第12章-5 小さな手仕事と冬の足音5
けれど、そんな温かい未来を想像した時、不思議なことに私の心に浮かんだのは、目の前で微笑むルークの顔ではなかった。
思い出すのは、私を綺麗だと言って、美しい髪飾りを贈ってくれた時の嬉しそうな顔。
熱を出した私を心底気遣い、涙ぐんで手を握ってくれたこと。
見ず知らずの迷子のために、一生懸命お母さんを探してくれた優しいところ。
嘘や誤魔化しなんて何一つなく、ただひたすらに私を想ってくれる、あの人の姿ばかりだった。
(ああ、私……)
自分の心の奥にある、確かな熱に気がついた。
その時、ガチャリと音を立てて客間の重い扉が開かれた。
弾かれたように顔を上げると、そこに立っていたのは、ニクスだった。
私の胸が、トクンと大きく跳ねる。
彼は客間の中の様子と、ルークの真剣な表情を見ると、痛みを堪えるようにわずかに眉間を寄せた。
そして、たまらないといった様子で足早に私のもとへ歩み寄ってくる。
「……悪いが、話は聞いた」
低く掠れた声とともに、彼は私の隣に腰を下ろす。
そして、ひどく思い詰めたような切実な眼差しで私を見つめると、私の冷えた手を、逃がさないようにぎゅっと両手で包み込んだ。
「俺は……あんたが、幸せになるのなら誰を選んでも後悔はしない」
ニクスは真っ直ぐに私を見てそう伝えると、それからルークの方へも静かな、けれど真っ直ぐな視線を向けた。
その言葉の意味を、私はぼんやりと考えた。
ニクスは、私の意見なんて本来聞かなくていいはずだ。
だって、私はムコール様に雇われている『先生』とはいえ、彼よりもずっと弱いし、教えられることだって少ない。
有無を言わさず結婚を許さないと言われたら、それまでなのに。
どうしてこの人は、自分のことよりも私の気持ちをこんなにも大切にしてくれるのだろう。
言葉では身を引くようなことを言いながら、私を包み込む大きな手は、離したくないとばかりに強く握りしめられている。
「あの……ごめんなさい。私、ルークさんのお気持ちには、応えられないです」
私は彼の誠実な好意に深く感謝しながらも、はっきりと首を振った。
隣にいたい人が、わかったかもしれないから。
私の断りの言葉を聞いたルークは、一瞬だけ目を伏せ、それから私の隣に座るニクスの方へと静かに視線を移した。
大きな体を少し丸めて、余裕をなくしたように私の手を握りしめている彼と、そんな彼に寄り添おうとする私の姿。
私たち二人の様子を見て何を思ったのか、ルークは短く息を吐き、困ったように、けれどどこか納得したような笑みを浮かべた。
「……そうですか。どうやら、僕の入り込む隙は最初からなかったみたいですね」
少しだけ寂しさを滲ませたその声に、私は申し訳なさで胸がきゅっと痛んだ。
けれど、彼はすぐにいつもの快活で優しい騎士の顔に戻り、私に向かって力強く頷いてみせた。
「ティリアさん。もし、騎士の助けが必要な時があれば、いつでも頼ってくださいね。……僕は外で、団長を待つことにします」
ルークはそう優しく言い残し、背筋を伸ばして潔く客間を去っていった。
彼が部屋を出て行った後、客間には私とニクスだけが残された。
ニクスは小さく、けれど深く安堵したような息を吐くと、少しだけ肩の力を抜いた。
「後悔してないか? せっかく、あんたを慕ってくれたのに」
彼は私の顔を覗き込むようにして、静かにそう尋ねてくる。
私はゆっくりと首を横に振った。
「もっと、大切なことに気付けたから。あれでよかったの」
私が微笑みながらそう答えると、ニクスは少しだけ目を見開き、それからとても嬉しそうに、照れくさそうに笑った。
すると、不意に「やれやれ」と呆れたような声が響いた。
奥の部屋で話が終わったらしいシルヴァン様とムコール様が、客間へとやってきたのだ。
「どうやら、うちの優秀な若手は振られてしまったようだな。せっかく気を利かせてやったというのに」
