第26話 エリザベス③
月日の経つのは本当に早い。
苦労の末に、お生まれになったサンディ様ももう十歳になった。デライザ様によく似た、妖精のような可愛らしい女の子。わたしのしあわせの象徴。
「エリザベスー! お花、あたくしも、持ちたいのー」
「はいはい。いいですよー」
侍女たちに持たせていた大量の花束の一つを、サンディ様に渡してもらう。
「わあい! サンディがお父様とお母様のお墓に、この花束、一番に置く!」
「喜びますよ、ロバート様もデライザ様も」
「うんっ!」
満面の笑顔で走り出すサンディ様。
本当に月日が経つの早いなあ……と、おもわずわたしは目を細めた。
ロバート様がデライザ様を連れてトルニーヤ国にやってきた後は本当に大変だった。
まず、検査。
自国とトルニーヤ国では医療では格段の違いがある。しかも、デライザお嬢様を診察してくださったのは、心臓及び循環器治療の権威、チェン・ウェイ・イー医師だ。
度重なる検査の結果、デライザお嬢様のご病気は心臓や肺に問題があるのではなくて……、何らかの原因によって肺小動脈が細くなることで肺動脈圧が上昇しているということが判明した。
「だからなあ……。まず、肺動脈圧を低下させる治療をするんだけどな。完治ってことはないんだよ。少しマシになる程度」
詳しいことはわたし程度の知識ではまったくわからないんだけど。最高の医療先進国の最高の医師の診断だ。間違いはない。
更に、産婦人科の権威のホワン医師もいるのだ。
「んー……。妊娠や出産時はねえ、循環血液量が増加するし、出産時にはいきみなんかで右室負荷が増大するの。あと、細菌感染にも注意が必要だし……。妊娠して、何が問題かと言えば、圧の上昇と息切れの症状の程度ね。それを管理した上で……、帝王切開かな。出産は不可能じゃないけど……安全なお産にはならないわよ」
医師の見解、デライザお嬢様の健康状態。
デライザお嬢様とロバート様は何度も何度も話し合いをして……それでも、希望があるのなら、子を持ちたいという結論に至った。
「幼少のころ、成人まで生きられないと言われたわ。あたくしはもうとっくに死んでいるはずの年を超えたの。だったら……、あたくしはロバートと本当の夫婦になりたい。それから、子も欲しいの」
決意したデライザ様は強かった。
チェン医師とホワン医師のおかげもあるけど……デライザ様は妊娠出産に耐えた。サンディ様がお生まれになって、三歳の誕生日まで、デライザ様は生きることができた。
「ああ……、しあわせよ。ありがとう、ロバート、ありがとうエリザベス……、ありがとうサンディ……」
それが、デライザ様の、最期の言葉。微笑みながら、デライザ様は天の国へと向かわれた。
デライザ様の葬儀を終えた後、ロバート様からは……なんて言うのか、生気というものがごっそりと抜けた。生きて、呼吸はしているけど……もう、心は半分、どこかに行ってしまっている感じ。
ぼんやりとして……涙すら流さない。
そうして、デライザ様が天に召された一年後。
ひっそりと、自室のベッドで……眠ったまま、もう起きなかった。
自ら死んだらデライザと同じ天の国には行けないから……、とのロバート様の言葉通り、ロバート様は、自ら命を絶つようなことはしなかった。
ただ……、気力がなくなって、食事もまともに取らなくなり……衰弱した体で風邪をひき、肺炎を起こし……坂を転がるようにして、急激にやせ衰えてしまった。
「ごめんね、ベス。サンディを頼む」
ロバート様の莫大な資産は、すべてわたしに譲ると公的な遺言状を残してくださった。
わたしを後見人にして、サンディ様を育ててほしいと。
デライザ様の館は、サンディ様の名義にした。
だけど……、わたしは既に、サディア・マーガレット・ラズダン伯爵令嬢ではなく、平民のエリザベス。
サンディ様の後見には不足がある。
だから、兄を頼った。
兄は侯爵家の養子となっていたから、わたしを兄の養子にしてもらった。
つまり、わたしは平民のエリザベスではなく。侯爵家の養子という身分になった。
兄も養子だし、その養子の養子であるわたしには、侯爵家の継承権はない。
だから、この身分はサンディ様の後見でいられるためだけの、名義だけではあるけれど……。
それでも、わたしがサンディ様を育てるための盾にはなった。
すくすくとお育ちになるサンディ様は、わたしのしあわせの象徴。
サンディ様が成人となった時に、わたしはロバート様から頂いた莫大な資産を、サンディ様にお渡しするつもりだ。
それから……、その後のことは……、まだ何にも考えていない。
兄や姉に会いに行ってもいいし、チェン医師やホワン医師に会いに行ってもいい。
ただねえ……、実の親でもないわたしが、いつまでもサンディ様にくっついているのはどうかなーと思うのよ。
小姑になるのは嫌だなあ。
ご結婚するなり、莫大な資産を元に女事業家になるなり……。
サンディ様のサポートはしたいとは思うけど、ヘドロや背後霊のようにべったりくっついて、サンディ様のお荷物にはなりたくはない。
ぼんやりと、過去を思い返す。お墓参りの時は、どうしたって、思い出してしまう。
「エリザベスー、先に行くねー」
ぼんやりしながら歩いていたわたしにじれたのか、サンディ様は駆け出した。
「ちょっとお待ちください、サンディ様! 走ると転びますよ!」
