第14章-2 2つの恐怖2
波のように群がってくる魔物たちをものともせず、最前線を駆けるニクスは高く跳躍すると、群れの中に混ざっていたひときわ大きな魔物の背に飛び乗り、その硬い殻をいとも容易く剣で貫いた。
ひしゃげるような耳障りな音を立てて魔物が崩れ落ちる。
けれど、魔物の群れが止まることはなかった。大きな一匹が倒されても気にする様子すらなく、ただただ恐ろしい数で押し寄せてくる。
しかし、彼らに恐れを抱く必要などなかった。
崩れ落ちた大きな体から軽やかに飛び降りたニクスは、残った無数の魔物たちを、まるで羽虫でも払うかのように次々と切り伏せていく。
その圧倒的な背中を見つめながら、私はただ、彼が怪我をしないようにと祈るしかなかった。
私が教えた魔物が集まっている場所へ、シルヴァン様たちも踏み込み、一匹残らず確実に討伐していく。
おびただしい数の魔物が討ち倒され、真っ白だった雪景色はあっという間にどす黒い紫色へと塗り潰されていった。
やがて、森に響いていた不気味な足音や殻が擦れる音は完全に途絶えた。
私はそっと目を閉じ、逃げ遅れたり、物陰に隠れたりしている魔物がいないか、意識を澄ませて周囲の気配を探っていく。
けれど、あの禍々しい暗く青い光はただの一つも残っておらず、森には本来の穏やかな生き物たちの気配だけが戻っていた。
「ティリア、どうだ? そっちから見て、魔物の気配はするだろうか」
馬車の外から、シルヴァン様が声をかけてきた。
私はそっと目を開け、安堵の気持ちを込めて頷く。
「いいえ。あの暗く青い光はもうどこにもありません。森にいるのは、普通の生き物たちだけです」
「……そうか。終わったようだな」
シルヴァン様は短く息を吐き出し、張り詰めていた空気を少しだけ緩めた。
しかし、すぐにまた凛とした声で周囲の騎士たちに号令をかける。
「よし! 各員、周囲の警戒を怠るな。念のため自分たちの目でも確認を行った後、帰還の準備にかかれ!」
騎士たちが力強い声で応え、手際よく片付けを始める。
私はそっと胸を撫で下ろし、もう一度窓の外を見た。
紫色の体液で汚れた剣を振って払い、鞘に収めたニクスが、ふふとこちらを振り返った。
彼と目が合う。
その顔に浮かんでいた冷酷な戦士の表情がふっと和らぎ、いつもの、私にだけ向けられる無邪気で真っ直ぐな彼に戻ったのが分かった。
無事に終わったのだと、心の底から安堵の溜息が漏れる。
逃げた魔物がいないかの確認と片付けを終え、私たちは帰り道を急いだ。
魔物の気配が完全に消えた森は、本来の静かで冷たい空気を漂わせている。
馬車に揺られながら窓の外を眺めていると、木々の隙間から見える空が、少しずつ茜色に染まり始めていた。
村を出発した時の張り詰めた空気は少し和らいだけれど、あの恐ろしい数の魔物を相手にしたのだ。無傷というわけにはいかず、馬車の外からは軽い怪我を負った騎士たちを気遣う声が聞こえてくる。
そして夕暮れ時、私たちはマナーハウスへと帰り着いた。
馬車が止まり、扉が開かれる。
先に降りたムコール様が、振り返って私に手を差し伸べてくれた。
その手を借りて地面に降り立つと、彼は仮面の奥の目を細めるようにして、穏やかな声で労ってくれた。
「お疲れ様、ティリア。今日は君の目がとても役に立った。君のおかげで、すぐに巣が見つけられて助かったよ」
「……っ、ありがとうございます。私でも、少しは皆さんのお役に立てたのなら嬉しいです」
私が安堵して頭を下げると、ムコール様は「あぁ、とてもね」と優しく頷いた。
「私は少し館の者たちと確認することがある。君も疲れただろうから、部屋でゆっくり休むといい」
そう言って、ムコール様は早足で館の奥へと向かっていった。
館の入り口では、出迎えた使用人たちがすでに慌ただしく動き始めている。
ひどい怪我をして倒れ込んでいるような人は見当たらないけれど、手当てのために鎧や防寒具の一部を解いて血の滲んだ腕を押さえていたり、顔をしかめて傷を庇っていたりする騎士たちの姿が何人か見えた。使用人たちは、彼らの手当ての準備に追われているようだ。
シルヴァン様も一人ひとりに声をかけて状態を確認し、素早く指示を出している。
「ティリア!」
ふいに呼ばれて顔を上げると、ニクスが真っ直ぐにこちらへ駆け寄ってくるところだった。
「ティリア、見ていたか? キチンとあんたを守れただろう?」
私の前に立ち止まるなり、彼はどこか誇らしげにそう尋ねてきた。
恐ろしい魔物から私を守り抜いてくれた圧倒的な強さと、私だけに向けてくれるその無邪気な言葉。なんの飾りもない純粋な好意を向けられ、私の顔は一気に熱を持ってしまった。
「……はい。とても凄かったです。怪我もなくて本当によかった……」
私が照れるのを誤魔化すように俯き気味に答えると、ニクスは満足そうに口角を上げる。
「俺はみんなと後片付けがある。ティリアは先に部屋へ戻って休んでいてもいいからな」
「ありがとう、ニクス」
私を気遣う優しい言葉を残し、彼は再び馬の世話を手伝うために駆けていった。
その後ろ姿を見つめながら、私はまだ熱の引かない頬をそっと両手で押さえる。
みんなが無事で本当によかった。けれど、私だけが何もせずに休んでいるわけにはいかない。
「あの、私にも何か手伝わせてください」
私は近くにいた使用人の方に声をかけ、手当てに使う清潔な布や水を運ぶ手伝いを申し出た。
しばらくして、血や泥で汚れた水桶を抱え、新しい水を汲み替えるために、私は一人で館の裏手にある井戸へと向かった。
夕闇が迫る冷たい空気が、火照った顔を心地よく冷ましてくれる。
井戸の横に桶を置き、ふうと短く息を吐き出した。
無事に帰ってこられたのだと、今になってようやく緊張の糸が解け、足から力が抜けそうになる。
――その時だった。
背後からガサリ、と雪を踏む不自然な足音が聞こえた。
振り返るよりも早く、乱暴に腕を掴まれ、汚れた手で口を強く塞がれる。
「――っ!?」
声を上げることもできず、私はそのまま強い力で暗がりへと引きずり込まれていった。
力任せに引っ張られ、放り出されたのは、村の外れにある古びた納屋だった。
冷たい土の床に叩きつけられると、古い藁と湿ったカビの匂いが鼻を突く。
「静かにしろ。騒いだらどうなるか分かっているだろうな」
低く、聞き慣れた恐ろしい声が頭上から降ってきた。
バサリと厚布が外される音がして、丸籠の中で光蟲が淡い光を放ち始めた。
チカチカと明滅する薄暗い光の中に浮かび上がったのは、お父さんとお母さんの顔だった。
息が喉の奥で張り付き、指先からすうっと血の気が引いていく。
私は床に這いつくばったまま、ガタガタと震える身体を小さく丸めることしかできなかった。
お父さんは無言のまま荒縄を取り出すと、私の手首と足首をきつく縛り上げはじめた。
ザラザラとした太い縄が肌に食い込み、擦れるような痛みが走る。
「魔物に襲われたように見せかけるんだ。もっと服を破いて、傷をつけろ」
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