第7章-2 初めての街と、見えざる命の光2
ふと、隣の出店に並べられた木彫りの小物が気になって目を留める。
その中の一つ、月をかたどった可愛らしい髪飾り……。
それを見ていると、なんだかニクスのことが思い浮かんだ。
夜空に浮かぶ月のような彼の瞳を連想してしまい、私はぼんやりとその髪飾りを見つめていた。
その時、広場の向こう側を、銀色の鎧を身にまとった騎士たちの集団が通り過ぎていくのが見えた。
先頭を歩いているのは、漆黒の長い髪を後ろで一つに結い上げた、鋭い目つきのたくましい男性だった。
彼は周囲を鋭く見回しながら、何かを探しているように通りを歩いていく。
そういえば、タウンハウスへ向かう馬車の中から外を眺めていた時にも、あの鋭い目つきの男性の姿を見かけた気がする。
城下町では、こんな風に立派な騎士様たちが街を見回っているのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えていると、隣にいたニクスがふと立ち止まった。
「……あー、ちょっと待っていてくれ」
ニクスは何かを見つけたように目を細めると、急に足早にその場を離れてしまった。
「あ、ニクス……?」
引き止める間もなく、彼の大きな背中は人混みの中に紛れて見えなくなってしまう。
何をしに行ったのだろう。
私は不思議に思いつつも、邪魔にならないよう広場の隅に寄り、彼が戻ってくるのを待つことにした。
一人で待つ時間は、少しだけ心細い。
彼がそばを離れてから、広場を行き交う何人もの男性たちが、チラチラと私の方を見ては足を止めるようになった。
銀色の髪の人は他にもいるのに、どうしてこんなに見られるのだろう。
おどおどと立ち尽くす私の姿や、どこか変な振る舞いが、ひどくみっともなく見えるのだろうか。
値踏みするような視線に居心地が悪くなり、私は思わず身を縮めた。
さっきまでは、ニクスの大きな背中が私をすっぽりと隠してくれていたから、ここまで露骨にじろじろと見られなかったんだ……。
早く戻ってきてほしい。
そう願いながら、突き刺さるような視線から逃れるように、私は思わずぎゅっと目を閉じた。
目を閉じると、いつものように人々の形が光の輪郭になって見える。
けれど、その様々な光の波の中に、ふと、あるはずのない異質な光が混じっていることに気がついた。
暗く、沈んだ青色の光。
それは、嵐の夜に森で私を襲った、あの恐ろしい魔物と同じ禍々しい色だった。
弾かれたように目を開け、その光が放たれている方向へ視線を向ける。
そこには、広場の路地裏にひっそりと停まっている一台の荷馬車があった。
一見すると、ただの古い木の箱を積んだ馬車だ。
けれど、私の目には、その分厚い木の箱の中から「生きているはずのない異質な光の輪郭」がはっきりと視えていた。
嘘だ。
ここはエルダリア王国の城下町だ。
結界でしっかりと守られたこの街の内部に、生きた魔物がいるはずなんてない。
激しい混乱と恐怖で、私の足が竦んだ。
その時だった。
広場の隅で遊んでいた小さな男の子が、転がっていった木彫りのボールを追いかけて、あの荷馬車のすぐそばへと駆け寄っていくのが見えた。
男の子はボールを拾い上げると、不思議そうに背伸びをして、荷台の分厚い木の箱の隙間を覗き込もうとした。
危ない。
そう思った瞬間、竦んでいたはずの私の足が勝手に動いていた。
「だめっ!」
私は無我夢中で駆け出し、男の子の身体を荷馬車から引き剥がすように抱き寄せた。
「おい! 何見てるんだ!?」
突然、背後から怒鳴り声が響いた。
振り返ると、近くの酒場の影から、恰幅の良い商人と、その護衛らしきガラの悪い二人の男が血相を変えて飛び出してくるところだった。