声を出した途端に、墓地の石畳の道の段差につまずいて転びかけるサンディ様。
「きゃあっ!」
「危ないっ!」
護衛が手を伸ばし、サンディ様を抱きとめた。
わたしはほっと胸を撫でおろす。
護衛に「ありがとう」と言ってから、サンディ様に「めっ! ですよ!」と、ちょっと強めの口調で咎めて差し上げた。
「……はぁい。ごめんなさい。でも……早くお父様とお母様にお会いしたかったんですもの……」
「慌てずともだいじょうぶですよ、サンディ様。ロバート様もデライザ様も、お二人ともサンディ様のお越しをお待ちくださっていますから」
待つ……、うん、そうね。いつでも、いつまでも、ロバート様とデライザ様は待っている。
お墓の下で。
天の国で。
夫婦仲よく、手でも繋ぎながら。
いつまでもサンディ様のご成長を見守ってくださっていることだろう。
サンディ様とお墓参りを終えて、護衛や侍女たちを引き連れて館に戻ろうと、馬車の停車場へと向かったとき。
じーっと、不躾なほどにじーっと、わたしを見つめてくる女性がいた。
緋色の髪。緑の瞳。きっと若い頃はきりっとした美人だったのではないか……と思われる中年のご婦人。
……って、あら嫌だわ。わたしもとっくに中年の域なのに。
幼いサンディ様と一緒に過ごしていると、自分まで若いような気になっているのよねー……なーんて。
思わずくすっと笑いそうになったときに、そのご婦人が、「あ、あの!」とわたしに向かってきた。
「はい?」
えーと、知り合い?
そんなわけはない……、と思うんだけど……。
「違ったら、ごめんなさい。でも、あなた……サディア・マーガレット・ラズダン伯爵令嬢……よね?」
「はい?」
何故、その名前を?
貴族学院に通っていた頃の知り合い? まさかねえ……、あのころ、わたしには友人の一人すらいなかったし。
「突然ごめんなさい。あたしはフランチェスカと言います」
フランチェスカ嬢だか、夫人だかは分からないけど……。知らない名前。
「あ、あの、一方的にあたしがあなたのことを知っているだけで……、あなたにはご迷惑かと思うんですけど、あの……出来たら少しお時間をいただけたら……」
すんごく汗をかいている。
一方的に知っているわたしと話したい?
返事をするより先に、サンディ様が「ねえ、ねえ、エリザベスー」とわたしの手を引いた。
「あのね、お腹がすいちゃた。喉も乾いたの」
「……では、墓地の出口にあるカフェに入りましょうか。パンケーキが美味しいですよ」
「わあい!」
侍女の一人にカフェまで先に行ってもらう。できれば個室を確保してねと指示を出せば、侍女は一礼をしてから、足早にカフェへと向かった。
「あの……。わたしはお嬢様におやつを食していただきますが。その間に一緒にお茶でも飲みますか?」
悪い人には見えないし、万が一何かあっても護衛が居るし。
まあ、大丈夫だろう。
誘ったら、夫人は「ありがとうございます」と頭を下げてきた。
カフェまで歩く。
個室に案内されるまでは、フランチェスカ様は黙って、わたしたちの後をついてくるだけだった。
カフェの個室は大きな窓のある明るい部屋だった。
部屋の中には丸テーブルが四つ。その周りに椅子がぐるりと置かれている。
「サンディ様。フルーツたっぷりのパンケーキと、果汁を絞った飲み物を頼みましたからね。侍女と一緒にそちらのテーブルでお食べいただけますか?」
「うん、いいわよ? ベスはあたくしと一緒のテーブルじゃないの?」
「わたしはあちらの……フランチェスカ様とちょっとお話があるんです。同じ部屋にいますから、大丈夫ですよね」
「うん! サンディはもう十歳なのよ! テーブルマナーもちゃーんとしているから、一人で食べられるわ!」
「まあ! 立派な淑女におなりですね」
「えへへ……」
サンディ様のお世話は侍女に任せて。
護衛たちもサンディ様の近くに立たせて。
わたしは、フランチェスカ様と同じテーブルの対面に座った。
「あの……、突然不躾に……、申し訳ございません」
フランチェスカ様がわたしに謝ってきた。
「ですが、この機会を逃せば……、きっとお会いすることもないだろうと……」
頭を下げる。心から申し訳なさそうに。
ええと?
「頭を上げてください。それで、ええと……フランチェスカ様。わたしとあなた様はどこかでお会いしたことがありましたっけ?」
わたしを見てサディア・マーガレット・ラズダン伯爵令嬢と呼んだ。
つまり、フランチェスカ様はわたしを知っているだけではなく、一見してすぐわたしと分かるくらいには……わたしのことを、気にかけていた。
だって、その名は、医療大国に向かう前に、既に捨てた。
わたしだって、自分でも忘れるほどの、月日が経ったのに……。
「お会いしたことは、ありません。一方的に……。サディア様が王都の北の船着き場から他国に向かわれる時、一方的に見た、というだけで……」
「一回見ただけ?」
「はい」
それでわたしが分かる?
記憶力とか、すんごくいいのかしら?
それとも何かあった?
「これを申し上げると……、大変嫌がられるかもしれませんが……」
「はい?」
首をかしげる。
「あたしはエリオット・ウィリアム・ヘンストリッジ伯爵の妻、です」
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次回で完結です




