第17話 エリオット④
ボクは、サディアに、嫌われていた。ずっと、ずっと……、幼いときから。
それを理解したくなくて、ボクは自分の気持ちを誤魔化そうとした。
サディア、嘘は駄目だよ。
相手を傷つける嘘は、気遣いなんかじゃないんだよ。
そんなふうに、ボクの心を誤魔化そうとしても……、サディアの叫びはボクの心に突き刺さった。
嫌いなんだ。
どうして?
ボクは、サディアに何にもしていないのに。
どうして、泣き叫ぶくらいにボクが嫌いなの……?
おばあ様の言う通り、笑顔で、素直に。嘘は言わないでいたのに。
どうして嫌われる?
ボクには嫌われる理由がないだろう?
だったら……。
ボクはフェイを見る。マージョリーを見る、デボラを、アビを、キャスリーンを、ソーニャを、デイジーを見る。
彼女たちが、サディアに何かしたのか?
好きでもないあなたを好きだと勘違いされて、ご令嬢たちからは取り囲まれるし、無視されるし……って、サディアは言った。
フェイたちが……サディアに何かしたんだ。
でも……。好きでもないあなたを好きだと勘違いされて……って、言ってから、ご令嬢たちからは取り囲まれるし……って、サディアは言った。
だったら……、順番的に、元々サディアはボクが嫌いだった。嫌いなのにフェイたちにあれこれ言われて……もっと嫌になった……ってことだよね?
元々?
なんで?
ボクは何もしていない。
していないはずだ。
泣きながら去って行ったサディア。
追いかけることもできなくて、ボクは、茫然とその背を見送るしかできなかった。だって、分からない。あんなに泣き叫ばれるほどのことを、ボクがした……?
フェイやマージョリーやデボラ、アビ、キャスリーン、ソーニャ、デイジーたちがボクに言った。
「あー、びっくりしたわね。あの子、あんなふうに大声で叫べるんだ」
「大人しい人ほどキレやすいってことでしょ?」
「いやあね、みっともない」
クスクスと、笑う、ボクの友達。嘲るような、笑い声。こんな声を……フェイたちは、ずっと……サディアに聞かせていた?
「……フェイ、マージョリー、デボラ、アビ、キャスリーン、ソーニャ、デイジー」
「なあに、エリオット様」
「どこかのお店を巡る? それとも何か食べる?」
「あんな迷惑な人のことなんて、どうでもいいでしょ。さっさと気持ちを切り替えて、お祭りを楽しみましょうよ!」
明るい声で。
みんなが言う。
あんな人。
どうでもいい。
……冗談じゃない。
「ねえ、サディアに何か言った?」
低い声で、ボクは言った。
「別に大したことは言っていないわよ?」
「そうそう。エリオット様には似合わない平凡なお顔ねとかその程度」
「あの人だって、ご自分で分かっていらしたし」
「……サディアは何て言っていたの?」
「幼い頃に、親同士が挨拶程度に『将来、息子のお嫁さんに』とか『大きくなったら娘の婿に』なんて言葉を交わすのは、社交辞令というものですとかね」
「社交……辞令……」
「うん、そうよ? あ、でも、言い出したのはあたしたちじゃないけど、ラズダン伯爵令嬢はヘンストリッジ伯爵令息の婚約者を気取っているとか、噂はあったわね」
「そうね。頭は良いけど、美男のエリオット様には顔が釣り合わないとか、みっともないとか? さっさと身を引けばいいのにとか、噂とか、影ではいろいろ言われていたわねー」
「なんだよそれ……。ボク、そんなこと、全然知らない……」
あなたのおかげで友人の一人もできやしない……って、サディアが言った。
サディアは大人しいから、子どもたちの輪に入ってこないから、それで友達がいないんじゃなくて……。
ボクのせいだったの?
子どもたちの輪に入らず、大人の席で、大人と一緒に会話していたのは……、ボクのせいで、友達が作れなかったから……?
貴族学院に入学してからだけじゃなく、もっと前から?
幼いときからずっと、ボクと釣り合わないとか大勢に言われて……傷つけられていた?
今までボクは、偉そうに。
社交はボクがして、領地経営はサディアに任すとか考えたり。
ボクの友達をサディアに紹介して、みんなで仲良くなれればいいなんて言っていたり。
そんなの、全部、ボクが勝手に思っていただけで……サディアには迷惑だった……?
「あ……、謝らなくちゃ……」
聞かなくちゃ。いつから?
