正幸の無謀な行動1
外へ飛び出しても此処で彼が冷静に語れる友は皆無で、頭を冷やす場所は無かった。それでも彼は表通りでタクシーを拾った。
「木屋町へ行ってくれ。いや、やっぱり琵琶湖に行ってくれ」
正幸は途中でドラッグストアに寄らせて買い物をした。タクシーは北白川から山中越えで琵琶湖に出ると湖岸通りを北へ走らせた。
男一人が夜に市内から比叡山を越えて行く場合はほとんど目的地は限られている。言わずと知れた湖岸に有る歓楽街であった。
歓楽街へ向かう客は目的地を言わずに走らせ、それらしいネオン街で進路変更を要求する。この黙る乗客にも運転手は気を利かして行き過ぎる前にも雄琴付近で減速して行き先を訊いてきた。
正幸は琵琶湖大橋へ行く様に指示した。運転手は意外に思ったが再び加速して雄琴を行き過ぎて琵琶湖大橋に差し掛かった。正幸は橋の中央の駐車帯で車を降りて待たした。
正幸は闇に閉ざされた湖を眺めた。眼下に広がる湖面を渡る冷たい風は彼の頭で無く心を醒ました。中天に昇る下弦の月が波立つ湖面を哀しいまでに輝かせていた。
「あいつは毎日こんな海を眺めていたのか。しかも日本から何千キロも離れた荒れるベーリング海で、佐恵子の愛の為に……。それを俺は帳消しにして仕舞った。それでもお前は黙っている。強い男だ、いや粘り強く生死を簡単に乗り越えてゆく奴だ。だからお前は死ねない。ヘッセの「知と愛」と云う作品にこんな文章があったなあ『本当の愛を知らずにお前は死ねない』佐恵子はお前にまだ本当の愛を教えていない。本当の愛は憎しみを伴わないなんだ。それを俺は知った。俺は本当の愛を知った。だから先に逝く。朔郎よ慌てることはない、ふたりでゆっくりこい。涅槃で待っててやる」
正幸は待たしたタクシーに乗った。
「西方浄土に行ってくれ」
運転手は悪い冗談だと思ったが客の真剣な顔に「ええ、なんですか」と一応は聞き返した。
「西方、西だ! 西に行ってくれ」
タクシーは転回すると 元来た国道へ戻った。
「左へ曲がってくれ」
「雄琴へ戻るんですか」
「そうだ」
タクシーは湖岸通りを今度は南へ走った。




