佐恵子クライマーの真髄を聞く1
今日は店に品物を納品するワンボックス車が来る日だ。営業の二宮は開店間際にやって来た。三十代の彼はさっぱりとしたラフななりで得意先を回っていた。
彼は配送でどんなに忙しい時でも必ず裏通りに回って車を止めてくれた。そんな律儀なところが好感を持てた。佐恵子はいつものように中央のスライスドアから商品を見定めた。
「もう冬物の季節になったわねえ」
佐恵子は厚手のコートやジャケットを手当たり次第に選んでいた。
「篠原さんは大の得意先ですから今年も最新の洋服を取りそろえましたよ、他店では売れ残りの秋物をバーゲンしているのにもう冬物を仕入れる。さすがですね」
「二宮さん、おだてたって何も出ないわよ」
佐恵子は洋服の納入業者にもお客と変わらない態度で接するからいつも二宮はここで油を売ってしまう。佐恵子の選んだ数十着の冬物を二宮は店内に運び込んだ。車へ戻ると納品書を持って応接セットのソファーに座る佐恵子に伝票を渡した。
「まだ動き回ると暑いでしょう」と彼女は冷えた麦茶をテーブルに用意していた。
「ここは値の張る物ばかり売って頂いて恐縮しているに……」
と云いながらも二宮は向かいのソファーに座り込んだ。
「お口がお上手なのね。ところで挨拶回りで事務所へ寄った時に伺ったんですけど、二宮さんは山登りが趣味だと聞いたけど、そうなんですか」
相変わらず小綺麗な身のこなしで佐恵子は半身を乗り出して来た。
「イヤー、学生時代ですよ、これでも山岳部ですから」
「今も登られるんですか」
「ちょっと足を痛めましてね、生活には支障ないんですがもう高い山での縦走は無理ですね」
「あらー、そうなの残念ね。知り合いが山の写真を撮っていて、せっかく山の醍醐味を伺いたいと思ったのに」
佐恵子はちょっとおどけて魅せて引き留めるツボを心得ていた。山の醍醐味ですかと二宮は腰を落ち着かせて麦茶を美味そうに飲んだ。
「一般的には新穂高温泉からロープウェイに乗り登山道から千石尾根に辿り着くと、そこから稜線を縦走して西穂高、奥穂高、北穂高と個々の山を走破して行くのです。観光じゃないんですから上高地からは行きませんよ」
「二宮さんもそのルートですか」
「いや、クライマーの憧れはその先の北穂高から槍ヶ岳ですよ」
「じゃあその槍ヶ岳が一番高いのですか?」
「いや、北アルプスの最高峰は北穂高です、ちょっと高いだけですけど、でもやっぱりクライマーの憧れは天を射すように聳え立つあの絶壁の槍ヶ岳ですよ。アルピニストとして単独登山で写真を撮る為に登るのでしたら穂高まででしょうね。でも北穂高もきついですよ」
「その縦走ですけれど稜線ってどんな登山道なんです」
登山道と聞いて二宮は笑った。




