幕間 弦 ——麻生家村
応永二十一年(一四一四)十二月 筑前国遠賀郡 芦屋
俺は、物を考えるのが苦手じゃ。
自分でもそう思うておる。父上は書状を読まれる。妹は数を並べる。俺にできるのは、弓を引くことと、言われたことを覚えておくことくらいじゃ。
覚えるのは、得意なほうかもしれぬ。
去年の夏、白水衆のところへ参る前に、千代が言おうとしたことを、俺が先に言うた。
「三人以上で行けば、討ちに来たと思われる」
そう申したら、あれは少し驚いた顔をした。
驚かせたのが嬉しかった、と言うたら、あれは怒るであろうか。いや、怒るまい。ぽかんとして、それから困った顔をする。あれは、人が自分のために何かをすると、いつも困った顔をする。
そのときのことを、俺はよう思い出す。
——数は読めぬのに、そこだけ読めておる。
千代はそう思うたはずじゃ。顔に出ておった。
違う。
前に、あれが言うたことを覚えておっただけじゃ。
一年前であったか、二年前であったか。番屋の外で与三次と話しておるのを、通りかかりに聞いた。人を呼ぶときは人数で意味が変わる、というようなことを申しておった。多く連れて行けば脅しになり、少なく行けば頼みになる、と。
意味は分からなんだ。
分からなんだが、覚えた。
俺は、そういうふうにして生きてきた。
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三日のことを、俺は誰にも話しておらぬ。
白水三郎という男は、四つ目まではあっさり呑んだ。五つ目を読み上げたところで、木の椀を置いてこう言うた。
「それは呑まぬ」
俺は、その場に座った。
「呑んでいただきたい」
「呑まぬと申した」
「呑んでいただくまで、動きませぬ」
賊の頭が笑うた。手下も笑うた。五十人が笑うのは、なかなか堪えるものじゃ。
一日目は、腹が減った。二日目は、腹が減らのうなった。三日目には、目の前が白うなった。
その三日、俺はずっと同じことを考えておった。
千代の顔じゃ。
紙を渡すとき、あれはこう申した。
「五つ目が、いちばん大事にござります」
「五つ目」
「人を、取らぬこと」
十二の娘が、人を攫うということを知っておった。知っておって、それを紙に書いた。
俺は、そのとき何も言えなんだ。
十二の子が、人が攫われて売られるということを、当たり前のこととして書いておる。それを見て、俺はうまく息ができのうなった。
——この子は、いつからそのようなものを知っておったのか。
そう思うた。
三日目の夕方に、三郎が言うた。
「四つで持ち帰れ。五つ目に拘って全部流れるより、そのほうが利口じゃ」
正しい、と思うた。
数は読めぬ。じゃが、それくらいは分かる。四つ通れば湊は保つ。五つ目に拘って全部流れれば、湊は死ぬ。千代なら同じことを申すであろう。あれなら、迷わず四つで持ち帰る。
分かっておった。
分かっておって、動かなんだ。
理屈ではない。
あの顔に、五つ目は駄目でしたと言いとうなかった。それだけじゃ。
四日目の朝に、手下に担がれて舟へ放り込まれた。
帰って、笑うて、嘘をついた。
嘘が下手なことは、自分でも知っておる。千代が気づいたのも分かった。あれは俺の顔を見て、それから何も言わなんだ。
追及せなんだ。
——賢い子じゃ。
そう思うた。
賢すぎて、いつも一人でおる。
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千代は、俺のことを役に立たぬと思うておる。
これも、分かっておる。
去年の春、父上に叩かれたあとで、あれは俺に説き聞かせた。八人では戦は変わらぬ、湊が空になる、大内は海から来る、芦屋は動いておらぬ。
俺は、途中から分からのうなった。
「よう分からん」
そう申したら、あれは目を伏せた。ほら来た、という顔であった。
じゃから、こう言うた。
「よう分からんが、お前がそう言うなら、そうなのであろう」
千代は、返事をせなんだ。
あのとき、あれが何を思うたかは、たぶん分かる。
——分かっておらぬのに頷く。頷いても味方は増えぬ。
そう思うたはずじゃ。
それでよい、と俺は思うておる。
味方が増えるとか増えぬとか、そういう話ではないのじゃ。
俺は、千代の言うことの中身が分からぬ。一生分からぬであろう。じゃが、あれが嘘を言わぬことは知っておる。都合のよいことを言わぬことも知っておる。
三年見ておれば、それくらいは分かる。
じゃから、中身が分からずとも、そのとおりにすればよい。
——理屈は言えん。
千代に「父上に申し上げていただけませぬか」と頼まれたとき、俺はそう答えた。
「無理じゃ。途中で忘れる」
そう申して笑うて、部屋を出た。
出てから、廊下で少し立ち止まった。
まことは、こう言えばよかったのかもしれぬ。
俺には理屈が言えぬ。じゃが、お前の言うことなら、俺は死ぬまで信じる。
そう申せば、あれは少し楽になったかもしれぬ。
言わなんだ。
