第三十話 弔いの政
応永三十三年(一四二六)二月 伊予国 忽那諸島
早馬の報せから三日後、義重の館へ、弔問の使いとして、六郎太を遣わした。館の中は、まだ、綾の出産の余韻と、本家の凶事の緊張とが、奇妙に入り混じった、落ち着かない空気に包まれていた。
戻ってきた六郎太は、これまでにないほど、疲れきった顔をしていた。旅装束には、幾日も洗っていないような、埃と潮の匂いが染みついていた。
館に着くと、六郎太は、まず、水を一杯所望した。松吉が、急いで運んでくる。六郎太は、それを一息に飲み干してから、ようやく、報告に取り掛かった。
わたしは、六郎太が落ち着くのを待ってから、そう訊ねた。
「本家の御館は、どのような様子であった」
六郎太は、しばらく、言葉を選んでから、答えた。
「混乱の極みにござった。誰が喪主を務めるか、誰が弔問に立つか、それすら、いまだ、はっきりと定まっておらぬ様子」
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「喪主が、まだ、定まらぬとは、どういうことか」
弥九郎が、そう訊ねた。
「本家の当主様には、御子は、姫様が御二方おられるのみにて、跡を継げる男子が、お一人もおられませなんだ。それゆえ、誰を、次の当主に立てるべきか、御家中でも、意見が割れておるようにて」
その報せに、わたしは、頭の中で、素早く、算段を組みはじめた。喪主が定まらぬということは、それだけ、家督争いの余地が、まだ、広く残されているということでもあった。
「教通方、通春方、それぞれの動きは」
「両方とも、既に、それとなく、動いておるとの由。ただ、表立って、名乗りを上げる者は、まだござらぬ」
「弔問には、どちらの色の武将が、多く訪れておった」
「数の上では、あまり変わらぬように見え申した。ただ、香典の額には、幾らか、差があるようにて。教通方に近い武将のほうが、心持ち、多めに納めておる様子にござった」
その報告に、わたしは、頭の中で、香典の額を、頭の中の帳に、静かに書き加えた。数字は、いつも、言葉よりも雄弁だった。誰がどちらに肩入れしているかは、こうした細かな数の積み重ねから、自ずと浮かび上がってくる。
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わたしは、頭の中を整理しながら、静かに呟いた。
「弔いの作法そのものが、既に、家督争いの前哨戦になっておる、ということか」
弔問に誰が立つか、香典をどれほど納めるか、喪主を誰が務めるか。そうした、本来であれば、故人を偲ぶための一つ一つの作法が、いまや、誰がどちら側に付くかを示す、無言の意思表示になっていた。
「こちらは、どう動くべきか」
弥九郎が、腕を組み、そう訊ねた。
わたしは、しばらく、考えを巡らせた。
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わたしは、頭の中の算段を、静かに口にした。
「弔問は、丁重に。ただし、深入りはいたしませぬ」
「深入りせぬ、とは」
「教通方、通春方、いずれの喪主候補にも、いまの段階で、はっきりとした肩入れは示さぬ、ということにござります。まだ、どちらが優勢か、見極めがついておりませぬ」
弥九郎は、頷いた。
「これまで、通春方に肩入れしてきたではないか」
「河野氏の家督争いにおいては、通春方に肩入れしております。ですが、二神本家の喪主を、誰が務めるかは、また別の話にござります。ここで軽々しく動けば、かえって、こちらの立場を危うくしかねませぬ」
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弥九郎が、続けて、そう訊ねた。
「香典は、どれほど納める」
「相応の額を。だが、突出させぬよう、他の在地の武家の相場を、しかと見極めてからにいたしとうござります」
わたしは、そう答えながら、頭の中で、これまで積み上げてきた数を、あらためて数え直していた。六島の力、因島の代官職、通春方との縁。これらの重みを、この弔いの場で、どう扱うべきか。過ぎたる示しは、かえって、こちらを、敵の標的にしかねなかった。
これまで、こちらは、六島の服属、因島の代官職、通春方への肩入れと、着実に、目に見える形で、力を積み上げてきた。だが、その力の大きさが、いまや、諸刃の剣になりつつあった。目立ちすぎれば、教通方から、真っ先に狙われる的になる。かといって、力を隠しすぎれば、いざというときに、頼りにされなくなる。その均衡を、いかに保つか。これまでにない、繊細な舵取りが求められていた。
