決められぬ就活4
受話器を置いてからお互いにまだ携帯番号を知らせていないのに気付いた。
「向こうはどうでも良いのかしら」
北村は就活でそれどころではないかも知れないが、呼び出された綾子はたまったもんじゃない。
それでも何となく綾子はそれが可笑しくなりながらも鏡を見た。
彼女は鏡の前で化粧を直して紅を引き直した。
「あの人からこんな電話の呼び出しを受けたのは何度目だろうか。そしていつもあたしは会いにゆく。何度あっても同じ事の繰り返しばかり」
慌ただしく綾子は化粧を直しただけで部屋を出た。マンションの出口でいつもの猫が囲いの植え込みの木から顔を見せた。綾子は思わず足を止めて歩み寄った。
「暫く見なかったのに元気?」
綾子はこの猫の名前を知らない。だからネコちゃんと呼んで頭と喉を撫でてやった。こうやって猫と戯れると自分の心が落ち着いて来るのが分かった。
電話を切った時から不愉快になっていた。わたしを愛そうとしてくれない人の言いなりになる自分が情けなかった。それでも鏡の前に置いたハンドバッグを引っ掛けて出て来てしまった。
猫は気まぐれである。いつまでも綾子の相手をしてくれなかった。プイと踵を返して生け垣の中へ消えてしまった。その時に橋の袂で待っている彼の顔が猫と入れ違いに脳裏に現れた。
「まあいいか」
綾子は駅に向かった。あの猫に会ってからなぜかヒールの足音まで軽やかになって来た。
この時間になると御堂筋線も通勤ラッシュから解放されていた。前のシートに座っている人はさっき撫でてやった猫のように心地よさそうに眠っていた。彼らの多くがこれから家族の待つ家庭にたどり着ける安堵感に浸っている。口を開けて眠っているあの男は明らかにそうだ。だが瞑想に耽る隣の男はどんなつらい家庭が待っているのだろう。
北村も家庭を持てば前の男のような人生が待ち受けているのだろうか。いえ、あの人から愛されたいと望まなければそのようにはならないはずだ。




