第13章-2 雪降る故郷2
彼が指を弾くと、張り巡らされた青白い糸は、パッと弾けるように空気に溶けて消えてしまった。
けれど、館を包んでいたあの嫌な冷気がふっと消え、守られているような不思議な静けさが満ちたのを、私は確かに感じていた。
ムコール様が、見えない力で私たちの安全を守ってくれたのだった。
私は小さく息を吐き、ようやく肩の力を抜くことができた。
結界が張られた後、広間では領主様による、ささやかながらも精一杯のもてなしの夕食が用意された。
温かいスープをいただきながら、ムコール様は領主様から村の詳しい現状を聞き出していく。
「魔物は村の周囲をうろつき、森へ入った木こりや猟師が何人も犠牲になりました」
領主様は深くため息をつき、さらに言葉を絞り出した。
「それに加え、森に魔物的棲み着いてからというもの、村に悪い病まで蔓延し始め……もはや息も絶え絶えでございます」
領主様の悲痛な報告を聞き、ムコール様は静かに頷いた。
「幸い、私たちは王都の騎士たちを護衛に連れてきている」
領主様を安心させるように、ムコール様はゆったりと微笑んだ。
「それに、我が娘は祝福された『目』を持っていてね。そのお陰で、魔物の巣がどのあたりにあるのか、すでに突き止められそうなんだよ」
「おお……! では、魔物を……!」
「ええ。我ら王都の騎士団と、私の息子がいれば、魔物など敵ではないから安心してほしい」
その堂々とした宣言に、領主様は心底ほっとしたような表情を浮かべた。
さらにムコール様は、村の病の症状について領主様から話を聞いた後、小さく息を吐いた。
「長旅だったからね。薬も多めに持ってきているんだ。明日になってからでも、症状が重い者には薬を分けてあげてもいい」
その言葉に、領主様は目に涙を浮かべて「おお、なんとありがたい……!」と拝むように頭を下げた。
「ああ、それと……娘が久しぶりに家族と会えるよう、明日にでも彼女の両親をこの館へ呼んでくれないか?」
「はっ、承知いたしました! すぐにお触れを出しておきます!」
こうして、明日からの村での動きが決まり、領主様は慌ただしく去っていった。
やがて夜が更けた。
私にあてがわれた客室は、かつての私の家とは比べ物にならないほど立派で、暖炉の火が赤々と燃えていた。
結界に守られた温かい部屋で冷え切った身体を休める。
それでも、明日お父さんたちと会うのだと思うと、不安で胸が締め付けられそうになった。
暖炉の前で膝を抱えていると、控えめなノックの音とともにニクスが部屋を訪ねてきた。
「ティリア、起きているか?」
「はい……どうぞ」
入ってきたニクスは、私の隣にどさりと腰を下ろした。
「顔色が悪いな」
「明日、あの人たちに会うと思うと……なんだか、怖くて」
私が情けない声で本音をこぼすと、ニクスは静かに息を吐き、ベッドの縁に腰を下ろした。
そして、毛布を強く握りしめていた私の冷たい手を、自身の大きな両手でそっと包み込んでくれた。
その大きくて頼もしい手から、彼自身の力強い熱がじわりと伝わってくる。
「俺がいる。先生もいる。誰もあんたを傷つけさせやしない」
逃げ場のないほど真っ直ぐな瞳で見つめられ、私はどきりと大きく息を呑んだ。
「……はい」
「あんたが眠るまで、ここにいる。だから、安心して眠れ」
ニクスはそう言って、片方の手を私の頭にぽんと乗せ、優しく撫でてくれた。
その甘くて優しい気遣いに、私は泣きそうになるのを堪えながら、彼の手の温もりにすがりつくようにそっと目を閉じた。
パチパチと爆ぜる暖炉の音と、すぐそばにいる彼の穏やかな息遣い。
ニクスがいてくれるという絶対的な安心感が、私の強張っていた身体を少しずつ解きほぐし……いつの間にか、私は深い眠りに落ちていた。
翌朝、目を覚ましたときには、ニクスはすでに自分の部屋へ戻った後だった。
起き上がると、すぐに館の緊張した面持ちの使用人たちがやってきて、私の着替えや身支度を手伝ってくれた。
かつては村の誰からも気味悪がられていた私が、こうして領主の館でお世話をされている状況に、なんだかむず痒いような、申し訳ないような気持ちになる。
身支度を終えて広間へ向かうと、暖炉に火が入り、すでにムコール様とニクスが席に着いていた。
「おはよう、ティリア。少しは眠れたかい?」
ムコール様が穏やかに微笑みかけ、ニクスも静かに頷いて隣の席を勧めてくれる。
「騎士の連中が、昨夜から交代で村の周囲を警戒してくれているそうだ」
窓の外の白い雪景色を見やりながら、ニクスが教えてくれた。
きっと、私が不安がらないように、しっかりと守られていることを伝えてくれたのだろう。
テーブルには、領主様が用意してくれた温かいスープとパンが並べられていた。
けれど、三人で食卓を囲んでも、私の喉はちっとも食べ物を受け付けなかった。
これから両親と会うのだと思うと、緊張で胃がギュッと縮み上がりそうだったのだ。
そんな私に気づいたニクスが、無理に食べなくていいと、控えていた使用人に温かいお茶だけを用意させてくれた。私はそれを少しずつ啜った。
食事が終わり、ムコール様とニクスに見守られながら、落ち着かない気持ちで広間で待っていると、やがて扉がノックされ、領主様が静かに部屋を訪れた。
「あ、あの……ご両親をお連れいたしました。扉の外でお待ちですが……」
その言葉を聞いた瞬間、胸が冷たく締め付けられるように痛んだ。
領主様に案内されて広間へと入ってきたのは、間違いなくお父さんとお母さんだった。
久しぶりに見る二人の顔は、少しだけやつれていたけれど、熱病に倒れている様子はなく、私は心のどこかでほんの少しだけホッとしていた。
けれど、二人の視線が私に向けられた瞬間、あの暗く冷たい雨の日の記憶が、目の前にありありと蘇ってきた。
泥だらけの地面。
怒鳴り散らすお母さんの金切り声。
私を疎むような、冷たい視線。
息が詰まり、耳の奥で嫌なざわめきが膨らみ始める。
身体がガタガタと震え出し、私は言葉を発することもできず、その場に立ちすくんでしまった。
「やあ、よく来てくれたね。楽にしてくれたまえ」
張り詰めた空気を和らげるように、ムコール様が貴族らしいゆったりとした声で口を開いた。
「ティリアがどうしても家族の無事な姿を見たいと言っていたからね。私との契約で、本来は無断で関わることや傷付けることを禁じているのだけれど……今回は特別に面会を許してあげたんだ」
その言葉を聞いた両親は、顔を見合わせ、それから信じられないものを見るように私を見た。
上質な服を着て、立派な館にいる私を穴のあくほど見つめ、お母さんがおずおずと、けれどどこか声のトーンを上げて口を開いた。
「あ、あの……ティリア? 本当に、あのティリアかい……?」
「立派な貴族様の養女にしてもらったなんて……あ、ありがてえ。これで俺たちも、少しは楽ができるってもんだ」
お父さんが、揉み手をして卑屈な笑みを浮かべる。
「旦那様、この子は昔からよく働く、いい子でしてね。……その、養女にしていただいたということは、私どもにも、何かしらのご恩恵が……」
今日は二話更新です。
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