第9話「声が、届いた」
QUEST #002「翻訳魔法の習得」
進捗:█████████░░░ 75%
翌朝、老人の家に戻った。
リエナが先に来ていた。
扉の前で腕を組んで立っていて、蓮の姿を見ると小さく顎を引いた。
挨拶、だと思う。
「おはようございます」
リエナが「ニホン語か」という顔をした。
意味はわからなくても、音として認識し始めているらしい。
扉を叩く。
少し間があって、開いた。
老人が蓮を見て、それからリエナを見て、また蓮を見た。
何も言わずに中へ入っていく。
——入っていい、ということだ。
―――――――――――――――――
三回目の施術が始まった。
今日は時間が長かった。
筆が石板の上を往復する回数が、昨日より多い。
液体の色も違う。昨日は緑がかっていたが、今日は青みが強い。
蓮は石板を膝に置いて、その感覚に集中した。
温かい。
じわじわと、手のひらから腕に向かって広がっていく。
痛くはない。でも無視できない感覚だ。
老人が何か言った。
「動くな」
聞こえた。
蓮は背筋を伸ばして静止した。
老人が筆の動きを細かくする。
石板の縁に沿って、ゆっくり、丁寧に。
音がした。
今日の音は違った。
高い音じゃない。低くて、長い。
腹の底に響くような——
ぶつ、と何かが切れた感触がした。
耳の奥で。
蓮は思わず手で耳を押さえた。
「痛いか」
老人の声が聞こえた。
はっきり。完全に。
「……いえ、痛くはないです」
「そうか」
老人が筆を置いた。
石板を蓮の手から受け取り、光に透かして確認する。
それから、短く言った。
「終わりだ」
スマホが振動した。
QUEST #002「翻訳魔法の習得」
進捗:████████████ 100% CLEAR
―――――――――――――――――
部屋の中の音が、変わった。
外から鳥の声がする。
風が木の葉を揺らす音。
どこかで誰かが話している声——意味がある。
全部、聞こえる。
蓮はゆっくりと息を吐いた。
リエナがこちらを見ていた。
「聞こえているか」
リエナの声が来た。
意味が来た。
完全に。
「聞こえてます」
リエナが少し目を細めた。
さっきまでと同じ表情だ。でも今は、その目の奥に何があるかが少しだけわかる気がした。
試している。
「名前は」
「及川蓮。蓮でいいです」
「レン」
リエナが繰り返した。発音が綺麗だった。
「リエナさんは——」
「リエナでいい。さん、はいらない」
「……わかりました、リエナ」
リエナが小さく頷いた。
老人がカップを三つ用意していた。
いつの間に、と思ったが黙って受け取った。
今日の液体は昨日と違う色だった。
口に含むと、少し甘かった。
―――――――――――――――――
しばらく三人で黙って座っていた。
沈黙が、不思議と苦じゃなかった。
言葉が通じるとわかったからか。
それとも——ただ疲れているだけか。
蓮はスマホを見た。
QUEST #002「翻訳魔法の習得」
進捗:████████████ 100% CLEAR
次のクエストはまだ来ていない。
Ariaの画面を開いた。
通知はない。
クエストの更新もない。
——次は何を聞いたら転送されるんだろう。
考えかけて、止めた。
今は考えなくていい。
老人がリエナに何か言った。
リエナが頷いて、蓮の方を向いた。
「一つ聞いていいか」
「どうぞ」
リエナが少し間を置いた。
珍しい。この人が間を置くのは初めて見た。
「お前は——なぜ、助けた」
森の中での話だ。
矢が刺さって、言葉も通じなくて、助ける理由なんて何もなかった場面。
蓮は少し考えた。
深い理由なんてなかった。
ただ、目の前に怪我をしている人がいた。
それだけだ。
「目の前にいたから」
リエナが蓮を見た。
何かを言いかけて——また、止めた。
でも今回は、すぐに続きが来た。
「……そうか」
それだけだった。
でもリエナの表情が、ほんの少し——本当にほんの少しだけ——柔らかくなった気がした。
気がした、で終わらせておく。
スマホが振動した。
QUEST #003「██████」
画面を見た。
クエスト名が、文字化けしていた。
ついに会話できました。
次のクエスト、タイトルが文字化けしてます。
何が始まるんでしょう。
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