第7話「言葉の、かけら」
QUEST #002「翻訳魔法の習得」
進捗:█░░░░░░░░░░░ 12%
石板は、思ったより軽かった。
手のひらに収まるくらいの大きさで、表面はざらざらしている。
刻まれた文字——記号?——は細かくて、老眼でもない蓮にはよく見えた。
見えたけど、読めない。
当たり前だ。
老人が何か言った。
音は聞こえる。でも意味が来ない。
まるで外国語の映画を字幕なしで見ているような感覚——いや、それより遠い。
音の並びに、意味の気配すらない。
蓮は石板を両手で持ち直して、もう一度表面を見た。
光はもう出ていない。
さっきの青白い光は何だったのか。
スマホを確認する。
QUEST #002「翻訳魔法の習得」
進捗:█░░░░░░░░░░░ 12%
変わっていない。
――――――――――――――――――
老人が立ち上がった。
棚から小さな瓶を取り出して、中身を確認している。
何かを探しているのか、それとも準備しているのか。
蓮はその間、部屋の中を改めて観察した。
棚には瓶が並んでいる。大小さまざまで、中身の色もばらばらだ。
茶色、青、透明、濁った白。ラベルらしきものが貼ってあるが、もちろん読めない。
棚の隅に、石板があった。
蓮が今持っているものと同じ形をしている。
でもこちらは色が違う。焦げ茶に近い。古いのか、それとも別の種類なのか。
棚の一番上に、薄い本が横倒しで積んである。
革で綴じられたもので、表紙に何かが刻印されていた。
気になったが、手は伸ばさなかった。
ここは他人の家だ。
蓮はエルフを横目で見た。
エルフはカップを両手で持ち、老人の動きを静かに目で追っている。
緊張はしていない。慣れている、という感じだ。
——この老人を知っているのか。
蓮はメモ帳を開いた。
棒人間のエルフと、棒人間の老人。
矢印でつないで「?」。
エルフに画面を向ける。
エルフが画面を見て、少し考えてから頷いた。
それから老人を指さして、また何か短い言葉を言った。
わからない。
でも「知り合い」という感じは伝わった。
蓮はメモ帳に追記した。
今度は棒人間のエルフと棒人間の蓮。間に「石板」らしき四角。
その下に「→」で「?」。
エルフはそれを見て、少し眉を寄せた。
困っているのか、考えているのか。
老人が戻ってきた。
手に小さな瓶を持っている。中に液体が入っていて、かすかに緑がかっている。
老人が蓮の前に座り、石板を指さした。
それから自分の口を指さした。
それから蓮の耳を指さした。
石板。口。耳。
——石板が、言葉を、耳に届ける?
蓮は石板を持ったまま老人を見た。
老人がゆっくり頷いた。
伝わった、と思う。多分。
老人が瓶の蓋を開けた。細い筆のようなものを取り出して、石板の表面にそっと液体を塗り始めた。
音がした。
かすかな、高い音。
まるで濡れた指でガラスの縁をなぞるような——ほんの一瞬だけ。
蓮の手の中で、石板がわずかに温かくなった。
――――――――――――――――――
老人が筆を置いた。
石板を蓮の手から一度受け取り、何かを確認して、また返す。
それから老人が口を開いた。
何か言った。
聞こえた。
音として聞こえた——それだけじゃなかった。
音の中に、何かが混じっていた。
意味、というより輪郭。「これは問いかけだ」という感触。
蓮は反射的に老人を見た。
老人が同じ言葉をもう一度言った。
今度ははっきりした。
「聞こえているか」
そう言った気がした。
——気がした、じゃない。
そう言った。
蓮は自分の耳を疑った。
一秒。二秒。
「……聞こえて、ます」
声が出た。日本語で。
老人は当然わからないだろうと思ったが、老人はかすかに目を細めた。
表情の意味は読めなかった。
でも悪い感じじゃない。
QUEST進捗が動いた。
蓮はスマホを確認した。
QUEST #002「翻訳魔法の習得」
進捗:████░░░░░░░░ 33%
——進んだ。
老人がまた何か言った。
今度は少し長い。
音の意味が、ぼんやりとだが輪郭を持ち始めていた。
全部はわからない。でも「石板」「言葉」「時間」——そのあたりの言葉がぼんやり引っかかった。
時間がかかる、ということか。
一度で完成するわけじゃない。
蓮は石板を握り直した。
じんわりと温かい。
エルフがその様子を見ていた。
何か言いたそうな顔をしていた。
でも言わなかった。
ただ、少しだけ——ほんの少しだけ——口の端が上がっていた。
石板、動き始めました。
まだ33%。翻訳魔法が完成するまで、もう少しかかりそうです。
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