そういうことを口に出すのは、なんというか、気恥ずかしゅうてならぬ。
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芦屋の館で、叔父上は待っておられた。
俺の顔を見て、しばらく黙っておられた。それから、人を下がらせた。
「弥太郎殿。何用じゃ」
「お伺いしたき儀がござります」
「申せ」
そこで、詰まった。
順序立てて、と千代なら申す。数から入れ、と。
じゃが俺の頭には数がない。あるのは、あれが廊下で口にした「二十二艘」という言葉と、父上が「どうにもならぬ」と申されたことだけじゃ。
じゃから、そのまま訊いた。
「叔父上は、大内方と通じておられますか」
叔父上の目は、動かなんだ。
長いあいだ、動かなんだ。
「誰から聞いた」
「誰からでもござりませぬ」
「弥太郎殿」
「わたくしが訊いております」
叔父上は、脇息に肘を預けられた。
そして、言われた。
「通じておる」
俺は、口を開いたまま動けのうなった。
否と言われると思うておった。
そうしたら、帰って千代に申すつもりであった。叔父上は違うと仰せられた、と。それで千代が「そうですか」と申して、少し安んじてくれれば、それでよかった。
そのつもりで、来たのじゃ。
「……なぜ」
「麻生を残すためじゃ」
「島門は」
「島門は、麻生ではない」
腹の底が、熱うなった。
「四代、この関を——」
「四代預かってきたことと、これから預かれることとは、別の話にござる」
叔父上の声は、静かであった。
「弥太郎殿。兄上は筋を選ばれた。わしは家を選ぶ。それだけのことじゃ」
俺は、そこで千代のことを考えた。
あれは、去年の暮れにこの人と庭で話しておる。何を話したかは知らぬ。ただ、そのあと父上が「叔父を好きになるな」と申されたのを覚えておる。
いま、分かった。
この人の申すことは、筋が通っておる。通りすぎておる。
聞いておると、そうかもしれぬと思えてくる。
——千代も、そう思うたか。
そう思うたなら、あれは苦しかったであろう。
「叔父上は、卑怯にござります」
言うてから、しもうたと思うた。
千代なら、このようなことは言わぬ。もっと利口な言い方をする。
叔父上は、怒られなんだ。
ただ、こう申された。
「弥太郎殿。今宵のうちに、島門へお発ちなされ」
「……なぜでござりますか」
「わしは、あなたに何もせぬ。じゃが、この館にはわしのほかにも人がおる」
俺は、立ち上がった。
障子に手をかけたとき、背中で叔父上が言われた。
「弥太郎殿」
「……」
「千代殿に、よろしゅう」
振り返らなんだ。
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湊に着いたとき、潮が引いておった。
舟人が申すには、次の満ち潮は夜明け前じゃという。引き潮では、小舟でも底をこする。
俺は、待つことにした。
歩いて帰れぬこともない。じゃが冬の夜に半日歩けば、朝には使いものにならぬ。舟を置いていけば、舟人が困る。
杭に腰かけて、待った。
寒かった。
夜が更けると、干潟が黒う光った。杭が何本か、泥から突き出しておる。
——千代なら、あれを数えるじゃろうな。
そう思うた。
杭が幾つ見えるかで、潮の高さが分かるのじゃという。あれは三年、それを書き続けておる。何になるのかは、いまだに分からぬ。
分からぬが、何かの役に立つのであろうとは思うておった。
そのうち、あれが「兄上、これが役に立ちました」と申す日が来る。
そのときに、俺は「そうか」と申す。
中身は分からぬままでよい。分からぬままでも、「そうか」と申すことはできる。
俺の役目は、たぶんそれじゃ。
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春には、香月へ参る。
そのことだけが、気がかりであった。
千代は嫌がっておった。口には出さなんだが、分かった。ああいうことは、口に出さぬほうがよう分かる。
じゃが、香月は悪い家ではない。田がある。戦の来ぬところにある。
島門は、これから苦しゅうなる。叔父上の申されるとおりなら、いずれ捨てられる。
そのとき、あれが島門におらぬほうがよい。
そう考えて、少し気が楽になった。
——千代は、助かる。
そのことだけは、確かじゃと思うた。
嫁いだ先で、あれは相変わらず何かを数えておるであろう。田の水を数えたり、米の量を数えたりして、周りに妙な顔をされるであろう。
そして、たまに実家へ来て、俺に難しい話をするであろう。
俺は「よう分からん」と申す。
あれは目を伏せる。
それから、俺は「お前がそう言うなら、そうなのであろう」と申す。
——そういうふうに、なる。
そう思うた。
背後で、足音がした。
一人ではなかった。
立ち上がって、弓に手を伸ばした。
弦を張っておらなんだ。舟に乗るときに外して、そのままであった。
——しもうた。
そう思うたのが、最後じゃった。
千代。
お前がそう言うなら、そうなのであろう。




