第8章-1 忌み子の瞳と、肯定の光1
前の『先生』が壊されたというのは、私の勝手な思い込みだった。
目の前に立つ、銀色の鎧を着こなした逞しい騎士団長様。
シルヴァンと名乗った彼こそが、あの血塗られた手記の主であり、ニクスと本気で殴り合った相手その人だったのだ。
彼がどこも欠けることなく、それどころかこんな立派な身分で元気に生きているという事実は、私の心の奥底にずっと刺さっていた「小さな棘」を、嘘のようにすっと抜き去ってくれた。
「団長! ご確認をお願いいたします」
ふと、縛り上げられた男たちを見張っていた若い騎士が、声を張り上げた。
「あの荷馬車の分厚い木の箱の中に……生きた魔物が、数匹隠されていました」
その報告に、シルヴァン様の鋭い瞳が僅かに見開かれる。
彼は男たちが隠し持っていた荷馬車を一瞥した後、ゆっくりと私の方へ向き直った。
「お嬢さん。……いや、ティリアと言ったね。君は、なぜあの馬車の中に魔物がいると分かったんだ?」
逃げ道のない問いかけに、私はビクッと肩を揺らした。
本当のことを言えば、気味悪がられるだろうか。
村で両親に「お前はおかしい」と怒鳴りつけられた記憶が蘇り、喉が干からびたように張り付く。
けれど、隣に立つニクスの、真っ直ぐで温かい気配が私を支えてくれていた。
「あの……実は、よくわからないものが、視えるんです」
私は冷えていく両手を胸の前でぎゅっと握りしめ、消え入りそうな声で口を開いた。
「目を閉じると特に……生き物の形が、光の輪郭を伴って視えて。それで、あの箱の中から、暗くて青い光が視えて……。それが、先日森で見た魔物と同じ光だったって気が付いてしまって、怖くて……」
言葉を紡ぐほどに、自分がひどく異常な存在に思えて、私は俯いてしまった。
しかし、シルヴァン様の口から出たのは、蔑みや恐怖の言葉ではなかった。
「なるほど……それは、本当なのだろうな」
驚くほど穏やかな、感嘆の入り混じった声だった。
「実際に君が見た荷馬車には、私たち騎士団の探知の網にすら引っかからなかった魔物がいた。おそらく、魔物の素材で編んだ檻に入れて気配を遮断し、検問のない抜け道から持ち込んだのだろう。……君のその特別な瞳がなければ、王都に恐ろしい被害が出ていたかもしれない。助かったよ、ティリア」
顔を上げると、シルヴァン様は私に向かって、深く、敬意を込めて頭を下げていた。
不吉だと、忌み嫌われていた私の目。
それが初めて、誰かの役に立ち、感謝された瞬間だった。
「さて、ここで立ち話をするのも目立つ。ムコール殿のタウンハウスから来たのなら、馬車をどこかに待たせてあるのだろう? ひとまず、そこまで送ろう」
シルヴァン様はそう言うと、部下たちに後を任せ、私たちを路地裏から大通りへと促した。
広場の入り口に停まっていた簡素な馬車を見つけると、彼は少し思案するような顔をした後、ニクスに向かって口を開いた。
「私も同乗させてもらおう。ちょうど魔物の件で、ムコール殿に相談をしようと思っていたのだ」
「ああ、わかった」
ニクスは血の滲む腕をぶら下げたまま、痛がる素振りも見せずにケロリと頷いた。
私たちは馬車に乗り込み、整然とした石畳の続くタウンハウスへと帰還した。
馬車が着くやいなや、玄関の扉が開かれ、パリッとした制服を着た使用人たちが出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、ニクス様、ティリア様。そしてシルヴァン団長様、ようこそおいでくださいました」
深いお辞儀とともに、流れるような挨拶が交わされる。
そして、ふくよかな顔立ちの女性の使用人が、私に向かって優しく微笑みかけてきた。