シルヴァン様がわざとらしく肩をすくめてみせると、ムコール様も優雅に微笑んだ。
「私の可愛い娘を、そう簡単に持っていかれては困るからね。それに……」
ムコール様は、私の手を握ったまま離そうとしないニクスを見て、くすりと笑った。
「あんなに恐ろしい顔で牽制されては、若い騎士殿も気の毒だったね」
からかわれたニクスは気まずそうに「……うるさい」と顔を背けたが、それでも私の手を握る力は少しも緩めなかった。
大人二人にすっかり見透かされていたことに、私もカアッと顔が熱くなるのを感じて、誤魔化すように俯くしかなかった。
少しだけ客間に和やかな空気が流れた後、ムコール様は静かに表情を引き締めた。
「さて、本題に戻ろうか」
その言葉に、部屋の空気が一気に冷たくなる。
「……あの、ムコール様。私の家族は……村のみんなは、無事なのでしょうか……」
震える声で尋ねる私に、ムコール様は静かに答える。
「詳細な被害者までは、さすがの私にもわからないなぁ」
その言葉に、私はぎゅっと唇を噛みしめた。
誰が怪我をしているのか、命を落とした人がいるのかもわからないという事実に、不安がじわじわと胸に広がっていく。
「ただ、私が探ったところによると、村の近辺に魔物が巣を作ったみたいでね」
ムコール様は言葉を切ると、少しだけ目を細めて淡々と続けた。
「魔法院は、こんな小さな辺境の村のために兵を集めたりしないだろうし、このままではジワジワと村は追い込まれていくと思うよ」
ジワジワと追い込まれていく。
その言葉が、冷たい刃のように胸に突き刺さる。
あの日、私を家の外に締め出した両親の冷たい顔。
けれど、その背後でこちらを見ていた妹の姿が、鮮明に蘇ってきた。
――私が冷たい家の裏で仕事をさせられていた時、あの子は親の目を盗んで、こっそりと温かいパンを隠し持ってきてくれた。
寒迎祭の準備で思い出した、凍えるような寒さの中で触れた小さな手の温もり。
あの日、ただ怯えて私と目を合わせてくれなかったフローラの姿を思い出すと、今でも胸の奥がひどく冷たくなる。
私から話しかけることは、いつからかなくなっていた。それどころか、まともに会話したことだってほとんど思い出せない。
それでも、あのパンをくれた日の、フローラの小さな手のひらの温もりだけは、どうしても忘れられない。
お父さんやお母さんのことは、正直、今でも怖い。
気味の悪いものを見る目も、私を叩く冷たい手も。
でも、気味が悪くて出来損ないの私なんて、愛されなくて当然だったのだ。あの家を追い出されたのも、私が忌々しい存在だったから。
……頭ではそうわかっているのに、どうしても気になってしまう。愛してはもらえなくても、血の繋がった家族だから。
「……助けたい、です。村がそんな状況なら……少しでも、フローラを助けられる可能性があるなら」
震える声でぽつりと漏らした私を見て、ムコール様は静かに口を開いた。
「そのまま放っておけば、村は滅び、君の家族も無事では済まないだろうね」
ムコール様の瞳が、仮面越しにこちらを見ているのがわかる。それは冷たいものではないように思えた。
「だが、君の祝福された『目』があるのなら、私たちやシルヴァンの力を借りて、なんとか出来るかもしれないよ」
そんな思いがけない言葉に、私はハッと顔を上げた。
「私の、目で……?」
「ああ。ティリアの『目』があるのなら、我々にとっても非常に頼もしい」
そう口を開いたのは、ムコール様の傍らに立っていたシルヴァン様だった。
彼はかつて、忌み嫌われていた私の目を「祝福されている」と真っ直ぐに肯定してくれた人だ。
「君が魔物の潜む場所を正確に特定できれば、私も選りすぐりの部下たちと共に、手早く確実に対処することができる。……もちろん、魔物からは私や私の部下たちが絶対に君を守るから、安心してほしい」