「難しい舵取りだな」
弥九郎が、そう漏らした。その顔には、これまでにない、深い疲労の色が見えた。生まれたばかりの我が子の顔を見る間もなく、こうして、政の話に追われている。その負担を、わたしは、あらためて、頭の中で数え直さずにはいられなかった。
「はい。ここで一歩でも誤れば、これまで積み上げてきたものが、一気に崩れかねませぬ」
「お前が、そう言うなら、間違いあるまい」
弥九郎は、そう言って、深く息を吐いた。その一言に、これまでと変わらぬ信頼が滲んでいたが、同時に、こちら一人に、あまりに多くを委ねすぎているのではないかという、微かな懸念も、頭をよぎった。
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その合間を縫って、綾の産所を訪ねた。生まれたばかりの男子は、綾の腕の中で、すやすやと眠っていた。
「よう眠っておりますね」
わたしが、そう言うと、綾は、微かに笑った。
「夜泣きも、まだ、それほどはござりませぬ。おとなしい子にござります」
その寝顔を見つめながら、わたしは、頭の中で、この子の行く末を、あらためて思い描いた。綾が、既に、本家の猶子である以上、この子は、血筋の上では、いずれ、二神本家を正式に継ぐ資格を持つ。だが、いまは、まだ、その先の絵図を、誰にも明かせないままだった。
「本家のこと、既に、お聞きにござりますか」
わたしが、そう訊ねると、綾は、少し表情を曇らせた。
「聞いております。父からも、案じるような文が届きました」
「御案じなさいますな。まだ、こちらが動くべき時ではござりませぬ」
そう答えながら、わたしは、綾の腕の中で眠る赤子を、もう一度、見つめた。この小さな命が、いずれ、大きな政の駒として、担ぎ出される日が来るかもしれない。その未来を、いまはまだ、幼子には、何一つ、知らせるわけにはいかなかった。
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数日後、義重から、あらためて使いが届いた。
「義重様が、直に、お話ししたきことがあるとの由」
その報せを受け、わたしは、少し緊張した。義重が、こうして直に話を求めてくるのは、よほどの事情があるときだけだった。すぐさま、支度を整え、船に乗り込んだ。
館を訪ね、義重と、あらためて向き合った。義重の顔には、これまで見たことのない、深い憂いの色があった。歳のせいか、少し背も丸まって見えた。
「本家のこと、聞き及んでおろう」
「はい。混乱の極みにあると」
義重は、頷いた。
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「わしにも、本家の詳しい内情までは、分からぬ。だが、一つ、気にかかることがある」
「と、申されますと」
「本家の御正室の産んだ娘が、既に、河野方の、ある武将に嫁いでおる。その娘の産んだ子を、次の当主に、との声も、御家中の一部にあるようだ」
その言葉に、わたしは、頭の中で、素早く、筋道を組んだ。
「その武将は、どちらの陣営に」
「教通方だ」
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義重の一言に、わたしは、しばらく、黙り込んだ。
もし、教通方に近い武将の子が、二神本家の当主に据えられれば、本家そのものが、教通方の傘下に組み込まれることになる。それは、これまで、通春方に肩入れしてきたこちらにとって、決して看過できない事態だった。
義重は、しばらく、黙り込んでいた。それから、少し声を落として、続けた。
「まだ、決まったわけではない」
「本家の御家中には、それに異を唱える者たちもおる。だが、教通方の後ろ盾があれば、その声は、いずれ、押し切られるやもしれぬ」
「他に、対抗し得る血筋は」
「いまのところ、はっきりとは、見当たらぬ」
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その答えに、わたしは、頭の中で、静かに、幾つもの筋道を並べ直した。義重の憂い顔を見つめながら、この老人もまた、島の行く末を、常に案じ続けているのだと、あらためて感じ入った。
綾は、既に、本家の猶子である。綾の産んだ子もまた、本家の血筋として、いずれ迎えられる資格を持つ。だが、その子は、まだ、生まれたばかりの乳飲み子だった。いま、この場で、その存在を持ち出すことは、あまりにも早すぎた。
