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陰り逝く日々  作者: 和之
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佐恵子2

 佐恵子の用意したスーツに身を固めて、彼女が磨いた靴を履いて出て行く。この一連の動作を毎日佐恵子はチェックするが常に彼に手抜きがなかった。

「じゃ行ってくるよ」

 夫は挨拶をするが気持ちはもう家を飛び出していた。

「いってらっしゃい」

 佐恵子は抜け殻に向かって返事をする。

 幾度となく繰り返されるこの短い言葉の韻律に一喜一憂した日々が過ぎて久しい。今ではお互いの立場と存続を確認する合い言葉になっていた。だがたとえ白髪になろうとこの言葉だけは一日として絶やしたくなかった。この短い言葉にお互いの信頼が結ばれていると正幸はともかく佐恵子は思っていた。

 朝の片付けが終わり居間の鏡台で鏡を覗き込んだ。鏡は彼女の重ねた年月としつきを映し思わず眉を寄せた。彼女は深い溜め息の後に浅い化粧をして紅を引いた。

「何かが違っている。それは自分が変わったのか、それとも正幸なのか……」

 鏡に映った自分に気を取られてつかの間の時間が奪われた。佐恵子は手当たり次第に詰め込んだバッグを肩に掛け慌ただしく駅に向かった。

 夫と彼の両親の助けを借りて郊外にあるこの家を買った。当時はこの辺りにはまだ広い田畑が残っていた。食事支度の手を休めては窓から眺めたものが、今では宅地化されて僅かな田畑しか残っていなかった。それは流産した彼女と同じように周りから取り残されていた。家以外には築いた物が無かった。それで十分と思う人も居るが、形でなくもっと大切な物を残したいと望む人にとっては一抹の寂しさは拭い切れなかった。

 駅までのいつもの町並みまでが今日は妙に無彩色のモノトーンな古い物に感じられた。人さえも無機質に見えて顔を合わせるのさえ険悪感を漂わせてしまった。

 電車内でも空いた席に座らずドアに横向きに凭れ、過ぎゆく景色に身を任せていた。

「いつもと変わらない朝なのに、さっきは鏡の前でいったい何を考えようとしたのかしら」

 電車は桂川の鉄橋を渡り掛けると、雲の切れ間から夏を思わす強い陽射しが佐恵子を捉えた。眩しさに目をそむける内に電車はすぐに地下鉄線に入った。陽射しは閉ざされて窓の外には闇が一気に広がった。

 佐恵子は愁眉を解きドアの外に視線を移した。窓ガラスに映る顔が自分の姿だと気付くのに時を要した。

 浅い化粧は暗い地下鉄線内では目立たなく素顔に近い。それでも一向に気にならなかった。がこの日は内向き志向なのか車内の乗客の視線が気になった。


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