第24話 エリザベス①
「いいか、サディア。俺たちの親がまともじゃないのはどうしようもない。逃げるしかない。それから、すまない。幼いお前を連れて逃げるだけの力は俺たちにはない」
お兄様が言った。
「ごめんね、サディア。あなたも大人になるまで耐えて。それまでに知識はつけて」
お姉様も言った。
「知識さえあれば、こんなところに居なくても、結婚という形で誰かの助けを待たなくても、自力で生きていくことができる」
「例えば外国語を覚えれば、他国にだって逃げることができるの」
「一緒に連れて逃げられなくてすまない。せめて……本は送る。いつかサディアの助けになるはずだから」
年の離れたお兄様とお姉様に言われた言葉を、幼い当時のわたしはあんまり理解していなかった。
親がまともじゃない……というのも、そのときにはあんまりよくわからなくて。
ただ、それまで側に居たお兄様とお姉様がいなくなったことがちょっとさみしかっただけ。
お兄様とお姉様はラズダン伯爵家を出てからは、一度も領地には帰ってこなかった。王都にいる時も、タウンハウスに立ち寄ったりもしなかった。
だから、今のわたしは……お兄様とお姉様の顔は全く覚えていない。
ただ、時折送ってくださる本……辞書や地図、外国語、経済や歴史の本……だけが、お兄様とお姉様とわたしとの繋がりだった。
最初はさみしくて、段々と本に書かれていることがおもしろくなって。
わたしは本ばかり読んでいた。
それをお母様には咎められた。
「ねえ、本ばっかり読んでいないでちょっとはおしゃれでもしたら? サディアは顔がかわいくないんだから、せめてドレスくらいはキレイでいいものを作ってあげるわ」
「……ドレスはマナーに即してあれば何でもいいわ」
「つまらない子ねぇ……」
お母様のため息。
お母様はドレスが好きで、宝石が好きで、お花が好きで、きれいでかわいいものが好き。
だから、わたしみたいに地味な子なんかじゃなくて……、隣の領地の息子のエリオット様が好き。
「エリオットがうちの子だったらよかったのに。まあでもサディアが女の子でよかったわ。エリオットと結婚したら、エリオットがうちの子になるものねえ」
うっとりと、夢を見るような目つきのお母様。
「サディアの分を差し引いても、エリオットとあなたの子どもなら、きっとすごくかわいい子が生まれると思うの。ああ、かわいい孫、欲しいわー。うちのは上の息子も下の娘もみーんな地味で不愛想で嫌になっちゃう」
ぐちぐちと喋り続けるお母様。
わたしはお兄様とお姉様が送ってくれた本に没頭する。
没頭できれば、お母様の言葉なんて耳に入ってこない。
地図を見る。広い世界。
わたしが今住んでいる国の、海を隔てた北側には大きな島国がある。その島国の西側には大陸がある。
わたしたちの住んでいる小さな国とは違って、大きな大きな土地。
もしも、いつか。そこまでたどり着けたのなら。
わたしは、本に没頭し続ける……。
***
久しぶりに夢を見た。
わたしがまだサディアだったころのこと。
「お母様なんかはもうどうでもいいけど。夢の中でもお兄様とお姉様のお顔も覚えていないのね、わたし」
ちょっとさみしいけど、仕方がない。
最後に会ったのは……五歳? 六歳? その程度の幼いときだ。
手紙のやり取りはしていたけど。
本も送ってもらっていたけど。
まあ、それも、わたしがデライザお嬢様に拾われて、サディアからエリザベスになる前までのこと。
デライザお嬢様の館で暮らすようになってから、一度お兄様とお姉様にお手紙を書いた。
『ありがとうございます。わたしはラズダン伯爵家から逃げて、今は王都郊外にあるデライザ・エリザベス・ティルベリー侯爵令嬢のお屋敷でお世話になっております。逃げることができたのは、お兄様とお姉様のおかげです』
そんな御礼と、わたしがここにいることがお父様やお母様に知られると困ることになるかもだから、今後はお手紙もなかなか書けないかもしれないという謝罪をね。
返事は来た。
『おめでとう、サディア。俺たちは何もできなかった。逃げられたのはお前の努力の結果だ。俺たちはラズダン伯爵家から籍を抜いて、とある家の養子になり、名前も変わることになった。だからこちらのことは気にするな。いつかお前に会いたいとは思っているが、それは多分、かなり先の未来になるだろう。離れていても、サディアの幸福を願っている』
お兄様とお姉様は、完全にラズダン伯爵家とは離れることができるのか。
貰った手紙の続きを読む。
お兄様は、ラズダン伯爵家から逃げた後、王都で文官をしていたらしい。それで、宰相府で働いて、何と、宰相様の秘書……ではなく、秘書グループの一員になったらしい。
すごい!
優秀!