「ティリア様、初めての街のお出かけは、楽しかったですか?」
「あ、ええと……はい。とても……」
ちゃんとした貴族の娘でもないのに、こんなに手厚く丁寧な言葉をかけてくれるなんて。
そわそわと落ち着かなくて、私は曖昧に頷くことしかできなかった。
「まあ、ニクス様! そのお怪我は……!」
ふと、別の使用人がニクスの腕に気付き、小さく悲鳴を上げた。
皆が慌てて包帯や薬を取りに行こうとするのを、ニクスは平然とした顔で片手で制止する。
「たいしたことない。服が破れただけだ。後で繕っておいてくれ」
痛がる素振りも見せず、いかにも貴族の若君らしい堂々とした振る舞いで、ニクスはそう言い放った。
使用人たちはほっとしたように胸を撫で下ろし、「畏まりました」と深く頭を下げる。
すると、今度は年配の使用人がシルヴァン様の方を見て、穏やかに微笑みかけた。
「シルヴァン様がこのお屋敷にいらっしゃるのも、ずいぶんと久しぶりで懐かしゅうございますね」
「ああ。今日は少し、厄介事を持ち込んでしまってな」
シルヴァン様が軽く応じるのを聞きながら、私たちは案内されるまま、一階の奥にある客間へと通された。
ドローイングルームと呼ばれるその部屋の、分厚くて大きな木の扉が開かれる。
案内された体が沈み込むような長椅子に腰を下ろすと、手際の良い使用人たちによって、すぐさま温かい紅茶がテーブルにセットされた。
その香りにほっと一息ついたところへ、人間の姿をとったムコール様が優雅な足取りで現れた。
「やあ、お帰り。……おや、懐かしいお客人を連れてきたね」
ムコール様はシルヴァン様を見て楽しげに微笑むと、すぐにニクスの裂けた腕へと視線を落とした。
そして、周囲に控えていた使用人たちへ向かって、柔らかな声で穏やかに指示を出す。
「君たち、少し内密な話をするから席を外してくれるかな? 用事があったら声を掛けるよ」
「畏まりました、旦那様」
使用人たちが一礼して静かに部屋を出ていき、分厚い木の扉がパタンと閉じられる。
完全に人払いが済んだのを確認してから、ムコール様はニクスの隣に腰を下ろし、少し驚いたように口を開いた。
「珍しいね。君が街へ出て怪我をしてくるなんて。おいで。すぐに治してあげよう」
ニクスの腕には、私のハンカチが巻かれたままだ。
ムコール様がその布をそっと丁寧に解くと、べっとりと血の滲んだ痛々しい傷口が露わになる。
思わず、私は息を呑んだ。
あんなに深々と肉が裂けていたなんて。
全部、私を庇ってくれたせいだ。
申し訳なさで胸がぎゅっと締め付けられ、視界が滲む。
「ティリア、ごめんな。ハンカチが汚れちまった。……きれいにしてから返すから」
こんなにひどい怪我をしているのに、どうしてハンカチの方を心配するのだろう。
本当に、この人は……。
「ううん、そんなの気にしないで。……あの、本当に、この怪我を治せるのですか……?」
私がすがるような思いで、泣きそうになりながら尋ねると、ムコール様はニクスの傷口に白い指先をそっと這わせた。
お医者様も呼ばず、薬も塗らずに、ただ指を触れるだけで?
私は不思議に思いながら、ムコール様の白い指先と、痛々しい傷口をじっと見つめた。
その時だった。
淡いラベンダー色の光と共に、ぱっくりと開いていた深い傷が、まるで時を巻き戻すかのようにシュルシュルと塞がっていく。
そして、ほんの瞬きをする間に、怪我の痕すら残さずに完治してしまっていた。
信じられないものを見るように、目を丸くしてその光景を見つめていた。
「ムコール様は……怪我が治せるのですか?」
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