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忌み子と蔑まれた魔眼の少女は、人外貴族に買われて極上の溺愛を知る  作者: こむらさき


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第2部 第1章-1 春の兆しと、魔法院からの招待状

 長く厳しかった冬が終わり、森にようやく柔らかな春の気配が満ち始めていた。

 分厚い雲に覆われていた空には透き通るような青色が広がり、木々の枝先からは溶け残った雪が雫となって滴り落ちている。

 開け放たれた窓から入り込む、湿った土の匂いと新しい草の芽吹く青っぽい香りを胸いっぱいに吸い込みながら、私はサンルームのテーブルで丁寧に針を進めていた。


 あの冷たい雨の夜にこの館へ引き取られてから、季節は静かに移ろっていった。

 背中を撫でる温かい日差しを感じながら、ただ静かに針を進める。

 もう、何かに怯えて肩を竦める必要はない。

 穏やかに過ぎていくこの満たされた時間が、今の私には何よりも愛おしかった。


「ティリア、今日は一段と集中しているね」


 ふいに足元から、落ち着いた柔らかな声が響いた。

 視線を落とすと、テーブルの端に置かれた豪奢なクッションの上で、ムコール様がちょこんと揺れていた。

 暗い紫色の傘に浮かぶいくつもの黄色い瞳が、私を見上げてパチパチと瞬きをしている。

 彼が動くたび、床板の隙間から地下の本体へと繋がる白い茎がかすかに揺れる。彼はただそこで静かに、私の手元を穏やかな気配で見守ってくれていた。


「はい。この間、あちらの家で教えてもらった春の花の模様を、忘れないうちに縫っておきたくて」


 私が縫いかけの布を見せると、ムコール様は細い腕を組むようにして、傘の上の目を細めた。


「うん、とても綺麗だ。君の針仕事は本当に丁寧で、見ている私も楽しくなるよ」


 温かい褒め言葉に、私は気恥ずかしくなって「ありがとうございます」と小さく笑った。

 その時、サンルームの扉が音を立てずに、静かに開かれた。


「ティリア。夢中になりすぎて、休むのを忘れてないか?」


 気遣うような声とともに、ニクスが姿を見せた。

 夜空みたいな紫色の瞳に、月のような金色の光を浮かべた彼が、私を見つけてふわりと表情を和らげる。


 彼は私を驚かせないよう、静かな足取りでテーブルに近づいてくると、手に持っていた木製のトレイをそっと置いた。

 そこには、温かいお茶の入った焼き物の器と、厨房で用意してくれたらしい小さなお菓子が乗せられている。


「ありがとう、ニクス。ちょうど少し休憩しようと思っていたところなの」


「そうか、よかった。一緒に食べたかったんだ」


 ニクスはホッと安心したように目を細め、私の銀色の髪にそっと触れるように大きな手を乗せた。

 魔物と戦っていた時はあんなに勇ましかったのに、私に触れるときはとても柔らかい表情を浮かべて、宝物にでも触れるみたいに優しい手つきになってくれる気がする。

 私を何よりも大切にしてくれるその誠実な温もりに、私の胸の奥がじんわりと温かくなる。

 そんな私たちのやり取りを、ムコール様はクッションの上で静かに見守っていたが、やがて思い出したように口を開いた。


「さて、二人とも仲が良いのは結構だけれど、今日は少し真面目な話をしなければならないんだ」


 ムコール様のいつもより少し引き締まった声色に、私は手元の刺繍を置き、ニクスも姿勢を正した。


「実はね、魔法院から、私たち宛てに手紙が届いたんだよ」


「魔法院、ですか……?」


 私が聞き返すと、ムコール様は傘を小さく縦に揺らした。


「ああ。少し前のあの魔物騒ぎの時、君の祝福を受けた目がとても役に立っただろう?」


 ムコール様はそこで言葉を区切り、やれやれとため息をつくように傘をわずかに傾けた。


「シルヴァンが提出した報告書を読んで、どうやら魔法院が君の能力に興味を持ったらしい。私としては口止めをしようとしたのだけれど、あの生真面目な騎士団長に押し切られてしまってね」


 魔法院とは、危険な魔物を倒してくれる偉大な魔法使い様たちが集まり、身分や貧富に関係なく学びの機会を与えてくれる立派な機関だと、村の人たちが話していたのを聞いたことがある。

 文字の勉強をする時に読んだ本の中にも、魔法院の白いローブを着た魔法使いの話があったのを覚えている。私のような村の娘にとってはまさに、本の中でしか知ることのない雲の上の場所だった。