商人は周囲の目を気にするように辺りを見回すと、わざとらしい咳払いをして、護衛の男の一人に顎でしゃくった。
「……こんなボロ馬車の中にだって、大切な売り物があるんだ。泥棒に間違えられるような真似しちゃいけねえよ、お嬢ちゃん」
男が、ニヤニヤと笑いながら私たちに歩み寄ってくる。
けれど、彼らの背後にある分厚い木の箱からは、依然としてあの禍々しい青色の光が立ち上っていた。
王都の中に生きた魔物を持ち込むのがどれほどの重罪なのか、私にはわからない。
けれど、彼らが恐ろしいものを隠し持っていることだけは確実で、私は恐怖のあまりガタガタと奥歯を鳴らしながら男の子を抱きしめて後ずさる。
その私の異様な怯えようを見て、歩み寄ってきていた男の目がスッと細められた。
「……お嬢ちゃん、あんた、何か見ちまったかい?」
男の低い声色が、ひどく冷たいものに変わる。
彼らが秘密を守るために、私やこの子に危害を加えようとしていることだけは直感で理解できた。
ごまかしが効かないと悟った男の太い手が、私の腕を掴もうと伸びてくる。
「走って!」
私は咄嗟に男の手を躱し、男の子の手をしっかりと握りしめて、薄暗い路地裏へと駆け込んだ。
ニクスの姿を探す余裕なんてない。
小さな歩幅の男の子を庇いながら、迷路のように入り組んだ王都の裏通りを夢中で走り続けた。
けれど、土地勘のない私の足は、やがて屋敷の高い石壁に囲まれた袋小路で行き止まってしまった。
「……逃げられると思ったか」
背後から、低い嘲笑が聞こえた。
振り返ると、路地の入り口を塞ぐように二人の男が立っていた。
彼らの手にある短剣が、冷たい光を放っている。
「大人しくしろ。面倒なことになる前に始末してやる」
男の一人が舌打ちをしながら、私と男の子に向かって短剣を振り上げた。
私は咄嗟に男の子を背中に隠し、もう逃げ場はないと、思わずきつく目を閉じた。
その時。
「――ティリア! 大丈夫か!?」
焦ったような声とともに、目の前に大きな背中が割り込んできた。
ニクスだった。
彼は私を庇うように立ち塞がり、男が振り下ろした短剣の刃を、左腕で弾き飛ばした。
ざしっ、という嫌な音とともに、彼の上着が裂け、しなやかな筋肉のついた腕から赤い血が噴き出す。
「ニクス……っ! 血が!」
私が悲鳴を上げると、ニクスはぽたぽたと血を流す自分の腕をちらりと見下ろし、それから酷く冷たい横目で男たちを睨みつけた。
「……チッ」
舌打ちをした彼の横顔から、ぞっとするような怒りが立ち上る。
その姿は、いつも私に向けてくれる無邪気な青年のものではなかった。
彼から放たれる、肌が粟立つほどの恐ろしい怒りに、背中に庇った男の子が「ひっ」と息を呑み、その小さな身体の震えが私にも伝わってきた。
私自身も、いつもと違うニクスの異様な気配に、奥歯がガタガタと鳴るのを止められない。
背後の微かな悲鳴に反応したのか、ニクスが一瞬だけこちらを振り返った。
怒りで威嚇する獣のように彼の髪の毛がぞわりと逆立ち、私を映した瞳の真ん中が、細く鋭く尖っていくのが見えた。
その人間離れした姿を目の当たりにした瞬間、私の脳裏を、森の館のクローゼットにあったあの『血塗られた手記』の不気味な文字が掠めた。
やはり彼らは、人間とはかけ離れた存在で――。
私を一瞥して無事を確認すると、ニクスはすぐに前方へ向き直り、再び私を完全に庇うように大きな背中で立ちはだかった。
「ひっ……な、なんだこいつ!?」
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