第14章-1 2つの恐怖1
そうして迎えた翌朝、窓から差し込む柔らかな光で目を覚ます頃には、前夜の恐怖は嘘のようにすっかり和らいでいた。
ゆっくりと身体を起こしてベッドを降りると、やがて控えめなノックの音が部屋に響く。
入ってきたのは、緊張した面持ちの館の使用人たちだ。彼女たちは手際よく、私のために用意された真新しい厚手の防寒具を着せ、身支度を整えてくれる。
裏地にふかふかの毛皮があしらわれた外套は、ムコール様が王都から持参してくれたもので、氷のように冷たい村の空気から私をすっぽりと守ってくれた。
鏡台の前に座ると、使用人の一人が私の銀色の髪を丁寧な手つきで梳かし始める。
「なんて綺麗で、透き通るような銀髪でしょう。お肌も雪のようにお白くて……まるで、絵物語のお姫様のようですわ」
うっとりとしたため息交じりに褒めそやされ、私は思わず目を見開いた。
かつてこの村にいた頃は『気持ち悪い老婆のよう』と忌み嫌われ、隠すように布で覆っていた髪だ。それをこんな風に、故郷の人間から真っ直ぐに褒められる日が来るなんて思いもしなかった。
「ティリア様、どうかお気を付けて……」
身支度が終わり、心配そうに見送ってくれる使用人たちの声に、私はまだ少し戸惑ってしまう。
かつては村の誰からも気味悪がられていた私が、こうして心配され、綺麗だと褒められる状況に、なんだかむず痒いような気持ちになった。
けれど、私はその温かい心遣いに小さくお礼を言い、部屋を出た。
広間で簡単な朝食を済ませた後、私は待っていたニクスやムコール様と共に、マナーハウスの外へと足を踏み出した。
館の玄関前には、シルヴァン様をはじめとする騎士団の方々が揃っていた。
寒さに耐えうる分厚い外套の下に、重厚な銀色の鎧を身に着け、厳しい表情で森を見据えている。
ニクスは動きやすさを重視した革鎧の上に、温かそうな毛皮のついた外套を羽織っていた。
すると驚いたことに、ムコール様も上質な冬用の外套を纏い、私たちに同行する準備を整えていた。
「ムコール様も、一緒に森へ行かれるのですか?」
「私だけ留守番なんてつまらないじゃないか。娘が心配で……と言ったら領主たちは納得していたよ。『家族』というものは便利なのだねえ」
ムコール様は楽しげに唇の端を吊り上げて笑った。
その飄々とした、どこか掴みどころのない態度が、不安に強張っていた今の私にはとても頼もしく思えた。
私とムコール様が乗るための馬車もすでに用意されており、シルヴァン様が私たちに向かって頷いた。
「ムコール殿、ティリア、準備はよろしいか?」
「ああ。いつでも出られるよ」
ムコール様が応えると、シルヴァン様は騎士たちに向かって短く号令をかけた。
私とムコール様は馬車に乗り込み、シルヴァン様たち騎士団とニクスは馬に乗って、馬車を囲むように厳重な隊列を組んだ。
そうして私たちは、雪の降る深い森へと続く道を進んでいった。
森へ入ると、まずは目視できる範囲でうろついていたはぐれ魔物たちとの戦闘が始まった。
雪の積もった黒い木立の陰から、カチカチという外殻の擦れ合う不気味な音と共に、蜘蛛型の魔物たちが姿を現す。
太く粘り気のある糸が吐き出され、私は馬車の中で思わず身を固くした。
けれど、シルヴァン様が率いる騎士団の動きは洗練されていた。
銀色の鎧が雪の中に閃き、一糸乱れぬ連携で魔物の攻撃を弾き落としては、次々と鋭い剣で黒い外殻を切り裂いていく。
そして、馬車のすぐ傍らを進むニクスもまた、危なげなく魔物を討伐していた。
馬を巧みに操りながら、襲い来る魔物を力強い一撃で確実に仕留めていく。
彼らの頼もしい姿に、張り詰めていた私の緊張も少しずつ和らいでいった。
