第11章-1 蒼き百合の来訪者1
ニクスと一緒に森の見回りにも慣れてきた頃、森の館にふらりと現れたのは、人間とはあまりにもかけ離れた姿をした、不思議なお客様だった。
深い青色をした肌と、そこから伸びるしなやかな複数の腕。
本来ならば恐ろしい姿のはずなのに、なぜか目が離せなくなるような不思議な美しさを持っていた。
そして何より私の目を引いたのは、顔の右半分を完全に覆い隠すように咲き誇る、大輪の青い百合の花だった。
残された左側の顔からは、私と同じ銀色の髪がさらさらと流れ落ちている。
重なり合う花弁の隙間からは幾つもの瞳が覗き、まるで私を品定めするかのように、じっと見つめ返してきた。
「やあ、これは珍しいお客様だね」
滅多にない来客に私が戸惑っていると、玄関先に出向いたムコール様は、いつもと変わらぬ様子でキノコの傘を揺らし、穏やかにそう言った。
二人の間には、私には決して踏み込めない、とても古くて重みのある空気が流れている。
私はその独特な空気にすっかり気後れしてしまい、どうしていいか分からずに立ち尽くしていると、お客様を客間へと招き入れたムコール様が、そっと私を振り返った。
「彼女は……」
ムコール様がそう紹介しようとしたところで、そのお客様は煌びやかな百合の花びらが連なったように見えるドレスの裾を持ち上げ、優雅にお辞儀をした。
「わたくしは蒼百合の貴婦人」
そう名乗った彼女に苦笑しながら、ムコール様は言葉を続けた。
「彼女は簡単に言えばお隣さんに近しい存在だよ。人の仔に悪さはしないはずだけれど、気を付けるように」
「はい……」
私は緊張で身体を強張らせながら、小さく頷いた。
すると、蒼百合の貴婦人は顔の半分の百合を揺らして、クスクスと優雅に笑った。
「いやだわ、紫胞子の殿方ったら。わたくしを意地悪な人みたいに紹介しないでちょうだい」
「ははは、用心に越したことはないからね」
ムコール様はそういってカサを小さく揺らし、私に背を向けた。
「彼女から頼まれた探し物をしてくるよ。ニクスを呼んでおくけれど、もし苦手なようなら自分の部屋へ戻っていてもいいからね」
ムコール様はそう言い残すと、客間の扉を開け、探し物があるという書斎の方へと向かっていった。
パタン、と重い扉が閉まる音が、やけに大きく部屋に響く。
客間には、私と蒼百合の貴婦人だけが取り残されてしまった。
私たちとは全く違う見た目を持つ彼女を不快にさせないように、私は緊張で体が強張るのを感じながら必死に視線を下げた。
そんな私を気にも留めない様子で、彼女はしなやかな幾つもの腕を動かし、私の銀色の髪を珍しそうに見つめ込んでくる。
「まあ、綺麗な銀の髪ね。わたくしと同じ」
蒼百合の貴婦人は、嬉しそうにはしゃいだ声を出した。
「それにしても、館にまた人の仔がいるなんて驚いたわ。前にいたあの気難しい女の先生以来かしら?」
「女の、先生……?」
「ええ。あの造り物の獣に、ずいぶんと厳しく礼儀作法を教えていたわね。あなたも、あの子の新しいお友達?」
シルヴァン様以外にも、先生がいたんだ。
どんな方だったんだろう。
私は少しだけ興味を惹かれたけれど、お客様を前にあまり根掘り葉掘り聞くわけにもいかず、曖昧に頷くことしかできなかった。
「銀の髪の仔、お願い事ってないかしら? 小さなものでもいいの。わたくし、人の仔のお願いを聞くのが大好きなのよ」
甘く囁くような声で、蒼百合の貴婦人が問いかけてくる。
私は首を横に振り、控えめに断った。
「いいえ、私には何も……。もったいないお言葉です」
「そう? 残念だわ」
そこへ、少し遅れて客間の扉が開いた。
ニクスがいつものような静かな足取りで入ってきて、お隣さんに短く挨拶をする。
彼はすぐに私のそばに寄り、「大丈夫だったか?」と小さな声で尋ねた。
「ええ、大丈夫。お願い事がないかって聞いてくれるくらい、親切な方なの」
私がそう答えると、ニクスは眉間に深い皺を寄せた。
「ティリア、俺や先生はともかく、他のお隣さんに願い事をするときは《《代償》》が必要なんだ。断ってよかったな」
ニクスのその言葉に、私は内心ほっとした。
お隣さんに願い事をした時の代償とは、どんなものがあるんだろう。
安易にお願いをしなくてよかったと胸を撫で下ろしつつも、少しだけお隣さんたちの取引がどんなものなのか興味を惹かれてしまう。
そんな風に私が思考を巡らせていると、蒼百合の貴婦人が顔の百合を揺らした。
「造り物の獣ったら、意地悪ね! わたくしは人の仔が喜ぶ顔を見たいだけよ」
彼女は少し拗ねたように、けれど艶やかな声でそう答えた。
そこへムコール様が戻ってきて、何かが蠢く謎の布袋を蒼百合の貴婦人に手渡した。
「お待たせ。楽しく話が出来ているようでよかったよ」
ムコール様が穏やかにそう言うと、彼女は嬉しそうに布袋を受け取った。
「ありがとう、紫胞子の殿方」
そして、彼女は私の方を見てゆっくりと微笑みかけた。
「また逢いましょうね、銀の髪の仔」
蒼百合の貴婦人はそう言い残し、満足げに館を後にしたようだった。
分厚い扉が閉まり、静寂が戻った客間で、ニクスがムコール様に尋ねた。
「蒼百合の貴婦人は、いつもの薬を取りに来たのか?」
「そうだよ。今回は機嫌がよかったみたいだね」
ムコール様が穏やかにそう答えるのを聞いて、私はこっそりと安堵の息を吐き出した。
お客様を不快にさせるような粗相をせずに済んで、本当によかった。
突然のお客様の来訪は、無事に終わったみたいだった。
「あの……私はサンルームで、刺繍の続きをしますね」
張り詰めていた緊張が解けると、なんだか急にいつもの場所に戻りたくなった。
私はそそくさと客間を後にし、日の当たるサンルームへと向かう。
やりかけの刺繍を広げ、明るい日差しの中で針に糸を通そうとした、その時だった。
「あら、綺麗なお花ね。でも百合の花を刺繍するのがオススメよ」
背後から、花の香りと共にあの甘い声が聞こえた。
帰ったはずの蒼百合の貴婦人が、音もなく私のすぐ後ろに立っていた。
「人の仔、困っていることがあるんじゃないかしら? わたくしに話してみない?」
突然のことに驚いて、私が言葉を失っていると、幾つもの瞳が私を射抜くように見つめてきた。
「銀の髪の仔、怖がっているのかしら? あなたには価値がないと怯えている?」
図星を突かれた動揺を隠すように、私は細く震える声で言い返す。
「あの……ムコール様にも、ニクスにも、とても良くしていただいてますから……」
そんな私の精一杯の強がりを、彼女はクスクスと優雅に笑い飛ばした。
「ええ、そうね。それなのに、あなたは何も返せていないことに怯えていないかしら?」
――ッ。
その言葉は、私の心の最も柔らかくて痛い部分を、容赦なく抉り出してきた。
息が詰まり、何も言い返せずに俯く私に、彼女はさらに顔を近づけてくる。
明日はまた1話ずつの更新になります。朝七時半くらいに投稿します。
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