何かきっかけがあったから?
気が付かないうちにボクがサディアに何かした?
ちゃんと聞いて、納得して、それから謝らなくちゃ……。
ボクはふらふらと……学院から自分の家の馬車に乗って帰って……。自分の部屋で、どうやって謝ったらいいのかとか、どうしたら許してもらえるのかとか、いっぱい考えたけど……。
これまで、誰かに謝ったことなんてないボクは、何をどうしていいのか……さっぱり分からなかった。
悩んで悩んで……、学院で授業に来たときに謝るか、それともサディアのラズダン伯爵のタウンハウスに出かけて行って謝るか……。
何かお詫びの品とかもっていったらいいのか。
どうしよう、どうしたらいいんだろうって、迷って迷って迷って……。
結局タウンハウスに行ったけど、サディアはボクに会ってもくれなかった。
サディアのお母様が「ごめんなさいね。あの子、すねているのよ。部屋に籠って出てこなくてね」と申し訳なさそうに笑った。
「でも、久しぶりにエリオットに会えて嬉しいわ。ねえ、お時間あるかしら? 学院生活はどう? たのしい? よかったら、学院のお話、聞かせてくれる? 今、お茶を淹れさせるから」
……サディアのお母様は……、サディアが、部屋に籠って……、きっと泣いているのに、それを単にすねているなんて思っているのか。サディアが部屋に籠るほどショックを受けているのに、学院でのボクの話を聞きたがる。
サディアが、学院で、何かあったのじゃないかと心配で、ボクなら、サディアに何かあったことを知っているかもしれないから話を聞きたい……じゃなくて。
サディアのお母様は楽しそうに、ウキウキとした表情で、使用人にお茶の用意をさせている。
サディアを心配している様子なんて、欠片も見えなくて。
……ぞっとした。なんだよこれ。
部屋に籠って、出てこないサディア。
なのに、すねているって言っただけで、その理由を聞きもしない。
訪ねてきたボクにサディアがすねている理由を聞きもしないで、ボクの学院生活を聞きたがる……。
「……ボクは、帰ります」
「え⁉ どうして?」
「……サディアにごめんなさいって伝えてください」
「あら? 喧嘩したの? ごめんなさいね、サディアったら。あの子、頭は良いけど、性根が悪くて」
「……違います。サディアは悪くない」
何なんだ、何なんだ、サディアのお母様は。
ボクは、逃げるようにして自分のタウンハウスに帰った。
なんか気持ちが悪くて、サディアのタウンハウスになかなか行けなくて……。それでも、サディアから話を聞いて、謝らないとって思って……。
しばらく日数を開けたあと、意を決して、また、サディアの家に行った。
行ったけど……。
サディアはもういなかった。
「い、いないって、どういうことですか⁉」
「困るわよねえ。帰って来てくれないと、サディアとエリオットの婚約話、進められないのに」
「婚約なんかより! サディアは無事なんですか? 誘拐とか……」
「さあ? 侍女の言うことは要領を得なくて。でも、どこかの侯爵家の馬車に乗せられたみたいなのよ。ご招待でも受けたのかしら?」
「侯爵家⁉」
なんだそれは。侯爵家なんて……、まさか……。
「キャスリーン……?」
「あら? エリオットの知り合いなの? だったら安心ね。ご招待されたのなら、そのうち帰って来るでしょ」
心配もしていないサディアのお母様。
「……分かりません。ボク、キャスリーンに聞いてきます」
馬車を飛ばして、キャスリーンのタウンハウスに行って、聞いたけど。
キャスリーンの返事は「知らない」だった。
どうしよう。
サディアがいなくなった。
探さないと……。
でも、どこを?
サディアのお母様たちだって、探そうとはしていないのに?
……待って、おかしい。どうしてサディアがいなくなったのに、探さないんだ? すねていると思って、そのうちに帰って来ると思って、放っておいている……?
変だ。
何かおかしい。
だって、もしも、ボクがいきなりいなくなったとしたら、お父様もお母様も必死になってボクを探してくれるはず。
なのに。サディアのお母様は……サディアがいないと、ボクとの婚約話が進まないから困るって言っただけで……。
……そういうのが普通なの? サディアはしっかりしているから、そのうち帰って来るって信頼?