本当に真面目にコツコツと働いて、宰相様の覚えも良かったらしい。
ただ……お兄様はラズダン伯爵家の長男だから、そのうちラズダン伯爵家を継ぐと思われていたのね。でも、それはお兄様自身がきっぱりと拒否した。
「嫡男である私が王都の宰相府で働いているのは、実家及び両親との確執があるからです。両親が何と言おうとも、家を継ぐ気はない。廃嫡されたら平民になるので、宰相府では働けなくなりますね。その際には、宰相府で働いた実績を元に、平民の商家や地方や他国の事務官にでもなって、細々と生きますよ」
なんて笑ったものだから、仕事のできる部下がいなくなっては大変とばかりに、宰相様はお兄様をラズダン伯爵家の籍から抜いて、宰相様のご親戚の侯爵家の養子にしてしまったそうだ。
すごいわお兄様……。
宰相様、ありがとうございます。
お姉様も似たような感じ。
お姉様は、ラズダン伯爵家を出た後、第四王女様の侍女になったとのこと。第四王女様は国交のために他国にお嫁入が決まっている方。
『第四王女様の侍女として、一緒に他国に向かうので、ラズダン伯爵家からの縁談には一切応じられない』とラズダン伯爵家のための縁談を一切拒否したとのこと。
お父様とお母様が勝手に縁談を組んでも一切無視。
だいたいにして、お姉様は王城で、しかも第四王女様の侍女として働いているから、お父様とお母様が王城にやってきて面会申請をしたところで、王女様の名で、面会を拒否していただければ簡単に追い払うことができる。
「なるほど……、権力万歳。さすがお兄様とお姉様……」
王女様の庇護は、わたしにはないけど、デライザ様は侯爵令嬢。
侯爵家の権力をわたしのために使って下さることも可能なんだろうけど……、お手を煩わすのも申し訳ない。
お兄様のように、さっさと除籍して名前を変えたほうがいいわよねー……。
というわけで、わたしはサディア・マーガレット・ラズダンの名前を捨てることにした。
公的な手続きとして、ラズダン伯爵家から籍を抜くと……、万が一にでもデライザ様やティルベリー侯爵家にご迷惑が掛かると嫌だから……、数年間の間はサディア・マーガレット・ラズダンは失踪状態のままにしておく。
で、十年も経ったら、除籍申請か死亡通知でも出せばいい。
わたしは新しい名前と新しい戸籍を入手する。
平民であれば、戸籍を入手するのは簡単だ。
異国からの移民で、こちらの国に定住するから、戸籍の申請をするという形を取ればいい。
まあ、そのための袖の下……役人に対する献上金は……必要になるけれど。
わたし、デライザ様付きになってから、ちゃんとお給金が出る上に、衣食住、全部お嬢様持ちなのよね……。お給金、いただいても使う場所がない。貯まるばかり。
だから、献上金くらいは余裕だし、自分で読む用の本くらいも自分で買えるんだけど……。
「はい、お土産」
ロバート様が出かけた際に、山のように書物を買ってきてくださる……。そして、ロバート様のお選びになる本は、わたしの好みに合致してハズレなし……。
今晩も眠れないわ。
読んでしまうわ、黙々と。
「ありがとうございます。せめてお代、支払わせてください」
「お土産だ」
「毎回たくさんいただいております」
「感謝の気持ちだから」
「わたしが望んでデライザお嬢様のお側に居るんです。感謝の気持ちは程々で」
寧ろわたしのほうが感謝を示さねばならないと思うのに。
ロバート様は穏やかにお笑いになる。
「いやいや。サディア嬢が知識を深めるごとに、デライザが健康に近づく。とすれば、この書籍代は必要経費というものだ」
……言いくるめられます。にこにこにことしつつ、ロバート様はご自分の意志を必ず通されます。
精神が、恐ろしく強い。
さすがに長年、死に向かう病人を支え続けてきたことだけはある……。
そのロバート様。わたしと同じように、衣食住、すべてデライザ様のティルベリー侯爵家にお世話になっているのかと思えば……。
「ん? 俺は結構稼いでいるんだ」
とお笑いになる。
詳しく聞いてみれば……投資というものをなさっているそう。
「ほら、デライザの側に居ることが最優先だから、城の文官とかをして給金をもらう生活は無理だろう?」
それはそうですね、文官なんて忙しそう。
常にデライザお嬢様のお傍には居られない。
「かといって、貴族学院を卒業した男が、デライザの実家にすべて頼るというのもどうだろうと思って。だから、投資をしてみたんだ。俺は向いているらしくって、かなり稼いだよ」
かなり……、いやいやいやいや。
好奇心で、どの程度の財産なのか、うっかり聞いてしまって後悔したわ……。
ロバート様、鉱山の権利をお持ちだそうで……。あと、我が国にはまだ導入されてはいないんだけど、海を隔てた大国で取り入れられている蒸気機関? とかいう乗り物を、我が国でも乗れるようにしようとかなんとかで。
それの利権とか何とかを、既にお持ちだとか。
その他いろいろ。
子爵令息とは思えないほどの稼ぎっぷり……。
「かなり先の話だけど。蒸気機関車がウチの国でも走るようになったらすごいよね」
……すごいはすごいです。でも、そのすごい先に……莫大な資産が見える……。
すんごい稼ぐおつもりなんですねえとか言ったら。
「だって、俺、デライザの夫になったんだよ? 侯爵家のご令嬢を養える程度の資産は持たないとね」と、キラキラした瞳で胸を張られます。
夫……。はいそうです、結婚されたんですよね、書類上は。
本当は結婚式、挙げたかったんですよね。でも、デライザ様の体力が持たない。だから、書類だけ。
……ちなみに閨関係もできないので、ホント書類だけ。
それでも夫という立場を得たロバート様はとってもしあわせそう。
もちろんデライザ様もしあわせなんだけど……、閨事ができないとか、子どもは無理だわよねとか、ちょっとばかりの憂いはある。
んー、なんとかして差し上げたい。
妊娠出産は無理でも……無理かな? どうかな?
