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忌み子と蔑まれた魔眼の少女は、人外貴族に買われて極上の溺愛を知る  作者: こむらさき


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第14章-3 2つの恐怖3

 お父さんの冷たい指示に、お母さんが私の腕を強く掴んだ。

 ビリッ、という嫌な音とともに、ムコール様が私のために誂えてくださった上等な服の袖や裾が乱暴に引き裂かれる。

 それだけではなく、お母さんは落ちていた尖った木片で、私の腕や脚にいくつものひっかき傷をつけていった。


 肌を走る痛みよりも、私に温かな居場所をくれた大切な服がズタズタにされていくことの方が、何倍も悲しくて胸が締め付けられた。

 それでも、逆らえばもっとひどい目に遭うという記憶が、私の身体を石のように強張らせた。

 逃げ出すどころか、痛いと声を上げることすらできない。


「いいか、よく聞け。お前は森で恐ろしい魔物に攫われたんだ。それを、俺たちが命がけで探し出し、保護した。明日の朝、あの貴族様のところへ行ってそう伝えてやる」


 お父さんの口から出たのは、事実とはまったく違う言葉だった。

 私が驚いて顔を上げると、今度はお母さんが顔を近づけてきた。

 その口元は、冷たく歪んでいる。


「命の恩人には、たっぷりと謝礼を払うはずだからね。お前は明日まで、ここで大人しく震えていればいいんだよ」


「そんな……やめてください。あの方たちを騙すようなこと……」


 私が震える声で懇願すると、お母さんは突然私の髪を乱暴に掴み上げた。

 髪の根元が引っ張られる痛みに、思わず短い悲鳴が漏れる。


「口答えするんじゃないよ! いいかい、もし言うことを聞かないなら、その綺麗な髪も目も台無しにしてやるからね。薄汚い傷物になったら、あの貴族様だって、お前なんかすぐに捨てるだろうさ!」