分からない。
でも……、これまでボクが感じていた、愛されて、みんな仲良くて、まるでぬるま湯に浸っているような世界は……違っていたということだけは、わかる。
将来、サディアがボクのお嫁さんになってくれて、ボクはみんなと仲良く社交をして、サディアはしっかりと領地を守ってくれて、愛されて、楽しく過ごす……なんて未来はありえないってことも、理解できる。
だって、サディアはボクが嫌いだ。
フェイたちだって、ボクはサディアと仲良くしてねって言ったのに、変な噂話とかしたり、サディアを取り囲んだりしていた。
いつも明るい人だと思っていたサディアのお母様は、どこかおかしい。サディアがいなくなったのに、心配もしていない。
変だ。
おかしい。
なんで?
ボクには何も分からない。
おばあ様に教えてもらう?
笑顔で。素直に。嘘は言わない。
ボクは、ずっとおばあ様のその言葉を守ってきた。そうすれば、みんなから愛されるって……。
でも、違う。
おばあ様は、違う。だって、おばあ様の言葉をずっと守ってきたボクは……サディアには嫌われている。
嘘と気遣い。
サディアは気遣いができる女の子。
だったら……悪いのは、サディアじゃない。
だったら……悪いのは、誰だ?
やっぱりボクなのか?
分からないまま、ううん、ボクが悪いとは思いたくないという気持ちで、他に犯人を捜すけど、分からない。
キャスリーン以外のフェイとかにサディアのことを聞いても分からないだろう。
サディアと同じクラスの子に聞く?
でも、サディアに友達、いなかったよね……?
「あ、でも……。『R』の人……」
誰なのかなんて、ボクには分からない。
どうしようもない。
***
ふらふらと家に帰った。
「おや、エリオット。どうした、顔色が悪いぞ」
「本当ね。風邪でもひいたかしら? お部屋で休みなさいな」
「お父様……、お母様……。ボク、分からなくて……」
「ん? どうした? 具合が悪いのではなくて、悩みでもあるのか?」
聞かせてごらん……って、お父様とお母様が優しく言ってくれて。
ボクは少し、ほっとして、話をした。
サディアがいなくなったこと。サディアのお母様は心配もしていないこと。サディアがボクを嫌いって言ったこと。
順番なんかめちゃくちゃで、混乱したまま話して。
そして、お母様が言った。
「あら良かったわ。最近ラズダン伯爵夫妻が、サディアをウチのかわいい天使ちゃんの嫁にしてほしいっていう要求がねえ……。ずいぶんあからさまになってきて。しつこくて困っていたのよ」
お……お母様……。よかったって……何?
お父様も深く頷く。
「そうだよなあ。領地が隣接している以上今後の付き合いに関わるし、むげに断ることもできずにいたし。いなくなってくれて助かったな」
すう……っと。背中に冷たい汗が流れる。
いなくなってくれて助かった。サディアが、いなくなって……よかったって、言っているの……?
これ……、本当に、お父様とお母様の言葉……なの?
「サ……サディアを、ボクの、お嫁さんに、欲しいって、最初に言ったのは、お母様で……」
声が、震えた。
お母様はサディアを好きじゃなかったの?
「あら、そうよ? サディアみたいにしっかりした子がお嫁に来てもらわないと。でも後から言ったでしょ? しっかりしたお嬢さんで、尚且つ、エリオットと釣り合うくらいにきれいな子がいいって」
言った。確かに言った。だけど……。
「サディアは賢いし、わきまえているからな。自分からエリオットにはふさわしくないと自覚をしていたし」
「そうよねえ、サディアはいいのよ。でもラズダン伯爵夫人は……、鬱陶しいのよねえ。ウチの天使を気に入ってくれるのは当然として……。娘の将来の夫に天使を求めているっていうより……、まるで、自分の代わりに娘をエリオットに嫁がせたいみたい」
……あの、気持ち悪さ。ボクが、サディアのお母様に感じた……、あれは。
「そう言えば、よく言っていたな。自分が二十年若かったらとかなんとか」
二十年若かったら、何だっていうんだ?