「まだ、動くべきときではござりませぬ」
わたしは、そう答えた。
義重は、しばらく、考え込む顔をしていた。
「様子を見る、ということか」
「はい。まずは、事の成り行きを、しかと見極めとうござります。教通方の動きが、どこまで進むのか。それを見誤れば、こちらの手が、後手に回りましょう」
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「もし、教通方の子が、本家の当主に据えられたなら、この島にも、いずれ、火の粉が及びましょう」
義重が、そう続けた。その声には、隠しきれない不安が滲んでいた。
「その懸念は、わたくしも、しかと持っており申す。ですが、いま、慌てて動けば、かえって、こちらの手の内を、教通方に晒すことになりましょう。まずは、通春方の中で、どのような動きがあるかを、探らせとうござります」
「通春方に、対抗の手立てはあるのか」
「まだ、はっきりとは。ですが、探ってみる価値は、確かにござります」
義重は、それを聞いて、深く頷いた。
「お前の判断に、任せる」
わたしは、深く頭を下げた。
「かたじけのう存じます」
義重は、それを聞いて、静かに、深く目を閉じた。
館を辞し、船に乗り込みながら、わたしは、頭の中で、これから起こり得る事態を、幾通りも、思い描いていた。教通方が、本家の乗っ取りに成功すれば、こちらの立場は、大きく揺らぐことになる。それを防ぐ手立てを、いまのうちから、静かに組み立てておかねばならなかった。
湊で、幸松が、迎えに来ていた。
「義重様のところは、いかがにござりましたか」
「案じておられた。だが、まだ、こちらが動くべき時ではない」
幸松は、それを聞いて、少し考え込む顔をした。
「千代様は、いつも、そう仰いますね。まだ動くべきではない、と」
その一言に、わたしは、少し虚を突かれた。
「それが、間違うておると申すか」
「いえ、そうではござりませぬ。ただ、いつも、待つことのほうが、動くことよりも、難しいのではと、そう思うたまでにて」
その言葉に、わたしは、しばらく、何も言えなかった。幸松の、その素朴な指摘は、思いのほか、的を射ていた。動くことは、数を数え、算段を組めば、なんとか形にできる。だが、待つことには、数では測れない、別の忍耐が要った。
館に戻り、弥九郎に、この一件を伝えると、しばらく、腕を組んで、考え込んでいた。それから、盃を傾け、静かに口を開いた。
「厄介なことになったな」
わたしは、静かに、そう答えた。
「はい。ですが、いまはまだ、こちらから動く時ではござりませぬ。事の成り行きを、しかと見極めることが、いま、もっとも肝要にござります」
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その夜、灯芯を整えながら、帳を広げた。
本家の喪、いまだ混乱。喪主、いまだ定まらず。教通方に近い武将の子を担ぐ動き、御家中の一部にあり。こちらは、いまはまだ動かず、様子を見る。
書き終えて、しばらく、その一行を見つめた。慶事の直後に訪れた、この重い政の局面。生まれたばかりの我が子の泣き声を聞きながら、弥九郎も、これから、父としての喜びとは別の、当主としての重責を、日に日に、深く背負っていくことになるのだろう。
幸松の一言、待つことのほうが、動くことよりも、難しいのではないかという、あの言葉が、いつまでも、頭の中に残っていた。これまで、数え、算段を組み、動くことでしか、自分を保ってこられなかった。待つという行いは、数の外側にある、まったく別の技だった。その技を、いまの自分は、まだ、身につけていなかった。
弥九郎は、隣の部屋で、生まれたばかりの我が子を、あやしているらしい声が、微かに聞こえてきた。ぎこちない、それでいて、確かな慈しみのこもった声だった。その声を聞きながら、わたしは、頭の中で、教通方の動き、通春方への働きかけ、そして、まだ誰にも明かせない、あの先の絵図のことを、一つずつ、静かに数え直していた。
数えることでしか、自分を保てない性分は、いまも、少しも変わっていなかった。それでも、その数の合間に、幸松の言葉のような、数では測れないものが、少しずつ、紛れ込みはじめている。その紛れ込み方に、まだ、うまく慣れずにいた。慣れぬまま、それでも、その紛れ込みを、無理に追い出そうとは、思わなくなっていた。
外では、二月の終わりの風が、まだ、鋭く吹いていた。春は、まだ、遠かった。