「私を、どうするつもりなのでしょうか……」


 私は膝の上でぎゅっと手を握りしめた。

 そんな立派な場所が、どうして私を呼ぶのだろう。

 村で忌み嫌われていたこの目のせいで、もしかしたらどこか暗い部屋に閉じ込められて、身体を切り刻んで調べられたりするのではないか。

 そんな不安が頭をよぎり、胸の奥底がひどく冷たくなるのを感じた。


「怯えることはないよ、ティリア」


 私の不安を察したのか、ムコール様が優しく穏やかな声をかけてくれた。


「魔法院は、不思議な力を持つヒトの仔を把握していないと気が済まないのさ。大丈夫、登録といっても名前を特別な羊皮紙に描くだけで終わるはずだよ」


「登録……」


「そう。それに、ニクスについても定期的な報告を求められていてね。ちょうど良い機会だから、三人で魔法院へ顔を出そうと思うんだ」


 ムコール様の優しい声を聞いても、胸の奥に張り付いた不安がすっきりと消えることはなかった。

 一度も行ったことのない遠い場所。そこで、見たこともないような立派な大人たちに囲まれて、じろじろと値踏みされるのかもしれない。

 そう想像するだけで足がすくみ、膝の上で震える手をさらにきつく握り込んだ。

 見えない不安に耐えきれず、膝の上で震える手をさらにきつく握り込んだ。

 すると不意に、横から伸びてきた大きくて温かい手が、私の両手をすっぽりと包み込んだ。

 顔を上げると、ニクスが私を真っ直ぐに見つめていた。


「心配するな、ティリア」


 彼は私を安心させるように、包み込んだ手にきゅっと力を込めた。


「安心しろって。魔法院は変な奴も多いが、危険なことはないはずだ。それに危険なことがあったって、俺があんたを守る。城下町でだって、あんたの故郷の村でだってそうしてきただろ?」


 至近距離で覗き込んだ彼の紫色の瞳は、奥に浮かぶ金色の光を揺らして、真っ直ぐに私だけを映している。

 私を包む大きくて温かい手と、温かで真剣な眼差し。

 ただそれだけで、冷え切っていた指先からゆっくりと温もりが戻り、凍りつきそうだった心がじんわりと溶けていくのがわかった。


「……うん。ありがとう、ニクス」


 私がようやく微笑み返すと、ニクスは少しだけ安堵したように息を吐き、もう一度私の頭を優しく撫でてくれた。


「養子とはいえ、私の娘ということにもなっているし、魔法院のものたちも手荒な真似はしないだろう。安心しておくれ」


 ムコール様も、傘の上の複数の目を細めて優しく励ましてくれる。

 二人が一緒にいてくれるのならきっと大丈夫だと、私はこわばっていた肩からふっと力を抜き、溜め込んでいた息を静かに吐き出した。


「わかりました。それで……出発はいつになるのでしょうか?」


 私が尋ねると、ムコール様は少し考えるように傘を揺らした。


「魔法院へは魔法で行けるからね。そんなに準備は必要ないんだ」


 魔法で、という言葉を聞いて、私はこの館へ引き取られたあの雨の夜のことを思い出した。

 不気味な光を放つ番犬たちが見張る、真っ暗で不思議な木の洞穴の道……。あの道を通れば、馬車で十日以上もかかるような遠い場所へもあっという間に辿り着けてしまうのは知っている。

 またあの得体の知れない空間を通るのだろうかと、私が膝の上に置いている手をきゅっと握りしめたのを察してか、ムコール様はクッションの上で複数の目を優しく細めた。


「そうだねぇ……君も心の準備がいるだろうし、三日後くらいでどうだろうか」


「三日後、ですね。……はい、ありがとうございます」


 少しだけ猶予をもらえたことにホッと息を吐き出しつつも、やはりまだ緊張が解けきらない私を見て、ニクスがふっと表情を和らげた。

 彼はテーブルに軽く身を乗り出すと、いつもの真っ直ぐな瞳で私を見据えて口を開いた。


「そんなに恐ろしい場所ではないから、緊張する必要はない。あんたと同世代の子たちも、学院(カレッジ)にたくさんいるような場所なんだ」


 ニクスはそう言いながら、テーブルの上のトレイから温かいお茶の入った器を私に勧めてくれた。


「ほら、冷めないうちに飲んでくれ。あんたの好きな甘いお菓子も持ってきたんだから」


「……うん。ありがとう」


その様子を嬉しそうにお菓子を勧めてくる彼と、その様子をクッションの上で静かに見守るムコール様の温かな気配に、心がほっと和らいでいく。

 カップから立ち上る柔らかな湯気越しに目を細めると、開け放たれた窓の外から、春を告げる小鳥のさえずりが微かに聞こえてきた。

 はるか遠くにある未知の魔法院へと向かうことへの不安は、まだ胸の奥にある。

 けれど今は、この穏やかなお茶の時間を楽しもう。

 温かい二人の家族に見守られながら、私は新しい季節へとゆっくりと一歩を踏み出そうとしていた。

毎朝7時半くらいに更新しています。

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