めてこの島へ来たとき、どのような心地だったか、覚えておるか」
わたしは、ふと、そう訊ねてみた。幸松は、少し、遠い目をした。
「よう、覚えており申す。飯を食わせていただけるだけで、涙が出そうになり申した。ですが、それと同じくらい、皆に、どう見られるかが、怖うござりました」
「怖い、とは」
「余所者として、いつまでも扱われるのではないか、と。そう思うと、夜、なかなか眠れませなんだ」
その答えに、わたしは、しばらく、何も言えなかった。数として、余所者を受け入れる仕組みばかりを組み立ててきた。だが、その仕組みの内側にある、当事者の恐れそのものを、これほど、はっきりと聞いたのは、初めてのことだった。
「橘の若者も、同じ恐れを、抱いておるやもしれぬな」
「はい。それがしにできることがあれば、力になりとうござります」
幸松の、その真っ直ぐな答えに、わたしは、深く頷いた。この島が、寄る辺のない者を、次々と受け止め、その者たちが、また、新たに来る者を支える側へと育っていく。その連なりの確かさを、あらためて、噛みしめずにはいられなかった。
鶴丸も、隣で、その遣り取りを、じっと聞いていた。
「その御方も、共に、剣の稽古をなさるのですか」
鶴丸が、そう訊ねた。
「いずれは、そうなろう」
わたしが、そう答えると、鶴丸は、嬉しそうな顔をした。仲間が増えることを、素直に喜んでいるようだった。
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夜更け、皆を見送ったあと、帳を広げた。
さよ、身罷る。息子・鷹丸(数え五つ)、こちらにて引き取る。橘修理亮様より、御子息・小三郎(十五)を配下に加えたいとの申し出。年明けに来訪の予定。婚姻による縁、実際の人の行き来にまで発展す。
書き終えて、しばらく、その一行を見つめた。二神の娘を娶らせるという、あの縁組の策から、既に幾年もの歳月が流れていた。あのとき、ただの婚姻として組んだ策が、いま、こうして、若者一人の人生を動かすところまで、実を結んでいた。
綾の一言を、もう一度、思い出した。肩身の狭い思いを、なさってきたやもしれませぬね。その言葉が、頭の中で、何度も、繰り返された。数の上での駒としてではなく、一人の若者として、この子を迎えねばならない。そのことを、綾の言葉が、あらためて、思い出させてくれた。
弥九郎の、あの、遠い目をした横顔も、頭に残っていた。飢えて死んだ弟のことを、いまも、あの男は、忘れてはいないのだろう。若者を一人迎えるということは、ただの政の駒を得るというだけでなく、その者の生の重みまで、共に背負うということだった。
幸松の言葉も、頭に残っていた。飯を食わせていただけるだけで、涙が出そうになった。だが、それと同じくらい、余所者として扱われることが怖かった。その恐れを、これまで、自分は、正しく数に入れてこなかった。仕組みを整え、居場所を用意することばかりに、頭を働かせてきた。だが、居場所を用意しただけでは、届かない恐れが、確かに、あるのだった。
橘小三郎という若者が、この島に来たとき、どのような顔を見せるだろうか。幸松のように、涙をこらえながらも、怖れを抱いているのだろうか。それとも、武家の子として、その怖れすら、表には出さぬのだろうか。まだ会うたこともない若者の顔を、頭の中に、幾度も、思い描いてみた。
鷹丸のことも、頭から離れなかった。あの子は、まだ、母がいなくなったことの意味を、正しくは分かっていない。いずれ、分かる日が来る。そのとき、この子に、さよのことを、どう語って聞かせればよいのか。数えることでしか物事を捉えられない自分に、その語り方が、正しくできるのか、まるで自信がなかった。それでも、語らずには、いられないだろう。鷹丸の中に残る、母のおぼろげな面影を、せめて、少しでも、確かな形にしてやりたかった。
橘小三郎も、鷹丸も、共に、この年の瀬に、この島へ加わることになる若い命だった。一人は、政の縁から。一人は、失われた縁から。その出どころは、まるで違う。だが、どちらも、この島が、これから、しかと背負っていかねばならない重みには違いなかった。
外では、十二月の凍えるような風が、静かに吹いていた。年の瀬が、すぐそこまで、迫っていた。