 気遣いも優しさもないその冷たい言葉は、昔から浴びせられ続けてきたものだった。

 けれど、今の私にはそれがひどく恐ろしく感じられた。


「捨てられる」という言葉に、たまらない恐怖が押し寄せてくる。

 私から温かい居場所を奪おうとする両親の言葉に、反論する声すら喉の奥に張り付いて出てこなかった。


「夜が明けたら迎えに来てやる。せいぜい、可哀想な娘を演じるんだね」


 両親は光蟲(ランプシー)の明かりごと、納屋の外へと出ていってしまった。

 重い木の扉が閉まり、外からかんぬきが掛けられる音が響く。


 完全な暗闇と、凍えるような寒さの中、私は冷たい土の床に一人残された。

 久しぶりに受けた暴力と罵声のせいで、抑え込んでいた昔の恐ろしい記憶が蘇ってくる。

 震えが止まらず、涙がぽろぽろと零れ落ちた。

 また、あの暗くて冷たい日々に戻ってしまうのだろうかと、悪い考えばかりが頭に浮かぶ。


 けれど、しばらく泣いてから、私はぎゅっと目を閉じて頭を振った。

 昔の私とは違う。今の私には、守ってくれる人たちがいる。

 あんな嘘で、ムコール様やシルヴァン様が騙されてしまうかもしれないと思うと、胸がひどく痛んだ。


 優しくしてくれたあの方たちを、これ以上困らせたくない。

 私は顔を上げ、手首に食い込む縄に力を込めた。

 痛くてもかまわない。

 なんとかしてこの縄を解いて、みんなのところへ戻らなくては。

 ザラザラとした荒縄に肌を擦り付けながら、私は必死に身体をよじって足掻き続けた。


 そうしてどれくらいの時間が経っただろうか。

 夜も更けた頃、納屋の外からかすかな足音が聞こえた。

 両親が戻ってきたのかと身を強張らせながら、私はそっと目を閉じて意識を澄ませた。


 もしお父さんとお母さんなら、二つの光が並んで近づいてくるはずだ。

 けれど、暗闇の中に浮かび上がったのは、たった一つだけ、見覚えのある深い紫色の光だった。


 私を安心させてくれるその光の輪郭が、納屋の高いところにある小さな格子窓へと近づいてくる。

 すると、窓のわずかな隙間から、するりと小さな黒い獣が入り込んできた。

 それがふわりと床に降り立つと、影が膨れ上がるようにして、あっという間に見上げるほど大きな獣の姿へと変わる。


「……ニクス?」


 私が小さく名前を呼ぶと、暗闇の中に、夜空に金色の月が浮かんだような美しい瞳が二つ浮かび上がった。

 きっと、私の匂いを辿って探し出してくれたのだろう。

 彼はゆっくりと私に近づいてきた。


 そして、私が冷たい床に縛り付けられているのを見た瞬間、彼の喉の奥から、空気が震えるような低い唸り声が漏れた。

 今にも納屋を飛び出して、両親を八つ裂きにしてしまいそうなほどの、静かで深い怒りを感じた。

 彼が私のためにそこまで怒ってくれているようで嬉しかったけれど、同時に強い焦りが湧き上がってくる。


「待って、ニクス! お願い……怒っているの?」


 私は縛られたまま必死に身を乗り出し、彼の冷たい毛並みに顔を押し付けた。


「私は大丈夫だから。あの人たちを傷つけたら、ニクスが悪者になってしまう」


 彼を落ち着かせるように、その大きな首元に頬をすり寄せる。


「あなたの手が、私のせいで汚れたり、悪者になるのは嫌なの」


 涙声で必死に訴えかけると、ニクスの身体から張り詰めていた恐ろしい力が、少しずつ抜けていくのが分かった。

 彼は小さな唸り声を上げると、私の頬の涙を拭うように、そっと顔をすり寄せてくれた。

 冷たかった身体に、彼の温もりが伝わってくる。


「やれやれ、間一髪だったようだね」


 不意に、暗闇の中にムコール様の落ち着いた声が響いた。

 驚いて顔を上げると、いつの間にか納屋の中にムコール様が立っていた。

 彼は私とニクスを見て少しだけ微笑んだ後、何もない空間に向かって声をかけた。


「君はこの子が好きだし、面白いことも好きだから、見に来ていると思ったよ」


 ムコール様がそう言った途端、何もないはずの空気がふわりと揺らいだ。

 仄かな青い光がこぼれ落ち、その中から、煌びやかな青い百合の花びらが連なったようなドレスを着た小さな妖精が姿を現した。

 お顔の右半分を大輪の青い百合で覆い隠し、残された左側からは私と同じ銀色の髪がさらさらと流れ落ちている。


 お隣さん(妖精)である蒼百合の貴婦人(マリス・リリア)だ。


 彼女はかつて、私が甘い言葉に誘われて取引に応じ、三日間も寝込むほどの熱を出してしまった相手――人間とは違う、底知れぬ不思議な力を持つ存在だった。

 あの時の苦しさと、ニクスたちに深く心配をかけてしまった記憶が蘇り、私は思わず身をすくめた。


紫胞子の殿方(ムコール)、わたくしがいることがよくわかったわね」


 蒼百合の貴婦人(マリス・リリア)は、この暗く恐ろしい納屋にはそぐわない、心底楽しそうな声で笑った。


「銀の髪の仔も、久しぶりね。ごきげんよう。寒いのは嫌だけれど、貴方のことが気になって見ていたの」


 彼女の言葉に、私は緊張でさらに身を硬くする。

 そんな私を庇うように、ムコール様が彼女に向かって手を差し出した。


「どうだい? もっと面白いものを見せるから取引をしないか?」


 ムコール様がそう話しかけると、彼女は顔の百合を揺らして興味深そうに頷いた。

 人間の言葉ではない何かを交わした後、ムコール様がニクスの黒い毛を少しだけ受け取り、彼女に渡したのが見えた。

 代わりに、彼女の手から淡く光る百合の花の形をしたペンダントが、ムコール様の手へと渡される。


「今夜は帰ることにするわ。ふふ……また会いましょうね、銀色の髪の仔」


 蒼百合の貴婦人(マリス・リリア)は楽しそうに挨拶をすると、再びふわりと姿を消した。

毎朝7時半くらいに更新予定です。

おもしろかったり、続きが気になったらブクマや評価よろしくお願いします

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