そうして森の奥深くへと進み、あらかた周囲の魔物を片付け終え、木々の陰がひときわ濃くなった頃、馬車の外からシルヴァン様が声をかけてきた。
「魔物はあらかた片付けたが……この辺りに元凶となる巣があるはずだ。ティリア、何かわかるか?」
「はい、見てみます」
私は馬車の窓からそっと外を覗き込み、ゆっくりと目を閉じた。
まだ息は落ち着かないけれど、私を信じて守ってくれるみんなのために、少しでも役に立ちたい。
静かに深呼吸をして、瞼の裏に広がる暗闇の中、雪の降る薄暗い森の奥へと意識を向け、暗く青い光の輪郭がないかどうか探っていく。
やがて、ずっと先の深い暗がりの向こうに、ぼんやりとした暗い青色の光が無数に密集しているのを感じ取った。
そっと目を開けると、そこはただ黒い木立が続く普通の雪景色に見える。
「あの……ずっと奥の方の、太い木々が並んでいる辺りに、暗い青色の光がたくさん密集している場所があります」
私が少し声を震わせながらその方角を指差して伝えると、シルヴァン様が視線を向けたのは、その太い木々が並んでいる場所だった。
「おそらく、あそこが巣の中心だろう。各員、陣形を崩すな。馬車を中心に、周囲を警戒しながら慎重に進むぞ」
シルヴァン様の号令の下、私たちは馬車を前衛の騎士たちとニクスの少し後ろにつけ、ゆっくりと光の密集地帯へと接近していった。
やがて、その太い木々が立ち並ぶ場所に差し掛かった時のことだった。
雪に覆われた黒い岩肌や、太い木の幹だとばかり思っていた景色が、唐突にぐしゃりと歪んだ。
私たちの接近に反応した防衛部隊なのだろう。道中で遭遇したあの蜘蛛型の魔物たちが、擬態を解いて次々と姿を現した。
黒く硬質な外殻がこすれ合う、カチカチという不気味な音が四方八方から森に響き渡る。
八本の脚がワサワサと無数にうごめく光景は、一度見たとはいえ、背筋が凍るほどおぞましかった。
けれど、前衛に立つニクスは一歩も引くことなく、圧倒的な強さを見せつけていた。
群れをなす蜘蛛型の魔物たちが吐き出す黒い糸を、俊敏な身のこなしで軽々と躱していく。
そして、私が教えた魔物の群れへ、次々と的確に刃を突き立てていった。
ムコール様は私と一緒に馬車の中に留まり、余裕のある態度で外の戦いを興味深そうに窓越しに観察している。
魔物を切り裂くたびに、不気味な紫色の体液が雪を汚していく。
けれど、馬車の中にいる私には、汚れ一つ、冷たい風一つ届くことはなかった。
本来の力を隠しながらも、恐ろしい魔物を圧倒していく彼の背中は、どこまでも頼もしくて力強い。
怪我をしないかと心配でハラハラするのに、それ以上に、彼から目が離せない。
私を守るために戦ってくれるその姿があまりにも頼もしくて、ただ、その背中に見惚れてしまっていた。
「……先ほどから、ずっとニクスを見ているね。まるで恋する乙女のようだ」
不意に、隣に座るムコール様から楽しげな声が降ってきて、私はハッと我に返った。
無自覚に彼に見惚れていたことを指摘され、私の頬は、寒さとは全く違う理由でカッと熱を持っていた。
私が慌てて視線を逸らすと、ムコール様は楽しげに低く笑った。
「冗談だよ。けれど、あの子があれほど張り切っているのは、君が見ているからかもしれないね」
そう言って、ムコール様は再び窓の外へと視線を向けた。
私も熱を持った頬を冷ますように、そっと窓の外へと視線を戻す。
激しかった戦いは、すでに終わりへと近づいていた。
今日は2話更新です。明日からまた1話更新に戻ります。
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