シルヴァン様は騎士として、力強く誠実な言葉で私を安心させてくれた。
「そういうことだ。表向きは『貴族に引き取られた娘の里帰り』という形にしよう。
シルヴァンたちがその護衛として同行する名目にすれば、魔法院に怪しまれることもない」
ムコール様がそう補足する。
それは、私の目を使えば、あの村を……家族を救えるかもしれないということ。
「もちろん、無理強いはしないよ。危険な場所に赴くのだからね」
かつて両親から気味悪がられ、村から追い出される理由でしかなかった私の目。
けれど、王都での魔物騒ぎの時、この目は確かにみんなの役に立つことができた。
だからきっと、今度もみんなの力になれるかもしれない。
「……私の目で、役に立てるなら」
怖い。
村の人たちにまた何か言われるかもしれない。
でも、ここで逃げたら、私は一生後悔する。
隣に座るニクスが、不安げな私の背中に、そっと大きく温かい手を添えてくれた。
その力強い温もりに勇気をもらい、私はしっかりと前を向いた。
「……行きます。家族がどうしても気になるから……村へ、確かめに行きたいです」
震えそうになる声を必死に抑え、私ははっきりとそう答えた。
私の決意を聞いて、シルヴァン様は「よく言った」と頼もしく頷いてくれた。
一方で、ムコール様はどこか面白そうな、観察するような眼差しで私を見つめた。
「人間の『家族』というものは、本当に興味深いものだね。自分を虐げた者たちであっても、その繋がりを断ち切れないのだから」
彼はそう言って、どこか人間離れした、けれど穏やかな微笑みを浮かべる。
隣にいるニクスは、何も言わずにただ、深く頷いて私の手をぎゅっと握り返してくれた。
あの冷たい村へ戻るのは、正直に言えば、今でも足がすくむほど怖い。あそこに私の居場所なんてなかったし、戻ってもきっとまた冷たい言葉を投げつけられるかもしれない。
けれど、一人で凍えていたあの頃とは違う。
今の私の隣には、不器用だけれど絶対に私を守ってくれるニクスがいて、底知れないけれど頼もしいムコール様やシルヴァン様がいてくれる。
彼らの存在と、握られた大きな手から伝わる温もりが、不安で押しつぶされそうになる私の心をしっかりと支え、前へ進む勇気をくれていた。
それから、辺境への長旅に向けて、慌ただしい準備が始まった。
騎士団長であるシルヴァン様が、たくさんの部下を連れて長く王都を離れるのは、本当はとても難しいことらしい。
だから今回は、私のような『貴族の娘の里帰り』の護衛という名目に加えて、経験の浅い騎士たちを連れた『辺境での実地訓練』という建前で、なんとか出発の許可をもらってくれたのだという。
あのルークさんは優秀な騎士だからこそ、団長が不在となる王都の守りの要として、信頼されて留守を任されたそうだ。
そんな大人たちの話し合いを耳にしながら、私もこれからの旅に向けて心を落ち着けようと努め、出発までの数日間を過ごした。
そうして、本格的な冬を告げる初雪が舞い散る朝。
長旅の支度を整え、タウンハウスのエントランスに立つと、刺すような冷たい風が頬を撫でた。
「さあ、行こうか」
ムコール様の穏やかな声に促され、私は待機していた馬車へと歩み寄る。
「気をつけろ、足元が滑るぞ」
ニクスが振り返り、私へと大きな手を差し出してくれた。
私は「ありがとう」と小さく頷き、その温かい手を取って馬車へと乗り込む。
窓の外では、白い雪が静かに降り積もり始めている。
不安がないわけじゃない。あの村へ戻るのは、やっぱり少し気が進まない。
けれど、今はもう、一人で凍えるような冬を耐えていた頃の私ではないのだ。
冬の足音が近づく故郷へ向けて、私たちの乗った馬車は、静かに雪道へと滑り出した。
毎朝7時半くらいに更新予定です。
おもしろかったり、続きが気になったらブクマや評価よろしくお願いします