意味は分からないけど……、気持ちが悪い。
「冗談にしては目が本気でね。さすがに気持ち悪いわ。ねえ、あなた。さっさとエリオットとどこかのご令嬢で婚約を結んで、あちらとは程々のお付き合いにしませんこと?」
「そうだな……。グレインジャー伯爵家のマーシャ嬢かディーリー男爵家のフランチェスカ嬢はどうかな? しっかりしている上に美人だとの噂だ」
「そうねえ……。いきなり釣書きを送り付けるのは失礼よね?」
「次の夜会かどこかで……グレインジャー伯爵家かディーリー男爵家と懇意になって、さりげなく婚約者が居ないかどうか、聞いてみようか」
「それがいいわね! ちゃんと調べて、問題がなければ婚約を打診してみましょう」
……婚約を打診? 何を言っているんだお父様とお母様は。
「……ボクは、サディアが」
「でもねえ、あの子、顔が平凡でしょう? 母親も最近ずいぶんと気持ちが悪いし」
「サディアを、見つけないと……」
「我が家には関係ないわ。末娘がいなくなった上に、上の息子と娘は王都で働いて、領地に寄り付きもしない。ああ、そうだわ、ラズダン伯爵はそのうち没落するんじゃない?」
「え⁉」
没落って……。いきなり何の話?
「息子も上の娘も跡継ぎにならないのだとしたら。親戚の者に託すのか……? まあ、それはあちらの事情だからこちらにはわからんが」
「あの夫人が気持ち悪くて、誰も引き受けないのかもね。でも、あの方、少し前まではあれほどにあからさまではなかったんだけど」
「そうだなあ……。勝手な憶測だが。たとえば息子や上の娘から、完全に縁を切られた故に少しおかしくなった……とかだとしたら」
「あらあら。ちょっと調べさせたほうがいいかもしれないわね」
「ああ。土地が隣接している以上、我々の方に何かしらの影響があるかもしれない。巻き込まれないようにしなければ」
「ええ、少しずつ疎遠にしていきましょう」
これが、お母様の言葉?
最初にサディアをお嫁さんにって言ったお母様が……。
ガラガラと、それまでボクが信じていた優しい世界が崩れていく。
ボクには見えていなかった、本当の現実。お父様やお母様や……みんなの本音。
ボクと違って、きっとサディアには、見えていた世界。
虐めというほどでもない。
褒めていないわけでもない。
だけど、あなたは違うと言われ続けて……。
ああ、サディアがボクを嫌うはずだ。
何も知らず、何も気づかず、ボクは、馬鹿みたいにへらへら笑って、毎日楽しくて、みんなに愛されて、天使みたいだってちやほやされて。
その裏に隠されている本音なんて、気が付かないどころか、そんな裏なんてないと思っていた。
サディアも、ボクみたいに、誰からも愛されていると思っていた。
誰も彼もが楽しくって、お互いに仲良しで、苦痛なんてない世界。
それが、ボクの、当たり前。
だけど、違う。
サディアにとっては楽しくてお互いに仲良し……なんて世界はない。
気を配って、上げ足を取られないようにして……、大人しく目立たないようにしていなければ、誰かから何を言われるか分からない世界。
あることないこと噂されて……。
ボクが、みんなに仲良くしてね、幼馴染なんだ、将来ボクのお嫁さんになるんだよ……なんて、無邪気に言った言葉は曲解されて、サディアに対する無遠慮で根拠のない勝手な噂話になった。
ボクの見えない世界では、サディアは美人でもないくせに、僕にまとわりついて、婚約者顔をする、無遠慮な令嬢だった。
事実とは全く違う、勝手な噂話。
でも……ボクが、サディアを、そんな立場に追いやったようなものだ。
たとえるのなら、舞台の役者。
それから観客。
たとえば、ボクは、舞台の上に上がる役者で、スポットライトを浴びてきた。舞台の上で、光を浴びるのが当たり前だと思っていた。
サディアはきっと観客席にいた。それも端の方の席に。
ボクは、役者ではない、観客を、無理やり舞台に引きずり上げて、スポットライトを浴びせたんだ。
他の観客は、何であんな地味な観客が舞台に上がるんだって、おかしく思って。
サディアは、必死になって、舞台から降りようとしていた。
なのに、サディアを何回も舞台に引き上げた。
嫌だ、嫌だって、サディアが思っていることに、ボクは気が付きもしないで。
大人しいのは駄目だよ。せめてボクの友達とくらいは仲良くしてよ……なんて。
舞台の上のフェイたちも、戸惑ったんだ、きっと。
役者じゃない、単なる観客のサディアを、ボクが舞台にあげたから。
たとえるのなら、そういうことなんだ。
ああ。サディアは今までどれだけ傷ついてきたんだろう?
ゴメン。ゴメンね、サディア。
でも、もう、ボクの声は届かない。
サディアは、もういない。
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次回からはちょっとはすっきり……のはずです。