こればっかりは試してみて……というわけにはいかないし。
うっかり妊娠して、出産したら、デライザお嬢様のお命に係わる。
だから、白い結婚なんだけど……。
わたしがなんとかして、白いままじゃないように、させてあげられないかなー……。せめてウエディングドレスを着てもらって、盛大な結婚式を挙げられる程度の健康になっていただくことはできないかなー……。
***
ということで、まず食からデライザお嬢様の体調を整えよう作戦。
そのために、わたしは船で他国に向かい、昆布やら健康食やら、無理のない基礎体力作りやらを学び、それをデライザお嬢様に実践していただいてきた。
といっても、わたしがわざわざ帰国すると時間がもったいないので、学んだことを事細かに書いた手紙を添えて、デライザ様へと送る。ちょくちょく送る。
返事が来るたびに、デライザ様の体調が少しずつ良くなっていると書かれていて、ああ、よかったなあ……と思う。
体調が整ってきたのなら、今度は根本的な解決を求めたい。
だから、更に海を越え、やってきました医療先進国。
伝手をたどって、紹介状をいただいて、更には金貨を山のように積んで。
あ、ちなみに金貨はティルベリー侯爵家からの出資ではなく、ロバート様の個人資産。
投資で稼いだお金を、惜しみなくわたしに送ってくださいます。
送る……というか、ティルベリー侯爵家の使用人が、半年に一回はわたしの元にやってくる。直接。そして、小切手をわたしが滞在している国の銀行に持って行って、そこで、その国の通貨に換える手続をしてくださいます……。
小切手の、金額が恐ろしいほどです。
わたしの渡航費用、滞在費、生活費、こちら医療先進国での医者養成学校での聴講費用などなど。滞在経費、そのたもろもろす・べ・て! ロバート様の個人資産から出していただいております! 使用人がわたしのところにやってくる、その旅の費用もぜーんぶロバート様!
どんだけ稼いでいるの⁉
「失敗しないように、きちんと儲けが出るように、しっかり学んだうえで、実践したからね」
いやいやいやいや、勉強したって簡単には儲けられません!
普通の人間は、投資を勉強して稼ごうとしても、お金を失うんですけどね!
ロバート様って、投資の天才?
いや……愛か。愛だな。
なんにせよ、ロバート様のお金のおかげで、わたしは苦労せずに、外国で学んでいますー。ありがたい。
学ぶと言っても、いきなり医者になるための学校とかに入学するのも考え物で。
だって、わたしは医者になりたいわけじゃない。デライザ様が健康になるためのヒントとか医者の伝手が欲しいんだもの。
というわけで、紹介に紹介を重ねて、いろんな医学学校の聴講生をやっています。医療現場とかの見学もさせてもらっている。最先端の論文とかにも目を通せる。
片っ端から参加して聞く。
必要ないとか、これ違うとか思ったところはさよーならー。
そんな感じで、国を出てから大国を転々として。
色々あって。
わたし、エリザベスは、とある大国までやってきました。
そう、我が国と比較して文化レベルが百年も二百年も進んでいるのトルニーヤ国、通称医療大国にたどり着きましたんです。
この国で、出会ったのが、心臓及び循環器治療の権威、チェン・ウェイ・イー医師。それから婦人科医の権威、ホワン・メイ・リー医師。
ほわーって思う。
チェン医師もそうなんだけど、ホワン医師!
産婦人科って、名称からしてすごい。
だって、女性の生理とか、出産関係なんかが、学問として確立しているんだもの!
わたしの母国で出産とか言ったら、産婆さんに頼んで、あとは妊婦が頑張るだけよ……。
産婦人科。産科と婦人科っていうのがあって、妊娠出産は産科、女性の生理痛とか女性独自の病気とかは婦人科なんですって!
はわー。
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エリザベス編は後日譚的な感じなので、そんなに長くはないと……、長くはならないと思います……。予定は未定。
このエリザベス編で完結です。
最後までお付き合いいただけましたら幸いです。




